第8話 親切なドラゴンと病弱なスライム

〈8〉


「まだこの地にスライムが居た頃、我は一人のスライムの子と仲良くなった」


 エンシェントドラゴンが静かに昔を思い出すように語り始めた。


「きっかけはそのスライムの子が山に迷い込んだのを我が助けてやった事だった。そのスライムの子はひどく病弱で心配した両親がスライムの療養地として名高いこの地に連れてきたのだ。当時スライムと言えばまだ自然に生まれた第一世代のスライムが多くを占める時代でな。スライム同士から生まれた子というのはそう多くはなかった」


 それはスライムがこの世界に生まれた本当に最初の頃の話だ。


 スライムがこの地上に生きる生物の一員として本当の一歩を踏み出したくらいの時代。今となってはスライムもお父さんとお母さんから生まれてくるのが当たり前だけど最初の最初はそうではなかった。


 自分達が両親から生まれたという経験がない第一世代は子育てに対して必要以上に心配してしまったりナイーブになったりしたらしい。


 そのスライムの子の両親もとても心配したのだろう。

 そしてこの葛湯温泉に連れてきた。


「だが、急な環境の変化にそのスライムの子は周囲に馴染む事が出来なかったのだ。スライムの子は家を飛び出して裏山に迷い込んだ。しかし、病弱であったからな。苦しんでいた所を我が助けてやったのよ。介抱してから返してやるとスライムの子はちょくちょく我に会いに来るようになった。そうして我らは仲良くなったのだ」


 エンシェントドラゴンは目の皺を深くして続ける。

「ある時。スライムの子は病弱な自分をなんとかしたい我に申し出た。協力して欲しいと。我はその申し出を受け入れた。そしてダンジョンを作ったのだ」


「それがこのダンジョン?」

「そうだ」


 エンシェントドラゴンは軽く周囲を見やると頷いて肯定した。


「ダンジョンは我とスライムの子の秘密基地になった。我はダンジョンを作り、スライムの子はダンジョンを攻略する。我はダンジョンをスライムの子に攻略してもらえるのが嬉しくてどんどんとダンジョンを拡張していき、スライムの子も我が拡張していくダンジョンを面白がってどんどんと攻略していく。ダンジョンを攻略していくにつれスライムの子にも体力がつき、病弱だった体もすっかりと元気になった。幸せな時間だったし。しかし、その幸せな時間は突如として終わりを迎えたのだ」


 エンシェントドラゴンは語気を荒げる。


「その日も我は自信作のダンジョンを作りスライムの子がやって来るのを待っていた。しかしいくら待ってもスライムの子はやってこなかった。その次の日もその次の日も待ったがやっては来なかった。そしてしらばくしてスライム達がこの国から別の国へと移民していった事を知った。スライムの子もそれについていったのだと知った」


 そして声のトーンを落とした。


「その時にダンジョン作りなどやめてしまえばよかったのだ。所詮子供とのやり取りだ。向こうだってすぐに我の事など忘れて新しい事に夢中になっている決まっている。だが我は辞める事が出来なかった。いつかまたスライムの子がやってきてくれるのではないかと思い作り続けてしまったのだ。ここまで続けたのだぞ。今更やめる事など出来るはずがないだろう」


 そしてダンジョンの拡張を続けた結果、膨張したダンジョンが葛湯温泉の源泉を塞ぎ温泉が出なくなってしまった。


「我は我の作ったダンジョンをそのスライムの子に――マメゾーに攻略してもらいたいのだ」


 エンシェントドラゴンは確かにスライムに囚われていた。スライムの子との約束が今もエンシェントドラゴンをこの地に縛り続けている。その事がエンシェントドラゴンの言葉の端々から感じる事が出来た。


 嫁を紹介する事は出来ないけど、その呪縛を解く事が出来ればあるいは――。


「ごめんなさい」

「なぜお前が謝る?」

「だってマメゾーはわたしのおじいちゃんだから」


 なんでずっと忘れていたんだろう。温泉の話の印象が大きすぎて、その話の事をすっかりと忘れてしまっていた。わたしが一番最初に触れたスライムがダンジョンを攻略するお話。それはおじいちゃんから聞いたものだった。


 わたしがまだ小さくて病気がちだった時、ベッドから出られないわたしにおじいちゃんがいつも話してくれたスライムの冒険譚。親切なドラゴンと病弱なスライムのお話。親切なドラゴンが病弱なスライムの体力作りの為に作ったダンジョンを攻略するお話。それはおじいちゃんが作った御伽噺だと思っていた。でも、違う。それは実際にあった事でおじいちゃんの実体験だったのだ。


 地面に貼り付けられたステータスでその名前を見た時から感じていたモヤモヤがエンシェントドラゴンの話を聞いてやっと晴れた。


「お主がマメゾーの孫だと?」


 エンシェントドラゴンの顔を乗り出してマジマジとわたしの姿を見る。


「なるほど、言われて見ればマメゾーの面影があるような気がするな…………スライムなど正直どれも同じようなものだが」


 最後にぼそっと付け加えたのもちゃんと聞こえてるんだけど。


「それでマメゾーの孫よ。マメゾーは元気にしているか?」

「いや、おじいちゃんはもう……」

「そうか、スライムの一生は短いな」


 エンシェントドラゴンが噛み締めるように言った。


「あの、おじいちゃん結構長生きだったよ?」


 少なくともわたしの大学入学を一緒に祝ってくれたくらいには。確かにドラゴンに比べればスライムの一生は短いかもしれないけど、人間社会で一緒に暮らしても問題ないくらいの一生の長さはある。


「そうか」


 わたしが言うと、少し表情を緩めて甘噛みするように言った。


「しかし困ったな。これで我の作ったダンジョンをマメゾーに攻略してもらいたいという我の願いは永遠に叶わなくなってしまったわけだ」


 そして気落ちした様子で肩を落とした。


「よかったなスライムよ。お主の願い叶いそうだぞ。マメゾーの死を伝え我の心を折る計画だったのだろう。お主の目論見どおり我の心は今にも折れそうだ」

「え、いや、そういうつもりじゃ……」


 そんな事は全然考えていない。そういう解釈をされるとは思わなかった。


「では、どういうつもりこの話をしたのだ?」


 どういうつもりってそりゃ。エンシェントドラゴンが値踏みするような目を向けてくるのに、わたしは視線を泳がせてからつとエンシェントドラゴンを見上げる。


「本当はおじいちゃんも日本来たかったと思うんだよ。でもお母さんが日本みたいな過酷な環境の国にはおじいちゃんは連れて行けないってずっと言ってたから……」


 もしおじいちゃんが葛湯温泉を訪れる事が出来ていたら話はもっと綺麗に丸く収まっていた事だろう。せめてもう数年早かったら。いや、今となってはそれを言っても仕方ない。


「何かと思えば言い訳か。まあ祖父の名誉を守るのは大事な事だな」

「言い訳じゃないよ。わたしが言いたいのはつまり――」


 わたしはぐっとエンシェントドラゴンの目を覗き込むと、


「わたしじゃおじいちゃんの代わりにならないかな」

「お主がマメゾーの代わりだと?」


 エンシェントドラゴンが怪訝な顔をするのにわたしは頷きを返す。


「そう、わたしがおじいちゃんの代わりにダンジョンを攻略した事にならないかな?」

「ふむ」


 エンシェントドラゴンは顎の逆鱗のあたりに手を当てると、


「心が折れそうだ」

「ちょっと」

「だがまあ、もはやマメゾーはいないのならば孫のお主で妥協するのも一つの手ではあるか。確かに我としてもこのまま去るのはあまりに後味が悪い。向こう百年程引きずってしまいそうだ」


 やれやれという仕草で力を抜く。


「いいだろうスライムよ。お主の頼み聞き入れよう。我はここをどく事にするぞ。ただしお主がマメゾーの名代としてダンジョンの感想を言い、我を満足させてくれたらな。我が満足出来ぬ場合嫁を連れてきてもらう」


 いや、だから嫁は無理だって。どうしよう。おじいちゃんだったら何て言うかを考えた方がいいんだろうか。


 いや――。

 わたしはその思考を消すと自分が思った事を素直に伝えようと思いなおす。


「あなたのダンジョン。すごい温かかった」

「ああ、それは周囲の温泉の影響だな」

「いや、そうじゃなくて……」


 そっちの温かいも確かにあったんだけど。っていうか妙に温かいのは温泉の影響だったらしい。


 色々突っ込んではいたけど、実の所わたしがこのダンジョンに抱いた感情はとてもポジティブなものだった。詰まる所このダンジョンは愛情に溢れている。迷い込んだ人が怪我をしないように安全性に配慮されているし子供が飽きないように常に新しい驚きに溢れている。


 残念ながらわたしはもう対象年齢から外れてしまっていたけれど、そのダンジョンに込められた愛情が自分のおじいちゃんに向けられたものだとわかった今わたしの心の中はとても温かい感情に満たされていた。


 わたしがその事を伝えるとエンシェントドラゴンは「そうか」と静かに目を閉じた。

 するとズズズという鈍い音と共にダンジョン内が鳴動を始めた。


「っ!?」


「心配する必要はない。ダンジョンが崩壊を始めたのだ」

「じゃあ」


 わたしが言うとエンシェントドラゴンが落ち着かせるように穏やかな声音で言った。


「素晴らしい感想をありがとう。スライム――いや、モモよ。思えば我はこの地にスライムが再びやって来たのを知った時からこうなる事を望んでいたのかも知れぬ」


 そして口元を綻ばせ微笑むとわたしに手をかざす。


「崩壊する前に外まで送ってやろう」


 するとわたしの周囲が光に包まれた。


「ダンジョンが崩壊すれば自然に排出されるだろうが、それはかなり雑なものになるのでな」


 その前にわたしの事をダンジョンの外に送ってくれるらしい。

 その心遣いに感謝しながら最後に訊ねる。


「エンシェントドラゴンさんはこれからどうするの?」

「無論、これから嫁探しをするつもりだ」

「そっか、いいお嫁さんが見つかるといいね」

「ふっ」


 わたしが言うのに、エンシェントドラゴンは鼻を鳴らす。


「スライムなんぞに心配されるまでもないわ。忘れるな、スライムなどは所詮我らが地上に受肉する為の地ならしをするバクテリアに過ぎんのだ」


 そう照れるのを取り繕うように言うと、


「さあ、行け」


 その言葉と共にわたしの周囲を取り囲む光が強くなる。


「あの、あ――」


 言葉が結実する前に景色が消える。

 気が付くとわたしは元の葛湯温泉の源泉を覆う竜の巣の前に立っていた。


「戻ってきたんだ」


 湯気が燻るゴツゴツとした岩場の風景に安心する。


「モモちゃん!」


 声を掛けられてそちらを見ると青ざめた表情のお妙さんが荒い息をつきながら駈け寄ってきた。


「急にいなくなるから心配したんですよ。遭難しちゃったんじゃないかって」

「ご、ごめんなさい」

「ほんと見つかってよかったです」


 そう言うとお妙さんがほっと安堵の吐息を漏らした。

 わたしがダンジョンを攻略していた間お妙さんはわたしの事をずっと探してくれていたらしい。ちょっと悪い事をしてしまった。


「一体どこに行ってたんですか?」

「いや、ちょっとそこのダンジョンまで」

「ダンジョン?」


 わたしが言うとお妙さんがキョトンとする。


 その時、竜の巣が花開くように勢いよく開いた。

 その中から一体のドラゴンが空に舞い上がり一鳴きすると大空へと飛び去っていく。


「ありがとうー」


 竜の巣の破片が天使の羽のように舞う中、わたしはその後ろ姿に感謝の言葉を投げかけた。

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