第3話 スライムでもお箸は使えるんです
〈3〉
「ふぅ、食べた食べた」
空のお皿を前にしてふぅと一息。あまりに美味しくて一気呵成に食べてしまった。ちょっと食べ過ぎちゃったかも。あんまり太るとキングスライムになっちゃう。
ご飯も食べた事だし、さて寝るか……。
「ってちっがーう」
思わず自分で自分に突っ込みを入れていると食器を片付けに来た仲居の伊藤さんと小林さんがぎょっとしたようにわたしを見る。
「あ、いえ、何でもないです」
こっちの事ですと愛想笑いを返すと怪訝な表情を向けながらもテキパキとした手際で食器を片付けていく。
あまりにもご飯が美味しかったものだから三大欲求の一つである食欲が満たされた事による多幸感によってここに来た本来の目的を忘れかけていた。
肝心要の一番の目的。
それは温泉に入る事なのだ。
空港のお姉さんの話では葛湯温泉は現在温泉が出ていないという事だったけど、それは本当の事なのか。本当にもう葛湯温泉郷の温泉に入る事は出来ないのか。いずれにしても女将のお妙さんに話を聞いてみなければならない。
わたしは食器を片付けている仲居さん達に声を掛けるとお妙さんを呼んできてもらえるように頼んだ。
程なくしてお妙さんが表情を青白くしてやってきた。
「な、なんでしょうか。もしかしてお料理がお口に合わなかったですか。ああ、やっぱり白玉汁粉よりコーヒーゼリーの方がよかったんだわ」
「いえ、料理はとても美味しかったです。白玉汁粉もとても美味しかったですから」
「そうですか。やっぱりスライムだからゼリーが必要だったのかなって思って。ほらこんにゃくゼリーのCMに出てますし」
日本でもスライムがゼリーのCMに出ていたか。
昔、見た目がゼリー状だからという理由でゼリー会社がこぞってスライムをゼリーの商品CMに起用した。その為、今はそうでもないけど年配の人は今でもスライムといえばゼリーが好きというイメージを持っている人が多いのだ。
日本でも同じように有名なこんにゃくゼリーのCMにスライムが出ているらしい。日常的にスライムを見る事のない日本の人にとってスライムを見る機会というのはこんにゃくゼリーのCMくらいしかないので今でもスライムといえばゼリーというイメージは強く残っているようだ。
「まあ、ゼリーも好きではあるんですけどね」
割りとわたしはステレオタイプなスライムなのだった。ハンバーガーもステーキも好きなのでステレオタイプなアメリカ人でもある。
それはともかくとして、
「わたしがお妙さんに訊きたいのは温泉の事なんです」
わたしがそう切り出すと血行を取り戻しつつあったお妙さんの顔色が再び青ざめた。
「葛湯温泉の温泉が止まっているというのは本当です」
お妙さんが沈んだ声音で言う。
事が起きたのは数年前の事だったという、それまでは潤沢に溢れていた温泉が突然減りだしたのだ。それは年を経る毎に量が少なくなりついにゼロになった。
元々温泉街としては寂れつつあった葛湯温泉郷にとってはそれは致命傷となり一気に廃墟……は言いすぎかもしれないけど、ゴーストタウンになってしまった。
数あった温泉旅館も撤退し、今残っているのはこの葛ノ湯旅館だけ。
「温泉が出ないならお風呂はどうなってるんですか?」
素朴な疑問。その疑問に申し訳なさそうにお妙さんが答えてくれた。
「お風呂には今は普通に温めたお湯を張っています。温泉ではありませんけど、立派な露天風呂ですから一応は温泉気分を味わう事は出来ますよ」
なので入浴する事自体は可能だという事だった。
露天風呂はすごい、家庭では絶対に出来ない。とはいえ、それじゃただの豪華な入浴設備のお風呂である。
それだとなぁ。
わたしは「うーん」と少し躊躇ってから口を開いた。
「どうにかして温泉に入る事は出来ませんか? 葛湯温泉の温泉じゃないと駄目なんです」
「すみません。他を紹介してあげたくてももうここ以外にちゃんと温泉設備が整っている場所が葛湯温泉にはなくて」
そして設備がしっかりしていても肝心の温泉が流れてこないと。
やっぱり駄目か。わたしががっかりしていると、
「どうして、そんなに葛湯温泉に入りたいんですか?」
「それは――」
わたしはお妙さんにスライムの体質。すなわちお湯に浸かると溶けてしまうという事と、おじいちゃんが昔この辺りに住んでいて葛湯温泉のお湯に浸かっていたという話をした。だから、葛湯温泉の温泉ならばもしかしたらスライムでもお湯に浸かる事が出来るのではないかと。
「スライムってお風呂に入ると溶けちゃうんですか?!」
わたしの話を聞いてお妙さんがびっくりして目を丸くする。ああ、やっぱり知らなかったか。普通スライムが温泉に入りたいなんて言おうものなら入水自殺でもしに来たのかという目で見られるのにそれがなかったので多分知らないんだろうなと思っていた。
「でも葛湯温泉の温泉では溶けなかったと」
「はい」
お妙さんが言うのにわたしは頷く。
「お妙さんそういう話を聞いた事はありませんか?」
わたしが訊ねるとお妙さんは少し考えると、
「残念ながら私はそういう話は聞いた事がありません。そもそもスライムの方に実際にお会いするのも初めてですし」
眉を八の字にして困り顔で言った。まあ、それは当然と言えば当然だった。スライムがお湯に浸かれない事も知らなかったのだ。そんな何十年も昔のスライムの話を知っているはずがない。それにおじいちゃんの話だからなぁ。もしかしたらボケてたのかも。
そんな一抹の不安もないではなかった。
お妙さんが気を使って他の従業員の佐藤さんと鈴木さんと伊藤さんと小林さんと田中さんにも訊いてきてくれたけど、全員の答えもやっぱり「知らない」だった。
「それで……どうしますか?」
大広間に戻ってきてその事を報告してからおずおずと伺うようにお妙さんがわたしに切り出す。
どうしますか? というのはそれでも入りますか。という意味だ。
答えはイエスである。
もしかしたら温泉そのものではなくて土地的なものが影響している場合もあるのだから例え普通のお湯を張っただけの張りぼての温泉でももしかしたらという事があるかも知れない。
「もちろん入ります。せっかく来たんですから。案内してください」
入らないという選択肢はないだろう。
わたしがはっきりとした口調で言うと、お妙さんがまるで入水自殺をするスライムを見るかのようにわたしを見た。
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