第12話 お世話になりました

〈12〉


 葛ノ湯旅館の正門の前には女将のお妙さんを始めとして仲居の伊藤さんと小林さん、支配人の田中さんに板前長の佐藤さんと板前の鈴木さんまで整列している。それに加えて源さんも居た。


 まさかの全員で送り出されるとは、どれだけVIP待遇なのだろう。それとも日本の旅館ではこれが普通なのだろうか。


「いえ、普通はお客様を送るのは女将と仲居くらいなものですよ」


 わたしが疑問を口にするとお妙さんが微笑みながら言った。


「でも、みんなモモちゃんをお送りしたいと言って聞かないんです」


 お妙さんが「ねっ」と話を振るとまず支配人の田中さんが涙をハンカチで拭いながら口を開いた。


「モモ様は葛湯温泉の温泉を再び湧くようにしてくださった救世主です。そんな大事なお客様を送らないという事がありましょうか、いやない」


 なぜ反語。支配人の田中さんが「そうでしょう?」と仲居の伊藤さんと小林さんに促すと「それはもちろん」と仲居の伊藤さんと小林さんは歯切れよく言った。


「モモちゃんを送らないとかありえないですよ。後、暇ですしね」

「どうせ暇だから気にしないで」


 まあ暇ならいっか。仲居の伊藤さんと小林さんが「ですよね」と板前長の佐藤さんと板前の鈴木さんに同意を求める。板前長の佐藤さんと板前の鈴木さんは腕組みをしたまま大きく頷いた。


「あんなに綺麗に料理を食べてくれるお客さんは初めてですからね。当然送らせてもらいますよ」

「いや、ほんと食器洗い機にでも入れたんじゃないかってくらいピカピカな食べ終わりっす」


 めちゃくちゃ食べ終わりを褒められていた。まあそれはガバッと覆いかぶさって全ての食器を体内で舐りつくしたからなんだけどね。


「やっぱり、あのガバッて覆いかぶさるのがすごいよな」

「いやぁ、あの食べ方には衝撃を受けたっす」


 そうそう、食べ終わりが綺麗なのはそのガバッて食べ方だからで……。


「ん?」


 そこでやっと気がつく。

 なんでその事を、その事はわたししか知らないはず。


「もしかして……見てたの?」


 わたしがおそるおそる訊ねると、板前長の佐藤さんと板前の鈴木さんのみならず仲居の伊藤さんと小林さん、果ては支配人の田中さんから女将のお妙さんまで居住まいが悪そうに目を左右に泳がせている。


「ご、ごめんなさい。さっきモモちゃんが昼食を食べている時に見てしまって……」


 視線を泳がせすぎて酸欠に陥った息苦しい場に新鮮な空気を入れるようにお妙さんが勢いよく口を開くとそう言って謝った。


 先ほどの昼食の際、昨日の夕食の時と同じようにみんなが居る時は華麗な箸捌きで食事をし、居なくなったのを見計らってからガバッた。


 しかし実は居なくなっていなかったのだ。


「不覚……」


 まさか見られていたとは、せっかく積み上げてきたスライムのイメージがガラガラと崩れる音が聞こえる。


「もぅ、せっかく言わないようにしていたのに……」


 お妙さんが「何で言っちゃうんですか」と非難するように板前長の佐藤さんと板前の鈴木さんに向ける。そんなお妙さんの視線に板前長の佐藤さんは何が悪いんだという表情を作ると豪快に言った。


「いいじゃねぇですか。何も隠す事もねぇ」

「そうですよ。洗いものが楽になって俺も嬉しいっす」


 それに続いて板前の鈴木さんが本当に嬉しそうに言った。そうそう、この食べ方ってめちゃくちゃ洗いもの楽なんだよねぇ。だから家ではいつもこの食べ方なんだけど。だけど……。


「ほら、気にしてるじゃないですか」


 わたしが冷や汗と共にジト目を流していると、お妙さんがまったくという風に溜息をつく。それからわたしを見ると慌てた口調で言った。


「あ、あの、私達は気にしてませんから。むしろかっこいいって話題になってたくらいで」

「そうそう」

「気にしない気にしない」


 お妙さんが言うのに仲居の伊藤さんと小林さんも続く。


「いやまあ、それならいいんですけど……」


 ごにょごにょ。


「お妙さん達が気にしてないなら……」


 ごにょごにょ。

 わたしがごにょごにょと言葉を濁しながら赤く丸まっていると、


「ほっほっほっ、スライムはガバ食いしてなんぼじゃ。昔、葛湯温泉に居たスライム達もみなガバ食いしておったよ」


 そんなやり取りを見守っていた源さんが笑いながら言った。

 源さんは昔のスライムが居た葛湯温泉の事を知っているので、その頃によく見たのだろう。ま、まあみんなやっていたなら、


「と言っても、子供のスライムだけじゃがの」

「うぐっ」

「大人のスライムが、外であまりやるものではないのぉ」

「うぐうぐっ」


 そして、しっかりと釘を刺される。

 ですよねー。とわたしがずーんと打ちひしがれていると、


「それはそうと。記念に写真を撮りませんか?」


 わたしを励ます為なのか、それともタイミングを伺っていたのか。丁度わたしがどん底に沈んで増えるわかめちゃんに憧れていたけど決してなれない事を知ってしまった日高昆布のようにうな垂れていたタイミングで支配人の田中さんがおもむろにカメラを取り出した。


「実はカメラが趣味でして、記念写真などどうでしょう?」


 支配人の田中さんが取り出したカメラはしっかりとした一眼レフのカメラで一目で相当使い込まれている古いものである事がわかる。いわゆるデジタルカメラではなくフィルムを使うカメラ。わたし達の世代ではほぼ見る事はないものだ。


「いいですね。ぜひ撮りましょう」


 それにお妙さんが賛同する。他のみんなも異存なしのようだった。もちろんわたしも依存なしである。


「ああ、魂を抜かれる~」

「さっき携帯で自分の写真撮ってたじゃないですか」


 お妙さんに突っ込まれつつ葛ノ湯旅館の前に整列すると、支配人の田中さんが三脚に固定したカメラをセットして戻ってくる。タイマー式で自動でシャッターがおりる仕組みだ。


 この仕様だとタイマーを仕掛けた人がシャッターがおりるまでに戻って来れずに変な写真が撮れてしまったなんて事もありそうだが、そこはカメラを趣味と自認する支配人の田中さんである。しっかりと余裕を持って列へと戻ってくるとしっかりとカメラに収まっていた。


「写真が出来たらお送りしますよ。どこに送ったらいいですか?」

「あ、じゃあわたし一人暮らししてるアパートに」


 わたしがアパートの住所を伝えると支配人の田中さんが「かしこまりました」と恭しく返事をした。


「じゃあ、わたしそろそろ……」


 記念撮影を終えてそう切り出す。名残惜しいけど帰りの飛行機の時間を考えるとそろそろ行かなくてはいけない。


「モモちゃん、本当にありがとうございました。モモちゃんのおかげで温泉も出るようになりましたし、これからも何とかやっていけそうです」

「また賑わいが戻るといいね」

「それはちょっとわからないですけど」


 わたしが言うのに、お妙さんが眉を下げて困り笑いを浮かべる。何とも自信なさげである。そんなお妙さんにわたしはいやいやと首を振る。


「お妙さん言ったでしょ。もしスライムの入る事が出来る温泉が出来たら沢山のスライムが世界中から観光にやってきてこの温泉郷もすぐに昔の賑わいを取り戻せるって」

「そうでしたね」


 それはお妙さんに葛湯温泉の源泉に連れて行ってもらう為に言った事だけど、割りと本気でわたしはそう思っているのだ。


 わたしが「とにかくアピールだよ」と押すと、お妙さんは「頑張ってみます」と引き気味に返事をした。うーん、大丈夫かな。そう思いつつもこれ以上はわたしにはどうしようもないので後はお妙さん達次第である。


「お世話になりました」


 わたしは日本流に頭を下げるとお妙さん達葛ノ湯旅館のみんなの「行ってらっしゃいませ」の声を背中に受けながら葛湯温泉を後にした。









 そして成田空港。


 空港内で日本のお土産を一通り買い終わり、わたしが荷物を預け終わった時だった。


「あの、もしかしてあなたはあの時のスライムさんじゃないですか?」


 声を掛けられてそちらを見ると空港の職員のお姉さんが立っていた。

 あの時の……? って。


「ああ、あなたはあの時のお姉さん!」


 わたしもはっとした顔でお姉さんを見る。


 あの時というのはわたしが空港に着いて葛湯温泉への行き方に悩んでいた時である。声を掛けてきたお姉さんはその時、親切にも葛湯温泉への行き方を調べてくれたお姉さんだった。


 わたしが言うとお姉さんが「やっぱり」と拍手を打った。


「スライムのお客様は珍しいですから。お姿をお見かけしてもしかしたらと思ったんですよ」


 そう言ってほっとしたように微笑む。その様子からするに結構わたしの事を気にしてくれていたようだった。


「あの時はお世話になりました。お姉さんのおかげで無事に葛湯温泉に辿り着く事が出来ました」


 わたしが改まって言うとお姉さんは「いえいえ、そんな」と謙遜するように小さく手を振った。そして、瞳の奥に興味の光を覗かせながら伺うようにわたしを見る。


「それで温泉の方はどうでした?」

「ああ、温泉はですね……」


 わたしが声のトーンを落として目を伏せるとお姉さんがやっぱり駄目だったかと眉を下げる。いや、まあこの手のブラフで引っ張りすぎるのも悪いか。わたしは一転してぱっと表情を明るくすると、


「ちゃんと、入れました!」


 とびきり元気にそう言った。それを受けてお姉さんも目をぱちくりと瞬かせる。それからジト目をわたしに向けた。


「まったく人が悪いですね。そうならそうともったいぶらずに言ってくださいよ」


 文句を言ってから、


「よかったですね」


 と笑いかける。


「はい!」


 わたしもそれに笑顔で返事をする。


「それにしても――」


 それからお姉さんはわたしの事をじっと見つめると、


「言われて見れば、なんだかお肌も前に会った時よりもプルプルしているような」

「え、そうですか?」


 わたしが半信半疑に言うとお姉さんがわたしの肌を見て大きく頷く。


「やっぱり前よりぷるぷるしてますって」

「そ、そうですかね」


 確かに改めて意識をしてみると確かに日本に来る前よりお肌ぷるぷるしてるかも。さすがは温泉、美肌効果が半端ない。


「どれどれ」


 わたしが体を揺すって体をぷるぷるさせるとお姉さんから「おー」という歓声が上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る