#13 王子の決闘
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砂漠での二日目、また隣国のアムルが現れて、砂漠の民に馬を盗まれたと因縁をつけていた。明らかな嫌がらせだが、民をかばおうとするキファーフにアムルが決闘を申し込む。大きな剣を構えたキファーフを見て、リリアアナは胸がつぶれそうになった。
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砂漠での二日目は、朝早く起きて水をくむことから始まった。テントから歩いて十五分くらいのところに井戸があり、一日分の水をそこまでくみにいく。らくだを連れて行くから重い水を持つ必要はない。もうすっかりなじんだアバヤをつけて、サミーラについて砂漠を歩く。朝日が射す砂漠は、まだそれほど暑くはなく爽快だ。
「でも、一国の王女様が砂漠の民と水汲みにいくなんて意外だったわ」
リリアナは横を歩くダナに話しかける。ダナも朝早くから起きて砂漠の民とともに働いている。
「私はもともと砂漠のほうが好きだって言ったでしょ。王族にもいろいろいるのよ。事実、二人の姉はあまり砂漠には来ていなかったし。私もこのところ仕事が忙しくなって、しばらく来ていなかったから、あなたがたの取材はありがたかったのよ」
「そう言ってもらえれば私もうれしいわ。王女様の手をわずらわせていると思うと、少し心苦しかったの」
「そんなこと気にする必要ないわ。キファーフだってずっとシャーキルのそばにいるよりは、砂漠にいるほうがいいでしょう」
「それならいいけれど」
キファーフの名前が出るとサミーラがうれしそうに話し始めたが、リリアナには彼の名前しか聞き取れない。
「キファーフはラフィーブで一番いい男ですって」
ダナが通訳してくれる。
「あら、皇太子のシャーキルじゃないのね?」
「シャーキルはもう結婚して三人も子供がいるからね。砂漠ではキファーフが一番の人気だと思うわ」
「それはわかるような気がするわ」
リリアナは素直な気持ちを口にした。
「あら、リリアナもそう思う?」
ダナの目がきらりと光る。
「ええ。アメリカでも紹介されたら人気が出そう」
「世間の人気ということではなくて、リリアナ自身はどう思う?」
「どうって」
「王族で独身男性よ。去年くらいから外国のセレブが来るようになっているけれど、実はキファーフ目当ての女性も多いの」
「本当に?」
まったく世の女性たちはなんて目ざといのかしら。でも彼はシャーキルのような都会的な紳士ではないわ。初対面の女性の腕をつかんで強引にベランダに出すような男よ。いくら人を助けるためとはいえ、いきなりキスをするような……。おまけに結婚には愛情など必要ないみたいなことを言い放った。彼が目当ての女性たちは、そんなこと知らないんでしょう?
リリアナはそう考えてはっとした。私はいったい何をむきになっているの? まるで彼について自分だけが知っていることを見せつけようとするみたいに。
「家族みんな、キファーフには身を固めてもらいたいと思っているけれど、王族の結婚相手となると誰でもいいというわけにはいかないのよね」
「キファーフはこの国にとって最も望ましい相手と結婚すると言っていたけれど」
「あら、兄とそんな話をしたの?」
「え? ええ。きのうらくだを休ませている間に少し」
「そう。彼がそんな話をするのは珍しいわ」
「私がちょっと立ち入ったことを聞いてしまったから」
「あら、どんな?」
まさかダナの結婚のこととは言えない。リリアナが口ごもっていると、ダナはにこりと笑った。
「ああ、別にいいわよ。ただキファーフはそもそも女性とあまり話さないから、珍しいなと思っただけ」
ダナもそれ以上は聞こうとしなかった。
テントに戻ると、近くに男たちが集まっていた。
「何かあるのかしら?」
リリアナが尋ねると、ダナが近くにいた女性にアラブ語で話しかける。
女性が少し興奮したようにまくしたてる言葉を、リリアナは理解できなかったが、“アムル、アムル”というのが聞こえたような気がした。ダナが顔色を変え、人ごみをぬって前に出ようとする。リリアナもそれを追った。
列の一番前に出て、リリアナははっとした。きのうホテルに来ていた隣国のアムルと、数人の従者がキファーフと向かい合い、声高に何かを話している。
その横に、まだ十代半ばくらいの少年がうずくまっている。
「いったいどうしたの?」
「アムルがあの子を殺すと言っている」
前に立っていたアムルがリリアナの顔を見て、英語で答える。
「なんですって!?」
「アムルたちが砂漠で休んでいるとき、あの子が馬を盗もうとしたって」
「まさか!」
よく見ると、少年は必死で手を振り、キファーフに何事か訴えている。
「砂漠で馬を盗むのは大罪だわ。もし本当なら相応の罰を与えなければならないけれど……でもこれはハルーシュ側のいやがらせに決まってるわ」
ダナが言った。
「アムルの言うことは嘘だと、みんな知ってる。でもアムルも王族。証拠がないと何もできない」
「こんなことまでして、ラフィーブ政府の弱みを握ろうというの!」
ダナが悔しそうに顔を手でおおう。
そのときアムルが腰の剣を抜いた。見たこともないほど大きな、三日月形の剣だ。周囲の人々の間に緊張が走る。するとキファーフが少年の前に立ちはだかり、やはり剣を抜いた。群衆がどよめく。
「あれはいったい……」
「キファーフ……」
ダナは息をのむ。口元に持ってきた彼女の手が震えていることに、リリアナは気づいた。
二人の剣の刃がかちゃりとまじわる。
「人の前で剣を抜くのは、決闘を申し込むこと。そしてキファーフはそれを受けた」
「決闘ですって!」
バクルの言葉に、リリアナは思わず叫んでしまった。しかし喧噪の中で、その声はかき消されてしまった。
「ダナ、本当に決闘を?」
「え、ええ……そのようね」
「でももし負けたら……」
死んでしまう、とは続けられなかった。考えるだけで恐ろしい。
「どちらかが先に傷ついた時点で勝負は決まるの。殺しあうわけじゃないけれど……」
そう聞いて、リリアナは少しほっとした。それでもあれだけ大きな刃だと、ふれただけでも大けがをしそうだ。
「でも、たとえ相手を殺しても、決闘の場では罪は問えない……。それに、もしキファーフが負けたら、ハルーシュはラフィーブ王室にもっと圧力をかけてくるわ」
それはダナにとっては、アムルとの結婚を意味するのかもしれない。彼女は指を祈るように組み合わせていた。
人に囲まれた輪の中では、いつのまにかアムルとキファーフが馬に乗って向かい合っていた。
アムルが大声で何事かを叫ぶ。それに続いて、キファーフも叫んだ。戦いを前に雄たけびをあげる戦士のようだ。漆黒の馬に乗ったキファーフは、いつにもまして凛々しかった。裾のなびくカンドゥーラではなく、もっと体にフィットした服を着ている。おそらくそれが乗馬用なのだろう。頭にはいつもと同じグトラ。全身白の服が黒い馬の上で、神々しいほど輝いている。事態の深刻さを忘れ、リリアナはその姿に目を奪われた。
二人とも最初は相手の様子をうかがい、ぐるりと同じところを一周する。アムルが先に攻撃をしかけ、キファーフにとびかかった。キファーフは軽くそれをかわして、アムルのうしろに回り込んで、剣を振り下ろす。アムルは片手で持った剣で、それを受けた。高い金属の音が響く。
アムルがなんとかキファーフから離れて、再び向かい合う。空気がぴんと張りつめていく。今度はキファーフが馬を操って、一気にアムルに詰め寄った。いきなりのスピードについていけず、馬がよろけて乗っていたアムルが少しバランスを崩した。
キファーフはすかさず、剣を前から彼の喉をめがけて振った。
びゅっ、と鈍い音がして、周囲から悲鳴があがる。リリアナは思わず目をつぶってしまった。誰もが息をのみ言葉を失った。
沈黙がまわりを支配してしばらくたった。リリアナはそっと目を開ける。
キファーフの剣の刃が、アムルの目の前でぴたりと止まっている。
勝負はあった。これまで以上に大きな歓声が上がる。中には「キファーフ!」という叫び声も混ざっていた。
キファーフが剣を下ろすと、アムルは彼をにらみつけたが、すぐに目をそらした。従者に声をかけて、人ごみの輪を抜けて砂漠へと帰っていく。それを見た群衆は、さらにわっとわいた。
馬を駆って仲間たちのところへ戻るキファーフを、リリアナはじっと見つめていた。胸の鼓動がしだいに大きくなる。彼から目を放すことができない。いったいこれはなに? なぜ体がこんなに熱く感じるのだろう?
「すごいものが撮れたぞ!」
ビデオカメラを抱えたステイシーが、リリアナのそばにやってきて言う。
「いまの決闘を撮っていたの?」
「ああ、あれを逃す手はないだろう。もっとも……公表できるかどうかは、あの王子様との相談しだいだろうがな」
ジャーナリストとしては当然の行動だろう。リリアナは写真を撮ることも、取材のことも、まったく頭から消えていた。ただただキファーフが、無事でありますようにと祈っていた。
「たった二日間の滞在だったけれど、砂漠の生活がどういうものか、少しわかったような気がするわ」
夜になって食事をすませ眠るためのテントに戻ると、リリアナはダナに言った。サミーラたちが二人のために一つテントを用意してくれたのだ。
「本当はもっと長くいてもらえるとよかったんだけど」
「限られた取材だからしかたないわ。でも私、機会があったらまた来たいと思うくらい、この国が好きになりそう」
「リリアナ、本当? 本当にそう思う?」
「ええ、もちろんよ」
ダナが思いつめた顔で尋ねるので、リリアナはちょっとひるんだ。
「私もできればずっと砂漠にいたいくらいだった。王宮に戻っても政治に巻き込まれるだけだったから。でもいまはもう、砂漠も安全ではなくなってしまったのよ。私はあんな男と結婚なんかしたくない」
「ダナ……きょうの昼間のことね」
「ええ。いくら両親が味方になってくれても、あの人たちは何をしてくるかわからない。ラフィーブが近代化しても、周囲の国はまだ荒っぽい手段に訴えるところもあるのよ」
「そうね……」
アムルたちの行動を見ていれば、たしかにそうかもしれないと思う。
「王族は国民に対する義務を負っているとキファーフは言うけど、私は国のことを考えて結婚相手を選ぶなんていやなの。あなたならわかってくれるわよね?」
「もちろんよ、ダナ」
ダナは大きな黒い目を潤ませている。リリアナはダナの手をぎゅっと握りしめた。
そのとき、テントの外からヒュッという高い音が聞こえた。ダナの動きが止まる。横にいたリリアナをまっすぐに見て、肩に手をかけた。
「リリアナ、お願いがあるの」
「なに?」
「これから一時間くらい外に出るわ。遠くへは行かない。すぐそこで人と話をしているだけ。でもこのことは、誰にも言わないでほしいの」
ダナにじっと見つめられて、リリアナはうなずいた。
「わかったわ。でもこのテントに誰かが来るなんてことは……」
「女性のテントに男性は近寄らない。サミーラは事情を知っているから」
「それならいいわ。誰にも何も言わないわ」
「ありがとう。あなたを困らせるようなことには絶対にならないから」
ダナは手早くアバヤを身に着け、そっとテントを出て行った。リリアナが入口のすきまから外を見ると、誰かが灯を持って彼女を待っている。その弱々しい光に浮かび上がる横顔には見覚えがあった。
「バクル……やっぱり」
やはりダナとバクルは恋人同士だった。国のために結婚相手を選ぶなんていやだと訴えたときの真剣なまなざしは、彼の存在があるからだろう。
かわいそうなダナ。
でも私には彼女のためにしてあげられることは何もない。
他に明かりがないせいで、砂漠では月明かりがかなり明るく感じる。寄り添って話をしている二人から少し離れたところに、別の人のシルエットがうっすらと見えたような気がする。リリアナはぎくりとした。もし誰かが二人のことに気づいていたら……。しかしその影はじっとしたままだ。
リリアナも目をテントのすきまにくっつけたまま動かずにいた。やがてその影がくるりと向きを変えてテントのほうに歩いてきた。リリアナは思わず身をすくめる。
「キファーフ……」
暗闇なので断言はできないが、あれほど背の高い人は砂漠の民の中にもあまりいなかった。リリアナはそっとテントを出て彼のほうへ歩いていった。
キファーフは恋人と寄り添って話をしている妹を、離れたところから見守っていた。以前だったらすぐにダナを連れ帰り、叱責していただろう。王族と砂漠の民の恋など許せるはずもない。しかし今はそんな気にならない。ダナのつらい気持ちがわかるからだ。いったい自分はどうしたというのか……。
「キファーフ」
ささやくような声が聞こえ、キファーフは腰の剣に手をやって身構えた。
うしろを振り返ると、長袖の白いシャツにコットンパンツという姿の金髪の女性が立っている。
「リリアナ! なぜこんなところにいる?」
キファーフは本気で驚いた。一人で夜の砂漠に出てくるなんて、なんて無茶なんだ!
「キファーフ、ダナをそっとしておいてあげて。お願い」
リリアナがいきなり言う。彼女が何を言っているのか、一瞬わからなかった。
「ああ……。別に連れ戻そうなどとは思っていない。ただ……」
「本当に? ああ、よかった」
キファーフは不思議な気持ちで彼女を見つめた。彼女はダナと知り合ってまだ間もない。それなのになぜこれほど本気で心配しているのだろう。
リリアナはどこかそわそわしていた。キファーフはそんな彼女を見て、胸の奥に火がともったような、あたたかい気持ちになった。きのう砂漠で夕日を見ていたときも同じよう気持ちになり、いつのまにか彼女の頬に触れていた。バクルの口笛が聞こえなかったらどうなっていただろう。ふと頭に危険信号がともる。私は何か特別な感情を彼女に感じているのだろうか。アメリカ人であるこの女性に……。
リリアナは黙ってダナとバクルを見ていた。隣にキファーフがいると、緊張して言葉が出てこない。そうかといって黙っていると、彼のキスや今日の決闘のことが浮かんで、落ち着かなくなってしまう。
そのときキファーフが急に手を差し出したので、リリアナは思わず身を引いた。
「な、なんですか」
「これを欲しいと言っていただろう」
彼が手を開くと、そこに小さな石があった。花びらを重ねたばらのような形をしている。
「これは、砂漠のばら……」
「ああ、今日の午後、隣の部族の視察に行ったとき通った道にあった」
「それをわざわざ持ってきてくれたの?」
今日の午前中、アムルたちとの決闘騒ぎがあったというのに、そのあと視察へ行ったのね。砂漠の民の少年をかばい、部族を守ろうとする。王族としての義務といってしまえばそれまでだが、それをできる人はきっと多くはない。
石を渡されたとき手が触れ合って、まるで感電したようなしびれが走った。いったい私はどうしたの? ちょっとさわっただけなのに。
「ありがとうございます」
声がかすれてうまく話すことができない。キファーフがかすかにうなずくのが見える。
「それは女性たちの間では、恋のお守りとして人気があるらしい。アメリカにいる恋人へのお土産にすればいい」
その言葉を聞いて、リリアナの心は凍りついた。アメリカにいる恋人……? その言葉を聞いたとき、まるで殴られたような気持になったが、その理由はわからなかった。
「恋人なんて……いません」
リリアナは絞り出すようにそう言うと、きびすを返してテントへと駆け出していた。
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