第六話

 グラウンドの端に部員全員が集められたのはそれから一週間後のことだった。

 厚い雲が空を覆い、もうすぐ夏になるとは思えないほど冷たい風が吹いている。

「今日はみんなに報せがある」

 監督を半円で囲むように立った僕たちは、その沈んだトーンの声を聞いて一様に嫌な予感を感じていた。

「成田」

 重苦しい空気の中で短く名前を呼ばれ、正吾は一歩前に出た。

 そして監督の横に立ち、僕たちのほうを向く。いつものへらへらとした表情はそこにはない。目は合わなかった。

「転校することになりました」

 唐突に、彼は言う。

 誰ひとり何も言わない。その場にいる全員が、くすんだ砂埃の中に言葉を探しているようだった。僕もその一人だ。


「俺は今日でこの部活を辞めます」


 彼の声が静かな半円に響く。

 無表情で淡々とした、事務連絡のようなその口調に。 

 この決定は覆ることがないのだろうと悟った。


***


「びっくりした」

「ああ。急に決まってさ」

 まったく身の入らなかった部活が終わり、僕たちは並んで帰路についていた。日は沈み、風は冷たさを増していて、いつもより彼の存在が希薄に感じる。

「でも、さすがに急すぎるだろ」

「言うの忘れてた。悪いな」

「こんな時までか」

 そうだ、分かってたはずだ。

 こいつはいつも大事なことを言い忘れる。

「本当に転校するのか? 一人暮らしとかあるじゃん」

「あーそれも考えたんだけどなあ」

 ふと見れば街灯の灯りに羽虫が群がっている。

 もしも急に灯りが消えたら、あの羽虫たちは一体どこへ向かうのだろうか。 

「うちの母親、脚が悪くて入院してんだ」

「え」

「それで今度都会のでかい病院に移るから、俺は転校するわけなんだが」

 薄ぼんやりとした街灯の灯りに照らされた彼は淡々と続ける。

「でも去年の総体さ、うちの母親、予選からずっと応援してくれてたんだよ。全レース、車椅子でだぜ? そんなん今年も絶対来るだろ」

 彼はそう言って、小さく笑った。

「こんな遠いとこまで来させるわけにはいかねえよ」

 もうこれ以上、何を言ってもきっと無理だ。

 彼の優しい微笑みには揺るがぬ決意が見えた。

「じゃあ、引っ越しても陸上は続けるんだな?」

 一番気になっていたことを僕は訊く。

「ああ。そのつもりだぜ」

 僕は頷く彼を確かに見た。

 日本最速の高校生、そして、僕と同じ十七歳の高校生。

 彼はまだ、このコースの続く先にいる。

「……そっか」

 僕はそれだけを口にした。

 その先を言うのは、まだ早いと思った。

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