第10話

 

 カーテンによって光の大部分が遮断された薄暗い部屋で、俺と陽菜さんはとあるアニメ映画を見ている。画面の向こうでは、高校生の、二人の男女を中心とした青春群像劇が繰り広げられていた。

 先ほどまで顔を赤らめて、肩に触れる感触に一喜一憂していたはずなのに、気が付けば俺は、映画に釘付けにされている。重い病気を患った主人公が、病院で一人の少女と出会い、少しずつ生きる意味を見出していくといった展開で進んでくのだが、


 ——え、臓器って、まさか……?

 映画は終盤に差し掛かっていて、次々に真実が明かされていく。

 そのストーリーに、ますます映画にのめり込んでしまう。

 そんな俺を見て、一瞬、陽菜さんが嬉しそうに微笑んだ気がしたが、今は気にならなかった。

 これって、死ぬはずだった主人公の代わりにヒロインが犠牲になっちゃうんじゃ、折角、生きる理由を見つけられたのに……


 映像は今、病院の屋上で手術が決まったことを、主人公がヒロインに報告しているシーンを映し出している。夜の映える映像美と共に。

 今日まで生きてこられたのは君のおかげだと、心を打ち明けて、感謝を口にする主人公。それを黙って聞き終えたヒロインが、風に揺れる髪に手を当てて視線を落とした。それから、何かを割り切ったように。


『生きてね、そのきっと優しい誰かのために』


 そうヒロインがこぼした瞬間、視界の端に一滴の雫が、陽菜さんの頬を伝うのが見えた。

 まだ本当の真実を知らない主人公と、未来を知っているヒロイン。そして物語はフィナーレを迎えて——、


「だ、大丈夫ですか!?陽菜さん?」


「う、うん、ごめんね、ぐすん……うぅ……」


 掠れた声でそうこぼして、ぽろぽろ溢れ出る大粒の涙を拭う陽菜さん。その目元は、涙の跡で赤くなっていた。

 ど、どうしたらいいんだこれ!?

 俺は泣きじゃくる陽菜さんに対してどう接していいのか分からず、あたふたと、頼りない思考を巡らせるも、これといった言葉は出てこない。

 くそ、他人と付き合ってこなかった付けがここで……


「——ごめん、もう大丈夫だから」


 どう慰めるべきか分からない自分に嘆いていると、さっきまでの涙声ではない陽菜さんの凛とした声音が響いた。

 俺が振り返ると、目元こそ赤いものの、飴細工のような瞳から流れた涙は乾いており、いつも陽菜さんがそこにいた。

 まあ、コスプレしてるから、いつもと同じではないんだけどね。



「——映画、良かったです」


「——っ!だよね!?よかったでしょ?……あ、思い出したらまた泣いちゃいそう」


「だ、大丈夫ですよ、その、思いっきり泣いてもらって」


「ううん、大丈夫。でもやっぱり何回見ても泣いちゃうな」


 確かに映画のラストは俺もかなりウルッときたなあ、まさか最後ヒロインの臓器に救われるなんて……、陽菜さんが涙にくれるのもわかる気がする。

 俺も陽菜さんの涙で忘れていたけど、もし、一人だったら泣いてたかも。

 俺は目頭が少し熱くなっているのを感じつつ、隣に座っている陽菜さんが、この映画を俺に勧めた理由をなんとなしに考えてみる。

 もしかしたら陽菜さんには、この作品の中にも理想があって……


「ちょうどいい時間だし、お菓子持ってくるね」


 フィオナの姿のままそう言って、陽菜さんはおもむろに立ち上がった。

 ひらりと舞う白と水色がベースの異世界の衣装が、視界いっぱいに広がる。

 映画と陽菜さんの涙で忘れていたけど、本当によく似合ってるんだよな。そういえば、陽菜さんがコスプレをしているのって何か理由があるんだろうか?

 ふと、生じた疑問。しかし、


「あ……お、お構いなく」


 可憐な笑顔を振りまく陽菜さん。その笑顔に三度心をもっていかれつつ、俺は視線を逸らしながらで、陽菜さんの背中に向かってそうこぼして、

 別に、俺が気にすることじゃないよな……

 いつか話してくれる時が来たら、その時に聞けばいい。今はこうして陽菜さんと一緒に過ごせているだけで、幸せなのだから。


 ——そういえば、陽菜さんの机に並んでいるのって、やっぱり参考書とかだよな。

 陽菜さんがお菓子を取りに行っている間、俺はふと、学習用と思われるデスクの本棚に並ぶ参考書らしき本に目が留まった。否、正確に言えばその数が気になった。

 勝手に見ちゃいけないような気もするけど、……やっぱりそうだ、それに問題集もこんなにたくさん……


「理想の自分を演じる」


 前にそう話してくれた陽菜さんの言葉が頭の中で反響する。期待の中で生まれていく、周りが求める理想。その理想に応え続ける。その意味の重さの一端を感じた気がして、


「本当に陽菜さんはすごくて……素敵な人だよな」


 俺も陽菜さんのように、なんて場違いな妄想を被りを振ってかき消す。俺が知っているのは努力している陽菜さんの本の一部だけ、それに憧れるなんておこがましことだと思う。だって俺は、出来ないことはやらないと、そう割り切って来たのだから。


「おまたせー、須郷くんってチョコレートは大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


 戻ってきた陽菜さんは、袋に一個づつに入っている定番のチョコレートを、おぼんに乗せていた。


「キット〇ットですね、俺も好きです」


「よかった~」


 ひらりとフィオナの衣装が揺れて、陽菜さんが先程と同様に俺の隣に腰を下ろした。


「遠慮せずに食べてね」


 そういって微笑む陽菜さん、またその笑顔が、ヒロインと重なって見えてしまう。

 まさか好きな人に、好きなキャラのコスプレを来てもらえるなんて……、まあ、俺が頼んだわけじゃないからたまたまなんだけど。


「……そういえば、須郷くんってゲームとかってする?」


「——はい、それなりには」


「あ、ほんと?それならこれ、やったことあるかな?」


「あ、俺これ持ってますよ」



 陽菜さんが取り出したのは、キャラゲーとしても有名な格ゲーだった。誰でも楽しめるパーティー型の格ゲーであり、またキャラクターごとにストーリーなんかも用意されていて非常に人気のあるゲームだ。

 最近はあまりやってなかったけど、陽菜さん相手だし多分大丈夫だよな。ていうかまさか彼女、それも美人でかわいい陽菜さんとゲームが出来るなんて夢にも思わなかったな……、やりすぎないように注意しないと。

 どこか感慨深い感覚がして少し唇が緩む。

 でも、陽菜さんがゲームをやってたなんてちょっと意外だなあ。でも、生徒会長じゃないときの、今の陽菜さんならおかしくはないのか。

 テキパキとゲームの準備をする陽菜さんを視界に収めながら、俺は操作方法を思い返して、

 本当にこんな日が来るなんて、考えもしなかったなー。


 ありきたりにすら及ばない、何も語ることがない人生。それが、一つの出逢いから、こんなにも楽しくて色鮮やかな人生になるなんて。


「あ、コントローラーはこれ使ってね」


「——はい、ありがとうございます」


 再び隣に座った陽菜さんの肩が当たってドキッとしてしまう。

 これぐらい普通のことのはず……変に考えなければ大丈夫なはず。


「……」


 一瞬、陽菜さんと目が合った、交差する視線に互いの意識が自分にあると、そう感じて、


「————」


 しかし、画面から轟いたゲーム音に、俺と陽菜さんの視線は戻される。


「す、須郷くんは何のキャラを使うの?」


「そ、そうですね、俺はエリーゼをよく使ってました」


「エリーゼちゃん、かわいいのに強くてかっこいいよね。じゃー私はゼノにしよっかな」


「ゼノって結構難しかったような……」


「なれたら結構使えるようになるよー」


 思いのほか上級者向けのキャラを選択した陽菜さん。もしかして結構上手いんじゃ……



「それ、えい、やったー!」


 めちゃくちゃ強かった。

 え?なにこれ?10回やって一本しか取れなかったんだけど。

 フィオナのコスプレのまま、かわいい声で虐殺してくる陽菜さん。陽菜さんと出会ってから、ある意味一番の衝撃を体感する。


「あ、ご、ごめんね、叫んじゃって……よく姉に誘われてやってたことがあったからつい……」


「気にしないで下さい。それよりもお姉さんいたんですね」


「そうなんだー、大学生で一緒に住んでるの」


 どうやら陽菜さんは大学生のお姉さんと二人で生活しているらしい。お父さんの長期出張も重なって、いろいろと条件付きで今の形に落ち着いたそうで、


「今日は姉が、サークル関係で夜までいないから安心して大丈夫だよ」


 そう言って、クッションと一緒に自分の膝を抱いた陽菜さん。絶対に超えてはならない線を理解していてもなお、想像ぐらいはしてしまうのが人である。

 大丈夫、陽菜さんを傷つけるようなことにはならない。そう決めているから。

 雪のように白い肌と相反する艶やかな黒髪、それを覆い隠すヒロインの衣装、長いまつげの下に輝く黒瞳。改めて感じる陽菜さんの美しさとかわいさに、何度目かの釘付けを味わう。伸びかけた手を抑えて、目を瞑った。

 彼女が、陽菜さんが、それ以上に期待に応えるために努力して、理想であり続けて、その中で出逢った、本当の陽菜さん自身が望んだものの中にいたいと、そう思うから。


「——尊敬してます。陽菜さん」


「急にどうしたの!?」


「好きです……陽菜さんのこと」


 自然の形になった言葉が、こぼれ落ちた。噓偽りのない、心からの本音。


「……うん、ありがと。——でも、君だけじゃないからね」


「陽菜さん?」


「私も、同じだから——」


「ただいまー」


「えっ?」『え?』


 唐突に響いた声に、俺と陽菜さんは一瞬だけ顔をも合わせた。そして陽菜さんの表情がみるみるうちに青ざめていくのを見て、状況を理解した。

 お姉さんだこれ。


「どどどどうしよう!?今日サークルがあるから遅くなるって言ってたのに!」


「か、隠れましょうか?」

 よく近くにいる人が慌てていると、かえって自分は落ち着くって言うけど、あれって本当らしい。

 慌てふためく陽菜さんもかわいいけど、お姉さんにばれるわけにはいかないから、何か早急に手を打つ必要があるんだけど。


「く、クローゼットもいっぱいだし、どうしよ——」


「あれ?もしかして陽菜の彼氏くん?」


 あっさりと見つかってしまった。

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