#11 結婚も国のため?

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一行はいよいよ砂漠に向かって出発する。途中、リリアナが乗ったらくだが肢を痛め、彼女はキファーフと一緒のらくだに乗ることに。すぐ近くに彼を感じて落ち着かないリリアナ。そこでキファーフの国を思う気持ちと、王族の義務としての結婚の話を聞く。


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 出発準備が整うと、ダナは何事もなかったように戻ってきた。聞きたいことは山ほどあるけれど、とても聞けない。

「リリアナ、最初は高くて怖いかもしれないけれど、遠くを見ていると怖さが減るわよ」

 笑いながらそう言うダナを見て、リリアナは胸が痛んだ。

 初めて乗るらくだは思ったよりはるかに大きかった。背中のこぶにかぶせるように鞍をつけるので、座りにくいということはない。ガイドの手を借りてよじ登るようにして鞍に座る。らくだが立ち上がるとき、大きく傾くのでしっかり鞍につかまっているように言われた。完全に立ち上がると、馬に乗ったときよりはるかに高い位置に視線が来る。ダナが言ったとおり最初はその高さに驚きと恐怖を感じた。

 リリアナは鞍の手すりをしっかりと持ち、体をリラックスさせてらくだの揺れに身を任せた。すると十分くらいで体が慣れ、周囲の景色を見る余裕も出てきた。アレックスも最初はおっかなびっくりという感じだったが、しだいに顔の表情に余裕が出てくる。

 カメラマンのステイシーは大きなカメラを持ち、最初から平気な顔をしていた。やはり世界中を取材して回ったベテランだから体力もあるし、どんな環境にもすぐ適応できる強さを持っているのだろう。スタジオの中ではわからなかった一面を見て、リリアナはステイシーをちょっと見直した。

 だんだんと大きな石や岩が多くなり、らくだの歩調も遅くなり揺れが大きくなる。

「これじゃ車をつかえないわけね」

 いくら四輪駆動でもひどく揺れそうだ。しかしまだ暑さがピークに達していないので何とか耐えていられるが、午後の日差しを浴びたら、いくら全身をアバヤでおおっていても耐えきれないかもしれない。

 キファーフ、ダナ、バクルはさすがに涼しい顔でらくだを進めている。リリアナは前を行くキファーフの姿をながめた。ぴんと伸びた背中、堂々とした身のこなし。やはりこの人は王たる一族に生まれた人なのだ。

 そのときリリアナの乗っていたらくだが、がくんと前のめりになった。

「きゃっ」

 バランスを崩して落ちそうになったリリアナは、思わず声をあげた。全員がいっせいに彼女のほうを振り向く。キファーフが素早くらくだから飛び降り、すぐに駆け寄ってきた。従者の一人がそれに続く。キファーフはふと足を止めると、前にいたガイドの青年に向かって何かアラビア語で叫んだ。

 らくだは体を傾けたまま動けなくなってしまっている。リリアナは必死でしがみついていた。

「鞍から手を放せ!」

 そう言う声が聞こえリリアナは反射的に手を放した。するとたくましい腕に支えられふわりと宙に浮いたと思うと、次の瞬間には足が地面に着いていた。

「けがはないか」

「は、はい……驚いただけです」

らくだがバランスを崩したときは、心臓が跳ね上がるように感じた。速い鼓動がおさまらない。

「あの、ありがとうございます。一人ではとても降りられませんでした」

「ああ……地面のくぼみにらくだが足をとられたのだろう。らくだがけがをしていないか調べるから、少し休んでいてくれ」

 ウェストを支えていた力強い腕が離れていくのを、リリアナは名残惜しく思う。彼の顔を見上げると、一瞬、その黒い瞳と目が合った。その瞬間、リリアナの全身にしびれるような感覚が走り抜けた。囚われたようにその目から視線をはずせない。まわりのすべてが遠ざかり、自分とキファーフだけしか目に入らなくなってしまう。そしてその黒い瞳に吸い込まれていく……。

「大丈夫か?」

 無事を確かめるようにキファーフに聞かれ、リリアナははっとした。

「あ……大丈夫です」

 魔法がとけたように、まわりの風景がよみがえった。キファーフは無言でうなずいた。

「どのくらい待つことになるからわからないので、他の者たちは先に行かせる。私と従者が一人残るから大丈夫だ」

「わかりました」

 リリアナは近くにあった大きく平らな岩に腰を下ろした。日に照らされた岩からじんわりと熱が伝わってくる。けれども耐えられないというほどではない。念のために肩にかけていた小型のバッグから、小さなボトルを取り出して水を飲んだ。

 砂漠の民の住まいまでは一時間ほどと聞いている。大したことはないと思っていたが、こんなトラブルで立ち止まってしまうこともあるのね。リリアナは砂漠の怖さを垣間見た気分だった。

 ふと横を見ると、地面に何かが盛り上がっているのが見えた。

「サボテンか何かかしら?」

そう思って近寄ってみると、きめの粗い砂が固まってできた薄い石が何重にも重なっている。それがちょうど植物の花びらのように見えるのだった。

リリアナは急いで小型のデジタルカメラを取り出し、その石の写真を何枚も撮った。

「何をしている?」

 いつのまにか夢中になってしまっていたらしい。うしろから声をかけられて、リリアナはびくりとした。振り向くと、キファーフが従者と並んで立っている。

「あの、おもしろい形の石があったので写真を撮っておこうと」

 キファーフがリリアナのうしろを見る。

「ああ。これは石膏などのミネラルが結晶化してできるものだ。大昔、このあたりは海だったと言われている」

「だから変わった形の鉱物があるんですね。でも結晶化なんて……ここまで大きくなるには、どのくらいの時間が必要だったのかしら」

「さあ、何万年か何百万年か。とにかく気が遠くなるほどの時間だろう」

「砂漠にこんな不思議なものがあるなんて、想像もできませんでした」

 リリアナはカメラを下ろして、じっとその鉱物を眺めた。その複雑な形はいくら見ていてもまったく飽きない。

「なんて美しいのかしら」

 かがんでいるリリアナを見ながらキファーフが言った。

「それは砂漠のばら(デザートローズ)と呼ばれている」

「砂漠のばら……」

「ああ。それを見て美しいと思う感覚は、砂漠の人間であろうが都会の人間であろうが同じということだ」

 リリアナがゆっくりと振り返ると、キファーフが自分をじっと見つめていた。視線がまっすぐにぶつかる。いまのキファーフの目は包みこむようなあたたかさを感じさせる。

「らくだは無事だったんですか?」

 無言になるのが怖くて、リリアナは尋ねた。

「そのことだが、足は折れてはいないが、だいぶ痛めている。人と荷物を乗せて歩くのは無理そうだ」

「まあ……」

「だからきみは私のらくだに一緒に乗っていってくれ」

「え?!」

 思わず大きな声が出る。それが意外だったのか、キファーフが少し眉をひそめた。

「それ以外に方法はない。砂漠の民のテントまで我慢してくれ」

「いえ、我慢だなんて、そんな。ただ迷惑をかけるのは……」

 何と言えばいいのかわからなくて、リリアナはしどろもどろになった。彼と二人でらくだに乗る。彼と体を密着させると思っただけで、リリアナの顔に血がのぼった。そんな状況で、私は冷静でいられるだろうか……。


 従者がキファーフのらくだを連れてきて手綱を渡した。その手綱を引っ張ると、まるで魔法のようにらくだが脚を曲げてうずくまった。らくだでさえ彼の命令に素直に従うのだ。

 先にリリアナが、しゃがんだらくだの背に乗り、そのうしろにキファーフが乗る。そして従者の手を借りながら、手綱を操ってらくだをうまく立たせた。

 キファーフの胸にぴたりと背中がついて、彼の体温が伝わってくる。心臓はこれまでにないほど高鳴り、飛び出してしまうのではないかと思った。

落ち着きなさい、リリアナ。ここへは仕事で来ているのよ。ジャーナリストとして、見るべきものがあるでしょう! 

心の中で自分を叱咤する。砂漠をらくだで歩くという、めったにできない体験をしているのだ。まわりを見ないでどうするの! 

そう思うと少し気持ちが落ち着いてくる。しかしまだ頭の中は整理できていなかった。

「あの……ダナはあの隣国の男性と結婚することになるんでしょうか?」

 何かを話さなくては。そう思った彼女の頭に浮かんだのは、ついさっき見た光景だった。言ってしまってから、なぜこんな話題を選んだのか悔やんだ。

「あのときも言ったが、外国人には関係のないことだ」

 キファーフの顔は見えないが、当然ながらあまり機嫌のいい声ではない。しかしその低く響く声で、耳元でささやかれると、こんな言葉ですら官能的に聞こえる。

「それはそうかもしれませんが……ダナはもう友人だと思っています。友人には幸せになってもらいたいんです」

「……友人か」

 キファーフの声が、少し優しくなったように思えた。

「アムルにはすでに国王夫妻から正式に断りの返事をしている。それがラフィーブ王室の答えだ」

「それでも迫ってきたのでしょう?」

「いつかはあきらめるはずだ。ダナにふさわしい婿をいま国王夫妻がさがしている」

「ダナの意思はどうなんですか? 彼女が自分で愛する人をさがすことはできないのでしょうか」

「ミス・マッキンリー」

 キファーフの口調が少し強くなる。

「ジャーナリストの性質なのかもしれないが、きみは好奇心が強すぎるようだ。そして他人の家庭に口出しをするおせっかいでもある。王族には義務がともなう。国益にかなった結婚をすることも王族の義務の一つだ」

「それは理解できますが……でもそこに愛情がなければみじめです」

一気に言って、いったん言葉を止める。しかしふと思いついてこう言い足した。

「それからキファーフ殿下。ミス・マッキンリーではなく、リリアナと呼んでください」

「ファーストネームで? しかしきみと私は――」

「きのうは呼んでくださいました」

 リリアナが思い切って言う。そう、きのう離れで客間から連れだされたとき、彼は私をたしかに“リリアナ”と呼んでいた。

 キファーフが黙っているので、リリアナは不安になった。王子に対して、あまりにもなれなれしかったかしら。しかし頭のうしろで、小さく笑う息づかいが聞こえてきた。

「よかろう、リリアナ。では私のことも殿下ではなくキファーフと呼んでもらおう。それが公平というものだろう?」

「え? それは……」

さあ、どうだと言わんばかりの彼の口調に、ここで引くわけにはいかないと、リリアナは思う。

「わかりました、キファーフ」

リリアナは腹に力をこめて言った。ファーストネームを呼ぶだけで、こんなに緊張するなんて! 

中断した話に戻ろうとしたが、何を話していたかすら頭のどこかへ行ってしまって思い出せない。するとキファーフのほうから口を開いた。

「さっきの話だが、愛情だけで結婚してもろくな結果にはならないと思うが」

「それはどういうことですか?」

「きみ自身の国を見ていてそう思わないか?」

「アメリカの?」

「結婚した夫婦の二組に一組が離婚すると聞いているが」

「それは……愛情が冷めた者同士が一緒にいるほうが不自然ではないでしょうか」

「夫婦だけのことならそれですむ。しかし子供はどうなる? きみの国では、父親でも母親でも、ひとりで満足に子供を育てられていると思うか?」

 リリアナは反論できなかった。自分は両親の愛情に恵まれた家で育ち、苦労はしていない。だが、テレビ局で働いていると、シングルペアレントの窮状や貧困が原因の犯罪がいやでも耳にはいってくる。

「ラフィーブにおいて結婚とは責任だ。アメリカに比べれば女性の自由は少ないかもしれないが、一度結婚した相手を路頭に迷わすようなことをすれば、その男は社会全体から非難される。責任が愛情よりも勝るというのが我々の考え方だ。王族はさらに大きな義務を負っている」

「……それなら、あなたもそういう結婚をなさるんですか、キファーフ? 愛情よりも国益を優先して相手を選ばなければならないんですね」

「それは当然のことだ。この国にとって望ましい相手だと、国王夫妻が認める女性と結婚することになるだろう」

あっさりとキファーフが言う。それを聞いて、リリアナはなぜか胸が苦しくなった。


 キファーフはらくだに乗りながら、不思議な気分になった。なぜ自分は外国人女性と、結婚についての話をしているのだろう? アバヤに包まれた体はきゃしゃで、このまま抱きしめたら折れてしまいそうだ。

 これほどの容姿を持っているうえ、テレビ局のオーナーの娘だというから、甘やかされて、男を思い通りにするのに慣れているような女性かと思った。しかしほんの三日間で、本当は芯が強く、負けず嫌いで、誠実に仕事に取り組んでいるのがよくわかった。うしろから抱きしめるようにして、手綱を握っていると、ときどき手が彼女の足に触れる。キファーフは自分の体が熱くなっていくのを感じた。彼女の唇にもう一度触れたい。このまま彼女をどこかにさらってしまいたい……。

この国の太陽とアバヤに感謝しなければ。もし素肌と素肌が触れ合ったら、自制心が保てるかどうか自信がない。

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