#18 ばらの祈り

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ダナの友人たちは、ダナとバクルを外国に逃がそうとしていた。しかしその途中でアムルたちが待ち伏せていて、ダナを奪おうとする。そこにキファーフが助けに来て、アムルたちとふたたび争いになる。そのとき遠くから馬の大群が走ってくる地響きが聞こえてくる。


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 リリアナ、ダナ、パリーサ、レイラーを乗せた車は、ようやく待ち合わせ場所の砂漠の町のホテルに着いた。ホテルといっても前に見たオアシスのホテルよりさらに小さく、五室か六室しかない素朴なものだ。そのロビーとも言えない玄関ホールでは、すでにバクルが待っていた。ダナが声もあげずに彼のもとに駆け寄る。

「できればすぐに出発させたいけれど、準備はどうかしら」

 パリーサの言葉にレイラーが携帯電話を取り出してボタンを押しながら言う。

「パイロットに聞いてみるわ」

「飛行場はここから遠いの?」

「いいえ、歩いていけるわ。でも待つ場所がないのよ。出発ぎりぎりまでここにいたほうがいいわね」

 リリアナの心臓の鼓動がどんどん速くなる。ダナはきっと私よりはるかに大きな不安と闘っているはずだ。

 レイラーが電話を切った。

「エンジンの調整がもう少しかかりそうなんですって。でも三十分くらいで終わるでしょうって」

「そう。それならダナとバクルは何か飲み物でも飲んで、気分を落ち着かせなさい」

「ええ。ありがとう。パリーサ」

「受け入れ態勢は整っているわ。飛行機に乗ってしまったら、あとはパイロットに任せて。信用のおける人だから、何も心配することはないわ」

 ダナとバクルは黙ってうなずいた。

 三十分ほどすると、レイラーの携帯が鳴った。すぐに取ると、ほんのひとことふたこと言葉をかわして切った。

「準備ができたそうよ。さあ、いきましょう」

 ちょうど日が傾きかける時間になっていた。ホテルから外に出ると砂漠に長い影ができる。バクルとダナは体を丸め、寄り添って歩いている。まるでそうしていれば、自分たちの存在が見えなくなるかのように。

 全員が急ぎ足で砂漠を歩く。五分ほど歩いたとき、レイラーがふと立ち止まって耳をすませた。

「誰かが馬で近づいている音がするわ。急ぎましょう」

 そう言ってダナとバクルを追い立てるようにして急がせる。リリアナはまわりを見回したが、人間らしきものは見えない。しかし一分もしないうちに地平線に黒い点が見えてきたかと思うと、あっというまにそれが長い影になった。

「早く! 飛行場はあと少しよ」

 全員が大急ぎで走り出す。しかし影はどんどん近づいてきて、飛行場にたどり着く前にリリアナたちは五頭の馬に取り囲まれてしまった。

「国外逃亡をもくろんでるのかな? レディのみなさん」

 それはハルーシュ国のアムルだった。誰もが口をつぐんでいる。この場で私にできることは……。あせりを抑えてリリアナは考えをめぐらす。

その間にもアムルが馬を降りて近づいてくる。それを見てリリアナは、はっと気づいてポケットに忍ばせたボイスレコーダーのスイッチを入れた。

「用があるのはダナだけだ。ダナがこちらに来れば、手荒なことはしない」

 ダナがびくりと体をこわばらせる。

 バクルが彼女をかばうように前に出て、アムルに向かって何か叫んだ。そしてレイラーも続けて言う。

「アムル。ここには外国籍の人間もいるのよ。手荒なまねなんかしたら国際問題になるわ」

 レイラーのその言葉を聞いてアムルは鼻で笑った。

「むしろ心配しなけりゃいけないのは、そちらのほうじゃないか? 外国人が王女の国外逃亡に手を貸したなんて、ラフィーブ国王に対する反逆みたいなものだからな。強制帰国はもちろん、二度とこの国に足を踏み入れられなくなってもおかしくはない」

 全員が反論できないでいるとアムルの連れの男二人が、馬を下りて銃を構えて駆け寄ってきてバクルを羽交い絞めにする。それを見届けてアムルがダナの手首をつかみ、引きずるようにして馬のほうへ連れて行こうとした。

「ダナ!」

 バクルが叫ぶと、彼を拘束していた男の一人が腕を振り上げて、彼の首のうしろにたたきつけた。バクルが膝からくず折れる。それを見たダナは、激しく抵抗した。

「放してよ!」

振り払おうとしても、ダナの力ではとうてい無理だ。レイラーとパリーサが助けに行こうとしても、アムルの従者たちに阻まれる。相手は馬、自分たちは徒歩。いまの時点でできることはありそうもない。リリアナは唇をかみしめた。

「せっかくだ。そっちのアメリカ人も連れていく」

 リリアナはぎくりとした。

「アムル! 外国人を拉致するなんて、本当にただじゃすまないわよ!」

「心配するな。丁重におもてなししたうえで、すぐに帰す。なにしろ私の妻となる女性の友人だからな。ただ外国人の安全を守れないということになれば、ラフィーブが目指している観光立国への道は厳しくなる」

 彼らは私を利用しようとしている! リリアナは悔しさでいっぱいになった。しかし従者たちに腕をつかまれて、無理やり馬に乗せられてしまった。

「やめて! 降ろして!」

 大きな声が出ても、砂漠ではまったく役に立たない。殺されたり危害を加えたりしないとアムルは言ったが、そんなことに何の保証もない。私はここで行方不明になってもおかしくはないのだ……。そう思うと急に強い恐怖に襲われた。

 男たちが手綱を引き、馬を走らせようとしたとき、背後から鋭い声が飛んだ。

「待て! アムル!」

 アムルと従者たちが振り返る。

「キファーフ! なぜおまえがここにいるんだ!」

「その二人を返してもらおう。一国の王女と大切な客人をおまえたちに渡すわけにはいかない」

 その声に合わせてキファーフの従者が数人リリアナたちの乗った馬に駆け寄ってくる。アムルの従者たちはなんとか人質を奪い返されまいとして応戦する。馬上の男が馬を走らせようとするのを、下ではそれを阻止しようと手綱を引っ張る。

 リリアナは鞍につかまり、なんとか馬から飛び降りようとタイミングをはかっていた。そのとき、砂ぼこりの中で、ぱんっという乾いた音が響いた。まぎれもない銃声だ。リリアナは思わず身をすくめる。次の瞬間、音に驚いた馬が前肢をあげていなないた。馬の体が大きく傾き、リリアナと男は馬から振り落とされた。

 地面にたたきつけられた瞬間、激しい痛みを感じた。いったい何が起こったのかわからず、うずくまっているとうしろから誰かに起こされた。

「安全なところまで移動する。痛むかもしれないが、少し我慢して歩いてくれ」

 声の主はキファーフだった。彼はいったいいつ馬から降りたの? 頭の片隅に目の前の戦闘とはあまり関係ない思考が次々と浮かぶ。

キファーフの助けを借りてなんとか立ち上がると、彼がレイラーたちのところまで連れて行ってくれた。彼女たちの顔を見て、それまでの緊張がどっとゆるむ。

「リリアナ、大丈夫か?」

 目の前にキファーフの顔が迫って、リリアナは一瞬、痛みさえ忘れた。

「少し腰を打ったけれど……大丈夫」

 荒い息をつきながらリリアナは言った。

「ここでじっとしているんだ。パリーサ、彼女を頼む」

「ええ、わかったわ」

 そう言い捨ててキファーフは馬に戻ろうとする。しかしなぜかまたリリアナの前に戻ってきた。

「リリアナ、カメラを持っているか?」

 一瞬、何を言われているのかわからなくて返事ができなかった。

「取材で使っているビデオカメラだ」

「あ……バッグの中に……」

「これね」

 横にいたパリーサがバッグを渡してくれた。震える手でビデオカメラの入った袋を取り出す。

「リリアナ、この戦闘を撮るんだ」

「え?!」

 目の前のこの光景を撮影しろというの? リリアナがためらっていると、キファーフが肩をつかんで言う。

「きみはジャーナリストだろう! 撮るんだ!」

 その言葉にリリアナははっとした。さっきスイッチを入れたボイスレコーダーはまだ動いているだろうか。アムルがダナを奪いに来たのが戦闘の発端だという証拠があれば、ラフィーブに有利になる。いま私にもできることがある。そう思うと力が湧いてきた。

「わ、わかったわ」

「頼むぞ」

 キファーフが手を離そうとしたとき、カメラの袋の中に、小さな砂漠のばらが入っているのが見えた。リリアナはとっさにそれをつかむ。

「キファーフ、これを!」

 キファーフが差し出した手に石を渡すと、一瞬、彼は目をみはった。しかし少しうなずいただけで、急いで馬へと戻っていく。

 どうか無事で戻ってきて。

 リリアナは心の中でそう何度も唱えた。

 心臓はずっと音を立てて鳴っている。何度もカメラを取り落しそうになりながら、なんとか録画ボタンを押すところまでこぎつけた。キファーフはすでに馬上に戻り、剣をアムルに向けている。アムルも同じ形の剣でそれを受ける。

 彼らのまわりを馬と人が取り囲み、入り混じって激しく動く。砂埃が舞い上がり、馬が走る音が低く地に響く。剣が交わる高い金属音が聞こえるたびに、リリアナは胸が苦しくなる。

戦闘の迫力に身がすくみそうだったが、カメラが動かないよう、ギュッと両手で握りしめる。ときどきカメラのファインダーが馬上のキファーフをとらえ、彼が無事であることにわずかな安堵をおぼえた。

ひときわ激しく剣がぶつかる音がして、一頭の馬が倒れて人が落ちた。

「ダナ!」

 リリアナは思わず叫んでしまった。落ちたのは黒いアバヤを着たダナと捕えていた男だった。ちょうどダナが上になって落ちたため、従者は身動きひとつしない。だが、ダナはよろけるようにして立ち上がった。すばやくキファーフの従者の一人が腕を支えてリリアナたちがいるところまで連れてきてくれた。

 まっさきにそこに駆け寄ったのは、殴られてさっきまで動けなかったバクルだ。

「バクル!」

 埃まみれのまま、ダナは彼にすがりつき、バクルは彼女を強い力で抱きしめた。

しかし、しばらくするとバクルは体を離し、ダナに何かささやいて、勢いよく立ち上がった。彼を追いかけようとするダナを、レイラーとパリーサが抱きかかえるようにして止めた。そして自分たちのそばに寄せて、かばうように身を伏せさせる。

「ダナ! けがはない?」レイラーが尋ねる。

「私は大丈夫。でもバクルが……」

 ダナの体はまだわなわなと震えている。

 彼はアムルの従者たちの馬に乗って、キファーフたちに続いて争いに加わっていた。

「きっと大丈夫よ。キファーフがついているもの」

「ええ……ええ」

 ダナが涙を抑えて言う。

「一国の王女を拉致しようとしたのよ。彼らを捕まえるには絶好のチャンスだわ」

 リリアナとダナが無事だったことに安心したのか、レイラーが勢いこんで言う。

「キファーフもそう考えているわ。国境を越えられたらもう追えなくなる。だから逃がすまいとしているのよ」

 馬十頭ほどと人間十人ほどの争いはどちらが有利に運んでいるのかよくわからない。どちらの側もまだ馬から落ちた人はいない。ある者は敵を追い、ある者は行く手をふさぐ。アムルたちが逃げようとするのを、なんとかキファーフは止めようとしているようだ。

 アムルたちがキファーフを振り切って、国境方面へと馬を走らせる。キファーフはすぐに彼らを追いかけた。日が傾き地平線の向こうに落ちようとしている。その前に馬と人が真っ黒なシルエットになって浮かびあがった。

 しばらくすると、どこからかかすかに地響きのような音が聞こえてきた。リリアナは耳を澄ます。

「何か聞こえない? 遠くを列車が走っているような音が」

「ええ。馬からくだの大群みたいな……でもまさか」

 音はしだいに大きくなっている。やはり何かが近づいている。リリアナは音の方向にカメラを向けた。地平線の先からしだいにその姿が現れる。

 やはり人を乗せた動物の大群だ。それが押し寄せるように近づいてくる。

「あれはいったい何……?」

「わからないわ。敵なのか味方なのかも」

 さすがのパリーサとレイラーの声も緊迫している。

 得体の知れない集団。ここで私は本当に命を落とすかもしれない。あるいはアメリカにはもう帰れないかもしれない。

 リリアナの喉がごくりとなる。怖い……これまで経験したことのない恐怖が、心の底から湧いてくる。力を入れていた指がまた小さく震えはじめ、目をつぶってしまいそうになるのを、リリアナは歯を食いしばって耐えた。

 地響きはどんどん大きくなり、心臓の音がその響きに共鳴する。立ちのぼる砂ぼこりとともに近づいてきた大群が、アムルたちとそれを追うキファーフたちを飲み込んでいった。

 キファーフ、どうか無事でいて。

 私のところへ戻ってきて……。


 リリアナは祈るように、心の中で唱え続けた。

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