第7話 エンシェントドラゴン

〈7〉


 目の前に立つドラゴンはわたしを見下ろすように体を起こすと鋭い牙が並ぶ口を開いた。


「よくぞ、ここまで辿りついたなスライムよ」

「あなたがこのダンジョンのダンマスなんですか?」

「略すな。ダンジョンマスターだ。全く近頃の若いもんは」


 ドラゴンは低い唸り声を上げると、


「その通りだ。我がこのダンジョンを作りし主。エンシェントドラゴンよ」


 威厳のある声でそう言った。


「うわぁ、自分でエンシェントとかつけちゃうんだ……」

「何か言ったか?」

「あ、いえ、別に」


 わたしは取り繕うように笑って誤魔化す。これから交渉しようという相手の機嫌を損ねるのはマズイ。


「それでスライムが我に何か用か?」


 エンシェントドラゴンに訊ねられてはっと我に返ると、とりあえずダンジョンのせいで源泉から温泉が出なくなって麓の温泉郷が困っている事を伝えた。


「なるほど、温泉が出なくなっていたのは我のせいだったのか」


 わたしが言うとエンシェントドラゴンが納得したという表情で頷く。その事知らなかったんだ。エンシェントドラゴン的にはただダンジョン拡張を進めていただけで温泉を止めようという意図はなかったらしい。


 そう言う事なら話は早いかも知れない。


「温泉が再び湧くようにダンジョンをどかしてもらえませんか? エンシェントドラゴンさんも温泉街の人を困らせたいわけではないんでしょう?」

「……」


 エンシェントドラゴンは少し黙り込むと重苦しく口を開いた。


「すまぬが、このダンジョンを消すわけにはいかぬ」

「!? どうして?」


 わたしがぎょっとしてエンシェントドラゴンを見る。


「やっぱり麓の人達をいじめて楽しんでるの?」


 そして、少し棘を込めた声音を向ける。するとエンシェントドラゴンは否定を表すように首を振った。


「そういうわけではない」

「じゃあ、どういうわけなのよ?」


 わたしが詰め寄ると逆にエンシェントドラゴンがにやりと口元を歪めた。


「お主、もっともらしい事を言っておるが自分が温泉に入りたいだけであろう。露天風呂の水面で伸びるお主の姿は中々滑稽だったぞ」

「み、見てたの?」

「見ていた所か助けてやったのは我だぞ。感謝の一言でもあってもいいくらいではないか」

「……あ」


 あの時に聞こえた声、言われてみればあの時に聞こえた声はこのエンシェントドラゴンの声に似ていた。お妙さんも伸びたわたしが勝手に入ってきたと言っていた。わたしとお妙さん以外に誰かあの場にいたような気配を感じていたけど、それはこのエンシェントドラゴンだったのだ。


「その節は、ありがとうございます」


 わたしがお礼を言うとエンシェントドラゴンはふんと鼻を鳴らしていった。


「全く命知らずな事よ。我の介入がなければ死んでおった所だ。当時のスライム溜りの大きさに感謝するのだな」

「は、はぁ」


 全くその通りなので返す言葉もない。

 一つの事を除いては。


「あの、今はもうスライム溜りって言葉は使わないんですよ。ここみたいな場所の事はトールキン線量の高い地域って言うんです。スライム溜りって言葉は日本以外では差別用語ですよ」

「なんだと……」


 ぎょっとしたようにエンシェントドラゴンが固まる。葛湯温泉郷のようなトールキン線量の高い地域はスライムにとって居心地がいい。


 当然トールキン線が発見される前もなんだかスライムにとって体調がよくなる土地があるという事はわかっていて、そういう所にスライムが自然と集まって集落を作っていた。


 その為そのような場所の事をスライムが集まる溜まり場という事で〈スライム溜り〉という名称で呼んでいた。


 スライム溜りというのは要するにトールキン線量の高い土地の事だったわけだけど、今はスライム溜りという言葉自体が部落差別を助長するという事で世界では使われない。


 日本ではスライムがいない事からエンシェントドラゴンのような幻生生物であっても幻生関連の情報が全くアップデートされていないようだった。

 本当に日本がファンタジーレイヤー的な観点から見るとずっと鎖国状態にある事がわかる


「ま、まぁ、当時のトールキン線量の高さに感謝するのだな」


 言い直してくれた。助けてくれた事といい、実はこのドラゴン結構いい人なのかも。わたしがそう思いちょっと見直していると、


「確かに葛湯温泉はスライムの入る事の出来る温泉だったようだが」

「!?」


 何気なく言ったのを聞きとめる。


「葛湯温泉はやっぱりスライム入れるの?」

「ん? ああ、まだこの地にスライムが居た頃はスライム達が皆葛湯の温泉に入って楽しんでいたのを我はよく見た」


 意図せず証言が取れてしまった。実の所、まだ本当の事なのか疑っている自分が居たのだけど実際に見た人がいる以上間違いない。

 やっぱりスライムの入れる温泉はあったのだ。

 わたしがその事に色めきだっていると、


「だが、ダンジョンをどかすわけにはいかぬのでお主が温泉に入るのは無理だな。諦めよ」


 興奮に水をかけるようにエンシェントドラゴンが改めて言った。

 とはいえ、せっかくスライムでも温泉に入れるという確証を得たのだ。ここで引き下がるわけにはいかない。


「どうしてもどいて貰えないんですか?」

「どうしてもどいて欲しいか?」

「……」


 わたしが頷くとエンシェントドラゴンがふっと笑みを浮かべた。


「ならば立ち退き料を払ってもらおう。立ち退き交渉をするのだから立ち退き料を用意するのは常識だろう」


 ええ、立ち退き料って、そんな事言われても。葛湯温泉の人達いくらくらい用意できるんだろう。


「あの、いくらくらい?」


 一応訊いてみると、エンシェントドラゴンが鼻で笑った。


「我はドラゴンだぞ? 金など渡されても使い道がないわ。我が望む立ち退き料はそんなものではない」

「じゃあなんなのよ?」

「我が望む立ち退き料。それは嫁だ」

「ヨメ?」

「そう嫁よ。生まれて千年、いい加減独身生活も飽きたのでそろそろ嫁を娶ろうと思ってな。ここを立ち退いて欲しければ今すぐここに我の事を好いてくれるドラゴンの嫁を連れて来い」

「そ、そんなの無理だって」


 というか嫁くらい自分で探してよ。


「嫁くらい自分で探してよ。という顔だな」


「……っ」


 完全に考えを読まれていた。


「お主の言う事はもっともだ。だから諦めよと言ったのだ。諦めよ」

「でもわたし温泉に入りたい。せっかくアメリカからここまで来たのに。アメリカから日本に来る飛行機代がいくらか知ってるの」

「やれやれ」


 エンシェントドラゴンは訴えかけるわたしに肩を竦めると冷ややかに視線を落とすと、


「全くスライムというのは勝手な生物だな。我をこの場所に縛り付けているのもスライムだというのに」


 昔を懐かしむように微かに目を細めて言った。

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