#14 これはお見合いだったの?
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気がつくとキファーフのことばかり考えてしまうリリアナ。ホテルの仕事の話をしているとき、アマスーメの父親である次官たちがやってきて、リリアナがキファーフの花嫁候補として招かれたことを危惧していると言う。リリアナはまったく知らない話で、呆然とすると同時に複雑な思いに駆られる。
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砂漠の取材はスターTVにとって大収穫だった。ステイシーが撮った砂漠の映像は、その荒々しさと温かさの両方を伝える、とても魅力的なものになった。質の高いドキュメンタリー映像を手に入れたアレックスも満足げだった。
リリアナももちろん仕事には満足していた。けれども心のどこかに、ダナのことが引っかかっている。彼女は愛する人と一緒になれるのだろうか。王女としてではなく、一人の女性として幸せになれるのだろうか。
そしてもう一つ、リリアナ自身のことでも悩んでいた。まだ出会って一週間もたっていないのに、きのうからずっと、キファーフのことばかり考えている。
私はどうしようもなく彼に惹かれている。だからきのう恋人の話が出たとき、あれほどショックを受けたのだ。でもこの思いは決して報われないだろう。相手は一国の王子なのだから……。
「リリアナ、おまえさんはどう思う?」
いきなりステイシーに聞かれて、リリアナははっとした。いつのまにかぼんやりしてしまっていたらしい。
「え? ごめんなさい」
「なんだ、聞こえてなかったか? 次の取材先にどこを選ぶかって話だよ。規制されている場合もあるから、先に申請が必要だと言っていただろう?」
「ああ、そうだったわね」
「砂漠に行ってさすがに疲れたか?」
「いいえ、それは大丈夫。できればもっと長くいたかったくらいよ」
そのときノックの音がしたかと思うと、返事をする前にドアが開いた。
「こんにちは、みなさん」
入ってきたのはダナだった。
「ダナ王女。どうなさったんですか?」
「一人、お友だちを連れてきたの。みなさんにご紹介したくて」
ダナがうしろを向いて目で合図すると、白いパンツスーツを着た女性が中に入ってきた。頭にはヒジャブを巻いている。肌の色や目鼻立ちからアラブ人だとわかるが、服装だけを見たら西洋人と変わらない。
「こちら、レイラー・サウード・ロックウェル。私の学生時代の友人なの」
「サウード・ロックウェル……もしかして」
「ええ。ラフィーブ王国の金融界を支えるサウード一族の令嬢よ。去年、イギリス人男性と結婚したの。ラフィーブ社交界の花にして台風の目というところかしら」
ラフィーブ金融界の大物の娘! さすがにダナの交友関係は華やかだ。
「ダナったら、あまりへんなこと初対面の人に吹き込まないで」
レイラーが笑いながら、きれいな英語で言う。そして驚いたことに片手を差し出した。
「みなさんのことはダナからよく話を聞いているわ。どうぞよろしく」
目の前に差し出された手を握っていいのか、アレックスがためらっていると、ダナが助け舟を出してくれた。
「彼女は西洋流よ。ふつうに握手していいわ」
アレックスはほっとしたような笑顔を見せてレイラーの手を握った。ステイシーは緊張が解けないようで、手の動きがぎこちなくなっている。そしてレイラーはリリアナの手を握ったとき、花のような笑顔を見せて言った。
「テレビの取材で女性記者が来るなんて、ラフィーブにとっては画期的だわ。とてもうれしく思っているのよ。滞在中、いちどゆっくりお話させてね」
「ええ。もちろんです」
「お仕事の打ち合わせの途中で、じゃまをしてしまってごめんなさい。私たちには気にせず続けて」
「そうだ、よろしければ相談にのっていただけませんか? 取材期間はあと一週間と少し。今のラフィーブを伝えるために、取材しておくべき場所はありますか?」
アレックスが尋ねる。
「あら、それならレイラーが頼りになるわ。ラフィーブの産業には、たいていサウード家が関わっているし、驚くほどの人脈を持っているから」
そこにいた全員が、期待に満ちた目で彼女のほうを見る。レイラーは余裕の表情を浮かべながら、しばらく考えて言った。
「そうね。真珠養殖場と加工場はどうかしら」
「真珠の?」
「ええ。一度は衰退したけれど、現国王の政策で伝統産業を復活させたわ。かなり大きな規模の工場を建てて、職人を育てることに力を入れているの」
「なるほど……それはおもしろいかもしれませんね」
「養殖場のそばに金属加工場もあって、アクセサリーの生産まで見ることができるし、外国にアピールしたい場所でもあるわ。もしお望みなら手配をさせますけど」
「ぜひお願いします」
「それならあさってはいかが? 明日は養殖場が休みだから」
「助かります。やはりこの国をよく知っている人に聞くに限りますね」
アレックスがうれしそうに言ったとき、ふたたびドアがノックされた。
「兄たちかしら……」
ノックの主が入ってくる気配がないので、ステイシーが立ち上がってドアを開ける。そこに立っていた人物を見たとたん、ステイシーが驚いたように体を引いた。
白い民族衣装の上に、濃紺の上着をはおった恰幅のいい男性がそこに立っていた。口のまわりに黒々としたひげをたくわえている。
「こちらはアメリカのスターTVのかたたちが使っているお部屋かな」
腹の底から響くような低い声で、威圧するように彼が言った。
「あ、ああ。そうだ」
ステイシーもそれに対抗するように、背筋をぐっと伸ばして答える。
「ターヒル・アブドゥーン次官……いったいどうしてここへ?」
「これはダナ王女。おや、レイラー譲も。突然失礼いたします」
「お知り合いですか?」アレックスがダナに尋ねる。
「政府内務省の官僚です」ダナがそう言って、となりにいるリリアナに小声でこう付け加えた。
「病院で会ったアマスーメの父親よ」
リリアナはアマスーメと呼ばれた女性の、美しいが高慢そうな顔を思い浮かべた。
「何か私どもにお話があるのでしょうか」
アレックスが穏やかな笑みを浮かべて言う。相手がどれほど身分の高い人間でも堂々としていられるのは、彼の育ちのよさとジャーナリストとして経験を積んできた自信のためだろう。
「ミスター・マッキンリーはいやしくも皇太子シャーキル殿下のご学友であられたというし、外国のメディアには異例ともいえる待遇でお迎えしている。内務次官としてぜひお会いしてごあいさつをしておきたいと思いましてな」
ていねいな言葉の裏に、ねっとりとした悪意を感じるような話し方だ。皇太子の個人的な友人というと、たとえ外国人であろうと警戒するのだろうか。
「そうですか。それはごていねいに」
「しかも美しいお妹さんもご一緒だとうかがい、ますますお会いしたくなった」
急に自分のことが話に出て、リリアナは面食らった。私だってアレックスやステイシーと同じ、記者という立場で来ているのに。
「事情をご存じないということはないでしょう? 国王夫妻はいまキファーフ殿下にふさわしい花嫁をさがしていらっしゃる。それでご学友がご自分の妹を花嫁候補として連れていらっしゃったと」
「なんですって?!」
リリアナは思わず叫んだ。私がキファーフの花嫁候補ですって?
「おや、本当にご存じありませんでしたか? それなら私の勇み足でしたかな? キファーフ殿下は王位継承権からは少し離れたところにおられますから、外国人女性と結婚するのもよかろうと国王夫妻は考えておられるようです。しかし私は王に仕えるものとして、そのようなご結婚には賛成しかねますな。歴史と伝統あるラフィーブ王国に、外国人の血を入れるのは賢明ではない」
「私はそんなこと聞いていないわ!」
「ほう。それならけっこうですが……。お嬢さんにはキファーフ殿下との結婚のご意思はないということですな?」
「そ、それは……」
意思も何も初めて聞く話だ。
「リリアナ、返事をする必要はないわ。次官は以前から、娘のアマスーメとキファーフを結婚させようとしていたの。王室に自分が食い込むために」
「ダナ王女。我が国の女性は、政治はもとより結婚など家庭のことにも口をはさまないものでした。それらはすべて家族の長たる父親が決めるものですよ」
どこかで聞いたことがあるせりふだわ。リリアナは思った。そうだ砂漠のホテルで、ダナに求婚したアムルという男が言っていたことにそっくりだ。
そのときまたノックの音がして、今度は返事も待たずに人が入ってきた。
「シャーキル! キファーフ!」
ダナが二人に駆け寄る。
「これは殿下。お客様との会合はもう終わられましたかな」
「そんなことはどうでもいい。次官のおまえがなぜここにいる?」
「これは心外ですな。シャーキル殿下のご学友にご挨拶くらいしてもよろしいでしょう?」
「とてもそんな友好的なムードではなかった」
「私は心配だったのですよ。こちらのお嬢さんをぜひキファーフ殿下に会わせたいと、呼び寄せたのはシャーキル殿下とうかがいました」
シャーキルが一瞬うろたえた。リリアナの頭はますます混乱する。いったい何がどうなっているの? 私がキファーフの花嫁候補? しかもシャーキルが呼び寄せた?
「たしかにお美しい。シャーキル殿下のインタビューもなさったというから、有能でもいらっしゃるのでしょう。しかしなんといってもアメリカ人です。わが国の前途有望な若者がアメリカで殺された事件を忘れていない者はまだたくさんおります」
「私だって忘れてはいない。だからといって、アメリカという国やその国民を目の敵にするのは筋違いだ」
「しかも殺された若者はキファーフ殿下の親友だった。それなのにアメリカ女性を紹介するというのは、いかがなものかと思いますが」
「あら、それはあまりにも後ろ向きの考えだと思うわ」
レイラーが自信に満ちた口調で言う。彼女が口を挟んだことには、次官も意表を突かれたようだ。
「一般国民がそれほどアメリカ人を憎んでいるとは思えないし、アメリカとの関係はこれからますます重要になるはずよ」
アブドゥーン次官はあからさまにむっとした顔をした。
「レイラー譲はご自身も外国人と結婚されているし、特に開けた考えをお持ちですからな。しかし私はあまりに急激な近代化、西欧化は避けるべきだと思っています。いくらアメリカとの関係が重要といっても、キファーフ殿下にアメリカ女性をあてがうようなことは……」
「あてがうですって?!」
リリアナは思わず叫んでしまった。
「アブドゥーン次官、口を慎め!」
さすがのシャーキルも気色ばんで言う。リリアナはいったい何が起こっているのかわからず、頭の中が真っ白になってしまった。そのときそれまで黙っていたキファーフが、低い声で言った。
「アブドゥーン次官、おまえは勘違いをしている。私はリリアナ嬢との結婚の話など聞いてはいない」
「ほう。それでは本当に私の勘違いで、キファーフ殿下とリリアナ嬢との結婚はないと理解してよろしいのですね?」
キファーフは次官をじっと見る。
「それを私に聞くのも間違いだ。私の結婚相手を決めるのは国王夫妻だ。私は以前から、ラフィーブにとって最も望ましい相手と結婚すると言っている。それはおまえも知っていると思っていたが」
「もちろん存じておりますが……」
「ミス・マッキンリーがラフィーブにとって望ましい相手だと国王夫妻が判断すれば、私は彼女と結婚する。他の誰であってもそれは同じだ」
キファーフのその言葉に、リリアナはひどいショックを受けた。いったい彼は女性をなんだと思っているの?
「ちょ、ちょっと待ってください! 本人の知らないところで、結婚するとかしないとか、無茶じゃありませんか!」
キファーフがリリアナのほうを見た。空港で初めて会ったときと同じ、冷たい目だった。その鋭さがナイフのようにリリアナの胸に突き刺さる。
「それはそちらの事情だ。結婚の意思がなければ断ればよい。ラフィーブ王国では、たとえ国王夫妻の勧めであろうと女性が結婚を拒否する自由は保証されている」
「そういうことではなくて……」
ラフィーブにとって望ましいなら、私と結婚するだなんて……。それなら私が嫌いだから結婚しないと言われたほうがまだましだ。
「とにかくアブドゥーン次官はすぐここから退出されるがよい」
キファーフは威圧するようにそう言って次官を追い立て、自分も一緒に部屋から出ていった。
シャーキル殿下は、不快な思いをさせて申しわけなかったと謝罪し、弟のあとを追うようにして出て行った。残った誰もが、しばらく何も言わなかった。
しばらくして、リリアナがぽつりと言った。
「アレックス……兄さんはお見合いのつもりで、私をここに連れてきたの?」
「リリアナ、それは違う。あくまで仕事のパートナーとして連れてきた。ただ、たしかにシャーキルや国王夫妻は、キファーフ殿下が身を固めることを望み、よき伴侶になれる女性がいないかさがしていた。そして僕に妹がいることを知って、よければ会わせてもらえないかと頼まれた。僕もシャーキルの弟なら、おまえを会わせてもいいと思った。信頼しあっている友人同士が、それぞれのきょうだいを紹介する。それはアメリカだってよくあるだろう?」
「相手は王家の一員で、国がかかわってくるのよ。それに……」
リリアナにはもう一つ気になっていることがあった。それをアレックスに聞くのはとてもつらかったけれど、どうしてもたしかめておきたい。
「それに……お見合いみたいなことをセッティングしたのは、私がスターTVにとって役に立たない人間だから? 私はアレックスみたいな有能な記者じゃない。むしろ他の社員にばかにされているわ。小さいころ……いいえ、あのオーディションからずっと私はパパの頭痛の種だった。だからさっさと結婚してスターTVを離れたほうが好都合なんじゃないの?」
胸の中にわだかまっていたものを一気に吐き出す。アレックスは思わぬ妹の告白に目をみはった。
「リリアナ、おまえはそんなことを考えていたのか!」
彼のほうも思わず声が大きくなる。
「僕らがおまえのことをじゃまにしているなんてことがあるわけないだろう! もしそうなら、いやしくもラフィーブの王子に紹介なんかしない。おまえはどこに出しても恥ずかしくない妹だ。たしかにこれまで仕事には恵まれなかったかもしれない。しかしおまえは地味な取材もよくやっていた。インタビューのやり方を勉強し続けていたのも、みんな知っている」
「アレックス……」
「キファーフ殿下のことを黙っていたのは悪かった。しかし言ったらおまえも意識してしまうだろう? できれば自然な形で会わせたかったんだ。キファーフ殿下は僕から見ても立派な男だ。シャーキルほど愛想はよくないが、常に自分よりも国民や王室のことを考えている」
「……そうね。でも今はその話はできないわ」
リリアナは乱れていた息を整えるために、そっと息を吸った。
「少し一人で考えさせて」
そう言ってダナとレイラーの横をすり抜けて会議室を出ていった。
部屋に戻ってベッドに倒れ込む。頭の中でさまざまなものがぐるぐる回って考えがまとまらない。
ふつうに考えたら王族に紹介してもらえるなんて名誉なことかもしれない。しかもあんなに立派で美しい男性を。
けれども彼は私を愛してくれることはない。彼にとっては結婚も国のため。でも私はそんな結婚を望んではいないのだから。どれほどすてきな男性でも、国のためになる相手なら結婚するなんていう人と一緒になるなんて考えられない。私は私だからこそ結婚したいと思ってもらいたいのに……。
「まったく、アブドゥーン次官のおかげでこちらの計画はめちゃめちゃだ!」
いつも穏やかな笑顔を浮かべているシャーキルが、珍しく興奮していた。
「リリアナ嬢を私の花嫁候補にとは……。兄上があんなことを考えていたとは知らなかった。それで彼女を砂漠に連れていくよう、強く言っていたわけだ」
「この国の美しさも厳しさも知ってもらいたかったんだ。それに砂漠でなら、お前も自然に話ができると思ったし、アブドゥーン次官のような反対派の目にもつきにくいと思ったんだがな」
「彼らは私たちが思うより、あせっているようだ。外国メディアのスタッフのところまで押しかけるくらいだから」
「近代化政策に賛成していないことはわかっていたが、本気でアマスーメとおまえを結婚させようとしている。もう正式に断ったというのに」
「このあいだはアムルがわざわざ砂漠にまで来て嫌がらせをしていった。自国の保守派と隣国の保守派が、ほぼ同時に行動を起こすというのは、何かいやな感じがする」
「おまえはともかく、ダナに対して強硬手段に訴えることは考えられる。しばらくは気をつけてやらないと」
「ああ」
「ミス・マッキンリーのことも残念だ。厄介なしがらみがなくていい縁組だと思ったんだが」
「あれではとても、ラフィーブ王室と関わりたいとは思わないだろうな」
「そうかもしれない。しかしおまえのほうはどうなんだ?」
「私は……」
「ラフィーブにとって望ましい女性と結婚するというんだろう? 私はおまえがそんな建前に縛られてほしくはないんだ」
兄の言葉をありがたいが、王室の縛りを断ち切ることはできない。それは王室に生まれた者の宿命だ。キファーフは考える。もし私がアメリカ女性などと結婚したら、国内外を問わず保守派の攻撃材料にされてしまうだろう。それは国王やシャーキルにとってもマイナスだ。それに……結婚相手にとってもいいことはないだろう。
キファーフはリリアナの青い目を思い出した。初めて空港で見たとき、まるでサファイアのように輝いていた。砂漠に住む者にとって青はオアシスの色だ。
そして砂漠での彼女を見ていて、自分の中で何かが変化するのがわかった。らくだに乗っているときに感じた激しい欲望。それはただの体の反応ではなかった。もっと奥深い幸福と結びつくものだ。私は彼女に惹かれている。それは認めないわけにいかない。
しかし彼女は砂漠の国で暮らすのは似合わない。彼女はもっと自由な場所で、のびのびと暮らすべき女性だ。自分の思いだけで政争に巻き込むわけにはいかない。
私が手折ってはいけない花なのだ。
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