2.ネームド
「アズマさん、Bランクなんですか!? すごい!」
「声がでかいんだよお前は」
西を目指して、かつては街だった荒れ果てた大地を歩くアズマとさくら。
周囲に生き物の気配はない。
皆とはぐれて一人になった時はどうなることかと思ったが、アズマと一緒にいることで緊張がほぐれたさくらは、先輩冒険者である彼に気になったことをどんどん尋ねていた。
せっかくの機会だから、色々と身になることを聞いておこうと思った所存である。
無駄に元気なさくらに話しかけられまくって、アズマは嫌そうな迷惑そうな表情を隠す気もなく浮かべているが、聞かれたことにはしっかりと答えてくれる。
さてはこの人ツンデレだな、とさくらは思っていた。
改めて、さくらはアズマと名乗った男を見上げ、観察する。
腰には大きめのポーチと二振りの刀。黒髪黒目、目付きは悪いが全体的に整った顔立ち、身長はさくらより二十五センチくらい高く見えるので、一七五センチ前後と見た。細身だが弱々しい感じは無く、動きやすさ重視の薄い革鎧の上からでも、無駄なく鍛えられた筋肉がその内側に備えられていると分かる。
佇まいは悠々としていて、《夢幻特区》にも慣れている様子だ。実際、アズマはBランクの冒険者であるらしい。
ランクは個々が積み上げた業績から測られる実力によって定められているが、Bランクは凡人の努力だけではどうやってもたどり着けないとされる領域である。
熟達した腕利きであることは間違いないのだが、見た感じアズマは随分と若く見える。それこそ、さくらとそこまで大きく変わらないんじゃないだろうか。
「あの、アズマさんって、おいくつですか?」
「二十」
「あ、やっぱりほんとに若いんですね」
さくらと四つしか変わらない。この若さでBランクの評価を得ている冒険者は、そうそう居ないはずだ。
「どういう意味だよ」
「いえ、別に変な意味ではなく、Bランクでそんなに若い人ってかなり珍しいと思ったので、もしかしたら童顔なだけで、もっと年上なのかなぁと思いまして」
童顔、と言われた所で、アズマが顔をしかめる。
「まぁ俺はお前を最初見た時、お子様の中学生が迷い込んで来たのかと思ったけどな」
「なっ! 私はもう立派な高校生ですよ」
「どっちにしろガキってことだろ」
アズマがさくらを小馬鹿にするように口元に笑みを浮かべ、見下ろす。
「が、ガキって……、アズマさんだって高校生とそんなに歳変わらないじゃないですか」
「うるせえお子様」
「だからお子様じゃないですぅ。私はもう結婚だってできるんですから」
さくらは胸に手を当て、不満そうにアズマをにらんだ。
「はいはい」
アズマがさくらの薄桃色の髪をぐしゃぐしゃと手でかき回す。
「なぁああああっ! 何するんですかセクハラですよセクハラ!」
アズマは鼻で笑い飛ばし、生意気小娘のさくらの髪をさらにかき混ぜる。さくらは怒った猫のように喚いてアズマの腕をどかそうともがいた。
その時、さくらは「いたっ」と顔をしかめて、反射的にこめかみのあたりに手を当てる。ぬる、と液状の何かが指先に触れた。
そっと確認して見ると、赤い血が付いていた。
「あっ」
「やっぱケガしてんじゃねえか」
アズマがさくらの前髪をあげて、顔を近づける。
急に接近したアズマに気恥ずかしさを覚えたさくらは、「やだなぁ、大したケガじゃないですよ」と誤魔化し笑いを浮かべつつ、顔を引く。
「まぁ確かに大したケガじゃなさそうだな。でも一応治療してやるよ。お前を街に帰した後で、お前の親とか学校に文句言われたりしても困るからな」
「やけに説明口調な言い訳ですね。やっぱりアズマさんって……ツンデレ?」
「うるせぇ」
アズマがさくらの額を指ではじく。痛烈なデコピンだった。
「いったぁ! ちょっと!? 今のケガより普通に痛かったんですけど!?」
赤くなった額を抑えてアズマに文句を叫ぶさくら。
そんな彼女の喚きを無視して、アズマは右手の手袋を取り外した。中から現れたアズマの素手の甲には、複雑な文字のような紋様が刻まれている。
まるで刺青のように皮膚に彫られたそれは、《法章》という代物だ。《法章》は、《夢法術》と呼ばれる〝異能のチカラ〟を発動させるための媒介である。
《法章》には様々な種類があり、アズマが右手に刻んでいるのは《治癒法章》である。
アズマはその手の甲をさくらのこめかみにある傷口に寄せ、呪文を唱える。
慣れれば呪文を唱えずとも《夢法術》は使えるが、呪文とは機械を起動する時のスイッチにも似た感覚で、唱えた方がしっくりくる。
「――〝サナーレ〟」
その言葉をキッカケにして、アズマの身体の内側に溜まっているエネルギー――《
さくらは癒えたこめかみを確かめるように指先で撫でて、感嘆の息を漏らす。
「おぉ……っ、すごい。アズマさんは《治癒法章》を刻んでいるんですね」
「まぁな。あとは《発水》も刻んでる。《治癒》と《発水》、その二つだ」
「《発水》っ! アズマさん水出せるんですか!?」
「出せるけど何なんだ」
いきなり興奮したさくらにアズマは困惑の表情を浮かべる。
「あの、まだアズマさんの《夢源元素》量に余裕があったらでいいんですけど、できれば私体を拭きたいなぁ、って。ずっと気持ち悪かったんですよね……あはは」
そう言って、さくらは自分の身体を見下ろす。
昨夜まで降っていた豪雨のせいでぬかるんだ大地をファングフットに追われて走り回り、さらにはアズマに驚かされて地面を転がったたため、さくらは全身泥まみれ状態だった。乾き始めてはいるものの、内側にも泥が染み込んだのでかなり気持ち悪い。
一応バックパックに飲み水はあるがもう残り少なく、易々と使えるものではない。
「別にいいけど、どうやって拭くつもりだよ」
「あ、これを濡らして貰えたら」
そう言って、さくらはバックパックから取り出したタオルを差し出す。それを受け取ったアズマは、左手をタオルの上にかざした。
「――〝アクア〟」
すると、空中にプクリと水の雫が生じて、その水塊はどんどんと大きくなる。
ある程度大きくなったところで、アズマは手を振って水塊を落とした。タオルに水がたっぷりと染み込んで、滴り落ちる。
「ほらよ」
「わぁぁっ! ありがとうございます! ほんとアズマさんに会えてよかったですよ私」
「俺は災難だったけどな」
「まぁまぁ、袖すり合うも何かの縁って言うじゃないですか」
さくらは嬉しそうな笑顔を浮かべながら、泥で汚れていた自分の顔を拭き始める。
「多少の縁な」
浮かれた様子で呑気に鼻歌まで口ずさんでいるさくらに呆れながら、アズマは先を急ぐため再び歩みを進める。
「あ、待ってください」
そんなアズマの後ろにさくらは続きながら、革鎧を脱いでバックパックに収納し、続けて上着を脱いで腰に巻き結び、インナーにも手をかけた。
「アズマさん、私ちょっと体拭くために服脱いでるので後ろ向かないでくださいね、絶対見ちゃだめですよ」
「誰がお前みたいなちんちくりんの体見るか」
「だ、だれがちんちくりんですか! 私だって多少は、その……ありますよ! それに、これから大きくなりますし?」
「はいはい、分かったから黙っとけ」
「その本当に興味ない感じ、なんかすごい複雑なんですけど……」
納得できないという声をこぼすさくら。そのまま、アズマとさくらは前後に並んで歩きながら、顔を合わせずに会話を続ける。
「なんだよ、じゃあ見て欲しいのか?」
「そんな訳ないじゃないですか」
「お前さ、周りからよくめんどくさいって言われない?」
「い、言われませんよ! あと、ずっと気になってたんですけど、私の名前、青雲さくらって言うんです」
「いや知ってるけど、お前のライセンスさっき見たし」
「ほら、それですよそれ」
「は? 何が」
「お前じゃなくて、ちゃんとさくらって呼んで欲しいです」
この〝さくら〟という名前のやわらかく優雅な響きを、さくらは気に入っていた。
母親が付けてくれた名前で、七十年前に起こった大災害以前には、日本各地でよく見られた花の名前らしい。
今の日本でも、京都の方に行けば桜が咲いている光景を見られると聞くが、生まれてこの方、東京区域から出たことがないさくらは、その〝桜〟なる花を実際に見たことがない。
写真では何度か見たことがあるが、さくらの髪色と同じような淡い薄桃色で、とても綺麗な花である。いつかこの目で見てみたいとずっと思っている。
だからこそ、絶対にアズマに〝さくら〟と呼んで欲しい! という訳でもないのだが、ずっと「お前」と言われ続けるのも微妙な気分なのである。
「気が向いたら呼んでやるよ」
「むぅ……」
そんな風に何気ない取りをする途中で、ふと何かを思い出したようにさくらが言った。
「そういえば、私がアズマさんとぶつかった時のあれは何だったんですか?」
「あれって何だよ」
「ほら、私、あの時ファングフットから逃げて走ってて、たぶんアズマさんとぶつかったと思うんですけど、アズマさんの姿が全く見えなくて――」
「静かにしろ」
アズマが短く鋭く、ピシャリと告げた。突然のことにさくらは戸惑う。
「え、私何か――」
「いいから口閉じろ。何かいる」
「――っ!?」
慌ててさくらが両手で自分の口を覆い、息をひそめる。
その場の空気が張り詰め、アズマが歩みを止めた。
アズマが視線を巡らせ、気配を探る。周囲にあるのは、崩れた建物、伸び切った雑草、元は信号機か電柱だったと思われる棒状の残骸。
――この気配は《
《夢幻特区》に生息する夢想生物の中でも、人間に無条件の害意を向ける《夢邪鬼》。奴らの気配は、ジットリと湿っていて肌に張り付く。
ピリピリと刺すように痺れる感覚。これは殺気や害意と称されるソレであると、アズマは感覚的に知っている。
腰の鞘をそっと握りしめ、いつでも抜けるように親指で鯉口を切る。
アズマとさくらが立つ場所の右方面――比較的崩れずに原型を留めている民家の中から、微かに物音がした。窓にニュッと巨大な人影のような何かが映る。
それが合図だった。
アズマが左手を振って、宙に水塊を生み出し飛ばした。
その小さな水塊は、巨大な影が映った窓にぶつかりパシャと音を立てて弾ける。それに反応するように、窓と民家の壁が爆破したかの如く内側から破砕した。轟音と共にガラス破片や瓦礫が飛び散る。
その目まぐるしい展開に、ただ茫然と突っ立ていることしかできなかったさくら。視界に映っていたアズマの姿が、いつの間にか消えていることに彼女は気付く。
「えっ? ――!?」
ドンと肩を突き飛ばされた感覚があった。そこに誰かが居た気配は一切ない。まるで気配のない透明な幽霊に肩を強く押されたかのような――そんな感覚を得て、さくらは背後に大きくよろめいて尻餅をつく。
よろめく最中、目の前をガラス破片と瓦礫が凄まじいスピードで過ぎ去っていくのを、ギリギリ視認した。
――助けてくれた……? 誰が? アズマさん? どこ? 一体何が。
頭の中の考えがまとまらない内に、さくらの視界の端にソレが映り込む。
「ひっ」
肺から空気が抜けていくような気弱な声が喉から勝手に漏れた。恐怖に呑まれ、身体が冷え、痺れ、硬直する。
崩れた壁面の奥からのっそりと現れたのは、全長二メートルは優に超えていそうな巨体だった。姿形は人のようだが、人じゃない。
全身深緑の体毛に覆われた頑強そうな体躯、据えたような鼻に付く臭いと、醜悪な顔面。ニチャリと黄色い唾液が滴る口腔から覗く鋭い歯と、頭から生える二本のツノ。手には駆け出しの冒険者が良く使っているような片手剣が握られていた。
その巨体にはいささか小さい剣を無造作に振り上げ、ソレは地面にへたり込んでいるさくらを見下ろす。得物を見る目。食肉を見る目。ニタリと赤い口が裂け、吊り上がる。
冒険者学校での授業中に、写真で見せられたことがあるから知っている。
ソレの名は――、〝オーガ〟。
七十年前、日本付近の太平洋のとある一点を中心にして発生した大災害――《就寝開闢》以前では、主にヨーロッパ諸国の民話や伝承として語られてきた人を喰らう鬼、それがオーガだ。凶暴残忍な気質で、人の生肉を食べるとされてきた。
日本においても、様々な創作の中で引用され、人を襲う怪物として扱われた。
しかし、それらが想像上の生き物として扱われたのは、七十年前まで。今のこの時代において、オーガは実在する。
七十年前に起こった
世界中でも一番多大に《就寝開闢》の影響を受けた日本各地では、当時の人間たちが空想夢想していた化け物や伝説上の生き物、妖怪が突如として現れ、跳梁跋扈した。
結果として、人類の生存域は、日本全土の一割ほどにまで追い込まれる。
《就寝開闢》以降、発生するようになった夢想生物たちは二つに大別される。
その違いは、《就寝開闢》以前においても人々にその存在を空想されていたか、そうでないか。
《就寝開闢》以前に、その姿形を想像して名前を付けられ、語り継がれてきた生き物たちは俗に《ネームド》と呼称される。《ネームド》は端的に言って〝強い〟。
《ネームド》の力の源になっているのは、人々が彼らに向ける〝共通認識〟と〝畏怖畏敬〟。その想いが強ければ強いほど、彼らに大きな力を与える。
人の想いが時に常軌を逸した現象を引き起こすというのは、この現代においてもはや常識事項である。
人に無条件の害意を向ける《
《ネームド》の中ではオーガは最下級の存在だが、《ネームド》であると言うだけで、先ほどさくらに命の危険を与えたファングフットたちより、遥かに驚異的である。
少なくとも、今のさくらがどう足掻いても敵う相手じゃない。
「あ、あ……」
オーガがその大きな足を前に踏み出す。見た目以上に体重が大きいのか、オーガが踏みしめる度に、微かに地面が揺れた。
少しずつ、オーガはさくらに近づいて来る。据えた臭い、凶悪な顔、脆弱な獲物を見る目、振り上げられた剣。側にアズマは居ない。どこかに消えてしまった。
怖い――。さくらが《夢幻特区》に入るのはこれで三度目だが、《ネームド》に遭遇するのは――皆とはぐれアズマと出会うキッカケとなったワイバーンを除けば――初めてだった。
それに今までは、あくまで学校での演習として、《夢幻特区》の空気に慣れるために入っただけで、ほとんど深入りはしなかった。周りに先生や仲間もいた。
しかし今、周りには誰も――。そうだ、アズマはどこに行ってしまったのだろう。アズマの側にいると、なんだか安心できた。出会ったばかりで口が悪く、不愛想な人だったが、何故か一緒にいると居心地がよかった。
だから勘違いしてしまったのだろう。あぁ、自分はなんて間抜けな奴だ。
ここは《夢幻特区》。
お遊びで来るような場所じゃない。人が想像夢想することが全て起こり得て、何が起こってもおかしくない。化け物や幻獣が我が物顔で闊歩し、超常現象が人を弄ぶ。それは分かっていたはずなのに。
「あ、アズマ、さん……っ、助け――」
オーガが目の前にやって来て、さくらを叩き潰すために、剣を握りしめた剛腕を振り上げた。終わった――と、そう悟った。
その刹那、バキリと骨が砕けるような音が目の前で鳴り響いた。その音に合わせ、オーガの巨体がひとりでに小さく浮かび上がる。
「へ――?」
オーガの顎が跳ね上がっていた。凄まじい威力を持つ何かに蹴り上げられたかのように、背後によろめいて倒れる。ズン、と重々しい地鳴りが響いた。
その時、さくらの目の前で、パッとチャンネルでも切り替えるように、アズマの姿が現れた。今の今まで、そこには誰もいなかったはずなのに――。まるで、瞬間移動でもしたかのように――。透明人間が、いきなり姿を表したかのように――。
アズマは振り上げていた脚を降ろして地を蹴ると、仰向けに倒れ込んだオーガに馬乗りになった。
オーガ自身も、さくらと同じように何が起こったのか分からないと混乱しているのが見えた。
アズマは腰の黒い鞘から刀を素早く抜き放つと、寸分違わずオーガの心臓部へ狙い定め、真っ直ぐと切っ先を突き下ろした。
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