第5話


 俺に彼女が出来た。とてもかわいくて美人なお姉さん系の理想の彼女である。そして何より俺と同じオタクであり、俺は人生で1番の幸せを手にしたのではないかと思っている。

 だってそうだろ?自分には出来ないことはしない大見えを切っていた俺に理想の彼女が出来たんだぜ?少なくともこの17年間の中で1番の絶頂期のはず、そう思うよな?

 今日もことある事に陽菜さんの笑顔と声を思い出して、次は陽菜さんとどんな所へ行こうかな、なんて考えてしまう。そうして耽っている内に春休み最後の日を終えた。


 4月8日、この日は俺の通っている明星高校の

 始業式だ。いつものように一人で学校に行き、教室を確認して席に着く。周りがわいわい騒いでいるが俺には一切気にならなかった。そう、なぜなら俺にはもう彼女がいるからである。

 そういえば陽菜さんも今日始業式なのかなあ。

 まるで、ほくそ笑むように顔が緩んでしまうのをなんとか堪えて、ホームルームが始まるのを待った。


 そして、ホームルームが終わり、始業式のために体育館へ移動することになった。他の生徒がゾロゾロと向かっていくのに続いて俺も席を立った。

 正直に言うとこういう式の類いは非常にだるいものである。

 また、長い話を聞かされるんだろうな。

 そう思いつつ、廊下を歩いている時だった。目の前を一人の少女が通り過ぎた。黒い髪を小さく結んで、眼鏡をかけたその見た目は堅物のような印象を受けた。

 あれって生徒会長か?相変わらず堅苦しい表情だな。

 別に生徒会長に興味があったわけではない。しかし、この学校で一番有名なのは間違いなく彼女だろう。集会があれば壇上に上がり、教師顔負けの堂々とした佇まいと落ち着いた声音で話す彼女は、人を惹きつける力がありまさに人の上に立つべき選ばれた人材だ。

 学年が違うのもあり、今まで近くで見たことが無かったため気づかなかったが、かなり整った顔をした人だった。そんな大人びた雰囲気と魅力を纏った生徒会長。

 ……ん?なんかどっかで見たことあるような?

 しかし、そんな縁もゆかりもないはずの生徒会長に見覚えがあった。遠目とはいえ集会等で見ていたから当然といえば突然なのだが。

 気のせいか?

 刹那、彼女と目が合った。横目でチラッと眼鏡越しに生徒会長の視線が俺を捉えた。ただ文字通り一瞬であり、無機質な瞳はすぐに視線から外れた。そしてすぐに生徒会長は人の波の中に消えてしまい、結局何かを思い出すことは出来なかった。

 ……まあいいか。

 そして俺も体育館へと押し流されていった。


 始業式では案の定、興味の沸かない話を聞かされた。 正直言って早く帰りたい。

 関係ない部活動の表彰などもありながら時間は進んでいき、校長先生による話が終わり、式が最後のプログラムへと移行した。

 ……次で最後か、確か最後って。

 ゆっくりと、ある人物が壇上に上がった。黒縁メガネをかけ、一つに結んだ黒髪を肩から前に流しており、堂々と、少し膨らんだ胸を張ってマイクまで歩く一人の少女。明星高校の生徒会長だ。この学校では式の終わりに生徒代表として。会長自らが言葉を述べるのがしきたりになっているらしい。いわゆる伝統というやつだ。

 こうゆうのってさ、だいたいどこの学校にもあるよね。本校の伝統である~みたいな感じで。

 まあ、どのみちこれで最後か、長かったなあ、早く帰ってアニメの続きでも見よ。

 ステージの上では生徒会長が何やら紙を広げているが別に話を聞くつもりもない。周りを見ても、大抵は隣のやつと喋っていたり寝ていたりとほとんどの生徒が聞いていない。

 しかし、彼女が口を開いた瞬間、観衆はその言葉に飲まれた。


「満開となった桜が私たちの門出を祝うかのように風に揺れている。新たな学年で新たらしい学生生活が始まり、私たちの学びが幕を開ける――」


 澄み切った声音は、銀鈴が鳴ったと錯覚するほど美しく体育館に反響した。 

 彼女の声は雑音を一瞬にして消失させ会場のすべての意識を引き寄せた。

 一切の迷いがなく、演説者であるかのように話す生徒会長。

 だからこそ、俺は彼女の声が、ある人の声と似ていることに気が付くのが遅れた。

 春休みに知り合い、共にアニメイベントを満喫し、芽生えた思いを打ち明けて、そして恋人となった理想のお姉さん系美少女、陽菜さんに。

 先程感じた違和感が徐々に形になっていく。バラバラだったパズルピースが一つに組み合わさっていく感覚。

 ……確かに陽菜さんの声に似ている、でも、遠目でよく顔が見えないからなあ。

 それに、何よりも印象が違いすぎる。凛とした佇まいと厳格さすら感じる眼差し、生徒であることを忘れさせるほどの落ち着いた話し方。俺の知っている陽菜さんの姿とはかけ離れている。

 きっと偶然だ。陽菜さんじゃない。

 そう結論付けようとして、


「以上です。生徒代表 浅木“陽菜”あさき ひな」


「え?」


 言い放った彼女の名前を聞いて心臓が止まった。

 浅木……陽菜? 

 思わず声が漏れる。唐突に喉の渇きを覚えて唾を飲み込んだ。溢れる冷汗が全身を濡らして、熱くなる体温を冷やそうとする。

 嘘だろ……!?

 言葉を紡ぎ終え、ステージを歩き袖にはけていく彼女の横顔が、陽菜さんと重なった。


 陽菜さんが俺と同じ明星高校の生徒で、しかも生徒会長!?

 正直、まだ状況を飲み込めていない、今まで何回も生徒会長、浅木陽菜はステージに立っていたし、彼女が話す姿を見てきたはずだ。ただ彼女は俺にとっては遠い存在であり意識したことがなかった。名前を覚えていなかったのもきっとそのためで、

 もし本当に浅木会長が陽菜さんなら、あの生徒会長が、実はオタクでしかも優しい、お、俺の彼女ってことに……でも、美人だけど真面目で自分にも他人にも厳しく、チャラい男子生徒ですら恐れて近づかないと噂の浅木会長がこんなぼっちで目つきの悪さだけが取り柄(逆)のオタクの俺と付き合ってくれるか普通?それこそ罰ゲームか何かでもないと、でもあの浅木会長がそんな罰ゲームに付き合うとは思えないし、何より本当に好きじゃないとあんなに楽しそうにアニメのことを話したりできないはず……調べてみるしかないか。

 どのみち生徒会長が陽菜さんかどうかはっきりさせないとこれらの疑問は永遠に解消されない。なら浅木会長が本当に陽菜さんであるかどうかを確認する、それしか道はない。だが、

 ……思ったより普通に怖いんだけどこれ。

 彼女にそれを聞きに行く自分の姿を想像して思わず背筋が凍った。

 もし噂どおりの人だったら絶対怒られる……そうなったら俺のメンタルが粉々に…… 

 それなら、やっぱり陽菜さんに聞いたほうが確実だよね?帰ってからメールで聞いてみるか、それか今度会えた時にでも聞いてみよう。それでもいいよね?

 俺はそう割り切って今日は帰ることに決めた。

 数分後、担任の先生の話が終わり、ホームルームが終了した。生徒たちが楽しげに、「この後どこいく?」みたいな感じで教室から出ていく。当然、はみ出し者の俺が誰かに声をかけられることはない。まあ、この見た目だしな、わかってはいたけど。ポツンと某天才騎手の騎乗ように取り残された自分を肯定して、俺も帰ろうと鞄を持って立ち上がり、


「失礼します。このクラスに須郷義斗さんはいらっしゃいますか?」


「え?」


 凛とした鈴の音のような声が俺の名前を呼んだ気がして思わず振り返る。そして、そこいた人物の姿を目にして絶句した。一つにまとめて前にかけた黒髪と黒縁メガネ、前髪は小さく三つ編みにして横に流している。綺麗だが、どこか冷たさのある黒瞳と整った容姿により真面目さと美しさが調和された一人の少女 明星高校生徒会長 浅木陽菜が入り口に立っていた。

 視界に入ったクラスメイト達も俺と同じように唖然とした面持ちで停止している。

 本来であれば浅木会長に名前を呼ばれたことに驚くはずだった。否、驚いてはいる。だが、俺は生徒会長の名前を知った上で、初めて至近距離で彼女を視認し確信した答えの方が衝撃だった。やはり生徒会長は、


「陽菜さ……」


「須郷義人さん。生徒会から呼び出しです、ついて来て下さい」


「え?あ、はい」


 しかし、有無を言わせない彼女の言葉が俺の声を一刀両断する。俺だけでなく周りに生徒も思わず背筋を伸ばしてしまう。

 凍らされるのではないかと思うほど浅木会長の瞳は鋭く、まるで首元に突き付けられた氷剣の如く切れ味抜群である。

 その洗練された一撃に思わず息を飲んだ。

 きっとこれが、彼女が恐れられている理由……

 そしてスタスタと歩き出す彼女に引っ張られるかのように俺も彼女の後を追う。

 後ろでざわめくクラスメイトたちの声が聞こえたが気にならなかった。

 前を行く浅木会長は俺に一切振り帰ることはなく、彼女の歩く音だけが耳元に響いている。

 絶対陽菜さんだよな?メガネかけてるし印象は全然違うけど。

 確かに彼女の顔には陽菜さんの面影があった。瞳の色も同じだ。そして何より、

 あの声は、陽菜さんの声だ。

 印象が違うせいで直ぐには気づかなかったけど今ならわかる、やっぱり浅木会長は俺の知っている陽菜さんだ。

 しかし、そう結論づけても全ての疑問が解消されたわけではない。

 そもそも、なんで俺、生徒会から呼び出しを食らってんだろ?なんか呼ばれるようなことしたっけ?……いや、それは今重要じゃないよな。


「あの、陽菜さんですよね?」


「——ええ、私は陽菜ですが、あなたと私は初対面でそんな馴れ馴れしい関係ではないと思いますが?」


 軽蔑するような眼差しが帰って来た。本当に別人じゃないかと一瞬思ってしまう。

 あ、あれ?もしかしてこの人嘘ついてる?


「え。でも陽菜さんですよね?同じ声だし」


「ち、違いますッ あなたとは初対面です。これ以上の議論は不要です」


「でも——」


「こ、これ以上の議論は不要といったはずですが?」


 陽菜さんちょっと狼狽えちゃったよ……これもう確定だよな?あと焦っている陽菜さんかわいい。


「でも陽菜さんですよね?星ファンの——」


「いい加減にしてください、あなたと私は初対面で、あなたの知っている陽菜さんではありません」


 全てを切り捨てるような一撃だった。


「す、すいません……」


 俺は思わず頭を下げて謝った。尖った声が胸に突き突き刺さった感覚がして、彼女の背中が一瞬にして遠くなって見えた。

 ……やりすぎたかも、よくよく考えれば学校で俺みたいなやつと知り合い、ましては付き合っているなんて、思われたくないよな。

 自分の立場を理解して、俺は浅木会長の態度の意味を理解した。


「……本当にすみませんでした。その悪気はなくて、……すみません」


「……ッ」


「俺、帰りますね」


 立ち止まった陽菜さん、否、浅木会長にそう言って、俺は足早に立ち去ろうと彼女に背を向けて。


「呼び出しを食らっていることをお忘れですか?」


 三度、銀鈴の声が響いた。俺はその声に引き寄せられるように足を止めて振り返る。表情は無機質のままだが、浅木会長が俺の方を向いていた。


「私の方こそ急に大声を出してしまい申し訳ありません、お話があって呼んだので出来ればそれだけ聞いていただけませんか?ちょうどこの部屋でお話ししようと思っていたので」


 メガネを掛け直しながらそう言って、廊下の端にある教室を指示した。彼女の視線の先に、生徒会準備室と書かれた一室が佇んでいた。


「わかりました」


 俺は小さくうなずいて、鍵を開ける浅木会長の後ろに並んだ。

 呼び出されたのは事実だし、これ以上彼女に迷惑をかけるわけにもいかないよな。


「開きました。入って下さい」


 ドアを開けた彼女から中に入るように促され、それに従うように俺は生徒会準備室へと足を踏み入れた。少しこぢんまりとした部屋だった。真ん中にソファがあり、壁沿いには中身のあるダンボールが積まれている。反対側の壁にはそれなりの高さがある年季の入った本棚が置かれていた。恐らくは生徒会の物置として使われている部屋だろう。


 ここが生徒会準備室——「ガチャ」 

 うん?今なんか音が……


「——これでやっと二人きりになれたね?」


「え?」


 扉の前に浅木会長が立っている。しかし、先ほどまでの生徒会長としての彼女ではなかった。


「さっきはごめんね、でもああしないと……我慢出来なかったから」


 メガネを外し、シュシュでまとめていた黒髪を開放、ベールを脱いだ一人の少女が現れる。


「学校で会うのは初めてだね“須郷君”」。


 理想のお姉さん系美少女、陽菜さんが薄く微笑んだ。

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