無月

死にたくなる。いつも。恋人がいても、家族がいても、友達がいても、健康でも、おいしいもの食べても、たくさん寝ても、可愛い服を着ていても、社会に居場所があっても、借金がなくても、ちょっとだけ貯金があっても、冷蔵庫にシュークリームしまってても、週末に楽しみな予定詰めてても、旅行の手はずがすべて終わっていても、また、死にたくなる。闇に紛れるような重たい色の緞帳がするすると降りてくる。なにも、手がつかなくなって頭がぼうっとする。早まるな、あせるな、思い詰めるな、と自分に言い聞かせても、反響するだけで何も届いてこなくなる。

もうだめだ、と思う。これからさきどうなるんだろう、と思う。わからない。わからないものは、いつも怖い。それならさっさと死にたい。いま大して幸せじゃないんだから、ほんとにどん底になる前に逃げ出した方がましなんじゃないかと思う。不幸のクレッシェンドが最大になる前に、終わりにしたい。

これからもっと楽しいこと、報われること、うんと面白いこと、涙が出るほど嬉しいことが起こるかもしれない。確率論で言えば、生きてさえいれば必ず起こるのだろう。でも、そういうことではなくて、

たった今充たされていないということ、

びょうびょうと絶えず冷たい風に吹き付けられているということ、

逞しい腕で抱き起こしてくれる人が具体的に思い浮かばないということ、

それに尽きる。

これまでたくさんいいことがあって、かけがえのない素晴らしい友達を得て、愛してくれる人も愛したい人も見つけて、褒めてくれる人も慕ってくれる人もやさしい言葉をかけてくれる人もたくさんいた。

でも、他ならぬわたし自身が、わたしの在り方や中身や容姿や過去や自分にまつわるものすべてを忌み嫌ったり、批判したり、見放したりしていたら、何の意味も持たなくなってしまう。

死にたいと思ったときに書いた日記をいくつか読んだ。文章自体はらんらんとして、生命力ではない何かがつゆだくに溢れていた。それをいい文章だと判断できるかはわからないけれど、本当に才能があれば躁でも鬱でも、コンスタントにこういう文章生みだし続けなきゃなんないんだろうなと思った。あなたは幸せにならないほうがいいのかもしれないね、と学生の時複数の人に言われたけど、まぁ、そういうことなのかもしれない。

雨宮まみが最後に遺した、「死にたくなる夜のこと」というブログ記事を定期的に読みたくなって、読んでしまう。死という結末を含めて、納得させられる。身綺麗で売れっ子で才能があっても、死んじゃうんだ、死んでもいいんだ、と思った。

わたしは、まだ、何だかんだで本当の絶望を知らないから、柵を掴んで地面を見つめたりは、しないけど、すでに柵を飛び越えて、こちらを懐かしそうに眺める人たちを、この世に食い止めようとは努められないかもしれない。

死んだらだめなんだよ、生きてるだけで大正解で、大成功で、大団円、わたしは、あなたは、生きているだけで美しい。それはわかる、

わかるよ、でも。

“人を信じられるようになるまで、ずっと一人でいなさい。それは決して恥ずかしいことじゃないんだよ”

柚木麻子の「ナイルパーチの女子会」の台詞がよみがえる。読んだときは何にも思わなかったのに。

ひとりでなんかいたら、あっという間に死にたくなるに決まってるだろうが。

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