第9話


 

 待ちに待った土曜日が訪れた。正直に言おう、昨日は全然眠れなかった。

 だって、陽菜さんの家に呼ばれたんだぜ?緊張でそれどころじゃなかったっていうか、なんというか……は、初めて女の子の家に呼んでもらったんだ!そ、そりゃ誰だって緊張ぐらいするよな?

 ましてや、俺みたいな見るからな陰キャが、あんな美人でかわいい陽菜さんの部屋に行くことになったんだ。ただでさえ人と関わってこなかった俺だ、正直かなり不安だ。絶対に陽菜さんに迷惑をかけないようにしないと。


 そう、改めて心の中で誓いを立てて、 俺は陽菜さんの住むマンションのエントランス前まで来て——、


「あ、須郷くん!」


 かわ


 弾けるような声がして、俺は見上げていたマンションから、視線を移動させる。


「陽菜さん」


 ロックの掛かったガラス張りの、自動ドアの向こうで、小さく手を振る陽菜さんが見えた。部屋着なのだろうか、陽菜さんはシンプルな白を基調とした長袖のシャツ着ている。

 やっぱ何着ててもかわいいな陽菜さんは。


「今、開けるね」とこちらに歩み寄り、透明なガラス細工のドアが、試練をクリアした勇者を迎え入れるように、小さな音を立てながら開いた。


「おはよう須郷くん」


「おはようございます、陽菜さん。今日は呼んで頂いてありがとうございます。でも本当に良かったんですか?俺なんかが」


「いいに決まってるよ、だって須郷くんは、その……わ、私のか、彼氏なんだから——」


 その一言で、一気に心臓の鼓動が跳ね上がった。湧き上がる熱が体温をあげる。

 破壊力やばすぎだろ……い。いやめちゃくちゃ嬉しいけど、てか、陽菜さんの赤くなってんじゃん、超かわいいけど。


「ほ、ほら!私の家上の方だからとりあえずエレベーター乗ろっか?」


「そうですね」


 俺は全力で平然を装って、でも陽菜さんを直視すると、ちょっと恥ずかしくなって、

 俺の人生どうしちゃったんだろうな。

 陽菜さんの歩く後ろ姿を見て、思わず回顧してしまう。他人に無関心で、割り切って捨てるばかりだった俺の17年間を。


「須郷くん?」


 エレベーターの前で立ち止まった陽菜さんが、形のいい眉を潜めて、振り返った。


「いえ、なんでもないです」


 一段ずつ、階数を示すランプの数字が小さくなり、ゆっくりと四角い鉄製の箱舟が降りてくる。

 一瞬だけ、その黄色い数字に目をやって俺はそう答えた。

 俺のしょうもない人生なんか、なんにも面白くないよな。せめてこれからはちょっとでも、陽菜さんの隣に立てるようにしないとな。

 俺は心の中で、幾度目かの拳を握りしめた。


 音が鳴り、二人を乗せるためのエレベーターが到着した。

 陽菜さんと二人でエレベーター、なぜだろうか、ちょっとドキドキする。

 そうこうしているうちに、箱舟は動き始めた。


「そういえば、今日なんの映画見るんですか?」


 アニメ映画らしいんだけど、作品までは聞いていないんだよな。まあ陽菜さんと一緒に見るんだったらなんでもいいんだけどね。


「うーんとね、僕のいない君の夜っていう小説原作のアニメなんだ」


「聞いたことあります。何年か前に公開されたやつですよね?」


「うん、もしかして見たことある?」


「いえ、初めてです」


 名前は聞いたことあるけど、短編のアニメ映画ってあんまり見てこなかったんだよな。


「ふふっ、それなら良かった」


 陽菜さんが口に手を当てて優しく笑った。

 この狭い空間でその笑顔と仕草は反則です、陽菜さん。

 あまりの可愛さに、視線を彷徨わせてしまい、陽菜さんに「どうしたの?」と、問いかけられたのに対して、「な、なんでもないです」足元を見ながら、赤面した顔を隠すようにそう呟いた。


 音が鳴り、二人を乗せたエレベーターが、目的の階層に到達して停止した。

 どことなく開放感をかんじる、陽菜さんと二人きりだから嬉しいんだけど、陽菜さんのかわいさが限界突破して、いろいろとやばかった、なんなら、まだ心臓の鼓動が高鳴ったままだし。


「こっちだよー」


 エレベーターを降りた陽菜さんが、一足先に、マンションの通路に躍り出る。後ろに手を回し、首だけを翻して微笑む陽菜さん。

 その、自然体の仕草に目を奪われるのを理解しつつ、俺己の辞書の中に『かわいい=陽菜さん』と書き込んで、俺もエレベーターから降りた。


「ここが私のお家、そ、そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ!?」


 冷や汗を懸命に拭う俺を見て、陽菜さんが、慌てて両手を振った。

 しかし、そうは言っても初めて女の子の家に上がるのだ、緊張しないわけがない。

 それも、陽菜さんの家だし……緊張しない方が無理だって!


「き、気にしないで下さい。頑張りますので」


「頑張るってどういう意味!?なにも怖いもの無いから大丈夫だよ!?……そ、それに、ちゃんと片付けてるから、須郷くんにがっかりされたりはしないはず」


 最後の方は、若干消え入りそうに呟く陽菜さん。

 俺も、覚悟を決めないと、折角招待してもらったんだし。

 そう、今日は人生初のお家デートなのだ、いつものようにしていれば問題ないはずだ。


「あ、開けるね」


 一瞬の沈黙があり、陽菜さんがカードキーを取り出した。ピッと音がして、ロックが外れる。いよいよ、その時が来た。

 いや、陽菜さんの家にお邪魔するだけなんだけどね、別に聖域に踏み込んだりするわけではないんだけど。まあ、ある意味聖域かもしれないけどさ。


「どうぞ、上がって、狭いところだけど」


「し、失礼します!」


「ふふっ、さっきも言ったけど、そんなの固くならなくていいからね」


 陽菜さんの笑顔に、ほんの少し緊張がほぐれるのを感じて。俺は聖域にお邪魔した。


 一応さ、想像はしていたというか、アニメのシーンでよくあるような期待をしちゃってたんだけど。本当に女の子の部屋っていい香りするんだな。いや、もしかすると緊張と想像が融合して、そんな風に思い込んでいるだけなのかも知れないけど。

 でも、どちらにせよ——、


「おまたせー、お茶入れて来たんだけど紅茶で大丈夫だった?」


「はい、大丈夫で……す?」


 陽菜さんの声がして振り向いた俺は、視線の先、瞳に映った少女の姿を見て、思考以外の全てが氷漬けにされた。

 ——フィオナ?

 それは、俺が一番恋焦がれたとあるアニメ作品のヒロイン。主人公のために全てを尽くして、犠牲となった少女、フィオナの姿だった。

 刹那の錯覚、しかし、すぐにそれが陽菜さんコスプレであったことを理解する。

 お盆に紅茶を乗せて戻って来た陽菜さん。

 ——、当にフィオナかと思った、陽菜さんのコスプレまじで凄すぎる、やっぱり陽菜さんがめちゃくちゃ美人でかわいいから、こんなにも似合っちゃうんだろうな。


「どうかな?フィオナちゃんの衣装なんだけど」


「——めっちゃ、似合ってます」


「えへへ、ありがと」


 そうこぼして、陽菜さんが紅茶を部屋に置かれたテーブルに並べた。

 多分、今日一番の衝撃だった気がする。よっぽどじゃないと映画の内容入ってこないかも。

 それにしても綺麗な部屋だなあ、流石って感じだよな。コスプレのインパクトで忘れていたけど、俺今陽菜さんの部屋にいるんだよな、なんか、いろいろと凄い!

 家具や本棚は綺麗整理されているし、目立ち過ぎないぐらいのシンプルなデザインが、陽菜さんらしさを伺える。

 特に枕元に、控えめに置かれたシーナの小さなぬいぐるみが、いかにも陽菜さんらしく思えて。


「今日は来てくれてありがとね」


「——俺こそ、誘って貰えて嬉しいです」


「そう言ってもらえるとこっちも嬉しいな、今日はゆっくりしていってね」


 フィオナの恰好で、陽菜さんがそう言ってくれる。しかし――、

 多分俺のメンタルが持たないです陽菜さん。

 普段の陽菜さんも、もちろんかわいいんだけど、変身した陽菜さんのかわいさはオーバーキルレベル!つい意識して、フィオナと陽菜さんを重ねてしまうから、全然落ち着けない!……映画、集中してみれるのかこれ?


 そう考えて、陽菜さんの方を見ると、陽菜さんは引き出しの中からディスクのようなものを取り出して、


「これ、なんだけど、須郷くん、こういう恋愛系のアニメ映画って見る?」


「たまになら見ますね」


「そっか、でもたまにでも見てくれてるんだ、もし須郷くんに合わなかったらどうしようかなって思ってたんだけど」


「気にしないで下さい。たまにですけど恋愛アニメ、俺も見ますし好きです」


「そ、そう?……じゃあとりあえず一緒に見よっか?」


「そうですね」


 俺はそう答えて、TVの方に向き直った。黒い画面に二人の姿が映っている。

「んーと」と屈んでディスクをレコーダーに入れる陽菜さん。そこで、思わぬ凶器が牙を向いた。

 !?その体制はやばいです陽菜さん!

 心の中で叫んで、視線を明後日の方向に向けた。彼氏と彼女の間なら普通なのかも知れないけど……

 陽菜さんの小さいお尻が頭から離れなくなり、どこを見たらいいのか視界が陽菜さんの部屋を彷徨い続ける。

 陽菜さん、ちょっと無防備になっているんじゃ……で、でもここ陽菜さんの家だし……もしかしたら普通なのかも。きっと俺が無知なだけだよな。アニメとかでもこういうシーンよくあるし。

 ……コスプレだから余計に見えちゃいそうです陽菜さん!


「——ん?須郷くん?どうしたの?」


「——なんでもありません」


 黙っておこうと、俺は静かに決心する。

 なんか罪悪感があるな、これ。

 どことなくチクチクするような、痛みを味わっていると。

 無事にディスクをしまった陽菜さんが、俺の隣に座った。


 あれ?

「ひ、陽菜さん?」


「さあ、再生するよ」


 え?いいのこれ?めちゃ近いんけど?

 肩が当たりそうな距離

 そして陽菜さんは、何事もないように再生ボタンを押した。

 陽菜さん!?肩当たってます!

 心なしか、先ほどから今まで以上にいい香りがする。陽菜さんの吐息が微かに聞こえる。

 多分、これが普通なのかも、気にしないようにしよう。

 俺も陽菜さんと同じように映画を見ることにした。


「これでいいんだよね?菫——」


 だから俺は、すぐそばにいる陽菜さんの耳が真っ赤になっていたことに気づかなかった。

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