第8話

 

 昨日と同じように、カーテンの隙間から差し込む夕陽の煌めきが、振り向く彼女を照らしている。その輝きが寂れた部屋を、薄く微笑むその人のステージへと変化させる。舞い散っていた埃ですらかき消され、この世界、この瞬間が理想へと変わる。


「ん?どうしたの?」


 視界に映る光景をまじまじと見つめていた俺を見て、理想のお姉さん系美少女、陽菜さんが首を傾げる。


「——いえ、なんでもないです。それよりその恰好、セシリーさんですか?」


「あ、分かった?そうなんだー、一度着てみたかったの、普段はその、着れないから……」


「似合ってます。めちゃくちゃかわいいです!」


「そ、そう?かわいい、かわいい……」


 西洋風の衣装を着た陽菜さん。相変わらず陽菜さんの美しさとかわいさが相まって、自然と見惚れてしまっている。というか、

 コスプレのクオリティが高いんだよなあ、一瞬レイヤーがいるのかと思っちゃったよ。

 星ファンこと、星屑ファンタジアに登場する女性騎士、セシリーのコスプレをした陽菜さん。麗しのセシリーと呼ばれる彼女は、星ファン屈指のお姉さんキャラであり、剣の実力もさることながら、面倒見もよく。ファンからも人気の高いキャラクターだ。

 そんでもって——、


 陽菜さんとの相性が完璧すぎる!

 どこからどう見てもセシリー本人だよこれ、きっと主人公もこんな風に顔赤くなってたんだろうな。

 今なら分かる、このかわいさの威力の凄さに。


「と、ところで須郷くん、今週の土曜日って空いてたりするかな?」


 陽菜さんとセシリーを重ねて一人で納得していると、不意に陽菜さんがそう切り出した。少し緊張した素振りの上目遣いがかわいすぎて、最初は話が入ってこなかったが、陽菜さんが言ったことを頭の中で並べて、その意味を理解する。


「空いてますよ、暇です」


 まあ、俺を誘ってくれる友達がいないからなんだけどね……


「よかった、それならも私とお家デートしない?実は最近面白くアニメがあって一緒に見れたらなって、丁度姉が出張に行ってるから、どうかなって」


 お家……デート?それって陽菜さんの部屋に行けるってことか!?

 衝撃が全身を包み込み、打ち付ける心臓がスピードを上げる。

 陽菜さんは、少し照れくさそうに俺を見ながら、返事を待っている。ごくん、と唾を飲み込んで乾いた喉を潤す。かすれそうな声を咳払いでどうにかし、


「行きたいです」


 俺はそう言葉にした。



 お家デートとは、彼氏彼女どちらかの家に行き、二人の時間を楽しむ……ことを言うらしい。

 俺は家に帰ると、スマホで『お家デート』意味を検索して一人でそわそわしていた。

 いやだって、仕方ないだろ?陽菜さんにお家デートに誘われたんだぜ?そりゃあ嬉しくていろいろと考えちゃうじゃん。

 もちろんだけど、そういった延長線にあることは当然言語道断。だから、陽菜さんの信用を失わせるようなことは絶対しないけど。


「お家デートかー、陽菜さんの部屋ってどんな感じなんだろ、女の子の部屋なんて入ったことないし、やっぱり陽菜さんのへだからしっかり整理された綺麗な部屋なのかな、それとも女の子らしい部屋だったりするのかな」


 まあ女の子の部屋なんて見たことないから、女の子らしい部屋がどんな感じかよくわかってないんだけどね。


 彼女なんて存在からは完全に無縁の人生を送ってきたため、その辺の知識は皆無である。

 一応ラブコメアニメや、ラノベでそれっぽいシーンは見て来たけど、現実は違うんだろうなあ。

 陽菜さんが、実は片付けが苦手で散らかった部屋を見られて恥ずかしがったり、料理が苦手で台所が悲惨なことになったり、なんてそんなギャップ萌えみたいなことは、流石にないよなあ、もしそうだとしてもそれはそれでかわいいんだけどね。

 そんなありきたりな萌展開を妄想していると、玄関の開く音がした。時計を確認して、来訪者の検討が付く。いつもと同じ、この時間にやってくるのは一人しかいない。


「……義人、いる?」


 肩にかかるほどの、茶色のショートヘア―が見えるのと同時に聞き慣れた声がした。今朝も会った幼馴染の少女、早坂美桜だ。彼女はいつものように、右手にタッパーを抱えている。


「美桜、弁当助かった」


 今日の昼は彼女が作ってくれた弁当だった。普段の美桜は結構辛辣なところがあるため最初はどうゆう風の吹きまわしなのか戸惑ったのだが。


「そう……その、ど、どうだった?」


「ん?美味しく頂かせてもらったけど?」

 普通に美味しかった。ハンバーグなんか特に絶品だった。

 美桜って料理うまいんだよな、昔から。


「そ、それなら、良かった。あ、別にあんたに食べて欲しくて作ったわけじゃないからっ。感想が聞きたかっただけだから、勘違いしないでよね」


 素直に褒めたつもりなのだが、美桜は口を尖らせてそっぽを向いてしまう。後はどこ吹く風で、一方通行である。


「……一応今日も総菜作ったから、それじゃ」


 テーブルに中身の入ったタッパーを置いて、それからキッチンに干してあった弁当箱を回収した美桜が、いつものようにそそくさと帰ってしまう。

 嵐が過ぎたかのように、急に静まり帰る部屋。無人島に取り残されたかのような感覚を味わいつつ、俺は美桜が残していった湯気で曇ったタッパーを手に取る。まだ温かく、出来立てである手作りのお惣菜。蓋を開けて中身が唐揚げであることに気が付いた。ハーブの香りとオレンジ色の衣が食欲をそそり、一気におなかが減った。

 いやー唐揚げとは、美桜さん流石です。絶対美味しいじゃん、これ。

 冷蔵庫にしまってあったごはんとサラダを取り出して、唐揚げの隣に並べる。今日の夕食の完成である。

 俺ほぼ何もやってないけどね。

 あまり料理が得意ではない俺にとって美桜の手作りお惣菜は、ある意味神の恵みたいなものだ。なんだかんだ言って毎日持ってきてくれる彼女には感謝しかない。

 俺に辛辣なのは、未だによく分からないんだけど。

 でも、

 美味いんだよなあ。


 俺はいつもの通り、美桜の手料理を味わった。


 ★★★


「いやー、やっぱ陽菜のおすすめのアニメは面白い!昨日一気見しちゃったよ」


「でしょ?クライマックスのシーンなんか何回でも見れちゃう」


「だよねー、わたしはレオンが出てくるところが結構好き」


「分かる!颯爽と登場するとこかっこいいよね!」


 和気あいあいとオタトークに勤しむ私はパソコンの前に座って通話アプリを開いている。そして今、画面の向こうで話しているのは——、


「そういえば、昨日話してた彼氏ちゃんとは約束できたの?お家デート」


 明るい声が電波に乗っても消えない、優しくて元気な少女、私の唯一の親友

 空風 菫。彼女もまた、私同じオタクで、時折こうしてお話したりするんだけど。


「う、うん。一応誘ってみたら来てくれるって、でも大丈夫かな?私、男の子を家に呼んだことなんてないし……」


「ま、なんとかなるでしょ、頑張れ陽菜!」


「が、頑張れって、昨日家に誘ったら?って言ったの菫じゃない!」


「いやーまさか本当に誘うなんてわたしも思わなかったし」


「す、菫?」


「ごめんごめん、そう怒らないでって、確か須郷くんだっけ?オタクで優しくて、陽菜にとって理想の人なんでしょ?しかも後輩君だし、陽菜にぴったりじゃん、きっと大丈夫だと思うよ?」


 そう、音声だけでも伝わるほど、楽しげな口調で話す菫、彼女の明るさは、いつも私の不安や悩みを晴らしてくれる。今だって、こうしてからかうと見せかけて、背中を押してくれる。


「……陽菜?」


「ううん、大丈夫、誘ったのは私だし頑張ってみる」


 私はパソコンの前でそう宣言して、胸元で小さくこぶしを握ってみる。


「——でも良かった」


「菫?」


 唐突にそう言った菫に首を傾げる私、彼女は「だってさ」と続けて——、


「高校生になってから、今まで以上に張り詰めてたから、ちょっと心配してたんだよね。理想の自分を求めて、それだけに必死になってて、本当は普通のオ‘タ‘ク‘美少女なのに」


「……」


 オタク美少女?


「でも、そんな二つの陽菜を受け入れてくれるかもしれない男の子と出会えた、その子と出会えたのは今まで陽菜が頑張って来たからだよ」


「だからさ」と、一度言葉を区切った菫が、少し安堵したかのような声音で画面越しに言う。


「彼氏ちゃんの前ぐらいは、自分に優しくなりなよ。私会ったことが無いから分からないけど、多分それも含めて陽菜のことを受け入れてくれる、だから選んだんだよね?」


「菫……うん、そうだよね。でも、須郷くんの前ではしっかりしたお姉さんでいたいから、ずっと甘えちゃダメだと思う」


 須郷くんは優しいから、理想に囚われてしまった私でも、好きでいてくれるかもしれない。これは傲慢な私のわがまま。でもそれだけじゃきっとダメだと思う、彼が好きでいてくれるための努力は怠たっちゃいけないと思うから。


「うーん、少し難しく考えすぎのような気もするけど、でも大事なのは陽菜がどうしたいか、だから。まあ、私も偉そうなこといえる立場じゃないんだけどね、でも一つだけ。無理しちゃダメだよ。少なくとも私は、自分の好きな人が、自分のために無理をしているのは嫌だから」


「——そうだよね」


 菫が言っていることも分かる。須郷くんが、もし私のために無理をしていたら、私だって彼を止めると思う。それはきっと理想の関係じゃ無いから。


「でも今は頑張りたい、もちろん無理のないように心がけながら」


「それでいいと思うよ。まだまだこれからだし、もっとお互いを知りながら、二人にあった付き合い方をすればいいんじゃない?私も、いつでも相談乗るし」


「ありがと、菫」


「いいってことよ、ふふっ」


「——えへへっ」


 いつのまにかシリアスな話になっていたことを思い出して、二人で吹き出した。

 私は本当にいい親友に恵まれていると思う。


「それじゃ、そろそろ寝よっか?」


「そうだね、また明日」


「また明日」


 プツンと画面が途切れて。菫の声が聞こえなくなる。


 彼の前では無理のない程度に頑張る、それが私の今の答え。


「うーん、今日はもう寝よっと」


 時計を見ると丁度0時を回ったところだった。私は体を伸ばして立ち上がると、カバンに付けているシーナちゃんのストラップが見えた。

 あなたがいなかったら、私は須郷くんに出会えなかったかも、なんだよね。


 あの日、ストラップをなくしてしまい一心不乱に探し回っていた時、彼は優しく声をかけてくれた。


「ううん、一番大事なのはここからだよね」


 理想の私であるために、そして彼の隣に立つために。

 私の進むべき道が見えた気がした。


 ピロン♪


 唐突に聴き慣れた音がして視線を向ける。


『コスプレはほどほどに』


 短く、主語が明確にされて1通のメールが来ていた。


「……そうね、私は、私だから」


 白く光る、パソコンの画面に表示されたメールに小さく苦笑して、


『ありがと』


 私はそう打ち込んで、そっとパソコンを閉じた。

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