1-1
「君たちにはこれから家事を手伝ってもらう」
寺領と美園をリビングに呼んだ。
炊事や掃除、洗濯といった人が生活する上での最低限の項目を一週間に分けた表をみせる。その日その日の担当者を三人で分担した。もちろん、全てを彼女たちに任せるのではなく、おれの補佐を務めてもらう。
「お手伝いさんは?」寺領はいった。
「人を雇うお金はウチにはありません」
統志郎からの仕送りは生活費のみ。家政婦は雇えない。
「私はお掃除を担当します」美園はいった。
「ああ。助かるよ」
「ポイント稼ぎぃ~」
「何を言う! 快適な日常生活を送るには全員の協力が必要なんだぞ」
知らないわよ、と寺領はそっぽを向いた。
「もしかして、ご飯は自分で作らないといけないの?」
「料理はおれが準備するから。配膳や皿洗いを手伝ってもらおうかな」
寺領と美園の年齢から考えて、火の取り扱いはまだ早い。
役割表を眺めている寺領は不満げに、
「やること多くない?」
「だから、分担してるんじゃないか」
こういうことは早めに決めておかないと後に引きずることになる。彼女たちの意見を取り入れつつ、役割分担表ができた。寺領は洗濯、美園は炊事と掃除をサポートしてもらうことになった。
「よし、次は荷物の整理をするぞ」
「今からー?」
「大量のダンボール箱が送られてきたんだ。整理しないわけにはいかないだろ」
むー、と寺領はむくれた。
一人暮らししていた空間を三人が暮らせるように模様替えしなければならない。
運のいいことに借りていた部屋は家族向けの物件だったので、二人が入居しても手狭ではない。
もっとも、住む部屋の手配は統志郎に任せていた。こうなることを見越していたのかもしれない。
「私はしないから!」
「……それなら、邪魔にならないよう隅っこにいなさい」
ダンボール箱は寺領と美園のもので別けられていたので、おれは寺領の荷物を整理することになった。
寺領の服は美園の二倍ほどの量はあった。主に衣服の量が段違いに多い。
服を全部取り出してから、山積みになった衣類をきれいに畳んで衣装ケースに移す。
「これは……!」
お腹まで包んでくれそうな、ゆったりとした綿のショーツ。真莉も昔はこういうの履いていたな。懐かしい。
ついつい広げて眺めていると、
「それ、私のパンツ!」ショーツを取り上げられた。
「コラ! 片付けの邪魔をするんじゃない!」
「触っていいものと悪いものがあるでしょ!」
「文句があるなら自分でやりなさい」
殺し文句。
言い返すことのできなくなった寺領は、
「私もやる。だから……服のたたみかた教えてよ」
(手伝わなかった理由はこれか……)
寺領に服のたたみかたを教える。意外にも人の話はじっくり耳を傾け、真剣に取り組んでくれた。要領を覚えた寺領は手際よく、服を収納していった。
「そろそろ、休憩にしよう」
荷物の整理も大方片づいて、時刻は昼すぎ。
作業を一旦中断して、朝に作り置きしておいたカレーを振る舞った。いつもなら辛口のカレーにするが、彼女たちのことを考慮して甘口に仕上げた。
カレーを頬張る二人を眺めながら、
「どうだ、うまいか?」おれは尋ねる。
「おいしいです」
「カレーをまずく作る方が難しいでしょ」
「……おかわりは自由だからな」
荷物の整理は一日かけて終わらせた。
山のようにあった段ボール箱は全て片づいた。
と、リビングのテーブルに雑誌がたくさん積み重なっていた。ジャンルはティーン向けのファッション誌。
「これは?」
「透には関係ないでしょ」寺領は雑誌をすべて抱えて、自室に持っていった。
どうやら、寺領のファッションに対するこだわりは人一倍ありそうだ。
とにかく、三人で暮らす準備は整った。
もう後にはひけない。
「最近どう?」
「どうって言われても……荷物の整理で大変だったよ」
荷物の整理を終えた翌週の日曜日。
真莉から呼び出されて、近所のファミレスで昼食をとることになった。
呼び出した目的は寺領と美薗の生活について。炊事や洗濯の手伝いはできているのか、学校には通えているのかなど子細に訊かれた。
統志郎から届けられた荷物には勉強道具もあったので、二人とも問題なく小学校には登校できている。しかし、彼女らはこれまで通っていた小学校ではなく、自宅近くにある学校へわざわざ転校した事情もある。
「やっぱり、近くの学校の方が都合いいよね」真莉はいった。
「新しいクラスに馴染めそうだって言ってたよ」
それはよかった、と真莉は我が事のように喜ぶ。
「ところで、今日も寄ってくけど大丈夫かな?」
「風呂だけ入って帰るのか……」
「しょうがないでしょ。未夏ちゃんだけじゃ入れないんだし」
「いい加減、一人で入れるようになってもらわないとな」
「時間が経てば自然と一人で入れるようになるんじゃない?」
「先が長そうだな」
「で、どうするの?」真莉は身を乗り出して尋ねた。
「なにが?」
「どっちと結婚するの?」
飲み物をふきだしそうになると、冗談よ、と場を静めた。
「婚約者の話は置いておくとしても、これから共同生活をするなら彼女たちのことを知る必要はあるんじゃない?」
「知るって言ってもな……相手は小学生だぞ」
「小学三年生なら十分大人だよ! 趣味もあるだろうし」
「趣味ねぇ……」
真莉の言うとおり、一緒に住み始めてから一週間が経ったが、二人のことで知らないことは多い。
今度、ゆっくり話し合うのも悪くないかもしれない。
ただいま、と玄関の扉を開けると、リュックを背負う寺領がいた。
「どこか出かけるのか?」おれは寺領に尋ねた。
「これから撮影があるから。晩ご飯はいらない」
「撮影――」
疑うような視線を向けると、
「私、モデルの仕事してるから」寺領は言った。
整然とした顔で寺領は言い切った。嘘をついている様子はない。
寺領はしばらくおれの顔を見据えて、
「…………暇なら来る?」
「いや、晩ご飯の準備があるから――」
〝彼女たちのことを知る必要はあるんじゃない〟、脳裏に真莉の言葉が浮かんだ。
これまで目を背けてきたこと。婚約者だからという理由であえて彼女たちとは距離を置いていた。寺領のことを知ることができるいい機会かもしれない。
「ぜひ、連れてってくれ」
美園には寺領と出かけてくると連絡して、自宅の前で迎えを待った。しばらくして、白塗りのセダンが停まった。
「お待たせー。新しい引っ越し先は遠いから不便だね」
運転席に座る女は訝しそうにおれを見つめて、
「あなたは?」
「私の婚約者」と寺領は答えると、運転手の女は口笛を吹いた。
「この人を見学に連れてっていいかな?」寺領は言った。
後部座席のドアが開いた。
「乗りなさい」
おれと寺領が車に乗り込むと、女は車を走らせた。車内は香水の香りがした。強すぎず、ほどよい感じだ。
しばらく車を走らせてから、運転手の女は自己紹介をした。
「私は黒崎法子。未夏のマネージャーをやってるわ」
長い黒髪に眼鏡をかける彼女は知的に映った。ブラウスにジャケットを羽織り、ベージュのチノパンツを履いている。後部座席からみえるすらりとした脚はとても魅力的だった。
おれも自己紹介をすると、黒崎は笑い出した。
「しっかし、未夏の婚約者ねぇ」
「やっぱりおかしいですよね」
「いや、おかしいって言うよりも……未夏には時々驚かされるけど、今回はケタ違いだなって」
「私ってそんなに変わってる?」ふてくされた顔で寺領は言った。
「変わってるよー。話し方が大人びてるくせに、話す内容が年相応だったり、人の言うこと聞くと思ったら、全く聞く耳を持たないところだったり」
「苦労されてるんですね」
「高校生に同情されちゃったよ」黒崎は笑った。
「あの、本当に未夏はモデルをしてるのでしょうか?」
「あら、そのこと話してなかったの?」
寺領は「うん」と頷くと、黒崎は話し始めた。
「未夏はうちの事務所に所属しているモデルで間違いないわ。モデル以外にも子役として舞台にも出演してる女優でもあります」
「……見直した?」寺領は助手席から振り向いていった。
「どうせ、パパが薦めたからやってるんだろ?」
「そうだけど……でも今はやってよかったって思ってるよ」
「今からスタジオに入る訳だけど、婚約者じゃ紹介しづらいわね。あなたたちは兄妹ってことでいいかしら?」
「それでお願いします」
人通りの少ない路地を抜けて、五階建ての建物の前で降ろしてもらった。黒崎が近くの駐車場に車を運んでいる間に寺領はなかへ入った。
よく使うスタジオらしく、勝手知ってるようにすいすいと進んでいく。
ある一室に入ると、大勢の大人たちが集まっていた。こちらに気づくと、奇異の視線を一斉に受けた。
後ろから追い付いてきた黒崎は響く声で「お疲れ様です」と挨拶をした。
「今日は未夏のお兄さんが見学に来てくれましたー」
おれは会釈をした。
周りの大人たちも拍手で応じてくれた。
「それじゃ、未夏は化粧室に行ってね。透君はどうしようか?」
「じっとしてますよ」
待つ間、周りにいるスタッフ、見たことのない大きさの照明、撮影に必要な専門道具を眺めていた。
撮影現場には来たことがなかったので、見るものすべてがアトラクションのようで興奮した。
三十分は待っただろうか。
周りの状況から察するに準備が整ったようで、撮影が始まろうとしていた。
寺領の顔にはしっかりと化粧が施されていた。素人目から見てもやや厚化粧な気もするが、それが読者が求めるものなのだろう。
カメラマンから要求されたポーズをとる寺領。
「すごいですね未夏は」おれは隣にいる黒崎にいった。
「すごいよー、なんたってウチの事務所の看板娘だからね。大抵はほかのモデルさんと撮影が一緒だけど、未夏だけのオファーってのがけっこう多いから」
撮影は滞りなく進み、休憩時間になった。
「お疲れさま」座って休んでいる寺領におれは水を差し出した。
「ありがと」
「次からやってみる?」黒崎が話しかけてきた。
「何をですか」
「カメラマン役」
「そんな迷惑ですよ!」
「大丈夫。ここの現場の人はみんな優しいから」
頼んでみるよ、と黒崎は休憩していた編集者と話し合った。しばらくして、オッケーサインをこちらに向けて戻ってきた。
黒崎から小型のデジタルカメラを渡された。プロの人が使ってるカメラではない予備のカメラだ。それでも、いざカメラを手に持つと緊張する。
「で、するの?」寺領はいった。
「せっかくだからやるよ」
寺領は立ち上がると、おもむろに撮影場所へと歩いていった。
おれもついていき、寺領にカメラを向ける。
カメラを構えても、なんて声をかければいいか分からなかった。
「はーい、笑ってー」とりあえず、声をかける。
「……舐めてんの?」
「……カメラマンなんてやったことがないから仕方がないだろ!」
「大抵のカメラマンは短いシチュエーションを指示することが多いよ。例えば、後ろを向いて笑顔で振り向いて、とかね。自然な表情をいかにたくさん撮れるかが大事だから」
「なるほど」
言われた通り指示を出してみる。といっても、指示以上に寺領はアドリブをきかせてくれた。
休憩時間が終わる。と同時に、おれはさっさと退散する。
「時間の無駄じゃなかったですか?」デジタルカメラを黒崎に返した。
「なに言ってんの。いいリラックスになったわ。面白かったからまたやって頂戴ね」
「……遠慮しておきます」
その後もずっと撮影を眺めた。
寺領はカメラマンにも臆さず意見を言う。これまで知っている彼女のイメージとかけ離れて、目の前にいる彼女は別人のように見えた。
そんな彼女も家に帰れば、一人でお風呂に入れない少女に戻る。ちょっとおかしくて笑いそうになった。
撮影が終わり現場を引き上げる。
カメラマンをやらされるのは予想外だったが、寺領の知らない面を見ることができた。これも一つの収穫だ。
「撮影はこれで終わりだけど、今からどこかに寄ってく?」帰りの車内で黒崎はいった。
「そのまま家に帰ってください」おれは答える。
香水の効いた車内。
寺領は少し疲れている様子だったが、
「どうして今日の撮影に誘ってくれたんだ?」おれは寺領に尋ねた。
「別に、何となくだけど……透が現場にいてくれたら面白そうだなって」
「なんだそりゃ」
「だから言ったでしょ、特に理由なんてないから」
「それにしても、透君がカメラマンやってる姿が一番面白かったけどね――」
そうだ、と黒崎は何か思いついた様子で、
「あれを透君にお願いすれば?」
「……そうだね」寺領は頷く。
「あれとは?」
「これをやってほしい」
助手席から雑誌を受けとる。
寺領が掲載されているファッションで、記事に対して付箋が貼ってあった。
「なになに、〝日常の一コマ〟?」
「よく掲載させてもらってる雑誌の企画なんだけど、次回の担当が私なんだ」
「へー、すごいじゃん」
「簡単なインタビューを受けて終わりだと思ってたら、私が写ってるお気に入りの写真を一枚載せなきゃならないんだよね」
「へぇ」
「……それを透に撮ってもらいたいんだ」
「へぇ……え? おれ?」
寺領は頷く。
「カメラマンの人に撮ってもらえばいいじゃないか」
「こういう撮影はプロの人に頼んじゃダメって黒崎さんが――」
「素人感が欲しいんだよね」
「本当にいいんですか? 納得のいく写真は撮れる保証はありませんよ?」
「大丈夫。期待せずに待ってるから」黒崎は笑う。
「ひどいですね……でも、やる気は出てきました」
と、寺領はリュックからカメラを取り出し、「これ使って」と小型のコンパクトカメラを渡された。
「はーい、笑ってー」
「もしかして、挑発してるのかな?」
「それ、未夏にも似たようなこと言われたよ……」
休日明けの学校。
昼休みに寺領から借りたカメラを真莉に向けると、レンズ越しに睨みつけてきた。
「デジカメなんか持ってきてどうするの?」弁当を食べながら真莉はいった。
寺領がモデルをやっていること、雑誌に載せる写真を撮ってほしいと頼まれたことを話した。
ふぅん、と真莉は、
「それでカメラを持ち歩いてるってわけ」
「来たるべき日のために少しでも練習しておかなきゃな」
「ノリノリだね」
「頼まれたからには全力で応えたいからな……というわけで真莉には被写体になってもらいたい」
カメラを構えると、真莉は手でカメラを押さえた。かなりの力で抑え込まれ、動かせない。
「お断りします」
「ええー」
「私なんかじゃなくて適任はほかにいるでしょ」
「例えば?」
「ゆかりちゃん」
「そりゃ、真っ先に候補に挙がったけどさ、嫌がりそうだと思ったから」
ふーん、と真莉は冷ややかな視線を向ける。
「私なら嫌がらないと?」
「そういう訳じゃ――」
「勝手にやっててください」食べ終わった弁当箱を閉じると、真莉は席を立った。
「逃げられたか」
ほかに仲のよい生徒がいるわけでもなかったので、カメラはバックにしまった。
写真を撮らせてもらえる知り合いは真莉を除くと学校にはいない。
諦めて自宅に帰ると、美園がリビングで読書をしている。かなり集中している様子でおれの存在に気づいていない。
カメラを構えて近寄った。
「はーい、笑ってー」
「…………盗撮ですか?」
「盗んではないでしょ……」カメラの構えを解いた。
「カメラお好きでしたっけ?」
「いや、これは未夏から借りたものだよ。今週の日曜日に未夏を撮影することになってな。少しでも撮る練習をしておこうかと思って」
「それで、カメラを持ち歩いていると」
「真莉に被写体になってくれって頼んだら断られてさ」
「寺領さんにお願いして練習すればよろしいのでは?」
「そうなんだけど……当日うまくなってびっくりさせたいんだ」
「……素人が数日触っただけで写真はよくなるものでしょうか?」
「うっ……! 確かにその通り。今さら練習したところでうまくなるわけじゃない。けど、鉄は熱いうちに打っときたくて」
「凝り性なんですね」
「そこで、ゆかりには撮影の被写体になってもらいたい!」
「私がですか?」美園ははっとなって驚く。
ここ何週間と美園と暮らしてきたが、写真を撮られるのが苦手そうだと思ったから真莉を先に誘った。
しかし、どうしても本番までに練習しておきたかった。
断られる覚悟でお願いする。
美薗は本を机に置いて、
「……わかりました。協力させていただきます」
「本当か!」
「きゃっ! ……痛いですよ透さん」
興奮して手を握っていた。急いで離す。
次の休日に近所の公園で撮影の練習をすることになった。
昼下がりの公園。散歩する人が数人行き交うだけで、人通りは少ない。晴れた天気。青々と生い茂る芝生。絶好の撮影日和だ。
「写真を撮るコツみたいなものはあるのでしょうか?」淡い水色のワンピースを着た美薗はどこか緊張していた。
「この前、未夏の撮影をしたときは自然な表情を撮るようアドバイスを受けたよ」
「自然な表情――」
美園は想像してみたがイメージが湧かなかったらしい。
「すいません。私にはとてもじゃありませんが難しいです」美園は肩を落とした。
「いやいや、そこまで求めていないよ!」
その後、公園を歩いていたり、ベンチに座る姿を何枚も撮った。興に乗ってきたので、他のシチュエーションも試す。
「はーい、いいねー」
美薗の歩く姿を撮っていると、声をかけられた。
「ちょっと、君。何してるの?」
「何って撮影ですよ」振り向かず答える。
「撮ってるのは誰かね?」野太い男の声。
「誰だっていいでしょ――」
振り向くと、警察官が睨みをきかせていた。紺色の帽子に縫われた警察章が日差しを浴びてキラリと光る。
「……どうも」
「見たところ年が離れているようだけど君たち、どういう関係?」
回答に迷ったが、
「兄妹――」
「婚約者同士です」美薗は先に答えた。
警察官は白い目でおれを見つめて、
「君、こんな小さい子にそんなこと言わせてるの?」
「誤解です。本当のことですけど誤解してます」
「……ちょっと話そうか。来てくれるかい?」
公園近くにある交番まで移動した。名前、通ってる学校はどこか、あらゆる個人情報を子細に聞かれた。すべて話したあとに学生証を見せて、裏づけをとることができた。
怪しまれる行為は控えるように、と警察官はおれたちを解放した。
交番から少し離れたベンチで休憩する。
「大変な目に遭いましたね」
「素人がカメラ持ち歩いて撮影の練習って傍から見れば怪しいからな」
「……もうやめますか?」
「いやもう少し続けよう。……ゆかりは嫌か?」
構いません、と美薗は意気込むと、
「こうなったらトコトンやりましょう。満足するまで私を撮ってください!」美園は拳を強く握った。
悪戦苦闘しながら野外での撮影は続いた。おれの出す指示に美薗は次々と応える。
撮影を続けているうちに気分が高揚してきた。これまで恥ずかしくて試せなかったことも挑戦してみたい気持ちが湧いてくる。
「よし、次は子猫のポーズいってみようか!」
「子猫……ですか?」
「あのベンチの上でやってみよう」
美園はベンチに膝をついて、四つん這いになる。猫を真似して動いてみるが、ぎこちない。
「うーん、もっと猫になりきらないとね」
美園は頷く。
「…………みゃおう」
手を猫の手にして、頬をすりすりと擦る。なんとも、愛くるしい仕草だ。
「いいね! 最高だよ!」必死にシャッターを切った。
「何やってんの?」
夢中になって撮影を続けていて、人がいることに気がつかなかった。背中を小突かれて正気に戻る。
振り返ると寺領がいた。冷ややかな視線が突き刺さる。
「いや、これは――」
凍りつく撮影現場。
おれは必死に理由を探した。
「未夏の撮影会に向けての練習だ」
「子猫のポーズなんてやらせるつもりなの?」
「…………だめか?」
「やるわけないでしょ! この変態!」
「私は別に嫌じゃありませんよ」美薗は言った。
「そういう問題じゃない! さっさと中止して!」
寺領はおれと美園の間に入り、撮影を妨げる。
「まったく……様子を見にきてよかった」
「もしかして、今までずっと見てたのか?」
「別にいいでしょ、そんなこと!」
寺領には行き先を告げずに家を出た。どうやら、おれたちの後をつけてきたらしい。
「別におれたちは遊んでいた訳じゃないぞ。未夏のいい写真を撮るための練習をしていただけだ」
「練習なんか必要ない。ぶっつけ本番でいい……今から私のこと撮ってよ」
「今からか?」
「そう……文句ある?」
「いや、だって――」
空を指さす。
青々と広がっていた青空はもういない。黒く濁った雲が空一面に覆われ、今すぐ雨が降ってもおかしくない天気だ。
「ひと雨くるぞ」
「関係ない」
美園には下がってもらい、被写体を寺領に変更した。
撮って数分もしないうちに、雨が降ってきた。だんだんと雨量は多くなってくる。しかし、中止の合図は出ない。黙々とポーズをとる彼女にシャッターを切り続ける。
傘、買ってきます、と美園はコンビニに向かった。
「まだ続けるのか?」雨に声をかき消されないよう、大声で言った。
「撮って」
「……風邪引いても知らないぞ」
美園が帰ってきた頃にはスコールは過ぎ去り、雨の勢いは収まりつつあった。
やっと降参したのか寺領は美園から傘を受けとる。
身につけていた衣服はしとどに濡れていた。帰り道、歩くたびに水滴が滴り落ちた。
ただいま、とずぶ濡れのまま帰宅。玄関はたちまち水浸しになる。
「タオル、持ってきますね」美園は家に上がっていく。
おれと寺領は大人しく玄関で待った。
「お風呂」
「分かってる。今、真莉を呼ぶから――」
「待てないよ。透が来て」
「……お前なぁ、恥じらいってものがないのか?」
「大丈夫。いい考えがあるから」
美園からタオルを受け取った寺領は先に脱衣所へ向かった。しばらくして、「透、来ていいよ」と声がかかる。
脱衣所には黒のフリルの着いた水着に着替えた寺領がいた。
「確かにこれなら問題はないかな」
「撮って」
「さすがにこの写真は使わないだろ」
「いいから撮るの!」
風呂場で水着を着ている時点で雑誌のテーマからかけ離れている。だが、撮影の依頼主が望む以上、とことん付き合った。
「もう充分だろ?」
「そうだね……カメラ貸して」寺領は顔を寄せて、シャッターを切る。
「はい、これで終わり。付き合ってくれてありがと」
家に帰ると、今回の撮影で撮った写真を現像してリビングに並べた。数百枚ある写真を一枚一枚、寺領は眺めている。
「画像を見るだけじゃダメだったのか?」
「こっちの方が見やすいから」
寺領は最後に二人で撮った写真をじっくりと見つめていた。
「その写真は使えないだろ?」
「どうして?」
「そりゃ、男と映った写真なんてものは未夏のファンが良く思わないだろ」
「黒崎さんが説明したとおり兄だって言えばいいじゃん……ね、お兄ちゃん」
「もうその設定は忘れろ。そんなことよりも、雑誌に載せる写真を選ぶんじゃなかったのか……? ほら、この写真なんかどうだ」
選んだのは寺領が振り向きざまに微笑む写真。
表情は固くなく、微笑みも作ったようには見えない――自然な表情だ。覚え立てのカメラのテクニック、絞りを使うなどして趣向を凝らした写真だったが、当の本人はお気に召していない様子だ。
依然としておれと寺領が写った写真を眺めていた。
「あとで私が選んでおくから。……いいから、あっち行って!」
嬉しそうにまだその写真を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます