遥かな花嫁
地引有人
1-プロローグ
暦は春。
朝の登校の時間帯はまだ肌寒い。風が吹けば身を縮めて体を震わせてしまう。自転車通学の生徒が追い越していくたびに、通り風が首筋を冷やした。
通学路の途中にある住宅街を歩いていると、
「おはよう、透」
肩を叩かれ振り向く。
神崎真莉だった。
そのまま、隣に駆け足で並んで同じ歩調で歩く。
肩にかかる髪は彼女が歩くたびに揺れる。梳けば流れるほど綺麗に違いない。色素の薄い髪は光が反射してと茶に映った。
「はい、これ」
白い箱を渡された。
「なにこれ」
「プレゼント。今日、誕生日でしょ」
「そういえばそうだったな」
「呆れた……自分の誕生日くらい覚えておかなきゃ」
わるいわるい、と謝ってから、
「開けていいか?」
「むしろ、今開けてくれなきゃ困る」
箱をあけると、なかにはショートケーキが入っていた。赤いイチゴに白いクリーム、定番な飾りつけ。形は綺麗に整っていた。
真莉の趣味がお菓子作りだったことを思い出す。
「もしかして、手作り?」
「そうよ。味わって食べてね」
いただきます、とケーキを鷲づかみして、そのまま口に放り込んだ。
「……どう?」真莉は顔色を伺いながらおそるおそる尋ねてきた。
「おいしいよ」
「それはよかった」真莉は安堵の表情を浮かべる。
そんな彼女を見遣りながら、手を止めて食べかけのケーキを眺めた。
「……どうしたの?」
「この歳になってもまだ親戚から誕生日プレゼントを貰っていいのかと考えてたんだ」
おれと真莉は苗字が同じ〝神崎〟。
彼女とは親戚同士で歳も同じ。幼稚園から高校までずっと一緒だ。
「身内同士で誕生日を祝わなくて誰が祝うのよ」
「そういうもんか?」
「そういうものよ」
話しているうちに、里原高校に着いた。
おれと真莉が通っている公立高校。校庭には樹齢百年はある立派な桜の木が植えてある。登校する多くの生徒はこの桜を一瞥してから昇降口に入っていく。
桜の花弁は風に乗り、空を舞う。
四月十六日、桜の花がいっそう隆盛を極めようとした日。
おれは十六回目の誕生日を迎えた。
午前の授業が終わり、昼休みを迎えた。
入学式から一週間が経った教室では、クラスの生徒はそれぞれに気の合う連中とグループを作って食事をとる。最近、クラスメイトの顔と名前が一致してきた。
「透、ご飯食べよ」後ろの席に座っている真莉は声をかけてきた。
「おれたちは入学したばかりの一年生だ」
「そうだね」
「今の時期なら面識のない人に話しかけたとしても嫌な顔はされない。それならば、グループに入れてもらえるように話しかけるべきではないだろうか」
「私と食べるのが嫌?」
「そうじゃない。ただ、おれたちが一緒に飯を食べていると周りから〝仲のいい双子ですね〟、とか言われちゃうじゃないか」
「別にいいんじゃない」
「軽っ!」
「だいたい、透が友達の誰一人いない里原高校にきたのがダメだったんじゃないの?」
「ジジイの薦める高校にはいかない」
「あまりおじいさまを怒らせないほうがいいと思うけど……そうだ、確か昨日はおじいさまから連絡があったそうじゃない」
「今晩、ウチにくるらしい。いったい何の用だよ」
「なにかプレゼントがあったりして」
「まさか! いつも通り小言をいってくるに違いない。今まで誕生日プレゼントなんてもらったことないし」
「でも、誕生日に用事ってことは、少しは期待してもいいんじゃない?」
おれは祖父との思い出を逡巡してみたが、思い当たる節はなかった。
「子供の頃は怒られてばっかりだったから、苦手なんだよな」
真莉は拗ねたように鼻を鳴らした。
「私は相手にすらしてもらえなかったけど。透はおじいさまのお気に入りだったから」
「ジジイに気に入られてもな」
「なんてったって、神崎グループの跡取り息子だし」
神崎グループ――明治期に創業してから現在に至るまで発展してきた財閥。
詳しくは知らないが、おれの祖父がその会社で一番偉いらしい。そのせいもあって、クラスの人からは色目で見られたりもする。あまり好きな苗字ではない。
「憂鬱だよ。ホントに」
放課後になり、帰宅部のおれはそのまま家に帰って夕飯の準備をする。
冷蔵庫にあるもので食事を済ませた後は、いつものように学校の課題にとりかかる。
と、課題に手をつけている最中にチャイムが鳴った。
ドアホンのモニターには祖父である神崎統志郎が映っている。
齢が六十を超えているにも関わらず、腰は曲がっていない。むしろ、背筋がよく、背が高く見える。加えて、銀髪のオールバックなので画面越しでも威圧感を感じてしまう。
おれはドアを開けて、統志郎を招き入れた。
「元気そうだな」
おかげさまで、と当たり障りのない返事をして、
「で、今日は一体何の用事で?」
「冷たいな。用事がないと来ちゃいけないのか? ……まあいい。プレゼントを渡したらさっさと帰るからな」
「プレゼント?」思わず、オウム返しに聞いた。
これまで統志郎からものを貰ったことがなく、どこか期待してしまう。
「出てきなさい」
統志郎の呼びかけに応じて、彼の背後から制服を着た二人の女の子が前にでてきた。
一人は短めの黒髪で、髪にカチューシャをつけた少女。恥ずかしそうにしてもじもじと指をいじっている。
もう片方は少し長めのウェーブかかった金髪の少女。眉を顰めておれを睨む。
「どちら様で?」
「お前から向かって左が寺領未夏、右が美園ゆかりだ」
「はあ……で、プレゼントってのは?」
「この子たちだ。仲良くするんだぞ」
美園はぺこりと頭を下げた。寺領は眉に皺を寄せたままだった。
「……何言ってんの?」
「ところで、透よ。歳はいくつになった?」
「今日で十六だけど……」
「十六歳といえば、もう十分大人だ。将来のことも考えねばならん。……そこで婚約者を準備したわけだ」
「は?」
「今日からこの子たちと暮らしなさい」
統志郎の口ぶりはさも当たり前かのようで、自信たっぷりだった。
顔色一つ変えずに出方を待つ統志郎に、
「いやいや、待てって急すぎるだろ!」
「この子たちでは不満か?」
目の前にいる二人の女の子に視線を向けた。
背丈はおれのみぞおちまでしかなく、余りにも幼い。
「まだ子供じゃないか!」
「お前は恋愛に歳の差を気にするクチだったのか?」
「そういう問題じゃない! 今日から一緒に暮らしていくなんて初耳だぞ!」
「だって、事前に連絡入れると断るだろう」茶目っ気たっぷりに統志郎はいった。
「そりゃ、そうだろ――」
「試しに一ヶ月一緒に暮らしてみんか?」
「断る!」
「……のう、透や」
統志郎は目を細めた。
「賢いお前なら分かると思うが、拒否する権利がないことは知っておろう? 誰が一人暮らしを許した? 誰が今の学校に通うことを許した? ワシがノーと言えば全て無かったことにできるのだぞ」
「……クソジジイ」
「で、どうするんだ? 今の自由を手放すかそれともワシの提案を聞くか」
「……この子たちの両親はなんて言ってるんだよ」
「大賛成に決まっておろう。なんせ、神崎グループ跡取りの婚約者に選ばれたのだからな」
「……汚い話だ」
「なにをいっとる。相手の家柄が判ったうえでのお付き合いだぞ。これほど潔白なことはない」
したたかな性格。統志郎を表すにはぴったりの言葉だ。
己に分があると判ると、どんな要求でもしてくる。相手が条件を呑まなければ全てを台無しにする権力を持っているし、出し惜しみをしない。
「わかったよ」
無論、こちらが折れるしかなかった。
「聞き分けがよくて助かるよ」統志郎はニヤリと笑った。
「本当に一ヶ月だけなんだろうな?」
「一ヶ月後にその娘たちを突き返したところで新しい女がくるだけだ。……自覚がないならいっておくが、お前は婚約者を決めねばならない年齢になったのだぞ」
「十六で結婚考えてる奴なんかいないだろ……」
「ワシがおるではないか」
統志郎は目尻を下げて微笑んで、
「安心せい。お前のことはちゃんと面倒をみてやるからな」
「余計なお世話だ」
「それじゃ、そろそろお暇しますか」
統志郎は背を向けて去ろうとした。が、何かを思い出したかのように振り返ると、「透や」と呼びかけてきた。
おれはぞんざいに返事をして先を促すと、
「誕生日おめでとう。日に日に立派になってワシは嬉しいよ」
足早に去っていく統志郎の横顔はにんまりとした、満たされた表情を浮かべていた。
「……なんだっていうんだよ」
祖父との会話で緊張していたのか、大きなため息がこぼれる。
うなだれながら、残された二人に視線を向ける。
彼女たちもどうすればよいのか戸惑っていた。
「えーと、君たちの歳はいくつかな?」
八歳、と二人とも答えた。
学校の学年でいえば小学二、三年生といったところ。
見た目通り相手は小学生。家で大人しくしてもらおうと、リビングに招きいれると、
「お風呂に入る」寺領はいった。
「ああ、どうぞ」
「どこにあるの?」
おれは寺領をバスルームへ案内した。小さい子供に家のなかを歩かれるのは変な気分だ。
「もう風呂は沸かしてあるから入っても大丈夫だぞ」
その場をあとにしようとしたとき、「ちょっと」と寺領に呼び止められた。
「一緒に入りなさいよ」
「え?」
「パパがいないからしょうがないでしょ。……一人でお風呂に入れないし」
「それなら美園ちゃんと入ればいいじゃないか」
おれは後についてきていた美園を前に押しだした。
「それはダメ」寺領はいった。
「どうして――」
「美園家の者とは仲良くしちゃダメだってパパに言われてるから」
背筋に悪寒が走った。
親の言いなりとはいえ、こんな幼い子供も派閥争いをする。
寺領はただ両親の言うことを無心に信じているだけであって、本人には悪意はない。しかし、ムキになって対抗した。
「実はおれも寺領の家の人とは風呂に入るなと言われていたんだっけ」
「なによそれ」
「悪いが一人で風呂に入ってくれないか?」
寺領は顔を伏せてぷるぷると小動物のように震えて、呟いた。
「…………いじわる」
泣きしゃがれた声に、鼻水をすする音。
予想もしてなかった反応につい下手にでてしまった。
「ごめん! さっきのは冗談だ。お風呂は一緒に入ろう」
「……ほんと?」
「ああ、それなら問題ないだろう。ところで、美園ちゃんは一人で入れるのかな?」
美園は首を縦に振った。
「……寺領ちゃんも見習って一人でお風呂に入れるようにならないとな」
「別にいいでしょ」涙は収まり、鼻水をすすりながら寺領はこたえた。
「……あと、私のことは未夏って呼んで。私もあんたのこと――」
口ごもる寺領に神崎透だ、と伝えた。
それなら透って呼ぶから、と嬉しそうにいった。
「それじゃ、先に着替えなさい。あと、美園ちゃんはリビングでゆっくりしてて」
美園は頷くと脱衣室をでていった。
その後ろ姿を見届けた後、そのまま寺領に背を向けて、
「早く脱ぎなさい」
「透は脱がないの?」
「後で脱ぐから先に入りなさい」
「どうせ入るんだから今脱げばいいのに」
浴室のドアが閉まる音を聞いてから服を脱いだ。
腰にタオルを巻いてから後に続くと、寺領はすでにシャワーを浴びていた。広めの風呂場だが、二人で入ると狭く感じる。
寺領はこちらに気づくと、鏡越しに視線を向けて、
「どうして、タオルなんか巻いてるの?」
「家族同士の風呂じゃないんだ。当然の配慮だ」
「へんなの」
座っていた寺領は両腕を前に突き出して立ちあがった。
奇抜な姿勢のままでいる彼女に尋ねた。
「……なにしてんの?」
「体洗って」
「は?」
「いつもパパが私の体を洗ってくれてる」
「お前、父親にそんなことしてもらってたのかよ!」
「……してくれないの?」
「それぐらいは自分でやりなさい!」
俯き、微かに嗚咽する声が聞こえた。
小さい子に泣かれるとどう接していいかわからなくなる。
「……背中だけだぞ」
「うん!」
「なんだか無性に未夏の父親に会いたくなってきたな」
会ったら、自立を促す教育をしたほうがいいですよと説教してやりたい。
「いつでもウチに来ていいよ。きっと、パパも喜ぶと思う」
寺領の背中はとても小さく弱々しい。力の加減に気をつけながら、ボディタオルで丁寧にふく。背中をふき終わったら、タオルを寺領に渡して残りは自分でやるように伝えた。
不満をこぼしながらも、寺領は体を洗い終えると、風呂に浸かった。
「ここに来ることについてご両親はなんて言ってたんだ?」頭を洗いながら寺領に尋ねた。
「パパは喜んでたけど、ママは悲しんでたな」
「……帰りたくなったらいつでも帰っていいんだぞ」
「それって追い出されるってこと?」
「違う」おれは髪を洗う手を止めた。
「ジジイの言うことに従う必要はないってことだ。別に婚約者だからといって同棲する必要はない。ジジイとまた話す機会があれば――」
透、と寺領は風呂の縁に寝そべりながらいった。
「嫌じゃないよ。ここに住むのは」
「……そうか」
おりから、風呂場のドアが開いた。
ドアの向こうには美薗がバスタオルを体に巻いて立っていた。
「なっ――」
「あの!」美薗は喉の奥から絞りだしたような声でいった。
「私もお風呂に入れてください」
蛇口から水滴がこぼれ、床に滴る。誰もが閉口する。寺領の湯船からあがる音が沈黙を破った。
「私あがるね」
寺領はそのまま浴室からでていった。
おい未夏、と呼びかけたが反応はなかった。
「ええと、一人でもお風呂に入れるんだったよね?」おれは美薗に尋ねた。
「違うんです。その、私も一緒に入りたかっただけなんです」
「それは未夏とであって、おれじゃないよね?」
「……いえ、あなたと」
「…………おれは湯船に浸かるからシャワー使っていいよ」
頭が痛くなってきた。
湯船に肩まで浸かって、天井を見上げた。そのまま息を深くはいて呼吸を整える。
ため息と勘違いしたのだろう。申し訳なさそうに美園は尋ねた。
「お邪魔でしたか?」
「そうじゃない。ただ、今日色んなことがありすぎて混乱してるんだ。少しゆっくりしたい」
頭のなかを真っ白にしようと目を閉じた。
しばらくすると、シャワーが床のタイルを弾く音がやんだ。
「私も――」
「ん?」
「私も美園ちゃんじゃなくて、ゆかりって呼んでください」
「ああ、構わないけど」
「それと、透さんとお呼びしてもよろしいでしょうか」
「さんはつけなくていいよ」
「いえ、そうはいきません。透さんとお呼びさせてください」
好きに呼んでくれ、と返すと美薗は安堵したように笑って、こくりと頷いた。
「ゆかりは未夏と違って落ち着きがあるよな」リラックスしてきたのか思ったことが口に出た。
二人は同い歳だが成長に差があるようだった。
精神的な部分もさることながら、身体の成長にも差があった。
身長も美園の方が寺領よりも若干高い。加えて、胸がほのかに膨らんでいることはバスタオル越しでもわかった。
そんなことありません、と謙遜する美園を尻目に浴槽から立ち上がった。
「それじゃ、先にあがるよ」
「もうあがってしまうのですか?」
「このままだとのぼせてしまいそうだ」
適当な言い訳をいって浴室からでた。
すると、バスルームにはバスタオルを巻いた寺領が立っていた。
恨みがましい視線をこちらに向けて、
「着替えどこ?」
「…………ないの?」
「あるわけないでしょ。急に連れてこられたんだから」
「ええー」
風呂上がりの寺領は体を冷やしたらしく、くしゃみをした。
(おれの服を着せるか? いや、サイズが違いすぎる)
都合よく女性ものの服なんて持ち合わせていない。
そこで、ある人物に助け船を出すことにした。
「で、私に電話してきたってわけ」
「とっても助かりました!」
寺領と美園には真莉のパジャマを着てもらった。
二人は同じソファーに離れるようにして座っていたが、そのままお互いによりかかって眠りについた。
「まさか誕生日に婚約者を連れてくるとは。おじいさまも大胆だよね」真莉はいった。
「いい迷惑だよ」
「本当はまんざらでもない?」
「あの子たちが来てから頭痛が止まらないよ」
それはお気の毒に、と真莉はいった。
「それにしても、私の古着だけじゃどうにもならないし服を買いに行く必要があるね。……どうしてあの子たち着替えすら持ってないの?」
「パジャマすら持ってなかったからな。持っているのは制服だけだ」
真莉は眠る二人を見遣り、
「寺領グループに美園グループのお嬢さんねぇ……」
「なにそれ?」
「……あなた本当に神崎家の人間なの? 寺領銀行とか美薗建設とか聞いたことない?」
あるある、と適当に返事をして、
「なるべく、経済界の知識は覚えないようにしてきたから」
「いらない努力にも程があるでしょ……。それで、いつ服を買いに出かけるの?」
「明日にするよ」
明日は土曜日。ちょうど学校が休みの日だ。
寺領と美園を買い物に連れていくことはできる。だが、そこからが問題だ。
「そこで、相談があるんだけど、女の子の服を買うのは抵抗がありまして……」
「私についてきて欲しいと?」
「お願いします!」おれは頭を下げた。
「確かに、いい歳した男が子供用の服を買ってたら白い目で見られてもおかしくないからね……最悪、通報されちゃうかも」
「ということは?」
「いいよ。私もついていってあげる」
「ありがとうございます!」
真莉は二人を寝室まで運び込むのを手伝ってもらってから、帰っていった。
寝室を占領されてしまったので、おれは仕方なくリビングのソファーで一夜を過ごした。
土曜日の百貨店は混雑していた。寺領と美園とはぐれないように、できるだけ近くにいるようにした。待ち合わせ場所の一階の広場で真莉を待った。
寺領と美園は昨日、真莉が持ってきてくれた古着を着ている。服のデザインは時代遅れのものなので古臭く感じる。それでも、寺領と美園はどちらも美形なので着こなしていた。
「端から見れば兄妹みたいだね」
雑踏のなか、耳元から声が聞こえた。振り向くと、真莉がすぐ近くにいた。
「からかうのはよしてくれ」
「やっぱり、歳の差って大事だと思うんだよね」
真莉は白のブラウスにベージュのショートパンツを着ていた。足の露出が多い分、普段学校で会うときよりも足が長く見える。
「真莉ねぇだ」寺領と美薗は真莉に駆け寄った。
昨日、パジャマを持ってきた真莉は二人とすぐに打ち解けた。
寺領と美薗の周りには真莉のような頼りになるお姉さんがいなかったようで、すっかり仲良くなっていた。
「改めて思ったんだが、どうせ子供服なんだから近所の安い量販店でいいんじゃないのか? わざわざ、百貨店で買わなくても――」おれは真莉に尋ねた。
「分かってない」
「え?」
「小学三年生といったら、大人の階段を登り始めた頃だから! 今のうちにおしゃれに気をつけないと、あとで取り返しがつかないことになるんだよ」
「そうなのか」
二人を見遣ると、寺領はうんうんと頷いている。美園はそうでもないのか首を傾げただけだった。こういうところは親の教育が影響しているのかもしれない。
「むぅ、ゆかりちゃんにはまだ早かったか」真莉はいった。
「それじゃ、おれはその辺で休んでるから買い物が終わったら知らせてくれ」
「わかったよ。さあ、未夏ちゃん、ゆかりちゃん、服屋さんにレッツゴーだよ」
さっそく、店内に休める場所がないかスマートフォンで検索をかける。
行き先を真莉に告げて、喫茶店に向かった。
午前中の喫茶店内は人がまばらだ。
飲み物を注文して電子書籍の漫画を読んで時間を潰すことにした。しかし、一時間も経てば、集中力も切れてくる。
真莉たちの様子を伺おうと席を立とうとしたとき、
「透さん」
「あれ?」
目の前には美園の姿があった。
「服は買い終わったのか?」
「はい。私の分は買い終わりました。……といっても、ほとんど真莉さんが選んでくれたものですけど」
「服へのこだわりはないのか?」
美薗はこれまで母が買ってきた服を着ていたらしく、ファッションへの関心は薄いらしい。
席に座りなおして、美薗の飲み物を注文した。
「真莉さんたちはまだ買い物中です」
「そうか……」
美園と二人きり。
せっかくなので、おれは気になっていたことを美園に聞いた。
「未夏はまだゆかりのことを避けてるのか?」
答えにくい質問なのは分かっている。だが、聞かずにはいられなかった。
美園は視線をテーブルにうつし、口を結んだ。
黙ったままの美園。どうやらこの話題には触れないで欲しいようだ。
「仲良くしろとは言わないが、態度があからさますぎるんだよな」
未夏には注意しとくよ、と伝えると、美園は慌てて止めた。
「いえ、お気持ちだけで十分です。寺領さんが私を邪険に扱う気持ちは判りますから」
と、店員が運んできたアイスティーを美園は一口飲んだ。
「あの、私から透さんに聞きたいことがあります」
「家を出ていくなら大歓迎だ。ジジイにすぐ連絡して帰れるように手配するよ――」
「私と寺領さん、どちらを婚約者にするおつもりですか?」
おれはテーブルにひじをつけて、両手を組んだ。
「状況を整理しようじゃないか。ゆかりと未夏はおれの婚約者候補として招かれた。正式に婚約者になれるのはどちらか一人だけ。……簡単にまとめたが合ってるよな?」
美園は頷く。
おれは話を続けた。
「しかし、ここで不足している情報を補わせてもらう。おれは君たちとは結婚する気は全くない。昨日、おれとジジイが言い争っていた通りだ。これは勝手に進められた話であって、当事者は納得していない。ジジイに弱みを握られているから従っているまでだ」
「本心では私たちに早く出ていって欲しいと?」
「そうだ。……ゆかりだって早く家に帰りたいだろ?」
美園は顔を振った。
「私には帰る場所はありません。縁談の話があって以来、父様と母様はとても喜んでくれました。これで美園家も安泰だ、と。……その期待を裏切るわけにはいきません」
「……それってさ、一番大事なことが欠けてるんじゃない?」
「それは何でしょうか?」
「大事なのはゆかり自身の気持ちであって、ご両親のことは関係ないでしょ」
「私の気持ち――」
強く口を結び考え込む美薗をみて、これ以上言及することはしなかった。
時刻はすでに昼ごろになっており、店内の座席はほとんど埋まってきていた。
おりから、透、と真莉に呼ばれる。
騒々しい店のなかでも一際響く声だ。
「いやー、いっぱい買っちゃったな。これで当分、服は買わなくていいはずだから」
「うおっ!」
テーブルに置かれたのは大きな紙袋が四つ。どれも、袋からはちきれんばかりに服が詰められていた。
「予想はしてたが、かなりあるな」
「当然でしょ。女の子の服を買ってるんだから――」真莉は腕時計を見て、
「時間も時間だしそろそろお昼にしましょうか?」
それぞれが席に着いて、メニュー表を眺めながら注文した。
「やっぱり服買うのって疲れちゃうよね」寺領は手をうちわ代わりにして扇いだ。
「汗もかいちゃったし……透、今日も体洗ってね」
「今日も?」真莉はいった。
「洗ったのは背中だけだ!」
「……もしかして一緒にお風呂に入ってるの?」
周囲の雰囲気から真莉は察した。深く息をはいて、軽蔑する眼差しをおれに向けた。
「信っじられない」
「ちゃんと断ったさ! けど、目の前で泣かれて……仕方がなかったんだ」
「泣いてないし!」
「いいや、あれは確かに泣いてた!」
寺領といがみ合っているなか、真莉が間に入り、
「どんな理由があろうとも、家族でもない子とお風呂に入るのは不純です」
「おっしゃる通り……」
「一緒に暮らしていくためのルールを決める必要があるんじゃない?」
「ルール?」
「一緒にお風呂に入らない、同じ場所で寝ない。未夏ちゃんとゆかりちゃんは透に変なことされたらすぐ私に報告する、とか」真莉は得意げに指を立てた。
「暗におれが何かしでかすことを前提で話が進んでない? 気のせい?」
「幼い子供と一緒にお風呂に入ったという前科持ちのくせになに言ってるの?」真莉は笑顔で応えた。しかし、声音は冷ややかなものだった。
「……すいません」
「でも、そうなったら誰が一緒にお風呂に入ってくれるの?」寺領が異議を唱えた。
「安心して。独り立ちできるまで私が一緒に入ってあげるから」
胸をはる真莉におれは尋ねた。
「……そうなったら、毎日ウチに来ることになるがいいのか?」
「無垢な少女を守るために努力は惜しまないよ」
「……おれってそんなに危ない人だったっけ?」
「まだ、他にも決めなきゃならないことがあるんじゃない? あなたたち、これから暮らしていくんでしょ?」
〝これから暮らす〟、このフレーズが胸の奥に響いた。
統志郎との約束でこれから一ヶ月間、彼女たちと暮らすことを真剣に考えていなかった。真莉の呼びかけはもっともだ。
結局、日々の生活のなかで、その都度ルールを決めることになった。
特にほかの用事もないので、おれたちは帰路についた。
「いい湯加減でした」
真莉が寺領を連れてお風呂から上がった。
近くを歩く彼女たちからはシャンプーの香りではない、女性独特の香りが鼻をくすぐった。
「透、眠いー」真莉に髪を乾かしてもらっている寺領は目をさすった。
「布団は敷いてあるから、もう寝なさい」
髪を乾かしてもらった寺領は早々に寝床についた。
七畳ある洋室が二部屋余っているので、寺領と美薗にはそこで寝てもらっている。美園は日中の疲れが溜まっていたらしく、すでに眠っている。
リビングに残ってお茶を飲んでいると、向かいに座っていた真莉は神妙な顔つきで、
「本気なの?」
「なにが?」
「あの子たちと一緒に暮らしてくってことよ。お昼のときはあの子たちがいたから、ああ言ったけど……今ならまだやめられるんじゃない? おじいさまは頑固だけど透の話なら聞いてくれるかもしれない」
「いや、暮らしてみるよ」
「透……」
「おれと彼女たちに同棲生活をさせるのは婚約者だからって理由以外にジジイなりの考えがあるかもしれないし。……それに、ジジイともう約束してるからな」
真莉の心配そうにしていた顔はとってつけたような笑顔になった。
「……何かあったとき、泣きつかれて迷惑するのは私なんだけどなー」
「そんときは、よろしく頼むよ」
始まるんだ。
八歳年下との同棲生活が。
翌日の日曜日の正午。
大量のダンボール箱が家に届く。
中身は寺領と美園の着替えや勉強道具一式。
加えて、統志郎から一筆添えられていた。
〝送るの忘れてた〟。
「…………やっぱりあのジジイは何も考えてないような気がしてきた」
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