LAST

失恋するたび肉を焼いて食らっている。ひとりでいきなりステーキに行くのでもなく、豪勢に叙々苑に行くのでもなく、自分の家で、自分の厨で焼く。

とりたてて料理が上手だとは口が裂けても言えないのだけれど、台所仕事が好きだ。冷めても良いものや出来たてで食べたいものを考えて、短い時間をやりくりするために工程を逆算しながら作業していると、手際よく頭を使っているような錯覚になる。余計なことを考えないで、Spotifyで好きな曲を流しながら手を止めないで、動かしつづける。肉を焼いてワインを流し込むと、歓声のようにフライパンがひときわ大きく唸りを上げる。咆えろ咆えろ、獰猛に咆えてくれ、と思う。 もうもうといい匂いが立ち込めて、これはデスライブだ、と思う。

失恋ねえ。このわたしがねえ。可愛くってナイスバディで賢くって才気あふれるこの、わたしが。大きな声でひとりごとを言う。空気を読んで宇多田ヒカルのFirst loveを流し始めたスマホに合わせてくちずさむ。炊いた白米の上に肉だけ載せて雑に食べる。肉と米。それだけ。しかしそのシンプルな組み合わせこそ、否が応でも命にエネルギーを注ぎ込んでくれる。

この、失恋の墓標のような丼飯を食べるのはこの先の人生で何回あるのだろう。できればもう勘弁願いたい。願いたいと思いながらも、傷ついた時に黙々と大きな肉の塊をガッと焼いて食べる野性的な自分のことを気に入っているし、愛しいとも思う。

わたしは詰まるところ、一生この繰り返しなのかもしれない。なんど味わってもなれることのない痛みに顔をしかめながら思う。誰かに焦がれては、手に入らないでのたうちまわって、肉を食らって自分を慰める。そうして傷が癒えないうちにまた、”わたしを見つけてください”と手を伸ばしながら歩きだすのだ。

ダリ、と声が出る。圧倒的ダルさ。この道のりはあまりにもダルすぎるのではないか。わたしはVERY妻になりたいだけだった。IENAとか着てひっつめ髪をしてパキラに水やって足元にサモエドをのったり従えて午後から優雅に原稿を片したいだけだった。

かなり真剣に配偶者探してるんですよね〜、と言うたびに、「早くないですか」「なんでそんなに結婚したいんですか」と本当にたくさんの人に突っ込まれる。うるせえほっとけやと思うのは、自分のなかで明確な理由がないからかもしれない。

昔は、もっと遊んで、いろんな男の人と付き合った方がいいのかなと漠然と思っていた。でも、適当な気持ちで付き合ったら付き合ったで、真面目に付き合ったときと変わらないくらい、終わらせるときに傷を負う羽目になった。なんだよ、と思った。いろんな人と遊んで、付き合っている人はあんなに楽しそうにひけらかしていたくせに、こんなに血まみれになるとは誰ひとり言っていなかった!一体、いったいこれの何が楽しいっていうんだろう。

大して遊んだつもりもないが、結論として、わたしには「遊び倒す」のは無理だ、と23歳の時点で思った。刺激なんかいらない。ホッピングシャワーはひと口食べた瞬間飽きる。セックスの快楽よりも「この男が性病を持っていたらやだな」という懸念の方がうっすら勝る。搾取されてる、と気づいた瞬間すべてが色褪せ、砂になって時間が手のひらから零れ落ちる。

もてたい。喉から手が出るほどもてたいが、もてたところで最後はひとりしか選べない。その真理にやっと気づいたとき、通算4人目の恋人と別れ、24歳の誕生日が差し迫っていた。気がついたら朝井リョウも豊島ミホも山内マリコも綿矢りさも結婚していて、もしかしてもう、もてたいとか言ってる場合じゃなくない? と思った。

男の人がいないとまっすぐ立っていられないなんて滑稽だと思う。綺麗になりたい、可愛い格好をしていたいという原動力が異性のためなんて頭のねじと股がゆるい証拠。結婚すれば新しい地獄が始まるだけで、名字を変えることは今いる地獄を帳消しにしてくれる魔法の選択肢ではない。結婚すれば恋愛したくなるのは目に見えているのだからそんなことは目標に掲げるな。過去の自分の威勢のいい言葉をうるせえよで一蹴したい。

わかっている。そういう生き方をしている女性の方がかっこいいし、できればそんな風に生きていたかった。ひとりの方が風通しよくていいな、と心から清々しく微笑みたかった。そういう女の人にこそ、わたしが、隣にいてほしいとこいねがう男性が寄ってくるのだとわかっていて、どうしてもそういうふるまいがポーズでしかできなかった。

わたしには、無理だ。ひとりでいたらすぐに手すりをつかんで”この気持ちをずっと味わいながら生き永らえることを指して人生と言うならここで命の稼働を終わらしてやる”とわめきたい衝動にかられるし、恋愛小説を読んでいたらだんだんムカついてきて楽しめないし、初対面の人と会うとき左手の薬指に指輪が嵌っているかどうかさもしく視線を走らせてしまう。

ファック。手に入れれば途端に色褪せて要らなくなるとわかっていてなんども手を伸ばして媚びへつらい、まとわりつく、その繰り返しだ。

手に入れれば別の苦しみが始まるとしても、手に入っていないいまは、みっともないとわかっていても求めずにおれない。

飄々と生きている振りをしたかった。無理だ。泥にまみれてもいいから、欲しいものを取りに行こうと思う。やっぱり無理、ってわかったら、ドーベルマン買って頭蓋骨にぴたりと添うようなベリーショートで生きていく。それでいいや。

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