第5話 源泉を目指して

〈5〉


 次の日、朝早くにわたしはお妙さんの案内で葛湯温泉の源泉があったという裏山を登っていた。


 本当は今日は東京観光をする予定だったんだけど、わたしの日本観光が群馬だけで終わっても構わない。そりゃ、浅草とか原宿とか行ってみたかったけど、それよりも温泉を復活させる事の方がわたしにとっては大事なのだ。


 今日もよく晴れたいい天気で空にはトールキン帯の七色の輝きを見る事が出来た。


「トールキン帯って何ですか?」


 わたしが意外とリアルガチな登山に息を上げながら、空を見上げてその事を呟くとそれを聞きとめてリアルガチ登山ファッションのお妙さんが首を傾げてわたしを見た。


「はぁ、はぁ、はぁ――」

「あ、あの、大丈夫ですか? 抱っこしましょうか?」

「大丈夫です、はぁはぁ。そんなお妙さんに迷惑かけるわけには、はぁはぁ。いかないですから。はぁはぁ」


 はぁはぁと荒い息をつきながらわたしは大丈夫という事を示すようにお妙さんにゼリー状の体を尖らせて手のようにするとぐっと親指を立てた。


「それならいいですけど」


 本当に大丈夫? という感じの顔をしたお妙さんがそう言うと気持ちペースを緩めてくれる。

 それでなんだっけ? ああ、トールキン帯が何かって話だっけ。


「え、お妙さんトールキン帯知らないの!?」

「すみません無知で……」

「あ、いや、基本スライム用語だからスライムの居ない日本では知らなくても無理ないかも」


 お妙さんが申し訳なさそうにするのに、わたしはすぐにフォローを入れた。


 トールキン帯を初めとしたこの手の幻生に関する事柄は基本的には人間にはあまり関係がなくスライムにしか関係がないので人間に理解してもらうのは難しい。


 スライムに対しての理解が進んでいるアメリカであっても未だにスライムの世迷言としてこの手の学説を否定する人もいるくらいなのだから、スライムが一切いない日本ではスライム由来の学説が全く広まっていなくても無理はないのかも知れない。


「昔……と言っても学説としてちゃんと成立したのは実はそんなに昔ではないんですけど。スライムがこの世界に生まれた時、スライム達は自分達が何者でどこから来たのかを知りたいと思って色々研究したそうなんです。そこで見つけたのが〈幻生〉と呼ばれる地上を覆うファンタジーレイヤーの存在でした。スライムはその幻生が地上に生み出した存在。幻生と地上の橋渡しをする為に生まれた。それが彼らの出した結論でした」


 しかし、その主張は人間達には長く受け入れられる事はなかった。

 あまりに説としては根拠が脆弱だったからである。


 スライム達の主張の多くは幻生に住む幻生生物に直接そう聞いたというものだったからだ。それは人間に例えるならば霊媒師が霊界に住んでいる人間の幽霊に話を聞き、霊界の幽霊が人間の起源はこうだと言っているので人間の起源はこうであると言っているに等しい。


 スライムが出現するまでその存在を示唆する者がいなかった事からもわかるように人間は幻生を知覚する事が出来ない。

 そうである以上その主張で人間達に納得させるのは無理があった。


 その為長らく幻生の存在は学会では相手にされなかったが、ロシアの宇宙局に勤めていたスラーリンという名前のスライムがヴァンアレン帯の内側に新たな力場を発見した事で状況は一変する。


「お妙さんはトールキンは知ってますか?」

「え、えーと。すみません」

「ファンタジー作品の始祖みたいに言われてる人なんですけど。ほら、ちょっと前に映画やってませんでした。エルフとかドワーフが出てくるやつ」

「あ、ああ! 知ってます。CGがすごいって話題になってましたよね。登場人物の肌が青いんですよね」


 うーん、なんか違うような気も……。ま、いっか。


「その映画の元になった小説を書いた人がトールキンなんです」


 そしてスラーリンはその新たに発見した力場をトールキン帯、そこから地上に降り注ぐエネルギーをトールキン線と名付けて幻生とはこのトールキン線が地上に溜まって出来たものであると発表した。


 トールキン帯とトールキン線では幻生の時とは違いスライム達は一応の計測機器を作る事が出来たのでスライム達の学説が段々と人間達に受け入れられるようになっていった。


 もっともその計測機器はスライムの体組織の一部やDNAを利用するなど若干胡散臭いものだった。今でも人間の中にこの学説を否定する人がいるのはこの為だ。


 トールキン帯は人間が空想した時に発せられるエネルギーを留めてしまう力場。そして溜めきれなくなったエネルギーはトールキン線となって地上に降り注ぐ。


 つまる所スライムの起源というのは、宇宙の起源とかビックバンとか。そんなスケールの大きな話じゃなくてもっと小さな世界で生まれた。

 溢れ出る人の空想の中からついに零れ生まれたのだ。


「なんだか難しいですけど、本当にそうならちょっとロマンチックな話ですね」


 お妙さんはわたしの話を少しだけ信じてくれたようだ。スライムとの接点が希薄だった典型的な日本人のお妙さんが少しでもスライムの言葉に耳を傾けてくれるのはすごく、そして嬉しい事だ。


 ちょっと疲労が和らいだ気する。


「?」


 いや、気のせいではなく実際に体が軽くなっていた。気が付くと周囲の風景がゴツゴツとした岩場を中心とした景色に変わっている。体が軽く感じるのは先に進むにつれてトールキン線の線量が増えているからだ。


 トールキン線は人間には無害だがスライムには疲労回復効果がある。そして辺りにはもくもくとした温かい湯気が立ち上っている。


「ここが葛湯温泉の源泉です」


 お妙さんが足を止める。


「やっぱり――」


 温泉自体は今も湧き出ている。

 それが不可思議な力で堰き止められているのだ。


 これだけトールキン線量の高い土地であるならば幻生を覗き見る事は容易い。わたしにはその不可思議が形となってはっきりと見えていた。


「ほら、何もないでしょう」


 お妙さんがそう言って手で指し示す先には巨大な竜の巣が源泉に覆いかぶさるように出来上がっていた。

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