#16 ラフィーブの結婚披露パーティー

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市場での失敗に意気消沈するリリアナ。そんな彼女を励ますためか、ダナが知り合いの結婚式に誘ってくれた。男女別で行なわれる披露パーティーでは、みんなぜいたくに着飾り、想像を超える華やかさだった。


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 6翌日の午前中、リリアナはホテルの部屋にこもってデータ整理をしていた。ステイシーとアレックスは、レイラーが手配してくれた真珠加工場の取材へ行っている。昨日の騒ぎもあり、また工場のような場所ではまだ女性は歓迎されないからと、自主謹慎のような形をとったのだ。

 これまでに撮った写真やビデオのデータをパソコンに移し、メモをまとめて、番組をつくるためのリクエストがあればすぐ記事にできるようにしておく。

 作業に没頭しているうちに、ふたたび仕事への意欲がわいてくる。

失敗は失敗だ。同じことを繰り返さないための糧にすればいい。取材日数はあと一週間。データをまとめることで、次に何をしたいかがわかってくるような気がする。

 そのときドアにノックの音がした。リリアナはどきりとする。思わず服装をチェックしてドアへと向かった。開けるとそこにはダナが立っていた。

「ダナ」

「おはよう、リリアナ。きのうはたいへんだったんですってね」

 きのうの騒ぎのことは内密にするはずだが、さすがにダナは知っているらしい。

「ええ。私の不注意だったの」

「それで謹慎?」

 リリアナは苦笑する。

「そういうわけじゃないけど……これまで撮った写真やビデオのデータをまとめておこうと思って」

「そう。じゃあ、それが終わったら私と出かけない? きょうの夜、知り合いの結婚式があるのよ。アラブの結婚式を見たいと言っていたでしょう?」

 結婚式ですって?! 好奇心がむくむくとわきあがる。アラブではどこで、どんな風に結婚式を行うのだろう?

「行きたいわ……でも私なんかが行っていいのかしら? 招待もされていないのに」

「こちらでは招待客の数を事前に決めたりしないの。知り合いが知り合いを呼ぶのもふつうよ」

「本当に?」

「パーティは男女別だと言ったでしょう? 女は女だけで、花嫁を囲んで飲んだり食べたりするの」

 女だけのアラブのパーティ。黒いアバヤの下には、どんな素顔が隠れているのかしら。リリアナはどうしてもこの目で見たいと思った。

「行きたいわ! ダナ。連れていって!」

リリアナは思わず叫んだ。

「わかったわ。それならまずは着飾らないと。あなた、ドレスは持ってきている?」

 リリアナが持ってきたドレスとアクセサリーを見せると、ダナはあからさまに不満な顔をした。

「ちょっと地味ね」

 リリアナとしてはかなり気合を入れてドレスを選んだつもりだけれど、ラフィーブでは通用しないらしい。しかたないので、ダナの行きつけの美容院に行って、ドレスとアクセサリーをレンタルしようということになった。

 ダナが連れてきてくれたのは、ホテルの中にある美容室だった。彼女はお得意様らしく、ドアを入った瞬間、店員が一人飛んできて、そばにつきっきりになった。ダナはリリアナを店員に引き合わせ、何かアラブ語でまくしたてた。

 何が起こっているのかわからないまま、奥の部屋へ連れて行かれる。ダナが事前に連絡をしていたせいか、そこには何枚かのドレスがかけてあった。そしてその横には重々しいアクセサリーがずらりと並んでいた。シャンデリアタイプのイヤリング、細いリングを何重にも重ねてつけるブレスレット、そして首から胸をおおってしまいそうなボリュームのあるネックレス。そこに大きな宝石がちりばめられている。

「すごいわ。これ全部つけたら、重くて動けなくなりそう」

「アラブ女性はこうやってウェイトをつけて体を鍛えているのよ」

 おどけた口調でダナが言う。たしかにこれでは、リリアナが持っていたアイボリーのドレスが地味に見えるわけだ。

 ダナと美容師と三人であれこれためし、最後に落ち着いたのは鮮やかなオレンジ色のドレスだった。オフショルダーで胸元と肩が大きく開き、その素肌が見える部分を、真珠をふんだんに使った幅のあるネックレスで飾る。腕にも幅のあるバングル。そして大きなエメラルドのついた指輪もつける。

 ドレスは決まったが、まず髪をセットしなければならない。リリアナの短い髪に、美容師がぶつぶつと文句を言った。

「ショートヘア、ノーグッド!」

 セットのしがいがないと言っているようだ。ショートカットにしているのは理由があるけれど、彼女たちにはまったく理解できないことかもしれない。

美容師は髪をいじっている間じゅう「メイク・イット・ロング!」と繰り返した。

 それでもトップをなでつけ一つに結っているような形にして、首筋にかかるように花の飾りをつけると、ようやく彼女も満足したようだ。

 しかしそれだけでは終わらない。アラブ風のスタイルには、化粧も合わせなければ浮いてしまう。アイラインをくっきりと引き、その上にはグリーンのシャドウ、そして真っ赤な口紅を塗られてしまった。

 女ばかりのパーティはいったいどんなことになるのだろう。


 パーティの始まりは遅く、七時にホテルを出ればいいという。一時間後くらいに迎えに来てくれるというので、それまで部屋に戻っていることにした。

 十五分ほどしてアレックスとステイシーが真珠加工場の取材から戻ってきた。打ち合わせ用の小さな会議室でリリアナを見たとたん、彼らは大きく目をみはった。

「おいおい、そのかっこどうしたんだ?」

「ダナ王女が知り合いの結婚披露パーティに連れて行ってくれるの。それでドレスアップしなさいと言われて」

「おまえ、そんな服持っていないだろう?」

 アレックスが心配そうに聞く。

「ええ。ダナの行きつけの美容院でレンタルしたの。私が持ってきたのでは、あまりに地味だと言われたわ」

「へえ。あのアラブ女性の黒いアバヤの下には、そんな派手な服が隠れてるのか」

 ステイシーが感心したように言う。

「特に結婚披露パーティは派手だそうよ」

「しかしそういうときでも、夫以外の男の前で肌を出しちゃいけないんだろ?」

「ええ。パーティは男女別」

「結婚披露なのに?」

「不思議よね。最後に花婿が花嫁を迎えに来て、そのまま新居に帰るんですって。そのときだけアバヤを着ないといけないそうよ」

「ふーん。男もいない、アルコールもないなんて、いったい何をすればいいんだ?」

 ステイシーが首を振って言う。

「男だけのパーティも、おれはあまり出たいとは思わないけどねえ」

 

 その後、ホテルにダナを乗せた黒塗りのリムジンが迎えに来た。ステイシーとアレックスに見送られ、リリアナは晴れがましい気持ちで車に乗り込んだ。

 これも女性であることの特権ね。いいえ。王族と知り合いになったことの特権かしら。

 披露宴会場に到着したのは午後八時を少し過ぎたころだった。会場のバンケットルームにはすでに多くの女性たちが来ていた。彼女たちは会場のドアを入るまでは、もちろんアバヤを身に着けている。しかし会場に足を踏み入れると、そこには南国の花畑のような光景が広がっていて、リリアナは息をのんだ。

 赤、グリーン、コバルトブルー、シルバー、ゴールド、レモンイエロー……女性たちのドレスの色はどれも鮮やかだ。素材はいろいろだが、光る生地が多く、そうでなくてもスパンコールやビーズが縫いつけてあり、全体的にきらきらしている。

 形も大胆だ。ふだん隠している反動なのか、肩や背中が大きく開いているドレスを着ている女性が圧倒的に多い。外であまり日を浴びないせいか、みんな肌が美しい。そこを飾るゴールドのチェーンがその美しさをさらに引き立てる。

 ダナはパープルピンクというのか、紫に近いピンクの鮮やかなドレスに着替えていた。胸元から腰までほどこされた華やかな刺繍が人目を引く。

「あら、ダナ。リリアナも連れてきたのね」

 黒髪を結い上げた少し年長の女性が、ダナに話しかけてきた。

 私のことも知っているようだけど、誰だったかしら。リリアナは女性の顔を失礼にならない程度にじっと見た。

「あ、病院でお会いした……」

 国立女性病院を案内してくれた医師であることにようやく気づいた。名前はたしかパリーサといっていた。

「ええ。ここでもお会いできてうれしいわ」

 彼女はホルターネックのゴールドのドレスを着ていて、白衣の印象とまったく違う。

「パリーサはきょうの花嫁の遠縁にあたるの」

「そうですか。おめでとうございます」

「ありがとう。もっとも本当に遠い親戚で、めったに会うことはなかったけれど。でもラフィーブでは結婚式はお祭りのようなものよ。本人をあまり知らなくても、祝う気持ちさせあれば来ていいの。だからあなたが来てくれてうれしいわ」

「私も来られてうれしいです。アラブの女性たちが集まるとこんなに華やかだなんて想像できませんでした。ダナに感謝しないと」

「外国人にこの国を知ってもらうのはいいことだと思うわ。観光客を増やしたいという政府の政策にとってもね」

 パリーサは医師という職業を持った、この国のエリートなのだろう。こういう女性がいることも、今回はじめて知った。この国にはもっともっと知りたいことがある。リリアナは思った。

 そのときひときわ大きな音で音楽が鳴り、会場の入り口が開いた。数人の女性をしたがえて花嫁が入ってきたのだ。白ではなくロイヤルブルーのドレスを着ている。形はインドのサリーに近い。おそらくラフィーブの伝統的な服なのだろう。そしてもちろん髪や腕、胸元をゴールドのアクセサリーが飾っている。

「すてき……」

 リリアナも思わずため息をもらした。

「ラフィーブでは伝統的に花嫁はあの色を着るのよ。アクセサリーや花をつければ地味にならないでしょう?」ダナがささやく。

「ええ」

「ブルーはここでは貞淑の色と考えられているの。オアシスの色というイメージもあるわね。だからラフィーブの若い女性にとって、青は憧れの色なのよ。あなたたちからすれば古臭いかもしれないけど」

「いいえ、そんなことないわ。西洋の白いウェディングドレスも、純潔や無垢を表す色ですもの」

「そう言われればそうね」ダナは屈託なく笑った。

 貞淑、純潔、無垢……それはすべて夫となる人に捧げるもの。世界中どこでも、結婚のイメージは変わらないのかもしれない。

 リリアナは青いドレスをまとった花嫁を見つめた。もし……もし私がキファーフと結婚したら、私もあんなロイヤルブルーのドレスを着るのだろうか。そしてラフィーブの女性たちから華やかな祝福をしてもらうのだろうか。

 いったい何を考えているの。リリアナはあらぬ想像をしている自分に気づき、はっとして自分を叱った。彼との結婚なんてありえない。けれどもその想像はあまりに甘美だった。

 花嫁が席につくと盛大な拍手が起こる。そして客の女性たちは、思い思いに飲み物や食べ物を取りにビュッフェテーブルへと向かった。

 アルコールがないから乾杯もないわけね。それでも女性たちの顔は明るく楽しそうだ。リリアナもまた、花嫁から幸せのおすそ分けをもらったような気分になる。

 リリアナとダナ、そしてパリーサはその場に立ったまま話を続けていた。するとひときわ華やかなグリーンのドレスを着た女性が、飲み物を持って二人のそばにやってきた。

「みなさん、ごきげんよう」

「あら、レイラー。来ていたのね」

「ええ、もちろんよ。結婚披露パーティを逃すなんてもったいないことできないわ。パーティはやっぱり女ばかりに限るわ。たいくつなビジネス関係のパーティなんかより、はるかに楽しいもの」

 このパーティに来ている人たちは、みんなそれなりに身分の高い人たちに違いない。その中でもこの三人はきわだっている。他の女性たちが、飲み物や食べ物を持ってきてくれて、いつのまにか四人のまわりには人が集まっていた。

 彼女たちは、そばにいるリリアナにも親しげに話しかける。リリアナはリリアナで、外国メディアの記者ということで目を引いていたようだ。

「あなた、アメリカのテレビ局の人でしょう? ホテルのショッピングエリアで取材しているのを見たわ」

「あの金髪の男性はあなたのお兄さんなんですって? 彼、すてきね」

「あら、大きなカメラかついだ人もワイルドでいいわ」

 次々と話しかけられて、リリアナは目が回りそうだった。

 ラフィーブ上流階級の女性たちといっても、外国人の男性には興味があるようだ。リリアナは彼女たちの話を聞いて、自分たちが驚くほど注目されていることを知った。スターTVのことからラフィーブに来た理由まで、実によく知っている。

「あなたたち、いいかげんになさい。外国のテレビクルーにそんな興味を示すなんて、はしたないじゃないの」

 うしろからハスキーな声が聞こえ、リリアナは振り返った。パリーサもそちらを見て、わずかに眉をひそめる。

「アマスーメ。あなたも来ていたの」

「あら、来ちゃいけなかったかしら?」

 アマスーメはそこにいた女性にしては珍しく、黒いドレスを着ていた。黒といっても光る素材で、ライトの当たりかたによって銀色の光を発する。胸も大きく開いて豊かなプロポーションを強調していた。

「こんにちは。ミス・マッキンリー。先日は私の父があなたにお会いしたと言っていたわ」

 そうだ、あの内務次官はアマスーメの父親だった。まるでたまたま会ったような言い方だけど、わざわざホテルの部屋までおしかけてきたんじゃないの。

「ええ。突然いらっしゃってびっくりしたわ」

「あら、それは失礼」

 そう言ってぶしつけにじろじろとリリアナを見た。

「私の父は外国人観光客がラフィーブに入ってくることには慎重であるべきだと考えているわ。たとえそれがシーク・マルルークの政策だとしてもね。外国人が増えれば文化が破壊される危険がある。だから外国のテレビに対して警戒したのよ」

「私たちはできるだけ、ありのままのラフィーブを伝えようとしています。その国独自の文化はその国の魅力そのものです。それを破壊する意図なんてありません」

 アマスーメはふっと鼻で笑う。

「それだけじゃなくて、父はあなたとキファーフの間に縁談が進んでいるとでも思ったようね。でもそれは誤解だとわかって、安心したようよ。あなたはキファーフと結婚する気なんかないのでしょう?」

 そう断定的に言われると、すなおにイエスとは言いたくない。

「さあ。何しろ私はあのとき初めて聞いた話なので」

「あら、それではあらためて話があれば考えてもいいということ?」

 考えてもいい? 

 それはキファーフの気持ちしだいだ。彼は私にキスをした。いったいあれはどういうことなのだろう。彼の熱い唇の感触を思い出すとリリアナは心がうずいた。いったい彼は私をどう思っているの?

「アマスーメ。そんな詮索はおやめなさい。リリアナが困っているじゃないの」

 パリーサがやんわりとアマスーメをいさめる。

「パリーサ、私の父はラフィーブ王室に外国人の血が入るのは望ましくないと思っているわ。内務次官としてラフィーブの行く末を考えてのことよ」

「キファーフは王位継承順では第五位よ。それほど気にする必要はないでしょう。役人の娘にも、外国人と結婚してる人がいるし」

 パリーサの言葉を受けて、隣にいたレイラーがずばりと言う。

「アマスーメ、はっきり言ってしまったらどう? 自分がキファーフと結婚したいから、リリアナには身を引いてほしいって」

 それを聞いてアマスーメの顔色がさっと変わった。

「レイラー。口を慎みなさい。あなたはイギリスに留学してイギリス人と結婚したわ。それがご自慢なのかもしれないけれど、西欧の流儀をそのままラフィーブに持ち込まないでいただきたいわ」

「それは失礼。でも本当のことでしょう?」

 レイラーはまったく動じずに、にっこり笑って言った。慎み深いイメージのアラブ女性も、女同士でこんなにライバル心をむき出しにするのね。二人が険悪なムードを漂わせているというのに、リリアナはむしろ好奇心を刺激されて、興味津々で会話を聞いていた。

「二人とも、いまはお祝いの席よ。あまり険悪なムードを漂わせないでちょうだい」

 パリーサが貫録で二人を黙らせた。アマスーメは悔しそうにリリアナとレイラーをにらむと、食事の並んだビュッフェテーブルのほうへ歩き去った。

「ごめんなさいね。あまり彼女が高飛車な言い方をするからちょっと腹が立って」

 レイラーがリリアナに詫びる。

「いいえ、それはべつに」

「ねえ、リリアナ。このあいだも言ったけれど、本当に一度ゆっくりお話したいわ。取材期間はあと何日残っているの?」

「あと一週間ほど。いまはちょうど半分です」

「それなら時間があるとき、ホテルを訪ねていいかしら」

「もちろんです。ただ外に出ていることも多いので、事前にお電話をください」

「そうね。それなら近いうちにうかがうわ」

 レイラーは横にいたパリーサを見て、軽くうなずいた。何か二人の間に暗黙の了解があったように、リリアナには思えた。

 

 ダナに聞いていたとおり、宴もたけなわになったころ花婿が迎えに来て、花嫁はパーティ会場を出る。客はその後も音楽や食事を楽しむが、ダナとリリアナも花嫁がいなくなったのを機に中座した。帰りもまたダナのリムジンでホテルまで送ってもらった。車の中でダナが話しかける。

「どうだった? 楽しめたかしら」

「ええ。女性だけのパーティがあんなに華やかとは思ってもみなかったわ」

「少しは気が晴れた?」

「ダナ……。きのうの失敗で私が落ち込んでると思って誘ってくれたのね」

 少し前からリリアナはそれを感じていた。王女である彼女に、そんな気を遣わせてしまって申しわけない気分だった。しかし彼女は思いがけないことを言う。

「あなたを誘うよう言ったのはキファーフよ」

「え? キファーフが?」

 リリアナは驚いて、つい大きな声をだしてしまった。

「ええ。気にしているかもしれないから、華やかな場所にでも連れて行って気分転換させてやったらどうだって」

「キファーフがそんなことを」

 リリアナは彼の冷たいまなざしを思い出す。最初に会ったときは、美しいけれど乱暴で無神経な人だと思った。けれども考えてみれば、私は何度も彼に助けられている。アバヤを受け取るのを断ろうとしたとき。女性病院を見るよう言われたとき。そして砂漠で。スークで。あのクールな顔の下には国への熱い思いが隠れている。そして他人を思いやるやさしさも。

 私にこんなやさしさを見せてくれるのは、皇太子の友人の妹だから? 彼にとっては義務にすぎないのだろうか。


ホテルに戻って時計を見ると、まだ十一時だ。これからバスに入り、ぐっすり眠れば疲れもとれるだろう。

 廊下を歩いているとき、打ち合わせ用の会議室のドアが少し開いていて、中から光がもれているのが見えた。

 アレックスとステイシーがまだ仕事をしているのかしら。

 リリアナはそっとドアを開けて、中をのぞいた。電気はついているのに中には誰もいない。しかし机の上に、アレックスのものとおぼしき書類が載っていたので、ここにいたことは間違いない。休憩で自分の部屋にでも戻っているのだろうか。リリアナは少し座って待ってみることにした。

 座る前にアバヤとヒジャブを取る。だいぶ慣れたとはいえ、フォーマルなドレスの上にアバヤを着るとさすがに重く感じた。

 五分ほどしてもアレックスは現れないので、携帯電話を取り出したところ、誰かが歩いてくる気配がする。

「ミスター・マッキンリー、忙しいところ申しわけないが……」

 ドアから入ってきた人物を見て、リリアナは思わず立ち上がった。

「キファーフ……」

「リリアナ!」

 キファーフの顔を見たとたん、きのうのスークでのキスがよみがえって、リリアナは体温が一気に上がった気がした。

「失礼した」

 キファーフがきびすを返して部屋を出ていこうとする。

「待って!」

 リリアナは思わず彼の腕をつかんで止めていた。彼が立ち止まって振り返る。しかし目が合ったとたん、言葉が出なくなってしまった。私はいったい何を言おうとしているの?

「きのう……」

 リリアナが絞り出した言葉を言い終える前に、キファーフがさえぎった。

「あんなことをするべきではなかった」

キファーフが低い声できっぱり言った。

「取材が終わったらきみはアメリカに帰る。きのうのことは忘れてくれ」

 リリアナは頭が真っ白になった。彼の腕をつかんだまま、体が動かない。あのキスを忘れろというの? 彼にはそれができるの? 悲しみと悔しさで胸がつまり、涙がこみあげてくる。


 涙を浮かべた熱い瞳にとらえられ、キファーフは一瞬、動けなくなった。鮮やかな色のドレスを着た彼女が目に飛び込んできたとき、その華やかさに思わず目が吸い寄せられた。いつにもまして輝く金色の髪、あらわになった肩、すんなりした首すじ、その細い体からは思いもよらぬほどゆたかな胸のふくらみ……。きのうスークで震えていた、少女のような姿とはまったく違う成熟した女性がここにいる。

「キファーフ、私は……」

 腕をつかまれたままささやかれ、キファーフは体の奥底から突き上げてくる衝動を抑えきれなかった。自分の腕をつかんでいるリリアナの体に腕を回して、強く引き寄せる。

「キファーフ!」

 小さな叫びで、さらに気持ちがあおられた。強く彼女を抱きしめて、その唇を奪う。彼女の唇に触れたのは、もう何度目だろう。花の香りに似た甘い芳香に誘われて、唇で彼女の首から肩をなぞる。リリアナの吐息が耳をくすぐる。


 素肌に彼の唇を感じて、リリアナの背筋に電流が走った。そしてまた、唇で唇をふさがれる。

 キファーフの片手が背中を撫で上げ、もう片方の手がウェストから胸へとあがってきた。リリアナはその手を止めようとしなかった。もっともっと彼に近づきたい。リリアナは彼の首に腕を回して、自分からも熱いキスをおくる。


 リリアナが熱に溺れかけそうになった瞬間、キファーフが彼女の両肩を持って、ぱっと体を突き放した。

「え……?」

「だめだ」

 キファーフが彼女の目をじっと見て言う。

「きみは取材が終わればアメリカに帰る。ここで一生を過ごす人ではない」

 リリアナは冷水を浴びせられた気になった。

 キファーフは彼女の目をじっと見つめると、何かを振り切るように体を離し、今度こそドアの外へと出て行った。

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