第四話

「気分はどうだい?」

「あーそうだな。まあ嬉しいとか最高とか色々あるんだけどさ」

「けど?」

「コンビニで自分の顔見るの、めちゃくちゃ気まずい」

 住めば都、と言うのだろうか。地獄の練習にもなんとか慣れ始めてきた頃。

 部室でクリームパンを頬張っていた正吾は眉を寄せた。埃だらけの狭い部室のロッカーに『月刊陸上NEWS』と書かれた雑誌が置かれている。

 その表紙には『高校陸上界に突如現れた神速』という派手な文字と共に、メダルを首からぶら下げた笑顔の正吾の写真が大きく載っていた。

「速い速いとは思ってたけど、まさか総体優勝とは」

「俺もさすがにそこまでいけるとは思ってなかったわ」

「じゃあ監督だけだな。さっき職員室で『あいつならやると思ってた』って言ってたよ」

「ほんと調子いいんだよな」

 正吾はそう笑って、もう一口クリームパンを頬張った。くしゃりとビニールの包みが音を立てる。

「でもすごいよな、ほんと。僕もインタビューとかされてみたい」

「そこかよ」

「成田選手、速く走る秘訣はなんですか?」

「それインタビューする側じゃねえか。てかそんなのあったら苦労しねえだろ」

 彼は一瞬笑いかけて、「あ」と表情を戻した。

「あえて言えば『強者の常識を持て』ってのはある」

「え、何それ」

 言葉の意味がわからず訊き返す僕に、彼は答えた。

「例えばさ、100m走は100m走れば終わりだと思ってねえか?」

「え、終わりじゃないの?」

「いやまあフィニッシュラインまでは100mなんだけどさ。でもタイムを出すにはそれを越えなきゃだろ。ぴったり100m本気出しても記録にならねえんだよ。だから俺は、その5㎝先にゴールを見てる」

 当然だ、と一瞬思ったが、いざ本番のスタートにつくとき僕がそれを意識できていたかどうかは怪しい。

 それほどに細やかで、しかし確実に記録に直結する意識だ。

「こういうの意外とできてないやつが多いんだよな。でも総体に出てるやつらはみんな同じ常識を持ってたぜ」

「……なるほど」

 僕はインタビュアーがメモを取る仕草を真似ながら、その言葉を頭の中に刻み込んだ。

 強者の見ている世界は、きっと僕のものとは違うのだろう。

 それなら彼らはまだまだ僕の知らない常識を持っているはずだ。

 ――羨ましい。

 純粋にそう思った。僕もいつかその景色を見てみたい、と。

「……またインタビューするよ」

「お前がされたいんじゃなかったのかよ」

 彼がそう笑った直後、「おいおい優勝ってなんだよクソヤロー!!」「ふざけんなおめでとー!!」と叫びながらクラッカーを鳴らす先輩たちが次々と部室に雪崩れ込んできて、僕たちは舞い上がった埃で咳き込んだ。

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