3.ガールミーツガール

 自動ドアをくぐると、正面に現れたのはまた扉だった。ただし、それは木製で両開きの古めかしい扉であり、そこだけ他と雰囲気が違う。

 何というか、お伽噺の中にでも出てきそうな趣。


 横に伸びた幅三メートルほどの通路の中央にその扉は据えられてあり、通路の続く先――左右を見やると、幾つかの小さな扉、そして一番奥に上階と地下へと続く階段がある。


「これを、開ければいいのかな……?」


 さくらはドアノブもない正面の木製扉にそっと手を触れる。扉の向こうからは、何やら活気のある騒ぎ声や、熱気のような気配が感じられる。


 扉を押し開けると、キィと軋む音がした。

 その先に世界が広がるものを見て、一瞬、さくらは自分が異世界に迷い込んだのかと思った。樹と酒の香りがむわっと鼻孔をついた。


 内装は、床も壁も天井も、現代では中々見られない古めかしい木造製だった。樹木と酒の香りが鼻をつき、足を踏み出すと微かに床が軋んだ。


 まず視界に入ったのが正面先の壁に取り付けられた巨大な掲示板。横幅十五メートル、高さ五メートルはあろうかという木製の掲示板に、無数の雑多な張り紙がされてある。

 その右隣には、受付と書かれたカウンターが並んでいて、先ほど紅を引きずって行った者等が着ていたのと同じシック調の制服に身を包んだ人たちがいる。その者たちはカウンターの裏側で忙しなさそうにしている。


 左手側には、たった今さくらがくぐった扉よりも大きな両開き扉が全開されていて、その向こうには広い酒場があった。特に仕切りなどはなく開放的に椅子とテーブルが並べられ、カウンター席の向こうに見える戸棚には多種多様の酒瓶がズラリと詰め込まれていた。

 たくさんの人が黄金色の液体を注いだジョッキを片手に笑い合い、バカ騒ぎしている。


 正直、場所を間違えたかと思った。

 さくらの想像していた冒険者ギルドの中とは、まるで違う。じゃあ一体どんなものを想像していたのかと聞かれれば、具体的なことは何も言えないのだが、少なくともさくらが通う冒険者学校はこんな感じではない。もっと現代的で、システマチックだ。


 この場に広がる空間は、いつだったか見たことある古めかしい西部劇の映画に出て来た光景にどこか似ているとさくらは感じた。


 入り口付近で、無意識の内に周囲を見渡し、無遠慮に観察していたさくらの元へ、一人の綺麗な女性が近寄って来る。シック調の制服を身に付けた恐らくこのギルドの職員だ。


「さくらさんですね?」


「あ、あの、は、はい! えっと、私は――」


 狼狽するさくらに、女性は柔和な笑みを浮かべる。


「大丈夫ですよ。マスターから話はお伺いしました。我がギルドにご用があるとのことで」


「はい、あの、私……アズマさん、に会いたくて……」


「あぁ、はい。東ですね。かしこまりました。あちらに腰掛けて、お待ちください」


 職員の女性は、受付カウンター前方に並べられている木製の机と椅子の方を手で示し、丁寧にお辞儀をすると、酒場の方へ歩いて行った。


 さくらは勢いでここまで来てしまった自覚と、そこからくる緊張に身を固めながら、示された場所に向かう。そして、適当な椅子に腰掛けて深呼吸した。


 ――あ、アズマさんに、何て言われるかな……。


 ドクドクと跳ねる心臓を落ち着かせるように、さくらは胸に手を置く。

 アズマがやって来たらなんと言おうか必死に頭を回転させていると、背後から二つの足音が近づいて来た。


「……さくら、やっぱりお前か」


 振り返ると、そこには呆れたようにさくらを見下ろすアズマの姿があった。

 一か月ぶりの再会。こうして改めて顔を合わせてみると、あの時アズマと過ごしたひと時が脳裏に蘇る。気まずいという気持ちもあるが、また彼に会えて嬉しいというのが事実だった。


「あ、あははーっ、アズマさん、お久しぶりです。あの時は本当にお世話になりました。私のこと、ちゃんと覚えてますか……?」


「お前みたいな奴忘れる訳ねえだろ……。ま、そうだな、さくらも元気そうで何よりだよ。――で、ここに何しに来た?」


 アズマが少し警戒するような視線をさくらに向ける。


「あーっ、えっとそうですね、何と言ったものでしょう、という感じなんですが……」


「は?」


 冒険者として強くなるために、冒険者の本ライセンスを取得するために稽古してください! などと、この場で言ってもいいのだろうか。


 当たり前だが、アズマにだってアズマの仕事があるのだ。

 Bランクの冒険者ともなれば、必要とされることも多いだろう。アズマだって暇じゃないのだ。


 ここはやっぱり、改めてあの時のお礼を言いに来ただけだと、誤魔化してしまおうか。


 そんな風にさくらが気おくれし始めた時、アズマの背中から一人の少女が飛び出してきた。

 兎のような垂れ耳を頭から生やした可憐な少女だ。

 特徴的な非凡部位を備えた人間――《就寝開闢》以降に産まれるようになった《亜人デミヒューマン》である。


 かつて、伝承や創作の中に登場した獣人、エルフ、ドワーフのような特徴を持つ者が、かなり珍しい部類ではあるが、現代世界には普通に生きて暮らしている。

 アズマの腕を取って、さくらに敵意の視線を向けている彼女も、そんな《亜人》の一人だろう。


「あ、あのー……、アズマさん、この方は……」


 何が何だかよく分からないが、凄まじいプレッシャーを感じる。無視はできない雰囲気だった。さくらは冷や汗を流しながら、できる限り柔和な笑みを作って兎の垂れ耳を持つ彼女に笑いかけた。


「ほたるは、こちらのあずまけいの妻です。東ほたると言います」


「え、えぇぇぇッ!?!? アズマさん結婚してたんですか!?」


「そうです。初めに言っておきますが、ウチの旦那に色目を使えば――」


 アズマの手刀がほたるの頭部に落ちる。ゴスンと鈍重な音が響いた。


「うにゅぅ……っ」


 頭を押さえて崩れ落ちるほたる。


「勝手なことを言うなアホが。お前の苗字は速水はやみだろうが」


「で、でも、いずれほたるはケイくんと結婚するんですし、別に今名乗っても」


 頭を押さえたまま、ほたるがアズマを涙目で見上げる。


「何度も言ってるが俺がお前と付き合う未来はあり得ない。いい加減諦めろ」


「うぅぅ……」


 意気消沈するほたるを見て、さくらは何が何だか分からず首を傾げる。


「あの、お二人は一体どういう……」


「あー……、まぁ、こいつは俺の妹みたいなもんだ。気にすんな」


「妹じゃないですし……」


 唇を尖らせてアズマを見上げ、次いで潤んだ瞳でさくらを睨むほたる。

 気まずくなって、笑いかけてみるとさらに鋭く睨まれた。


「さて、そんじゃあ改めて本題を聞こうか」


 アズマが仕切り直すように言う。

 その時、ざわざわとした騒めきと共に大勢の冒険者がぞろぞろと酒場から出てくる。彼らの方を見て、アズマが「もう時間か」と呟いた。


「さくらお前、なんていうかちょうどいい時に来たな」


「……?」


 一体何が始まるのか分からず、さくらは首を傾げる。


「お前の話、今すぐじゃなきゃダメか?」


「いえ……、そんなことはないですけど」


「お前、確か俺を助けられるくらい強くなるとか調子に乗ったこと言ってたよな」


 アズマが口端を僅かに上げて、さくらを見下ろした。

 さくらの心臓がドキリと跳ねる。そうだ。強くなるために、立派な冒険者になるためにさくらはここを訪れたのだ。


「そ、そんなこと、言いましたっけ?」


 しかし何だか気恥ずかしくなったさくらは、視線を明後日の方向へやる。

 その頬には汗が一筋流れていた。


「雑魚のお前が俺より強い冒険者になるってなら、見て損はないもん見せてやるよ。まぁ、逆に自信無くすかもしれねえけどな」


 一体、何を見せてくれるというのだろう。

 しかし、強くなるために参考になると言うなら、さくらに断る理由はない。


「まぁいいから着いて来い」


 アズマはそう言って踵を返すと、ぞろぞろと流れていく他の冒険者たちの流れに続いて、正面の扉の方へ向かう。


「は、はい!」


 さくらは威勢よく返事をして、数歩先に行ってしまったアズマを追いかけようと足を伸ばす。


「あなたが、一か月前にケイくんが助けたっていう子ですね?」


「いぇ!?」


 いつの間にか、さくらの隣にはほたるの姿があった。今さっきまでアズマの横に居たはずなのに、近づいて来るのを気取れなかった。


「あ、えっと、はい、そうです。アズマさんに危ない所を助けてもらって……」


「なるほどなるほど、ケイくんはあれでなかなか、どうしようもないお人よしですからね。危ない時に会ったのがケイくんで良かったですね。あなたみたいなちんちくりんでも、女の子の冒険者が一人で《夢幻特区》を彷徨ってると酷い目にあったりしますから。相手が《夢邪鬼ナイトメア》じゃなくても、です」


「は、はぁ……」


「要するにケダモノみたいな男の冒険者に見つかったら、助けた見返りに体を要求されたり、無理やり犯されたりするということです。周りに人目もない中、常に命の危険に晒されている男共に見境はありません。性欲ド変態狼なのです」


「お、おかされ……っ」


 さくらの顔が一気に赤くなる。


「む、もしかしてあなた処女ですか? 案外遊んでそうな顔してるのに意外です」


「し、失礼な……! 私そんな風に見えるんですか!?」


「冗談です。でもあなたがそれなりに可愛いというのは認めているのです。だから忠告をしに来ました」


「ちゅ、忠告……?」


「はい。ほたるが言いたいのは、ケイくんがいくらカッコよくて優しくても、勘違いしちゃダメという事です。もしあなたがケイくんに軽率に色目を使おうものなら、ほたるは怒れる獣になることでしょう」


 さくらは真剣な様子のほたると、前方を歩いているアズマを交互に見ながら言う。


「ほたるさんは、アズマさんのことが好きなんですか?」


「大好きです。絶対、誰にも渡しません」


「そ、そうですか……」


 一切の恥じらいなく言われて、何故かさくらが恥ずかしくなってしまう。


「あの……ほたるさんがおいくつなのか、聞いてもいいですか?」


「ほたるは十九です。ちなみにランクはCです。見習いFランクのあなたとは天と地ほどの差があります」


 Cランク。

 Dランクで一人前と呼ばれる冒険者においてのCランクとは、いわゆるベテランの部類だ。

 十九という若さでそのランクを得ている彼女も、また才媛なのだろう。少なくともさくらは、自分があと三年でCランクになれるとは到底思えない。


「す、すごいですね……」


「当然です。ほたるはケイくんに相応しい女になるために日々努力しているのです。ケイくんより強くなればケイくんはほたるを認めてくれるでしょうし、それに、いざとなれば無理やりケイくんを……えへ、えへへ、うぇえへへっ」


 急に気持ち悪い笑みをこぼし始めたほたるに、さくらは若干引き気味になる。

 可憐で庇護欲をそそるような愛らしい容姿を持つ彼女が、こうして変態的笑みを浮かべているのは酷くアンバランスだ。ほたるは垂れかけた涎をすすりながら、さくらに指を突き付ける。


「とにかく! ほたるが言いたいのは、ケイくんに手を出さないで、ということです。分かりましたか?」


「わ、分かりました……」


 ほたるの勢いに押され、さくらは素直に頷いてしまう。


「よろしい。あなた良い人ですね。さくら、でいいですか?」


「はい、大丈夫です」


「ほたるの恋敵じゃないなら、さくらは良き後輩です。先輩女冒険者として、あなたには色々教えてあげましょう。女の子には女の子の苦労がありますからね」


「ほんとですか? ありがとうございますっ」


 ほたるのことは、最初は変な人かと思ったが、案外良い人かもしれないとさくらは思った。

 地下へと続く階段を降りていく冒険者たちの列の最後尾で、さくらはほたるに冒険者としての心得を色々教えてもらった。


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