夢の世界の〝冒険者《ドリーマー》〟

青井かいか

夏の憧憬~LONGING SUMMER~

1.出会い


 視界に飛び込んでくるのは、シルクのような滑らかな毛並みと、陽光を浴び白金のように煌めく鮮やかな白翼の数々。昨夜まで続いた連日の豪雨によって生じた水たまりに、そっと首を垂れ優雅に水を飲む翼馬――〝ペガサス〟の群れだった。

 数はざっと三十体。このような群れに巡り合うのはアズマにとっても初めての事だ。


 ペガサスは警戒心が高く、人前に姿を現すことは極めて稀。さらにこの数の群れともなれば、希少価値は上がる。見つけようと思って探し出せるものじゃない。

 実際、アズマも別にペガサスの群れを見つけるために《夢幻特区》に入った訳ではなかった。アズマがここに来たのは、別のとある光景を写真に収めるためである。


 朽ちた廃墟の壁に身を隠していたアズマは自らの気配を〝消す〟と、腰のポーチから一眼レフカメラを取り出した。

 足を前に運び、一歩一歩、ペガサスの群れへ近づいていく。

 視界に群れの全体が収まるギリギリの距離まで寄ってから、アズマはファインダーを覗き込む。そして、シャッタースピードと絞りを調整して、静かにシャッターを切る。視界に映るその幻想的に絢爛華麗な光景をこの手の中に、四角く切り取って収める。

 さらに数回、連続でシャッターを切ってから、アズマは撮った写真を確認した。


――少し明るすぎるな。


 ペガサスの群れなど、滅多に見られるものではない。先を急ぎたいという葛藤もあるが、もう少し満足いくまで撮り続けることにしよう。今を逃せば、もう一度このような光景に巡り合える保証はない。


 アズマは絞り値を小さくすると、目の前に広がるこの素晴らしい光景を、最高の形で収めるべく、シャッターを切る――その寸前で、悲鳴が響いた。


 子供が泣き喚くような甲高く喧しい叫び声が、荒々しい足音と共に近づいて来る。


 当然、優美に戯れ合って水を飲んでいたペガサスたちは、緊張を走らせ顔を上げ、白翼を広げ飛び立ってしまう。

 その華奢な体躯にそぐわない力強い羽ばたきは、場に土埃を起こす。水たまりに波紋が広がる。

 瞬きの間に天空を一丁駆けると言われるその翼馬の群れは、気付けば遥か遠くに離れ、ゴマ粒のようにしか見えなくなっていた。


「あー……」


 アズマの口から落胆の息が漏れる。こんな好機、もう二度と巡り合うことはできないかもしれないのに、邪魔をしたのはどこのどいつだ。

 アズマは不快げに眉根を寄せて、悲鳴と足音が聞こえる方へ視線を向ける。


「――ひゃぁああああぁぁぁああ!? もういやぁぁ゛ぁっ!」


 一人の小柄な少女がそこにいた。中学生くらいだろうか。薄桃色のふわりとした髪を振り乱し、顔を汗と涙と洟に濡らし、動きやすさを重視した軽装を泥だらけにしながら、少女はこちらに駆けてくる。

 少し離れたその背後には凶悪な牙を覗かせる四足獣が三匹。


「ぁ――ッ」


 飛び立ったペガサスたちに気を取られていたせいか、知らぬ間に目と鼻の先まで接近していたその少女は、そのままアズマの胸元に飛び込むように突進――。


「っ!?」


 少女が驚愕に目を見開いて、勢いそのままにアズマを押し倒す。


「え? ……え!? な、なに!?」


 少女が下に向ける視線と、痛みに顔をしかめながら彼女を胡乱げに見つめ返すアズマの視線は、かみ合わない。

 少女は自分が何の上に乗っているのか理解できないように目を白黒させ、そーっと探るように手を伸ばした。その手はアズマの肩口に触れる。


「な、なんかいる!? 透明人間!? 幽霊!?」


「人間だバカ」


「ひゃぁぁあああっ!?!?!?!」


 アズマが少女の手を振り払って、鋭い視線を少女の眼に合わせると、少女が跳び上がった。弾かれたように大仰に背後に跳んで、ゴロンゴロンと土埃を上げながら転がり、近くに転がっていた瓦礫に頭を打ち付けた。


「っつぅぅぅううう……っ」


 頭を押さえて悶える少女。そんな彼女に呆れの目線をやりながら、アズマは立ち上がって、剣帯にぶら下がる赤と黒の二振りの刀――その内、黒い鞘に収まった刀をスラリと抜いた。磨き上げられた白刃が陽を受けて光る。

 少女を追っていた三匹の獣がザッと前脚を地面に叩きつけ、アズマの前方二メートルの所で止まった。地響きのような唸り声を鳴らしながら、血走った眼でアズマを睨んでいる。


 見た目はまるで狼のようである。

 しかし、赤い口内からはみ出すほど鋭敏に伸びた牙と、兎のように発達した後ろ脚が、その獣が狼ではないことを伝えている。


 〝ファングフット〟――《夢幻特区・東京西部》にて広く生息する下級の《夢邪鬼ナイトメア》だ。ハッキリ言ってアズマの敵ではない。


 先に動いたのはアズマ。だらりと刀を下げて構え、挑発的に口端を吊り上げながら力強く足を踏み出す。それに過敏に反応したファングフットたちは地を蹴りつけ跳びかかった。

 ――が、アズマが踏み出したのはたった一歩。それ以上は動くことなく、腰を少し落として、まんまと釣られて跳び込んでくるファングフットを冷静に迎え撃つ。

 この時足並みを揃えて跳びかからなかった時点で、その獣たちに勝ち目はなかった。


 最初に飛び込んで来た愚かな獣の首を一撃で刎ね飛ばし、続けて間合いに入った獣の額を縦に割る。そして、仲間が血飛沫を上げ倒れ込む姿に動揺を示した最後の一匹にアズマは肉迫し、閃光のような突きを放った。

 刀の切っ先はファングフットの口腔に吸い込まれるように突き刺さり、獣の瞳孔がカッと見開かれる。

 ぬらぬらとした鮮血が、口内から垂れて、鋭く大きな牙を赤く濡らす。

 アズマはそんな獣を抑揚の少ない表情で見下ろしながら、刀を引き抜いた。

 最後の一匹も、他二匹と同様に息絶えて倒れ込む。ドサリと音が鳴り、小さく土埃が舞った。


 ふ、と軽く息を吐き出しながら、アズマは空を斬るように刀を払って血を飛ばすと、ポーチから取り出した布で刀身を拭ってから納刀した。

 命を失ったファングフットたちの体躯は、ジュクジュクとまるで空気に溶かされるように崩れていき、最後には、もはや原型が判別できない程の僅かな肉骨の残骸と血溜まりが残った。

 その血溜まりの中に、玉虫色の輝きを放つくすんだ欠片が浮いている。水晶にも似た塊で、大きさは五センチもない。

 アズマは歩み寄って、その夢想等の核となるエネルギーの結晶体――《夢晶クリスタル》を計三つ拾うと、布で血を拭きとってからポーチ内のケースに収納した。

 そのケースには、大小様々な形の《夢晶》が既に収められている。ジャラ、と《夢晶》同士が擦れ合って音を立てた。


「す、すごい、ですね……」


 背後から感心したような声が聞こえて、アズマは振り返る。

打ち付けた頭を押さえ悶えていた薄桃色髪の少女が、地面に座り込んで両手を合わせながらアズマを見上げていた。元々泥だらけだった少女はぬかるんだ地面を転がったせいで余す所なく泥と土と埃に塗れ、着衣も至る所がほつれて破けボロボロだった。


 アズマはそんなみすぼらしい少女に何と言おうか逡巡した後、はぁと大きなため息を吐いて、頭を掻きながら口を開く。


「お前、冒険者だよな? でもファングフット程度に追われて泣き喚きながら逃げてくるとか、とても冒険者だとは思えないんだが。もしかして興味本位で《夢幻特区》に不法侵入しちゃったお子様か? ちゃんとライセンス持ってるか?」


「な、な……っ!」


ハッと鼻を鳴らしながら放たれた小馬鹿にするようなセリフに、少女の顔が真っ赤になる。少女は俯いてプルプルと小刻みに震えた後、バッと顔を上げ、猛然と立ち上がった。


「しょ、しょうがないじゃないですか! 武器を落としちゃったんですから! ちゃんと剣があればあれくらい私にでも……っ! それに! 私はまだ学生ですけど、れっきとした冒険者です! ライセンスもあります!」


 少女は大股でアズマに歩み寄り、バックパックから取り出した一枚のカードを突き出す。

 そこには少女の写真と名前、生年月日、住所、交付の日付と個人ナンバー、そして《日本冒険者協会》が発行したことを証明する印が刻まれている。


 冒険者ライセンスとは、それを持つ者が《夢幻特区》(人類の生存区域を除いた危険地帯)にて、《夢邪鬼ナイトメア》の駆除や夢想生物の捕獲、夢想現象の調査などの自由活動を国から認可された〝冒険者〟であると証明するものだ。

 ライセンスを見て確認するに、少女の名前は、青雲(あおぐも)さくら。歳は十六。学生とはすなわち冒険者学校の生徒であり、おそらく高等部の二年生であろう。

 

 しかし、さくらがアズマに突き付けているカードは、正式なライセンスではなかった。


「これ仮免じゃねーか」


 冒険者の仮ライセンス所持者。すなわち最低ランクの〝見習い〟だ。


「か、仮免だったとしても、冒険者であることに違いはありません!」


「確かにそうだ。しかしおかしいな。Fランクが《夢幻特区》で活動する時は、必ずCランク以上の冒険者の同行が必要なはずだが、どこにいるんだろうなぁ」


 アズマがわざとらしく手で庇を作って周囲を見渡す。しかし視界に映るのは、かつてはそこに人が暮らしていたことを示す崩れた廃墟に倒れたビルの残骸や、荒れ果てた大地と水たまり、無造作に生えた雑草など――滅び果てた街並み、もしくは荒野と呼んで差し支えない光景のみで、アズマとさくら以外に人の気配はない。


「な、なんでそんなイヤミな言い方するんですか!」


 さくらが眉を吊り上げて、アズマをにらむ。


「うるせえ。助けてやったんだから文句言うな。あのな、お前のせいで俺は貴重な機会を逃したんだ……ったく」


 アズマは気だるげに首筋を撫でながら、涙を浮かべ口を引き結んでこちらを見るさくらを見下ろして、流石に大人げなかったと自省する。

 だがこのさくらという少女のせいで、千載一遇の貴重な光景のベストショットを逃したのだ。彼女にそんなつもりがなかったと分かってはいるが、やり切りない気持ちが残る。


「……す、すみませんでした。何のことかよく分からないですけど、何かを邪魔してしまったみたいで……」


 ずっとアズマをにらんでいたさくらが不意に目を伏せて、謝罪を口にする。そのしおらしい姿にアズマは拍子抜けのような感情を覚え、息を吐く。


「いや、俺も悪かったよ。ケガはないか?」


「はい……。その、助けてくれてありがとうございました。私、学校の演習でここに来てたんですけど……途中で色々あって、みんなとはぐれてしまって」


「なるほどね。そりゃ災難だったな。だとしても、仮にも冒険者の一人が自分の武器を落として雑魚から逃げ回ってたのはダサすぎるけど」


「う……っ」


 何も言い返せないさくらは、言葉に詰まって視線を彷徨わせる。


「まぁいいや。後は学校にでも連絡して迎えに来てもらえ。じゃあな」


 そう言ってアズマは片手を上げて、さくらに背を向ける。


「えぇ!? ちょ、ちょっと待ってください!」


 さくらは慌てたようにアズマに飛びついて、服の裾を掴んだ。


「なんだよ」


 アズマが首だけで振り返って、煩わしそうに眉根を寄せる。


「助けてくれないんですか!?」


「助けただろ」


「いやいやっ! こんな所に、武器も持たないかよわい女の子を一人で残してくつもりですか!? 見殺しですか!?」


 信じられないという眼でアズマを見上げるさくら。アズマは大きく嘆息して、呆れたように言う。


「あのな、お前も自分で言ってたがお前は冒険者なんだろ? 冒険者が《夢幻特区》に出て来た以上そこで起こる事は全部自己責任だ。俺は別にレスキュー隊でもお人よしでもないし、そもそもこれから行く所がある。それに、こんな浅瀬なら大した《夢邪鬼》も出ねえんだから、そこらへんの廃墟にでも身を潜めて助け待ってれば死ぬことはねぇよ」


 そんなアズマの冷めた言葉に、さくらは瞳に目一杯涙を溜める。それを見て、少しやりにくそうに視線を逸らすアズマ。


「……でも、ここじゃスマホも通じませんし。私、通信機も持ってないので助けを呼べませんし……」


「ったく仕方なねえな、助けくらいなら俺が呼んで――」


「それに、ワイバーンが……」


「あ? ワイバーン?」


 〝ワイバーン〟は《夢幻特区》山岳地帯に生息する小型の飛竜だ。少なくとも、ここらの都市部に程近い平野に頻繁に現れるような《夢邪鬼》じゃない。単体の脅威はそこまでじゃないとは言え、群れで襲われたらCランクのベテラン冒険者でも命はないと言われる。


「はい……、その、ワイバーンの群れに急に襲われて、みんなパニックになって、私、先生とみんなからはぐれちゃったんです……。だから、その、うぅ……怖いんですよぉ! 冒険者が怖がってちゃ悪いですかぁ! 仕方ないじゃないですかぁ! 私まだ《夢幻特区》に来たの三回目ですし、一人は初めてですし……、何も分かんないんですよぉ……。一人になるの、怖いんですよぉぉっ」


 さくらはやけになったように叫んで、「うぅぅ……っ」と唸りながら、決してアズマの服を掴んで離そうとしない。


 アズマはそんなさくらに詰め寄られ、少し思案するように黙り込んでから渋々口を開く。


「はぁ……っ、分かったよ。着いてくるなら勝手にしろ。でも俺は俺で目的があるんだ。大事な用事で、俺はその予定を変えるつもりはない。これからもっと西に向かうが、それでもいいなら着いてこい。用が終われば街に帰してやる」


「い、いいんですか?」


 さくらが瞳を輝かせる。アズマは面倒くさそうに髪をガシガシ掻きながら言う。


「どうせお前、意地でも着いて来ようとすんだろ。仕方なく、だよ。ただし条件がある。俺の指示には従え、勝手なことはするな。もし俺の邪魔をするなら、そこがどんなに危険な場所でも放り出すからな」


 冗談を許さない張り詰めた声。アズマの真剣な両眼が、さくらを見据えていた。アズマに見つめられ、さくらは無意識の内にゴクリと唾を呑んで、背筋を伸ばした。


 ここは《夢幻特区》。お遊びで来るような場所じゃない。人が想像夢想することが全て起こり得て、何が起こってもおかしくない。化け物や幻獣が我が物顔で闊歩し、超常現象が人を弄ぶ。今現在、人類の生存域を除いた日本全土の九割近くを占める《夢幻特区》は、夢の中の世界とも、魔窟とも言われている。


「は、はい! 私、精一杯、頑張ります!」


 さくらはグッと拳を握りしめ、気合のこもった瞳でアズマに視線を返す。


「頑張らなくていい。むしろジッとしてろ、大人しくしてろ、何もするんじゃねえぞ」


 今にも空回りしそうなやる気を溢れさせた泥だらけの少女を見て、胸中に不安が浮かび上がってくるのを抑えきれないアズマであった。

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