第11話

 

「あの、え、えーと……」


 全身の力が抜けるような感覚があり、俺は全てを悟ったように、何故か目を輝かせているその来訪者に向き直ろうとして、それよりも早く、伸びやかな声が陽菜さんの方に飛んで行った。


「いやー、最近陽菜がずっと嬉しそうだったから何かあると思ってたんだけど、まさか彼氏くんが出来てたなんてねー」


「違っ!、……くはないんだけど……その、待って!姉さん!」


 陽菜さんにも負けず劣らずの整った容姿を持つ女性、陽菜さんのお姉さんの、麗しさすら感じてしまう笑顔が俺の視線と重なる。

 すごい美人で綺麗な人、流石は陽菜さんのお姉さん。……ていうか大丈夫なのかこれ!?隠れる間もなく見つかってしまったけど。それにもう完全に目が合ってるし。

 陽菜さんのお姉さんが、こちらに意識を向けて、「ふふーん♪」と鼻歌まじりに歩み寄ってくる。その後ろに陽菜さんの姿が見えた。


 さっきから陽菜さんが、多分言い訳を必死に考えているんだと思うんだけど……まあ、無理ですよね。がっつりコスプレまでしちゃってるし。

 あたふたと我を失いかけている陽菜さんもかわいいけど、今はそれどころじゃないよな。

 家に上がっている以上、何も無いと言い切るには少し無理がある。なら、それっぽい関係を見繕うしかない。

 しかし、そのごまかしの一手を思いつく前に、俺に歩み寄って来た陽菜さんのお姉さんが均衡を破るように、ゆっくりと唇を動かした。


「初めまして、陽菜の姉の里菜です。いつも妹がお世話になっております」


「す、須郷義人です。お、俺の方こそ陽菜さんにはいつもお世話になってます」


「ご丁寧どうもー、……て、いうことは~♪、やっぱり陽菜の彼氏くんだよね?」


「そ、それは——」


 そのまま答える訳にはいかないよな。陽菜さんとの関係は他言無用だし、それに、

 陽菜さんのためなら、関係を偽ることぐらいどうってことはないよな。

 陽菜さんと恋人でいられる、それだけで充分なのだから。


 迷った挙句、俺は陽菜さんに迷惑を掛けない、そのために偽りの答えを導き出そうとして、


「——そう、須郷くんは私の彼氏なの」


 先程までの戸惑いが消え失せた曇りなき瞳で、お姉さん、里菜さんを見据えた陽菜さんが、胸に手をあてながら堂々とした声音で、宣言するように言い放った。


「えっ」


 その内容を瞬時に理解しきれずに、靄の中に消えや何かを手探りで探すような感覚に陥った。


「——好きな人に嘘をつかせたくない、陽菜らしいね」


 しかし、そんな思考回路の処理機能を元に戻したのは澄み切った陽菜さんのお姉さん、里菜さんの声だった。

 里菜さんは、穏やかな笑みと共に少しだけ、ほんの少しだけ安堵したような表情を作った。それから一度息を吐いて、里菜さんが俺の方をもう一度見つめてくる。


「陽菜が彼氏だって言い切るくらいだから……君、結構オタクでしょ?」


「えーと……あ、はい」


 後ろでコクコクと頷く陽菜さんがちらっと見えて、俺は首を縦に振って肯定する。


 すると里菜さんは『だよねー』と満足気に納得する様子で俺と陽菜さんを交互に見ると。


「陽菜が好きになるとしたらオタク話の出来る子しかないよね、それはつまり——」


「理想の私と、本当の私を受け入れてくれる人」


 言葉を引き取るように紡いだ陽菜さんの言葉が、俺の中に深く、深く、突き刺さる。

 陽菜さんを好きでいることの、その覚悟を。


「ふふっ、ついに陽菜に彼氏かー、でもちょっと安心したかも、前はずっと怖い顔してたから」


 舞い降りた沈黙を振り払うように、手を後ろで組んだ里菜さんが天井を見上げてそういった。


「え、そ、そんなに怖い顔してた?……私?」


「うん、ずっと張りつめてているような、そんな感じ。それだけ頑張っていたってことなのかもしれないけど」


「……そっか、でも今は踏ん張りどころだから」


 胸の前で小さく両手を握る陽菜さん。それを見て里菜さんが視線をゆっくりと窓の外に移すと、


「私が言えることじゃないけど、……無理しすぎないでね」


 何かを悔やむような声音でそう呟く里菜さん。


「うん、分かってる。それに菫にも同じこと言われたから」


 俺は何も言えなかった。陽菜さんの努力している姿の本の一部しか知らないから。ただ力になりたいと、そう豪語することしかできないから。


 訪れた静寂のなか、里菜さんが踵を返すと、話を切り替えるように。


「あっ、そうだ彼氏くん、彼氏くんのこと、須郷くんって呼んでもいいかな?」


「え、あ、はい」


「——須郷くんは陽菜のどこが好き?」


 ………………えっ?


 唐突に、悪戯っ子っぽく唇を緩めて、里菜さんが顔を近づけて来た。

 やばい、めちゃくちゃ美人……じゃなくて、なんて答えたらいいんだこれ!?陽菜さんは……あ、ダメだ、固まってる。


 ニヤニヤと、長いまつげを揺らしている里菜さん。陽菜さんとはまた違った、美人お姉さん特有の、オーラのようなものを感じる。顔が紅潮するのを感じて、俺は慌てて目を逸らしつつ、何とか唇を震わせる。

 こ、ここは彼氏として、陽菜さんみたいに、は、はっきり言わないとな!陽菜さんのことが好きなのは本当なんだし、それをお姉さんに認めてもらうためにも。


「ど。努力している姿がかっこいいところですっ!そ、それからオタク話で持ち上がったりできるところとか、あとはその……理想のお姉さんって感じで——」


「ふふっ、よかったね、陽菜」


 そう言って、陽菜さんに振り返った里菜さんつられて、懸命に言葉を探していた俺も思わず陽菜さんの方を見た。

 やばい、流石にきもかったかも……、理想のお姉さんとか言っちゃったし……

 もしかしたら、今のがきっかけで嫌われてしまったらと、そんな最悪の展開に冷や汗があふれるのを感じながら俺は恐る恐る陽菜さんの顔を見た。


「………………ううぅ」


 フィオナのコスプレのまま、赤面する陽菜さんが唇をパクパクさせていた。

 あ、あれ?


「あ~あ、二人そろって真っ赤になっちゃって、でも。それだけ本気なんだね……これ以上邪魔しても悪いし、ごめんね、それじゃごゆっくり」


 それだけ言って、手を振って部屋から出て行った里菜さん。ドアの閉まる音がして、二人きりの時間が帰ってくる。しかし。


 やばい、超恥ずかしい。

 熱い感触が、心臓の鼓動を押し上げて、耳にまで鮮明に聞こえてくる。

 記憶が数秒前のやり取りをこれでもかと想起させてくる。その羞恥心から陽菜さんの顔を見ることが出来ない。

 陽菜さん、怒ってるかなあ……でも、陽菜さんの事が好きなのは本当だから、嘘は付けない状態だったし、謝るしか——、

 そう思ったのも束の間、静寂を切り裂いたのは陽菜さんだった。

 陽菜さんは自分の体を抱きながら、気恥ずかしそうに揺れながら。


「——あ、ありがとね。それと、ごめんなさい。姉が急に帰って来ちゃって、びっくりしちゃったよね」


「い、いえ、大丈夫です。びっくりはしましたけど」


「ほんとにごめんね……、あの人いつもあんな感じだから」


「でも、優しいお姉さんだと思います。陽菜さんのこと、心配されてたみたいですし」


「うん、姉がいなかったら、私はもっと追い詰められたかもしれないから」


 少し視線を落とした陽菜さん。きっと里菜さんが、陽菜さんにとってかけがえのない人であることは明白で、


「お、俺も陽菜さんが困っているときは力になります」


 前に陽菜さんが、俺に言ってくれたように。


「ふふっ、ありがと。でも、須郷くんが困っている時は私に相談してね。私も絶対に力になるから。……ち、力になれなかったとしても、相談に乗ることぐらいは出来るはずだから」


 陽菜さんの力強い瞳から伝わってくる熱に、また、鼓動が高鳴る。

 陽菜さんのためなら何だってできる、そんな気がして。

 陽菜さんの隣に立つために、陽菜さんにふさわしい俺になって自信を持って隣を歩けるようになると、笑顔が戻ってきた陽菜さんのかわいさを堪能させてもらいつつ俺は心の中でそう誓った。




「どたばたしちゃって本当にごめんね、それと、今日は付き合ってくれてありがとう」


「いえ、俺の方こそ呼んで貰えて嬉しかったです」


「ふふっ、そう言って貰えると私もうれしいな」


 玄関の扉の前、俺は靴を履きながら、陽菜さんにそう言った。

 陽菜さんはまだ、フィオナのコスプレをしていて、相変わらずの美少女オーラが眩しい。

(かわいいんだけどね)

 そういえば、お姉さんは特に気にしていなかったけど。

 コスプレは普段からやっているんだろうか。

 もっと見ていたいと思う陽菜さんのコスプレを拝みつつ、俺は靴を履き終えて、陽菜さんに向き直った。


 いろいろあったけど、楽しかったよな、……ほんとにいろいろあったけど。


 陽菜さんフィオナのコスプレや、お姉さんとの邂逅。思い返すだけで充分な程、出来事の詰まった一日だった。きっと、今日あったことを、忘れることはないだろう。


「お邪魔しました」


 俺はぺこりと頭を下げて、お辞儀をする。


「うん、また学校でね」


 頭上から聞こえた陽菜さんの声を最後に、俺は彼女の家を後にした。



 ★★★


「ふぅー……」


 扉の閉まる音がして、須郷くんの姿が完全に見えなくなってから、私は大きく息を吐いた。彼は、『楽しかった』と、そう言ってくれた。でも——、


「ため息なんかついてどうしたの?もしかして、須郷くんが帰って寂しくなっちゃった?」


「ち、違うからっ!別に寂しいわけじゃ——」


「またまた赤くなっちゃってー、ふふっ、分かりやすいなー、陽菜は」


「一週間口聞いてあげない」


「ごめんごめん、陽菜があまりにもかわいから」


「もう……」


 両手を顔の前で合わせて片目を瞑る姉が、もう一方の瞳で私を見ながらそう言った。

 そんな姉に、本日二回目のため息をつく私。


「——彼は、陽菜ちゃんの理想の人?」


 刹那、声の軽さが消えた姉の言葉は、まるで脳に直接響いたのではないかと錯覚するほど、鮮烈に反響した。

 真剣な眼差しで私を見つめる姉。私は一瞬だけ考えて、口動かした


「もしかしたら、理想とは違ったところはあるかもしれないけど、私が彼のことを……す、好きだってことは、ほんとだから」


 私は、自分でも赤くなっていると分かるほどの熱に侵されながら、これ以上ない本音と共に、姉の瞳を見つめ返した。


「————そっか」


 一瞬よりも長い沈黙があって、一言、姉が短くそうこぼした。

 姉の中で、何か納得したいことがあったのかは分からない、だけど。


「そーだ、買い出しお願いできない?実は課題が残ってて、それも二つ」


「——別にいいけど」


「それじゃ、よろしく」


 そう言い残して、リビングに戻っていく姉の後ろ姿を見ながら、


「理想の人」


 そう小さく呟いた私。風に飛ばされることもなく、ただ落ちていくだけの言葉の意味を、私なりに考えながら、私は須郷くんの顔を頭の中に思い浮かべた。初めて好きになった男の子の笑った顔を思い描いて。


「今はこの、好きって気持ちを大事に出来たら、それで充分かな」


 私はまだ、恋愛のことはよくわからないけど、今を幸せだと感じることが出来たら、それが一番大切な事だと思う。


 フィオナちゃんだって、『今の幸せをおろそかにしちゃいけない』って、言ってたもん。


 私は、そんな言葉をくれたヒロインと同じ姿をした、自分の胸に手をあてて確かめるように頷いた。

 同じなのは衣装だけ、理想のヒロインたちは、まだ遠く、見えない。でも前には進んでいる。心から、誰かのために頑張れるのなら、きっと近づいていけるはず。


 うん、私はまだまだ頑張れる。でも、


 ………………流石に着替えないとね。


 いくらなんでも、このまま外を出歩くわけにはいかないため、私は言った自室に戻った。

 そして、見慣れないそれに気が付いて、眉をひそめた。


「——これって、須郷くんのスマホだよね?」


 取り残された一台の端末の黒い画面に、私の顔が映っていた。

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