第14話

 

「ちょっと、いいですか?」


 そう言って、須郷くんが、真っ直ぐな瞳で私を見据えていた。

 ……やっぱり、この前のことだよね。

 なんとなく、理解はしている。彼が何を伝えようとしてくれているのか。

 私は須郷くんに振り返りながらも、視線を外してしまう。

 きっと彼は、覚悟を決めて話してくれようとしている。

 ——なのに私は、そこから目を離そうとしている。自分の都合で彼を傷つけておきながら。


 ——私、本当に最低だ。


 須郷くんだけじゃない、私のエゴで、彼の幼馴染も傷つけてしまった。

 振り返ってみると、私は押し付けてばかりだった。関係の事、デートの事、学校での事、全部、私は須郷くんに合わせてもらっていた。周りの理想であることを理由にして。

 ……なのに。

 須郷くんは、何一つ文句を言わなかった。こんな私のことを、ただ『好きだ』と言ってくれて、いつも笑ってくれた。頬を朱色に染めながら、そんな須郷くんを見ていると、私まで明るい気持ちになっていって。


 君と過ごしている時間が楽しくて、ずっと続けばいいなって、そう思うようになっていった。


 私に、そんな資格なんてもうないのに……


「——陽菜さん。俺陽菜さんのこと好きです。今も、これからも、ずっと、す、好きですっ!」


 なのに、君は。


「その、陽菜さんが努力していることは、ほんの一部かも知れないけど知ってます。……俺はそんな陽菜さんが、その、好きです……だから、関係を秘密にするくらい、全然迷惑じゃないです」


 そこまで、私なんかを好きでいてくれるの?


「だって、陽菜さんと一緒にいると、本当に楽しくて……それで」


 ——この気持ちが答えなんだと、私は知っている。


「……………ありがと、ねっ」


 顔を赤らめながら、必死に言葉を紡いでくれる須郷くん。そんな彼に、私は思わず口元を手で覆って、それを堪えながら、素直に浮かんだ言葉を口にした。


「陽菜さん……!」


 彼の顔が解放されたように明るくなっていた。

 次は、私の番だよね。


「あのね、須郷くん」


 私は一つ一つ、言葉を落すように浮かんだ言葉、こみ上げてくる言葉、伝えたい言葉、それを組み立てながら、唇を動かした。


「私は、自分の本当の姿と、理想の仮面を被った私を見てくれる君に出会えて、本当にうれしかった。でも、付き合うってなったとき、本当の自分が誰かにばれてしまわないか、失望されないか不安に思ってた。……結局ね、私は自分のことしか考えてなかったの。その結果、君と美桜さんを傷つけてしまった」


「陽菜さん……それは」


「ううん、普通の恋人になれていたら、きっと、こんなことにはならなかったと思う。私のわがままのせいで……」


「いいんです」


 そう短く告げられた言葉に、私は目を丸くして顔を上げた。


「俺は気にしていません、だって俺みたいなただのオタクが、陽菜さんにみたいな優しくて、努力できて、趣味のあう人と出会えたんですから」


 そう言って笑ってくれる須郷くん。その穏やか笑顔に、私の心から溢れ出すのは。

「……今までみたいに秘密にすることが多くて、皆みたいな普通の彼女にはなってあげられない、きっと自分勝手なことばかり言っちゃうと思う。それでも、私のことを、好きでいてくれる?」


「どんな関係だって大丈夫です。俺もあんまり偉そうなことは言えないですけど、俺たちなりの関係っていうか、それで充分です。陽菜さんと一緒にいるだけで、こんなに楽しいんですから、だからずっと好きでいます!」


 私の眦に、淡い涙が溢れ出しそうになって、私はそれを懸命に堪えた。

 ——本当に君は、私のほしい言葉をくれる


「……私も須郷くんのことが好きですから、君だけではありません」


「……なんか、会長モードになってませんか?」


「気のせいです」


 私は胸に募った嬉しさと、恥ずかしさを隠したくてバレバレの仮面をつけた。

 すると、須郷くんもそれに気が付いたのか、顔を赤くして、視線を彷徨わせる。

 ——ふふっ。

 それがかわいくて私は口に手を当てて小さく笑った。須郷くんは気づいていない。


 私が好きになったのが、君で本当に良かった。私もずっと好きでいてもらうために、頑張らないとね。——だって。


『君の彼女でいたいから』



 ☆☆☆


 やばい。

 勢いで言っちゃったけど、流石に俺、痛すぎだろ……陽菜さんの顔が見れない……

 俺は火照ってしまった顔を隠すように、視線を足元に落としてごまかそうとする。


「……でも、ここまで言って貰えて嬉しかった。ありがとね、須郷くん」


「え、は、はい!俺も、う、嬉しいです」


 窓ガラスの向こうから差し込む、暁の残光に照らされた陽菜さんが優しく微笑んだ、その笑顔がかわいすぎて、思わず天使が舞い降りたのではないかと疑ってしまう。

 今の笑顔があれば、まじで、なんでも出来そう。やっぱり陽菜さんは美人でかわいすぎるんだよな……いや、俺はちゃんと陽菜さんの中身が好きだからな?


 朱色の顔をさらしながら、そんなことを考えていると、「それでね、須郷くん」と陽菜さんが、自身の左手を抱きながら、真剣さが伝わる瞳を宿してそう言った。


「……やっぱり、美桜さんとは一回ちゃんと話すべきだと思うの。……私にこんなこと言う資格はないかも知れない、でも、だからこそ、私も覚悟を決めるから。ちゃんと、正々堂々と君の彼女でいたいから」


「……そうですね、俺も、もう一度美桜と話したいです。でも、それだと陽菜さんが……」


「いいの、言ったでしょ?私も覚悟を決めるって」


「……分かりました、俺も覚悟を決めます」


 そうだ、ちゃんと謝って、……許してくれないかもしれない、ただの自己満足かもしれない、それでも、美桜は……幼馴染なんだ。

 幼馴染として、俺は——


「それじゃ、今から行こっか」


「えっ?」


「思い立ったが吉日、こういうのって、後に回せば回すほど、しんどくなっちゃうから」


「そ、そうですね、俺もそう思います」


 俺は陽菜さんに何とか頷きつつ、美桜の顔を思い浮かべた。

 陽菜さんって、意外と行動力あるよな、俺も見習わないと。


「多分美桜はいると思います。けど、道中は一緒に歩くわけにはいかないですし」


「それなら大丈夫だよ」


 えっ?どういうことだ?俺と陽菜さんが一緒にいるのを見られたら陽菜さんの理想に傷をつけることになるんじゃ……?


 しかし、俺の不安とはよそに、陽菜さんは自信ありげな表情でそう言うと、スッーと後頭部に手を伸ばすと、黒髪をまとめていたヘアゴムをシュルシュルっと外した。

 えっ……陽菜さん?

 ふわっと舞い、陽菜さんの艶やか黒髪ロングが露わになり、それから。


「こうすれば、問題ないでしょ?」


 黒縁メガネをゆっくりと外して、制服姿の陽菜さんが現れた。


 さっきまでの真面目さと厳格さのある(一般論)雰囲気が消失して、俺が知る限り最強の美人でかわいいお姉さん系美少女が鮮やかに髪をかき上げた。

 ……制服Verの陽菜さん、ぱないっす。

 もし、普段の、生徒会長としての陽菜さんしか知らない人なら、多分遠目に見ただけじゃ分からないと思う。それだけにギャップが凄く、普段どれだけ理想のために努力しているのかが伝わってくる。


「今の時間、残っている生徒はほとんど部活中だし、先生達も会議でいないから大丈夫だよ」


「でも、もしばれてしまったら陽菜さんが」


「その時はその時だよ、もう一度理想の自分になるために、今まで以上に努力する。君のためになら、なんだって出来ちゃうからっ」


 そう、力強く言って、両手を胸の前で握る陽菜さん。(そのポーズ超かわいい)

 ……絶対に、陽菜さんの理想に、泥を塗らないようにしないとな。


「……………分かりました、でも、念のために一つ裏の道にしましょう」


「そうだね、そうしよっか」


 俺と陽菜さんはルート(この部屋から駄箱に行くまでもも含めて)を簡単に確認すると一端別々に生徒会室を出ることにした。具体的には俺が先に準備室から出て、陽菜さんが跡から合流する形。

 なんだかんだ陽菜さんと一緒に帰るのは初めてなんだよな。(ちゃんとした理由があるから、今日は特別ってだけなんだけど)


 俺は夕陽の陰に黒く塗りつぶされた壁沿いの廊下を歩きながら、俺はふと、彼女と一緒に帰るというオタクにとっては理想の中にしかないギャルゲーのイベントに、今更ながらドキドキし始めた。

 確かに陽菜さんと、また、付き合って行けることになったし、そこはまあ、めちゃくちゃ嬉しいんだけど。……今はまだ手放しに喜べないよな。それに、陽菜さんが背なかを押してくれたんだよな、何もできなかった情けない俺に、美桜と向き合えるように。

 考えすぎかも知れないけど。今はそう、受け取らせてください。陽菜さん。


 俺はもう一度、今度こそ覚悟を決めるといわんばかりに、力いっぱいに拳を握った。



 校門を出て直ぐの大通り、その大通りから少し外れた住宅地内の道を俺と陽菜さんは歩いている。——そう、今、俺の隣には、か……彼女モードの陽菜さんが歩いているのだ。艶やかな黒髪をなびかせて、学校ではトレードマークでもある黒縁メガネを外した制服姿の陽菜さん。

 改めて見ても、すげえ美人。横顔だってめちゃくちゃ綺麗だし、……やばい、このことを知られたら俺殺される気がするんだけど。


「大丈夫?やっぱり、緊張するよね、急に決めちゃったから……」」


「いえ、大丈夫です。むしろ陽菜さんがああ言ってくれたことで決心が出来ました。ちゃんと、向かい合って話したいって……」


「……私ね、ずっと考えてたんだ。付き合うって、どういうことなんだろうって。普通の恋人にはなれない、それって本当に彼女でいてあげられてるのかなって」


 陽菜さんは両手を後ろに回して、陽が落ちかけた茜色の空を見上げてそう言った。

 長いまつげがより陽菜さんの魅力を醸し出している。

 俺は、そんな美人でかわいいお姉さん系美少女に見惚れつつも、陽菜さんの言葉を頭の中で反芻した。


 付き合うか、今までの人生では無縁の代物だったからあんまり考えたことなかったな……出来ないことはやらない。時間の無駄だって、そう思っていたからな。まあ、今でも根本的には変わってないんだけど……、それでも、例外っていうか、無理かも知れないけど、それでもやらなきゃいけないことはあるのかもしれないって、ちょっとだけ思うようになった気がする。

 それはきっと——


「でも、君が言ってくれた。私たちなりの関係でいいんだって」


 そう言って上品に微笑んだ陽菜さん。


 それはきっと、陽菜さんの隣を自信を持って歩きたいから。


「——須郷くん?」


「——な、なんでもないです」


 ……おい俺!なに恥ずかしいこと考えてんだよ。それに、今から美桜のとこに行くんだぞ。

 不思議そうに顔を近づけて、覗き込んでくる陽菜さん。

 ひ、陽菜さん!かわいすぎだろ……やばい、めちゃくちゃいい匂いがするし、このまま昇天しそう……

 陽菜さんが「そう?」と言ってまた、隣を歩き始めた。

 まさか、……か、彼女と一緒に帰るのがこんなにも楽しい気持ちになるなんて、考えもしなかったな。あの時、『ひけらかし野郎が』とか思っちゃってごめんね、リア充の皆さん。


 でも、今こうして陽菜さんが隣を歩いているのには理由があって、それも、本来は俺がなんとかしなくちゃいけないのに。こうして背中を押してもらっていて。


 まだ、なんて話したらいいか分かってないけど、俺と陽菜さんの関係が広まっていないのは美桜が誰にも喋っていないからだと思う。なら、俺がすべきことは——


「見えて来たよ」


 薄暗くなった坂の頂上付近で、陽菜さんの声音が耳を打った。

 視線の先、俺と美桜が暮らしているマンションが輪郭を露わにして、同じ場所に佇んでいる。いつもと変わらない見慣れた風景。

 きっと美桜はいる。普段は素っ気ない態度でも、毎日お惣菜を持ってきてくれて、遠回しに気にかけてくれる幼馴染。

 覚悟は……さっき決めたから大丈夫だな。まずは黙っていたことを謝るところからだよな。


「私は大丈夫だよ」


 立ち止まった俺に一歩前にでた陽菜さんが、一言、そう言った。


「ありがとうございます。陽菜さん」


「ううん、これは私のせいだから」


 一瞬の沈黙と同時、乾いた風がアスファルトの上を吹き抜けていった。

 後は進むだけ、もし拒絶されたなら、その時は……いや、考えないようにしよう。そもそもの原動力は、自己満足だしな。文句いえねーよ。

 失ってから大切さに気付くとはよく言ったもんだよな。本当にその通りだし…………行くか。

 俺はその先にいる幼馴染を見据えて、再び歩き出した。


 ——その隣を歩いてくれる人がいることに感謝しながら

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