第11話 いざ、入浴アゲイン!
〈11〉
それからすぐに露天風呂の湯船に源さんが持って来てくれた葛粉を流し入れると、板を使って全体によく混ぜる。板というのは温泉地の映像でよく見る温度を下げる為に使われているもので、比較的温度の高い温泉だからなのか葛湯温泉にもあったらしい。
お妙さんが船を漕ぐように板を動かすと、ゆっくりと葛粉が攪拌していき葛粉が溶けて透明になる。それからもうしばらくかき混ぜてスライムの入れる温泉が完成した。
「これでいいはずですけど」
ふぅと額の汗を拭うとお妙さんが源さんを見る。それに源さんがうむと頷く。
全ての手順が源さんの言う通りに行われた。手違いはないはず。これで駄目だったらさすがに諦めるしかない。
わたしは露天風呂の湯船の縁に立つと後ろを見る。
そこには網を持って待機しているお妙さんと源さんが頷くのが見える。わたしも頷きを返すと思い切って温泉へと飛び込んだ。
「えーい」
という掛け声と共に水飛沫が上がる。
ど、どう?
温かいお湯の感触を肌に感じながら体の状態を確かめる。溶け始めていないか入念にチェックする。
「……溶けない?」
お湯に浸かっているのにゼリー状の体が溶け出す気配がない。これはもしかして――。
「やったー。温泉に入れてる。入れてるよ!」
体が温泉によってぽかぽかと温まってくる。今まで生きてきて初めての体の芯に熱が伝わってくる感覚。初めて味わう快感にものすごく興奮してしまう。
「モモちゃん、どうですか? 大丈夫ですか?」
お妙さんが網を持ったまま訊いてくるのにわたしはゼリー状の体をちょこんと尖らすとぐっと親指を立てる。
「大丈夫、何ともないみたい。全然体溶けてないし」
「だから言ったじゃろう。スライムでも温泉に入れるとな。信用しとらんかったんか」
わたしが言うのに、源さんがにやりと口角を上げながら悪戯っぽく言う。
「いや、信用はしてなかったという事は……って、おわっ」
わたしが弁明しようとした時だった。
溶けないのはいいけど、今度は足がつかないので沈む。
「し、沈む~」
「モモちゃん空気を取り込むんじゃ。スライム泳法習わんかったか?」
「はっ、そうか」
源さんに指摘されてわたしは慌てて空気を取り込むと四次元胃袋の一つを浮き袋にすると、丁度よく肩まで浸かれくらいまで浮き上がる。
空気を取り込んで浮力を調整するのはスライム泳法の基本中の基本。
これが潜ったり泳いだりとなると今度は空気の他に水を取り込んで中性浮力を保ったり水を吐き出して推進力にしたりといった高度な技術が必要になるけど、浮くだけならかなり簡単なのでスライムなら多分誰でも出来る。学校でも習うしね。ちゃんとやっててよかった水泳の授業である。
「モモちゃん、大丈夫ですか?! 掬いますか!?」
「だ、大丈夫……」
お妙さんが慌てて網で掬おうとするのに手の平を見せてストップする。
「いや、すまん。葛湯温泉にいたスライム達は皆浮いとったから当然浮くものとばかり思っとった」
「いえ、わたしがおっちょこちょいだっただけなので」
完全に足がつかないという事を失念していたわたしのせいである。温泉に入る事ばかりに頭が一杯で入った後の事を全然考えてなかった。今までは溶けてたから問題になってなかったけど。と内心で苦笑する。
スライムの体は基本水に浮かないが、溶け広がるとスライムの体の密度は下がるので水に浮くようになる。不幸中の幸いに助けられていたので、幸いの中の不幸が最後に降りかかった形だった。
「ふぅ……」
深く息を吐く。
やっと落ち着いた所で、温泉を楽しむ余裕が出てきた。
温かいお湯に包まれていると体はもちろん心までポカポカと温まってくる。湯気越しに見える景色は幻想的でとても美しい。温泉の効能なのか気持ちお肌もツヤツヤになってきたような。
これが温泉。
これが癒し。
今、わたしは癒されている。
人生という険しい道のりにふと佇む天然のパラダイス。
今までこれを知らずに生きてきたなんて、なんて勿体ない事をしていたのだろう。
この気持ちをぜひみんなにも伝えたい。
「あ、そうだ」
わたしは思いついて体を震わせると携帯電話を体内からモゾモゾと取り出す。そして温泉に浸かったままお妙さんに向き直った。
「あの、お妙さん。ちょっと写真とって貰っていい……、あ、いいですか?」
思い出し敬語。意識をしていなかったのでついつい敬語が完全に消えていた。だって英語には敬語がないからね。仕方ないね。
「別に無理に敬語を使わなくてもいいですよ」
わたしが体内自己弁護に終始していると、お妙さんが可笑しそうに笑いながら言った。
「え、そ、そう?」
そう言って貰えるととても助かる。
「それで写真を撮ればいいんですか?」
「あ、はい」
わたしは返事をするとカメラモードを起動して携帯電話をお妙さんに手渡す。ここをこうしてこうすれば撮れるのでレクチャーする。まあ、お妙さんも持ってるらしいのでそこまで細かく伝える必要はなかった。手短に説明すると湯煙美人を演出するべくポーズを取る。
「じゃあ、撮りますね。はい、チーズインハンバーグ」
チーズインハンバーグ? 掛け声は謎だけどとりあえず笑顔を作るとカシャというシャッターの下りる音が聞こえてくる。
「こんな感じでどうですか」
お妙さんから携帯電話を返してもらうと、そこには真っ青な青空と露天風呂とそこに入る桃色のスライムの姿がばっちりと写っていた。
「うん、いい感じ。ありがとうお妙さん」
わたしがお礼を言うと、
「写真なんて撮ってどうするんですか?」
お妙さんが不思議そうに言った。わたしはそれにふふんと鼻を鳴らすと、
「もちろんSNSにアップするの」
そう返して携帯を操作する。スライムが温泉に入っていたらみんなびっくりするに違いない。いいねが沢山ついちゃうかも。わたしがうふふと思わず頬を緩めながら操作を続けていると、お妙さんと源さんのやり取りが聞こえてくる。
「SNSって何ですか?」
「SNSっていうのはソーシャル・ネットワーキング・サービスの略で、要するにインターネットを利用して人間関係を構築できるウェブサービスの事じゃな。古くのワールドワイドウェブ上の初期のSNSはの――――」
源さんのお妙さんへのSNSの講義が続いている。いや、普通は年齢的に逆なんじゃ。というか、もうダイレクトにサイト名を伝えた方が早いのではないだろうか。
「ああ、なるほど。SNSってあれとかあれの事だったんですね」
源さんの話が具体的なサイト名に移った所でお妙さんがポンと手を叩いた。どうやらわかったらしい。そうSNSとはあれとかあれの事なのだ。
お妙さんがわかった所で、わたしの操作も終わりを迎えた。
「温泉なう。っと」
これでよしと操作を終えた携帯電話をごくんと飲み込む。
それからしばらく温泉を楽しんでお風呂から上がると旅館の人達がわたしの為に昼食を用意してくれていた。それを頂いてからもう一回最後に温泉に入りなおす。
すごく名残惜しいけど、ここに住むわけにもいかないので仕方ない。
わたしは出来るだけ温泉に入り溜めをしてから、ついに葛湯温泉を後にする時が訪れた。
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