3.奈落森林Ⅰ


「ヵ゛ァ゛ア゛――――ッ!?」


 オーガの断末魔が一瞬だけ響き渡り、パキと石のような何かを砕き割る音が微かに鳴った。

 その瞬間、オーガの巨体が弾け飛び、霧散した。


 肉片と骨が細かく飛び散って、その一つ一つが空中で溶けて煌めく。その後には、まるでダイアモンドダストのように、陽光を受けてキラキラと輝く粒子が散りばめられる光景が残った。


《ソムニウムスキャッター》と呼ばれる現象。


 この現象は学校でも習った。《夢晶クリスタル》を核にして生きている夢想生物たちは、生きたままその核を破壊されると、否応なしに絶命して、弾け飛び、その身体を構成していた《夢源元素ソムニウム》を散らすのだ。


 さくらは唖然と口を大きく開けて、目の前の光景に捉われていた。

 こんな状況だというのに、その幻想的な景色を、美しいと思ってしまった。


「おい、生きてるか……?」


 アズマが納刀しつつ立ち上がって、さくらの前に立つ。

 平気そうな表情を浮かべているが、アズマは大きく肩で息をしていた。額には汗が浮いている。


 深い呼吸を繰り返しながらアズマはしゃがみ込んで、へたり込んでいるさくらと視線を合わせた。ふとその視線が下がって、さくらの胸元を見つめる。

 思わずさくらも我が身を見下ろして、今の自分が上に下着以外何も着衣していなかったことに気付く。


 そういえば、体を拭くために服を脱いでいたのだった。


 さくらの顔が真っ赤に染まる。


「ひゃっ!? ちょ、見ないでくださいって言ったじゃないですか!」


「この状況でも、そんなことを気にかけられるお前は、案外大物かもな」


 呆れたような、むしろ感心したような顔になるアズマ。


「ど、どういうことですか!? そんなことじゃないですよ!」


 さくらが自分の胸を抱きしめるようにして隠し、赤い顔でアズマをにらんだ。


「あー、もうホントめんどくせえなお前。わかったよ」


 アズマは脱力するようにその場に座り込んでから、さくらに背を向けた。


 アズマが俯いて、荒くなった呼吸を整えているのを見て、さくらがどこか申し訳なさそうに声をかけた。


「大丈夫、ですか?」


「あぁ? なにが」


「その、随分と疲れているみたいなので……」


 いそいそと上にインナーを着て、上着と革鎧を身に付けながらさくらが言う。


「別に大したことじゃねえよ。《夢能アーキタイプ》を使いすぎると、体力が持ってかれるってだけだ。この程度なら、少し休めば治る」


「アズマさんは《夢能》持ちなんですね」


「まぁな」


 さくらがアズマと出会った時と、たった今起こった現象。アズマが何もない所から突然現れたように見えたアレは、アズマが刻んでいると言っていた《治癒》と《発水》の《法章》だけでは再現できない超常現象だ。

 だとすれば残りの可能性として考えられるのは、アズマが何か特別な道具を使ったか、固有の《夢能》を発動させたか。


 《夢能》は、七十年前に起こった大災害――《就寝開闢》以降、人間に発現するようになった異能力だ。

 それは例えば、何もない所から炎を生み出す発火能力パイロキネシスだったり、手を触れずとも物を動かす念力サイコキネシスだったり。


 この力のお陰で、日本の人々は、《夢邪鬼ナイトメア》や超常災害を前にしても、どうにか生き残ることができたと聞く。


 現代日本の文明に大きく貢献している特殊技術――、アズマが先ほどさくらを治療したり、水を出す際に使ったりした《法章》を利用した《夢法術》も、この《夢能》を元にして創り出された技術である。 


 ただし、《法章》を利用した《夢法術》は、いわば《夢能》よりずっと精度が低い劣化コピー。例えば、さくらは右腕に《念力法章》を刻んでいるが、同じ念力系統の《夢能》を持つ者より、ずっと性能が劣った念力しか使えない。


 《夢能》が人間に発現する確率は、現代の日本内で千人に一人と言われている。だから《夢能》持っているというだけで、その人はかなり重宝されるのだ。


 実はさくらも《夢能》を持っているが、戦闘の役に立つ類いではない上に、まだしっかりと使いこなすことができない。


「俺の《夢能アーキタイプ》は、【静寂なる傍弱サイレントサイドウィーク】っつってな、自分の気配を〝消せる〟。気配ってのは、要するに存在感だ。それをゼロにすれば、他者に俺の存在は認識できない」


「あぁ、だからああいう……。え、それって無敵なんじゃないですか?」


 敵を認識できなければ、一方的に攻撃できるし、攻撃を貰う事もない。


「アホか。無敵な訳ねえだろ。敵に認識されなくても、一撃で仕留められなかったらそこに〝何か〟がいるってことは気付かれるし、これは長時間使えるものでも、連発できるものでもない。相手の数が多かったり、異様に硬いヤツだった時は、どうしようもねえよ」


「なるほど……。確かに、さっきもちょっと消えてただけなのにしんどそうでしたもんね」


「まぁあれは、気配を消した状態でアイツを蹴飛ばしたからだけどな。激しい動きをしなかったら、もう少し持つ」


「へぇぇ……っ! でもすごい能力ですね、いいなぁ」


「ま、これが俺の才能って訳だ。分かったらもっと俺を敬うんだな」


 アズマが偉そうな口調で言うと、さくらは不意に俯いて表情を暗くした。


「そう、ですね……。ほんとに、何度も助けてくれてありがとうございます。あはは……、私って、ただの役立たず、ですよね」


「は? 今更何言ってんだ」


 アズマが立ち上がって振り返り、俯いているさくらを見下ろした。

 アズマがさくらを見る瞳は呆れきっていて、まるで手のかかる妹に兄が向けるような表情だ。アズマは自分の黒髪を掻き混ぜるようにしながら、「しょうがない」と言いたげに口を開く。


「んなこと分かり切ってんだろ。だから最初に言ったじゃねえか、お前は頑張らなくていい、何もしなくていいって。実際、今もお前が何もしなくて良い感じにオトリになってくれたらから楽にアイツを殺せた。そういう意味では役に立ったと言えるな」


「でも……」


「あのな、何回も言わせんなアホ。お前が役立たずのクソ雑魚なんてことは分かり切った上で、俺はお前を連れていくって判断したんだよ。お前が助けろって言ったんだろ? 何が不満なんだ」


「私も一応冒険者だから……、少しは何かできるかな、って思って……」


「はっ、お前はまだ仮免Fランクの見習いだろうが。見習っときゃいいんだ。せっかく俺みたいなエリートの活動を側で見られるんだから、見て学んどけ。いつかそれが役に立つ。そんでお前がちゃんと稼げるようになった時、俺にメシでも奢ってくれたらそれでいい」


「それだけで、いいんですか……?」


「少なくとも好き勝手に張り切って空回りして目の前でケガされるよりは、よっぽど良い。それより早く行くぞ。ほらさっさと立て。それとも腰が抜けて立てないか? おんぶしてやろうか?」


「た、立てますよ! バカにしないでください」


 さくらはよろけそうになりながら何とか立ち上がって、既に歩き始めているアズマを追う。

 しかし途中で立ち止まり振り返って、アズマに殺されたオーガが持っていた片手剣を拾う。刃こぼれが酷いが、全く使えないという訳でもなさそうだ。


 アズマには何もするなと言われたし、その言葉は正しいと感じた。

 今のさくらは、アズマにとっての足手まといでしかない。オーガと遭遇したことで、それを痛感した。

 だからせめて、なるべくアズマの邪魔にならないようにしようと思った。


 邪魔にならないようにするには、少しでも強くあるしかない。この剣も、何も得物を持たない今よりは、さくらの力になってくれるだろう。


 残念ながら鞘はないので抜き身のまま手に持って、さくらはアズマに追いつく。


「あの、アズマさん」


「なんだよ」


「私、いっぱい学んで、いつかアズマさんを助けてあげられるくらい強くなりますね」


「それは無理だな、諦めろ」


「な、何でですか、やってみないと分かりませんよ。私にだってもしかしたら秘められた才能が」


「オーガ程度にビビって動けなくなってたお前がか? はっ、笑わせんな、無理だよ」


「む、これでも私、学校での成績はそこそこいいんですよ?」


「へぇー」


「あ、信じてないですね。この前だって学校でですね――」


 アズマとさくらは、滅んで朽ちた街の跡を並んで歩く。傾き始めた太陽が二人の影を東へ長く伸ばし、茜色に照らしていた。


 二人は眩い太陽が主張する方向――西へと足先を向ける。





 人類に残された生存区域の大部分を占める六大都市――仙台、東京、名古屋、京都、大阪、福岡。その内の一つ、東京区域の西側には森林地帯が広がっている。


 東京西部大森林――通称、〝奈落森林〟。


 奈落森林が占める面積は莫大で、東京西部から、静岡と山梨の境に聳え立つ富士山の付近にまで長く広がっている。

 かつてはそこに大勢の人が暮らし栄えていた静岡、山梨も、今では《夢幻特区》の一部、人がまともに暮らせる環境ではない。


 教科書でしか見たことのない薄気味悪い多種多様の植物が鬱蒼と生い茂る中を、さくらはアズマの背中に張り付いてビクビクと怯えながら進んでいた。


「ひっ。あ、アズマさん……。あそこ何かいませんでした……?」


「ただ風で揺れたか虫か何かだろ。てかくっつきすぎなんだよお前は。歩きにくいから離れろこのアホが……っ」


 アズマがさくらを引き剥がそうと肩を押すが、さくらは意地でも離れようとしない。


「お前さ、俺より強くなるとか何とか偉そうな事言ってなかったか? マジでそれで冒険者志望か? 何もしなくていいし俺を見て学べとも言ったがくっつけとは言ってねえぞ」


「だ、だってぇ……っ」


 さくらは半泣きになって弱々しい声をあげる。

 強くなろうと決めたさくらの決心に間違いはないが、怖いものは怖い。


 確かにアズマは西に行くと言っていたが、まさか奈落森林に踏み入るとは思っていなかった。

 この場所は普通、一人や二人で入る所じゃない。少なくとも学校ではそう教わった。


 さくらはアズマの服を握りしめながら、周囲を見渡す。

 異常発達した植物がうねり密集し、毒々しい奇形の花を咲かせているものもある。 

 

 ジットリと肌に張り付く嫌な気配が常に蔓延していて、経験が浅いさくらでもここには夥しい数の《夢邪鬼ナイトメア》が住み着いていると本能で悟る。


 もうすっかり日が暮れているのに、森林内はぼんやりとした燐光のような淡い光が灯り、視界には困らない。

 しかし、これは喜ぶべき事態ではないとさくらは知っている。

 むしろ真っ暗なままであれば、どんなに良かったか。


 この淡い光は、空気中に高濃度で漂う《夢源元素ソムニウム》によるものだ。


《夢源元素》――万能元素とも呼ばれ、伝承の中では〝マナ〟や〝エーテル〟、〝魔力〟などの名前で呼ばれたりもしている。


 古来より存在していたとされるが、その存在がハッキリと物理的に認識されるようになったのは、七十年前に起こった大災害就寝開闢以降である。


《夢源元素》は人の想いに依って超常を起こす物質。

《夢幻特区》に生息する《夢邪鬼》を含めた夢想生物の身体の大部分は、この《夢源元素》で構成され、常軌を逸した超常現象――《夢想現象》もコレによって引き起こされる。


 人が《夢能》や《夢法術》を使う際に用いるエネルギーも同じ《夢源元素》だが、自然界に散布している指向性を持たない《夢源元素》は未知数だ。


 詰まるところ、人の想いに依存して超常を起こすと言っても、都合よく望んだ現象を起こせる訳じゃない。

 そこに《夢源元素》があるからと言って、人が『炎を起こしたい』と思っても炎が起こる訳じゃない。もちろんその可能性も無い訳じゃないが、《夢源元素》が影響を受けるのは、〝人が想像し得る全て〟、である。


 分かりやすく言い換えれば、〝何が起こってもおかしくない〟。


《夢源元素》が濃い場所では、その〝何か〟が起こる確率も飛躍的に高まる。

 突発的な《夢想現象》に巻き込まれたり、《夢源元素》の影響を強く受けたイレギュラーな《夢邪鬼》に追われたりして、死亡した冒険者の話なんて珍しくもない。


 だから、《夢源元素》が濃く集まって、夜になっても視界に困らない程の発光を見せているこの奈落森林は、危険極まりないという訳であり、謎も多い。


「うぅ……、怖い……」


 改めてさくらは、時折コンパスで方向を確認しながら迷いなく進んでいくアズマを見上げる。

 その表情は真剣だが、必要以上に気を張ってもいない。明らかに慣れている。


「あの、アズマさんは、よくここに来るんですか?」


「あー、そうだな。ここらの《夢邪鬼》から取れる《夢晶クリスタル》は高く売れるし、金がなくなったらとりあえずここに来る」


「ひ、一人で、ですか……?」


「一人の時もあるし、ギルドでパーティ組んで来るときもあるな」


「アズマさんはどこのギルドに所属してるんですか?」


「【不知火しらぬい】ってとこだ」


「えぇっ【不知火】!? 【不知火】ってあの――ふぐぅっ!?」


 突然立ち止まったアズマの背中に、鼻先を強く打ちつけてさくらが呻く。


「迂回するぞ」


 アズマが正面を睨みつけるようにジッと観察しつつ、そう言った。赤くなった鼻をさすっているさくらもその方向に視線をやる。


「な、何かあるんですか……?」


「においと色がおかしい。通るとヤバそうだ」


 《夢想現象》を起こす予兆を示した《夢源元素》は特殊な色に発光したり、特徴的なにおいを発したりする。

 その細かい判別方法を冒険者学校で習っている途中のさくらではあるが、特に異変は感じられない。しかし、アズマが言うからには間違いないのだろう。さくらは身に緊張を走らせて、アズマの側から離れないようにする。


 その時、ガサリと前方にある茂みが揺れ、中から丸い影が複数飛び出してくる。


 さくらは目を凝らしてその正体を探り――、それが大人の半分ほどの大きさを有する蜘蛛であると分かった瞬間、あまりの気持ち悪さに悲鳴を上げた。


「ひゃぁあぁああっ!?!?」


 蜘蛛たちの八つの赤瞳が、獲物であるアズマとさくらに狙いを定め、八本の脚で地と木々の枝をしっかり捉えつつ、俊敏に迫って来る。


 ――が、しかし、その蜘蛛たちが、たった今アズマが通るとヤバそうと示した場所を通り過ぎようとした瞬間、地面から雷が〝真上〟に落ちた。

 まるで雷撃の噴火のような光景。轟音が鳴り響いて、雷光が駆け抜け、空気が焼き焦げる。


「――ぁぁあああぁあああぁああああぁぁぁああっ!?!?!?」


「うるせぇ、《夢邪鬼(ナイトメア)》が集まってきたらどうすんだアホ」


 巨大蜘蛛が迫り、その蜘蛛たちが地面から吹き出した雷電にこんがり焼かれた光景を目の前で見て、絶叫を抑えられなかったさくら。

 そんな彼女の額に、アズマが全力のデコピンを喰らわせる。


「ったぁぁぁあ……」


 額を押さえてうずくまり、大人しくなるさくら。


 そんな彼女を見下ろして、アズマが呆れたように嘆息した。


「い、今の、《夢想現象》ですよね……。初めて見ました……、動画とかでは見たことありますけど……リアルで見るとヤバい……」


「ここじゃそんなに珍しくもねえけどな。ほら行くぞ」


「ひぇぇ……」


 さくらはアズマの腕に抱き着くようにしがみつく。アズマは分かりやすく嫌そうな表情を浮かべていたが、無理にそれを振り払うことはしなかった。


「私、アズマさんにあんなこと宣言しといてアレですけど、ほんとにちゃんとした冒険者になれるのかどうか不安になってきました……」


「何事も経験だよ。お前みたいな見習いがいきなりこんなとこに来る機会なんてそうそうないんだから、しっかり見て学んどけ。強くなるんだろ。ならないのか?」


「な、なりますよ……っ。強く、なります……」


「じゃあとりあえず俺から少し離れろ」


「それは無理です。少なくとも今は無理です」


 さくらは真顔でアズマを見上げる。


「戦闘になった時も離れなかったら投げ飛ばすからな」


「了解です」


 真面目にコクコクと頷くさくら。とりあえず何かムカついたので、さくらの額を軽く弾いてから、アズマはさらに奥へと歩みを進めた。


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