第15話
幾度となく見慣れた形のドアの前に立って、俺は大きく息を吸い、吐き出した。
改めて考えてみると、意外と美桜の家に呼ばれることってないんだよな。——自分で意外とか言っちゃったけど、別に関係的におかしくはない……よね?
美桜の方からお惣菜なんかを持ってきてくれることはよくあったけど、俺がなにか持って行ったりすることはなかったな。まあ、美桜は普段からあれだったしな(ツンツン)
でも、なんだかんだお世話になってたんだよな。言動はかなり蔑まれていたけど。だから、取り合えず感謝はしつつも、地雷を踏まないように、深く入り込まないようにしてたっけな。
俺はそうして、美桜の気持ちを知ろうとしなかった。
……結局、俺はただ、その行為に甘えるだけで、美桜を見てなかった。向き合っていなかったんだ。
美桜が俺に気が合ったなんて、自惚れたことを言うつもりはないけど、それでも美桜は事あるごとに俺の心配してくれた(例えば去年風邪ひいた時とか)。お惣菜を持ってきてくれたのだって、俺の母さんに頼まれていたとしていても、普通はあそこまでしてくれないと思う。……なんて言ったらいいのか分からないけど、俺が思っているより、美桜は俺のことを考えてくれてたんだと思う。
——いや、ここから先は、ただの思い上がりだ。今俺がすべきことは、美桜と会って、正直に本当のこと、俺の気持ちを話すこと。都合よく、美桜を解釈することじゃない。
俺はインターホンを見据えた。一応、学校を出る前に美桜にメールを送った、返信はなかったけど……
覚悟を決めたんだろ。背中を、押してもらったんだろ。
ただじっと、綺麗な姿勢で隣にいてくれる陽菜さんを一度だけ、視界の端に映して、俺は手を伸ばした。
ピーンポーン。
来訪者を告げる音が、静寂の中に鳴り響く。
「……………」
——返事は、ない。
美桜……いや、ここで諦めてどうすんだよ。
俺はもう一度ボタンを押した。また、同じように、音が鳴る。
「……………」
やはり、返事はなかった。
……そう、だよな。いくら俺が覚悟を決めたとか、腹をくくったとか言っても、それは結局、俺の問題だ。元々俺の自己満足でしかないんだ。
美桜が付き合ってくれるとは決まっていない。もし美桜自身が、俺を拒絶しているなら、どうしようもない。
……俺は結局、出来ないことはやらない、そういう奴なんだ。だから、これ以上は——
「——いいの?ここで諦めて?」
それは、銀鈴にも似た声音だった。凛としていて、直接頭のなかに響いてくるその声に、俺の意識は、引き寄せられた。
「君の覚悟は、美桜さんと歩んだ時間は、ここで終わってしまうほど、浅いもの?」
「——それはっ」
俺は、思はず言葉が詰まった。前を向く陽菜さんの瞳は、一切揺らぐことなく、先を見つめている。
場違いかもしれないけど、陽菜さんは、本当に凄い人だと思った。
だってそうだろ?自分以外の誰かに、こんなに本気になれる、やっぱりすげーよ、陽菜さん。
俺は、どうしたいんだ。美桜がそう決めたのなら、いつもみたいにこれ以上は踏み込まない。
——それでいいのか?あんな顔をした幼馴染を、少しとがってはいたけど、それでも傍にいようとしてくれた。そんな彼女を、このまま、泣かせてしまったままで。
……俺は、このまま終わりたくない。エゴでもいい、もう一度、美桜に会いたい、会って話がしたい。
自分自身に問う、否、問うまでもない。覚悟は、答えは、持っているのだから。
「ありがとうございます。陽菜さん」
また、背中を押してもらった気がする。いや、間違いなく押してもらった。
俺の性根は陰キャオタクのままだけど、せめて、陽菜さんの前ぐらいは、本気で向き合いたい。それを理由にしたとしても。
だから俺は、もう一度手を伸ばした。本気で向き合いたい人が、その先にいるから。
俺は伸ばした手で、三度目のチャイムをならそうとして——
「なに?——」
低い、冷たさを感じる声音に、一瞬、思考を含めた全てが停止した。
氷漬けにされたような感覚を味わいながらも、俺は止まった思考をなんとか叩き起こして、乾いた唇を動かした。
「美桜、その、話したいことがあるんだ。だから——」
「……今更なんの話がしたいわけ?交際の事なら別にどうでもいいんだけど」
「……ごめん」
「なに謝ってんの?……もしそれで来たんなら話すことないんだけど」
「そうじゃなくて、いや、それもあるんだけど。本当にそれだけじゃなくて」
機械音の混じった美桜の息遣いが、画面越しに微かに聞こえる。美桜はまだ、俺の声の届く所にいてくれている。手綱はまだ離れていない。
「ずっと感謝してるんだ。俺が高校に入って親が仕事で海外に行ってから、一人だった俺の前にいてくれたのは美桜だったから。アニメを見て、一人じゃないと思っていた俺をが、本当に独りじゃなかったのは、美桜がいてくれたから。だから、それを伝えたくて——」
俺はそこまで言って、あることに気が付いた。それはこの瞬間までわずかながらにあったほころびのような違和感。
——俺が美桜に言いたかったこと。
陽菜さんとの関係を黙っていたことの謝罪でも、あの日、美桜を追いかけなかったことでも、お裾分けをもらっていたことへの感謝でもない。……いや、それも勿論あるんだけど。でも、一番はそれじゃない。それが今、分かった気がする。
なんだかんだ言いながら、そばにいてくれた美桜に言いたかったんだ。『ありがとう』って。……こういのうを口にするのって、ちょっと、いや、かなり恥ずかしいけど。
——でも、そう思ってるのも事実だし。こういうのを口にするのはちょっと、いやかなり恥ずかしいけど。
別に両親と死別したわけでも、孤独になったわけでもない。それでも、美桜の存在は俺の寂しさを埋めてくれていた。それに気づけた。気づくことが出来た。
「……だから、その、ありがとな。美桜」
「……………………は?」
「えっ……?」
「わ、訳わかんないんだけど?」
「あ、いや、その、だから」
「いい!言わなくて!」
「お、おお……」
食い気味にそう宣告されて、俺は思わず押し黙った。
なんで美桜、そんな焦った感じになってるんだ?
「そ、そういえば義人の隣にいるのって」
「自己紹介が遅くなってごめんなさい。浅木陽菜です」
ここまで状況を見守っていた陽菜さんが、画面に映るように立って、そう言った。
「浅木会長……ちょっと待ってて下さい」
少し間があって、美桜がインターホン越しにそう言うと、ブチっと接続の途切れる音がした。
美桜?どうしたんだ?
数秒後、ガチャリと扉が開いて、美桜が顔を覗かせた。
……なんか、美桜の顔を見るの、久しぶりな気がする。
すると美桜は一瞬だけ俺の顔を見ると、すぐに陽菜さんを視界に収めた。
「すみません画面越しで。よかったら上がって下さい。今誰もいないので」
「……分からりました。お言葉に甘えてそうさせていただきます」
「どうぞ……ほら、義人も」
「えっ。あ、ああ」
え?なにこの展開?美桜の家に上がるの?……まあ、昔はよくお邪魔してたけど。
「なに?嫌なの?」
「いや、そうじゃなくて。お、お邪魔します」
久しぶりだな。美桜の家に入ったの。あの時は子供だったから何も思はなかったけど、やっぱり女子の家って緊張する……よな?俺だけじゃないよな?
言われるがままリビングに通されると。美桜が、『座ってて下さい』と言って、キッチンの方に向かったので、俺と陽菜さんは、取り合えず、言われた通りにソファに腰掛けた……んだけど。
あれ?陽菜さん隣に座るんですか?大丈夫ですか?狭そうですけど?
「須郷くん?」
「な、なんでもないです」
これが普通なのだろうか。俺は陰キャだと、こういう時困るんだよな。……今までこんなことなかったんですけどね(自虐)。
「紅茶です。よかったらどうぞ。それで話ってなんですか?」
「……その、美桜さんは、義人さんのことが」
「ないです」
「えっ?」
「好きじゃないです」
「あの、まだ何も——」
「違いましたか?」
「そ、それは…………須郷くんどうしよ!?(小声)」
「な、なにを聞こうとしたんですか!?(小声)」
なんか、はっきり言われれてなぜか、傷付いてる気がするんだけど。うん。気のせいだよね。気のせい気のせい。
「……私じゃ義人と、そ、そういう関係にはなれないから」
俯きながら、美桜がそう言った。そういう関係とは、今の俺と陽菜さん、早い話恋人の関係であること。
確かに俺も、美桜は兄弟っていうか家族みたいに思ってた節があった気がする。……だから、そういう関係をあまり想像しなかったんだと思う。多分美桜だって。
「オタクだけど、好きな事には一直線で、ブレない、それが義人の魅力、だから、それに気づけた人なら私は……私がどうこう言うことじゃないけど。……こっちみんな義人」
「ご、ごめん」
俺は急いで視線を外した。……まさか美桜にこんなこと言われるとは……俺明日死ぬのか?……前にもこんなことなかったっけ?やばい、多分俺、顔赤い(語彙力)。
「別に誰かに言いふらすつもりはありません。それに、浅木会長と出会ってから、義人は……」
「分かりました。ごめんなさい。変なことを聞いてしまって」
「いえ……義人、いつまで下向いてんの?」
「えっ?」
「大丈夫?須郷くん?」
「だ、大丈夫です」
なんか、いつの間にか終わってた。美桜のやつ、全く恥ずかしがってる様子もないし……俺が変なのか?
「……本当によかったね。好きを共有できる人に出会えて」
「美桜?」
「なんでもない」
「私は、そろそろお暇させて頂きます。長居してもご迷惑ですから」
「送ります陽菜さん。じゃあ俺もそろそろ」
陽菜さんに続いて俺も立ち上がった。さっき美桜がなにかいった気がするけど。多分気のせいだろう。(美桜も言ってたしな)
「急に押しかけてしまい申し訳ありませんでした」
玄関口。靴に履き替えた陽菜さんがお辞儀をしながらそう言った。
「いえ、こちらこそ大したおもてなしも出来ず、すみません」
「その、ありがとな美桜」
「なにが?」
「い、いや、その……な、なんでもないです」
「……折角彼女ができたんだから、義人も、ちょっとぐらい頑張れば?」
「お。おう」
最後にそういった美桜の表情はどこか儚くも、スッキリしたような、そんな感じがした。
「今日はありがとうございました。俺一人だったらあのまま何もできなかったと思います」
「ううん。最後は須郷くんがそうしたいと強く思ったから道が開らいたんだよ」
陽菜さんの瞳は優しくて、きれいだった。
「それじゃ、また学校でね」
「はい」
手を振ってから、マンションのエントランスに消えていく陽菜さん。
その消えた陽菜さんを思い浮かべながら、美桜の言葉を反芻した。
そうだよな。陽菜さんの隣を、自信を持って歩けるように。
俺は心に刻みつつ。改めて、自分自身に誓いを立てた。
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