第13話


 

 あれから数日が経った。あの日以降、一度も陽菜さんとは会っていない。陽菜さんからの呼び出しは当然なくて、そして俺自身も彼女に会いに行く自信はなかった。


「……暇だな」


 傾いた日差しがカーテン越しに教室を包み込む午後の授業の終わりかけに、俺はふと、そんな言葉を呟いた。深い意味は無い。ただ、何となく零れた感想のようなもの。


「……………まじで、一瞬だったな」


 この短期間で味わった幸せな時間と、それが瞬きの間に崩れてしまったことに、俺は現実の儚さを感じていた。

 だって、俺みたいなやつが陽菜さんみたいな美人でかわいくて優しいお姉さん系美少女とお付き合いしてたんだぜ?しかも現実で。……まあ、出来すぎた話だよな。

 夢から覚めた時のように、そこにあったはずの何かに手を伸ばそうとして、俺は小さく被りを振った。

 ——あの時追いかけなかったのは俺自身だろ。

 俺は苛立ちげに心の中で叫んだ。

 そういや、美桜とも——


「須郷君、ちょっといい?」


 俺は、突如頭上から降り注いだ声に顔を上げた。


「……小町先生?」


 俺の机の前に立っていたのは担任の小町先生だった。

 小町先生?なんだろう?もしかして俺、なんかやっちゃいました?……言ってみただけだけど、確かにこれ、ちょっとイラっと来るな(笑)。


「えーと、なんでしょうか?」


「実は今日、生徒会室の掃除があるんだけど人手が足りていなくて、手伝ってもらいたいの」


「それは……構いませんけど、なんで俺なんですか?」


「須郷君、自分でも何となく分かっていると思うけど、成績、あまり芳しくないわよね?もし、ボランティアとして手伝ってくれると、内申点のプラスになるかも」


「やります」


 ……っていうかやるしか選択肢なくね?


「助かるわ、それじゃお願いね、生徒会室まで行って貰ったら話は通してあるから」


 そう最後に言って、足早に去っていく小町先生。そんな小町先生から視線を外して、辺りを見回すと。

 授業、終わってたのか。……なんかここ最近ずっとぼっーとしてる気がするな。

 既に、教室に残っている生徒は疎らで、前の方で親しげにたむろしている女子生徒たちの声が響いていた。

 ……成績が芳しくないのも事実だしな、どうせ帰っても暇だし……

 俺はため息を吐きつつ、教室を出ようとして、


 ……うん?ちょっと待てよ?生徒会室……?


 俺は小町先生の言っていたことを思い出して、生徒会に誰がいるのか想像する。というより思いだしたというべきか。

 ……あ、めちゃくちゃ美人でかわいいお姉さん系美少女がいそう。

 俺は記憶の中に広がった陽菜さんの笑顔を思い浮かべつつ、しかし、学校では周囲の理想に応えるために、誰より努力している姿をその笑顔と重ね合わせた。

 ——学校では、あくまで他人として接する。

 この間の一幕が脳裏過り、キリキリとした痛みを感じる。

 ……少し気まずいけど、了承した以上やるしかないよな。それに、陽菜さんの手助けが出来るなら、俺は……


 唇を強く結んで、俺は今度こそ教室を出た。


 一週間ぶりかー、やけに久しぶりな感じがするな。……あんなことがあった後だし、想像以上に緊張する。

 …………

 立っていても仕方ないので、とりあえずドアノブに手を掛ける。しかしなかなか踏み込めない。

 ——今は他人の関係、先生に頼まれたただのボランティア……


『……ごめんね』


「……っ」


 最後に見た陽菜さんの作り笑顔を思い出して——


 ガチャ


 掴んでいたドアノブが回転した。


「誰かいるんですか——」


「あっ」


「えっ、須郷くん!?」


 中から現れた眼鏡をかけた三つ編みの美人のお姉さん。浅木会長モード(今解除された気がする)の陽菜さんが、眼鏡越しに目を丸くしていた。



「えーと、その、……では須郷くんには左の棚の整理をお願いします」


「分かりました」


 何とも言えない空気のなか、俺とは視線を合わせずに、陽菜さんは俺とは反対側のガラス扉の本棚の整理を始めていた。

 俺は取り合えず、積まれていた資料を手に取って、被っている埃を払った。

 生徒会第52期生アルバム?

 と、書かれた文字がくっきりと浮かび上がった。隣には、似たようなファイルがいくつか並んでいる。

 こういうのって残していくもんなのか?よくわからないけど。

 一応年代順に並べて段ボールに締まっていく。

 流石にこの部屋の掃除を二人でやるのはかなり無理ゲーなきがするけど……それに、陽菜さんにとって今の俺は……

 でも、もう少しすれば小町先生も来るっていってたっけ、……ていうか、小町先生、生徒会の担当だったのか。

 担任のクラスも持ちつつ、生徒会も兼任とはかなりのハードスケジュールになりそうだが、普段の小町先生からはそれといった素振りはない。

 すーげな。

 思わずそんな反応が零れた。生徒からの視点なのでその大変さは計り知れないが。

 それはそれとして。

 めちゃくちゃ気まずい。前にも言ったけどさ、俺はずっとぼっちの陰キャだったから、会話のない空間ぐらい、何も思はなかったのに……

 謎の息苦しさと、陽菜さんに声をかけられないもどかしさが、悪戯に鼓動を早くする。

 俺は本に被った埃をふき取りながら、チラチラと後ろを伺う。——別に変な意味は無いからな?ただ後ろがちょっと気になるってだけで……

 陽菜さんは黙々と作業をしており、こちらに気づく気配はない。

 ——どうすればいいんだろうな。

 あの日以降、陽菜さんと会っていないことは勿論のこと、美桜とも顔を合わせていない。

 近くにいた人が、今はいない。すぐそこにいるのに、遠くにいるそんな気がして。

 俺は手に取った何かの資料のようなものを眺めつつ、もしもの世界を思い描いた。

 美桜に、付き合ってる人がいるって話すべきだったのかな。でも美桜はどうしてあの時……いや、考えても仕方ないよな。

 俺が陽菜さんを好きなこと、そして美桜も大切な幼馴染であることは変わらない。

 ちゃんと話すべきだよな。陽菜さんとも、美桜とも。

 関係がばれてしまった以上、俺になにか言う資格はないのかも知れない。俺と陽菜さんの関係は他人に知られてはいけない。それが陽菜さんと交わした誓約

 ルール

 なのだから。

 ——それでも。

 俺は陽菜さのことが好きだ。だからせめて、その気持ちだけは今も変わらないって伝えたい。そして美桜にも正直に話したい。迷惑をかけてしまうかもしれないけど、このまま終わりたくない。勝手な思い込みかも知れないけど、二人だってそう思っているはずだから。


「陽菜さ——」


「えっ?」


 ソファの背もたれを足場代わりにしていた陽菜さんが、俺の声に反応し振り向こうとして。


「!?あぶな——」


 口よりも先に身体が動いていた。自分でも信じられないほど、隼のごとく、俺は飛び込むように、宙を舞う陽菜さんに両手を伸ばして——


「痛って——」


 衝撃と共に背中に感じた布を孕んだ皮の感覚から運よくソファに落ちたのだと理解する。そうでなければ今頃——


「……んん、あれ?私助かった?……え、須郷くん!?大丈夫!?」


「お、俺は大丈夫です。陽菜さんこそ大丈夫ですか?」


「うん。須郷くんのおかげで……てっ、ごめんなさいっ !その、重かった……よね?」


「だ、大丈夫です!陽菜さん軽かったですし!」


「そ、そう?でも、ほんとにありがとう、須郷くんがいなかったらきっと大変なことになってたから」


 あれ?陽菜さんいつもの口調になってる?

 俺から慌てて飛び降りた陽菜さんが神妙な面持ちで言った。確かに雰囲気はいつもの陽菜さん。だが、その視線は少し下に向いており、まだかすかに気まずさが残っている、そんな感じがした。


「俺の方こそ、急に声かけてしまってすいませんでした」


「ううん、私の方こそ、気まずくしちゃってごめんね」


「陽菜さん——」


「今、大きい音がしたけど大丈夫ですか!?」


 開かれたドアノブを掴んだまま、額に汗が光る小町先生が焦燥に駆られた表情でそう言って、俺と陽菜さんを交互に見た。


「大丈夫です、小町先生。棚を整理していた際に本落としてしまいまして、ご心配には及びません。お騒がせしてすみません」


「いえ、大丈夫なら構いません、お二人とも怪我などがなくて安心しました。それからごめんなさい、今から職員会議が入ってしまって掃除、手伝えそうになくて……」


 ——え?まじで?


「分かりました」


「本当にごめんなさい、ある程度で構いません、また後日改めて他の生徒会メンバーにも私から話しておきます。いつも任せっきりでごめんなさいね。須郷君も手伝ってくれて助かっています」


「あ、はい」


 ……まあ、成績のこともあるしな、でも、このまま二人きりだと陽菜さんに迷惑なきがするんだけど……


「須郷くんがいてくれて大変助かっています。彼がいなければ半分も進んでなかったかもしれません」


「——それは、よかったです。須郷君、最後まで手伝ってあげてくださいね」


「は、はい」


「それでは、私は失礼します、任せてばかりで本当に悪いんだけど、後はよろしくお願いね」


 そう最後に微笑んだ小町先生が資料を抱きながら小走りに、会議室のある方に向かって行った。


「それじゃ、掃除に戻ろっか」


「そ、そうですね」


 いつもの陽菜さんの声音でそう言って掃除用ロッカーから雑巾を取り出した陽菜さん。

 ちょっとは、陽菜さんの役に立ててるのかな。

 直前の陽菜さんの言葉を思いだして、嬉しくなった。先生の前だったから、陽菜さんはそう言ってくれただけかも知れないけど、それでも嬉しかった。


「陽菜さ——」


 そこまで言って、俺はいつのまにか禁忌に触れていたことに気が付いた。学校では他人、もし接することがあれば、陽菜さんではなく、浅木会長として接しなければいけないことに。それに——


「すいません、学校じゃ他人のはずなのに」


「——ううん、いいの、今は二人しかいないから。それに、ここは生徒会室だけど、準備室もあんまりかわらないから」


 陽菜さんは、少し曇った表情を見せた。しかし、すぐにそれを払いきると、優しい笑顔でそう言った。


「お、俺、……あ、手伝います」


「あ、うん、ありがとう」


 俺は使い古された灰色の目立つ雑巾を手に取って、先程整理していた棚を拭き始めた。

 まだ、どことなく割り切れていない何かがあるような、そんな気がして。

 ……ん?なんだろこれ?……日誌?いや日記帳か?

 俺は奥の方に挟まっていた、掠れた文字が伺えるノートぐらいの大きさのそれを引っ張り出した。

 青春ノート?結構古そうだけど、昔の生徒会の人たちの忘れ物か?

 俺は埃を払ってから、ペラっと『青春ノート』を開いた。


『この青春ノートには、いつか、このノートを開く未来の後輩のために、後悔しないためのアドバイスを書き残したノートである』


 掠れかけてはいるが、マイネームペンらしきもので、そう書かれていた。

 ……いかにも勢いでやりそうな青春の産物ってかんじだけど、なんでこんな奥の方に挟まってたんだ?……ちょっと気になるけど、掃除中だしな……


「…………」


 俺は一瞬、迷った末、もう少しだけ読み進めてみることにした。(すいません陽菜さん……)

 心の中で、棚を拭いている陽菜さんに謝りつつ、俺はその次のページへと目を向けて。


『未来の後輩へ、青春は一度きり、迷ってたら勿体ない!玉砕してもなんとなるのが青春の特権!!!』


 書き手の名前はない、ただ力強い文字でそう書かれていた。

 ……そうかもしれないけど、玉砕から立ち直れるメンタルがなかったら詰むんだよなあ。

 多分、書いた人結構熱血系だな。


 また、一枚ページをめくる。


『好きな人がいる、でもなかなか踏み出せない……分かるよその気持ち。迷惑なんじゃないか、嫌われてしまったら……そう考えちゃうよね。でもそのままなにもしなかったらきっと後悔する。青春ってさ、飛び出すためにあると思うんだ。だからそんな気持ち振り切って思いっきりぶつかってみて!もしダメだったら……その時後悔しよう!それも青春の特権だよ!!!』


 上のやつと、最後同じじゃねーか……いや、俺だって出来るなら、陽菜さん、美桜ともう一度向かい合って話したいって思ってる……だけど。


 ——あの時、美桜は泣いてたんだ。そして陽菜さんは、自分を責めた。

 俺は何も言えなかった。陽菜さんに背をわせてしまった。俺よりも遥かに大人だった陽菜さんに、全て。


『諦める前に、もう一度だけ立ち止まって見て!そして考えてみて、本当に諦めちゃっていいのかって、そしたらきっとわかるはずだから、自分がどうしたいのかって』


 ……そんなの、決まってんだろ。でも、俺には。


『言葉が見つからないなら、それでいい。別に飾らなくたっていい。言うべき事は、分かっているはずだから』


 ……これ、どこかで……


 刹那、一人の影が記憶の中に映し出された。

 そうだ、俺がオタクになるきっかけになった、始めて見たあるアニメのキャラクターのセリフだ、——懐かしいな。


 ……この人も見てたのかな。


 俺は静かに『青春ノート』を閉じた。


 これは、ここに書かれた言葉は、きっと俺のような奴に向けられた言葉じゃない。もっと好きや夢に向かって進もうとしている人の背中を、開いた鳥かごの前で、羽を広げていて、でも羽ばたく勇気がない、そんなひな鳥から変わろうとしている後輩たちに送る言葉だ。でも。


 陽菜さんともっと一緒にいたい、美桜とも仲直りして、また二人でご飯を食べたい。自分勝手で強欲な願いだけど、このまま過ぎ去るよりも、ずっといいよな。


 ——ちょっとだけお借りします、先輩方。


「——あの、陽菜さん」


 俺は作業をしていた陽菜さんに向き直り、そっと、『青春ノート』を置いた。


「……どうしたの?」


 俺の方を見て、ほんの少しだけ陽菜さんの表情が硬くなったような気がした。

 それを終わらせるために、俺はただ、頭に浮かんだ言葉に思いを乗せて、乾いた唇を動かした。


「ちょっとだけいいですか?」

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