#12 砂漠のばらの伝説
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一行は砂漠の民のテントに到着する。砂漠の夕日は美しく、人々は素朴な生活をおくっていた。そしてキファーフが語る砂漠のばらの伝説。その悲しくも美しい話にリリアナは感動する。
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リリアナたちが滞在する砂漠の民の住まいは、木で簡単な枠組みと布を組み合わせたテントだった。リリアナたちが遅れて到着すると、先に着いていたアレックスとダナがすぐにとんできた。リリアナがキファーフと一緒にらくだに乗っているので驚いたようだったが、らくだがけがをしたというと、目を丸くした。
「遅いからちょっと心配していたの。でも危なかったわね。らくだは砂漠の車みたいなものだから、故障したら動きようがなくなるわ」
「ダナ王女。あまり脅かさないでくださいよ。まあ、キファーフ殿下が一緒だから、大丈夫とは思っていたが」
ええ、砂漠の王子様と一緒だったもの。不安なんかちっとも感じなかったわ。リリアナは心の中でそっとつぶやいた。むしろ彼の胸に体を預け、すべてをゆだねてしまいそうになる自分を抑えるのがたいへんだったのよ。
その周辺の砂漠の民は、主に家畜を飼って生活している。最近では砂漠を見たいという観光客の要望に合わせてツアーなども行われるので、ガイドの仕事に就く若者も増えているという。
テントの中は広々としていて、思っていたより天井も高い。そこに住む家族は周辺の部族を治める長老の家で、ちょうどダナと同じ年くらいの娘と息子がいた。ダナが二人をリリアナに紹介してくれる。
「リリアナ、こちらの女性がサミーラ。バクルの姉よ。小さいころから知っている、いわば幼なじみね」
サミーラはスモックを長くしたようなグレイの服に、頭には黒地に模様のついたスカーフを巻いている。バクルの服も、キファーフが着ているカンドゥーラとは形も色も違う。都会とはやはり着る物からして違うようだ。
テントの片隅にこん炉があり、そこでサミーラがコーヒーをいれて全員にふるまってくれた。アラブ風コーヒーは病院でも出してもらったが、砂漠で飲むのものは、また格別だ。
ダナが町から持ってきた菓子を出すと、幼い子供たちがわっとわいた。テントの中には老若男女が一緒にいて、お茶や食事も一緒にとる。
「砂漠の民はもともと集団で遊牧をしていた。最近は定住する者が増えたが、宗教的な縛りはそれほど強くない」
キファーフがアレックスに言う。
「小さいころ私もキファーフも何かというと砂漠に来たがったわ。王宮よりずっと自由に振るまえるんですもの」
ダナが言うとおり、二人ともこれまでよりはるかにリラックスしているように見える。キファーフがときどき、口元に笑みを浮かべる。
「家畜を飼うことや観光のほかに、この部族の人たちはどんな仕事をしているのですか?」
「若い男たちにとって重要なのは国境の警備だ。この砂漠の向こうは国境だ。石油立国は土地をめぐる争いが昔から多い。国境を守ることは利権を守るためにも重要だ」
「武器も所有しているということですか?」アレックスが尋ねた。
「ごく最低限のものだけは。彼らは国軍ではなくあくまで予備隊だ」
リリアナが見る限り、その部族はみんな穏やかそうな人々だ。利権が絡む争いになどに巻き込まれてはほしくない。
いつのまにかアレックスは長老とガイドの通訳を介して話し込んでいる。そのとなりでステイシーが手持無沙汰にしていた。カメラを自由に回すことができないので欲求不満のようだ。
外では日が傾きかけている。サミーラがダナのとなりに来て耳元で何かをささやいた。ダナはうなずくと、リリアナの手にそっとふれて小さな声で言った。
「砂丘に日が沈むのを見に行かない?」
「砂丘に? この近くに砂丘があるの?」
「ここから歩いて十分くらいのところにね。夕日を見るのにちょうどいいの」
「行きたいわ!」
「よかった。それならすぐに出ましょう」
二人でそっと立ち上がると、テントの反対側に座っていたキファーフの鋭い声が響いた。
「ダナ、どこへ行く!」
「あ、あら、キファーフ。砂丘に夕日を見に行くだけよ」
「おまえたち二人だけでか?」
「いいえ。サミーラとバクルがついてきてくれるわ」
それを聞いてステイシーが勢いよく立ち上がる。
「砂丘の夕日だって?! それならおれも行くぞ! ぜひ撮りたい。ダナ王女。私も同行してかまいませんか?」
「え、ええ。けっこうよ」
ダナは少し戸惑ったようにバクルのほうをちらりと見る。
「よし! すぐカメラを準備するから少し待ってください」
外に出られることになってステイシーが急に生き生きし始めた。
アレックスはテントにとどまって長老との話を続けるという。いわば独占インタビューのようなものだ。こんなチャンスを逃す手はない。
結局、砂丘に行くのはダナとリリアナとステイシー、それにサミーラとバクルのきょうだいだった。暗くなりかかり、足元が見えにくい中、慎重に一歩ずつ足を進める。昼間に比べて気温がぐっと下がっている。夜はさらに寒くなるのだろうか。リリアナはヒジャブをぎゅっと首に巻いた。
十分ほどで到着した砂丘は少し赤みを帯びた細かい砂の山で、表面にはなだらかな曲線の模様ができていた。その砂の山に自分たちの細長い影が映る。まさに西洋人が描くアラビアの砂漠のイメージそのものだ。リリアナはこんな風景の中に自分が立っているのが信じられなかった。
目の前で砂漠のむこうに沈んでいく夕日。ステイシーはリリアナたちのうしろで、静かにカメラを回している。スターTV屈指のカメラマンである彼の目に、砂漠はどんな風に映っているのだろう?
夕日に見入っていて気づかなかったが、さっきまでそばにいたダナが見えなくなっていた。まわりを見回すと少し離れたところで、ダナがバクルと話をしている。
「ダナ……」
二人の間に流れている特別な空気は、世界中どこへ行っても変わらない。恋をしている男女の空気だ。夕日を理由にテントを抜け出そうとしたのも、彼と話をしたかったからだろう。
王女と砂漠の民の恋……。それがキファーフの言う“国益にかなう結婚”に結びつくとは思えない。彼女たちの肩には、どれほど大きなものが背負わされているのだろう。
リリアナは真っ赤な夕日を浴びながら、ただ二人を見つめていた。
「寒くないか?」
急にうしろから声をかけられて、リリアナは飛び上がりそうになった。
「キ、キファーフ……いつのまに」
てっきり彼はテントにいるものと思っていた。ステイシーもいつのまにか離れたところに行ってしまっていて、リリアナとキファーフはほとんど二人きりだ。リリアナの鼓動が激しくなり、彼に聞こえてしまうのではないかと思うほどだ。
彼は少し先で夕日を浴びているダナとバクルを見ていた。もしかして、彼はあの二人のことを気づいているのかしら。
「あ、あの……」
「なんだ?」
キファーフの注意を二人からそらしたくて、リリアナはなにか別の話題を見つけようとする。
「砂漠から帰るときも、来たときと同じ道を通るのでしょうか?」
キファーフがいぶかしげに彼女を見る。
「あの……とちゅうで見つけた“砂漠のばら”がすてきだったので、持って帰れないかと思って」
「ああ……拾って帰りたいということか」
「ええ、そうです! もし可能であればということですが。貴重なものだったら、あきらめます」
「いや……よほど大きいのは別だが、小さなものならよく落ちているし、持ち帰っても問題はない。ただそんな時間があるかどうか、わからない」
「そうですね」
「ガイドには伝えておく。しかしあまり期待しないほうがいいだろう」
「わかりました」
リリアナは話を続けることができなかった。キファーフがそばにいるというだけで落ち着かない。
「ラフィーブには、その砂漠のばらにまつわる伝説がある」
キファーフの低い声が心地よく耳をくすぐる。
「砂漠に伝わる伝説ですか」
「ああ、こんな話だ」
キファーフはゆっくりと語り始めた。
その昔、砂漠に住む敵対する部族の娘と男が恋に落ちた。
長老も親たちも二人の恋を喜ばず、なんとしても別れさせようとした。
娘の親は娘を家に閉じ込め、男の部族の長老は男を家から離れた戦地へと送り込んだ。
日がな一日男を思って泣く娘をあわれんだ友人たちが
どこか遠い国に二人を逃がそうと、男のところへ使いをやった。
手紙には新月の晩、砂漠の井戸で待っていると書かれていた。
男はその夜、そっと持ち場を抜け出そうとした。
ところが軍の上官にその手紙を見つけられ、井戸への途中で切り捨てられた。
男が死んだことを知らない娘は、井戸のところでずっと男を待っていた。
すっかり夜が明けても、娘は動こうとしなかった。
それから一日がたち二日がたった。
砂漠の太陽に照らされて娘は口もきけないほど弱っていた。
それでも男を待っていた。
きょうこそ娘を連れて帰ろうと、親が井戸のところへ出向いていったが、
そこに娘はいなかった。
娘は幾重にも花びらを重ねたばらの花のような石に変わっていたのだ。
誰かがその石を動かそうと持ち上げても、どうしても持ちあがらなかった。
まるで地面に根を張ったように。
それから石はずっと、何百年もそこで砂漠を見つめている。
リリアナはしばらく何も言えなかった。物語の悲しさもさることながら、キファーフの言葉がまるで美しい音楽のように、リリアナの心を震わせた。
「美しいけれど悲しい話だわ」
「あの石は花に似ているから、そんな伝説ができたのだろう」
愛する男を待って石になってしまった娘。それがなぜかダナの姿と重なって、胸が痛くなる。
「砂漠は日が落ちると急に寒くなる。そろそろ帰ったほうがいい」
「わかりました……」
もうしばらく伝説の余韻にひたっていたい気がする。振り返ると、思ったよりずっと近くにキファーフがいて驚いた。見上げると、彼もまた彼女を見ていて、視線が絡み合う。
「リリアナ……」
彼が手を上げて、そっと頬に触れる。触れられた瞬間、全身に電流が走り抜ける。
「キファーフ……」自分でも驚くような甘い声が出てしまう。
それに誘われるように、キファーフの体が近づいてくる……。
そのとき、ひゅっと高い音が聞こえて、二人の間の濃密な空気が破られた。リリアナもはっとする。
キファーフの視線を追うと、三つのシルエットが自分たちのほうへ歩いてくるのが見えた。日はもうすぐ地平線の向こうへ隠れようとしている。
「さあ、もうテントに戻ったほうがいい」
「ええ、そうね……」
リリアナは名残惜しい気持ちを振り切るように、歩き始めた。
リリアナたちがテントに戻ると、女たちは夕食の支度をしていた。夕食はマトンをローストしたケバブ、それを平たく焼いたパンに挟む。小さなこん炉で手早く焼いた簡単な食事をおおぜいで一緒に食べる。それはリリアナにはゆうべホテルで食べた西洋流の食事よりもずっとおいしく感じた。そして生野菜のサラダが出てきたのには驚いた。思っていたより野菜はたくさん食べられているらしい。流通の発達で、砂漠の近くでも市場が立つようになっているという。
「リリアナ、サミーラがね、砂漠になにかおもしろいものがあったかって聞いているわ」
リリアナのとなりに座ったダナが、砂漠の民たちの通訳となってくれる。リリアナは朝からずっと持っていたデジタルカメラを取り出して、きょう一日で撮った写真を見せた。
「砂漠に住んでいて見慣れてしまっているものでも、こうして写真に撮ると新鮮に見えますねって」
「ああ、そうかもしれないわね。きょうは見るもの聞くもの、何もかも初めてでおもしろかったわ」
次々とボタンを押していくダナの手が、ある一枚のところで止まった。
「あら、これ“砂漠のばら”ね」
リリアナはカメラを持ったダナの手元をのぞきこむ。
「ええ。こんな不思議な石があるなんて知らなかったの。感激して何枚も同じの撮ってしまって……」
するとサミーラが写真を指差して何かをまくしたてる。
「この砂漠のばらの伝説を知ってますかって」
「ああ、恋人を待って石になってしまった娘の話ね」
「あら、よく知っているわね」
ついさっきキファーフから聞いたのを思い出して、リリアナの胸はまたうずいた。
「美しいけれど、とても悲しい物語ね。石のばらになって、恋人をずっと待ち続けるなんて……」
ダナはサミーラと顔を見合わせて、少し笑った。
「なに……?」
「その続きは知っている?」
「え? そこで終わりじゃないの?」
「やっぱりその先は知らなかったわね。前半だけが有名になっているから。実は先があるのよ」
「どんな話なの? 聞きたいわ」
リリアナが身を乗り出すと、サミーラがアラビア語で語りだし、ダナがそのあとを英語でたどっていく。まるで二重唱の歌を聞いているようだ。
娘が石になって何百年かののち――。
少女が村のはずれで不思議な石が落ちているのを見つけた。
それを拾って家に持ち帰り、祖母にそれを見せると、
部族に伝わる悲しい恋の話をしてくれた。
死んだ男が帰ってくるのを、石になるまで待っていた娘。
そんな娘をあわれんだ少女は、ばらの形をしたその石を
小さな袋に入れて、肌身離さず持ち歩いた。
ある日、その部族と隣の部族の間に争いが起こった。
男たちはみんな戦いにおもむく。
少女が恋をしていた男も、武器を持って遠くへ行かなければならない。
出発の前夜、少女は男のところへ行き、
何も言わずにばらの石を差し出した。
どうか無事で私のところに戻ってきて。
私はずっと待っています。
そんな気持ちを石に託して。
戦いは長引き、一年がたった。
多くの男たちが死んだという知らせが届いていたが、
少女の恋する男の安否はわからなかった。
あの人はもう帰ってこないのかしら。
あの石は彼を守ってはくれなかったのかしら。
涙をこらえて働く毎日。
ある日、オアシスに水をくみにいくと
そこにぼろぼろの衣服をまとった兵士がいた。
少女はすぐにそれが想い人だとわかった。
知らずに涙があふれてくる。
男は少女にかけよって抱きしめた。
帰ってきたよ。
毎日、石を握りしめながら、きみのことを思っていた。
僕はどうしてもきみのところへ帰る。
それだけを願って生きていた。
そして二人は村へと戻り、永遠の愛を誓って結ばれた。
リリアナは胸がいっぱいになった。
「すてきだわ。自分の代わりに石に見守ってもらったのね」
「だから砂漠のばらは、恋人たちのシンボルでもあり、女が男に渡すお守りでもあるのよ。遠くにいる恋人を守ってくれると信じられている」
遠くにいる恋人……。なぜかキファーフの顔が頭に浮かぶ。リリアナは戸惑いを感じる。会ったばかりの人なのに。私はいったいどうしたというのだろう。
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