#10 不穏な出会い

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オアシスの町へと向かう一行。リリアナはどうしてもキファーフを意識してしまう。ところがホテルに着いたところで、見知らぬ男が近づいてきて、アメリカへの敵意をあからさまに向けてきた。キファーフに対しても無礼な態度で、どうやら王室と浅からぬ因縁があるらしい。


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ステイシーは興奮したようにオアシスの写真を撮っている。

 アレックスがキファーフと話をしながらやってきて、リリアナの横に立った。ゆったりとした白い民族服を着ているキファーフを見て、リリアナはどきりとした。ホテルや王宮で見る彼とは違う。まるで自分の家に戻ったかのような余裕を感じる。本当に彼には砂漠がいちばん似合いそうだ。

「あそこは観光地として開発されてるのかい?」

 アレックスがバクルに尋ねる。

「はい。オアシスは人気があるから。ただ都会みたいな大きい建物はつくらない。国王も政府もそう言っている。オアシスは砂漠の民のもの。まだ小さなホテルが一つあるだけ」

 リリアナはその言葉に逆にほっとした。

「そうね。観光客が大挙して押しかけてくるような観光地化は似合わないわ。大切にしまっておいて、ときどきそっと取り出して眺めて楽しみたい宝石のような場所ですもの」

「アメリカ人はそういう考えをしないものだと思っていたが……」

 リリアナがはっとして横を見る。

「キファーフ殿下」

 彼にとってアメリカ人は、何でもビジネスに結びつけるというイメージなのだろうか。

「アメリカ人だって……美しいものを誰にも見せず、自分だけのものにしておきたいと思うことだってあります」

 そう言ってふと彼の顔を見ると、口元が少し上がり、笑みを浮かべているように見えた。

 笑っているの? 

リリアナの心臓の鼓動が速くなった。そして私はきのう、あの唇に触れたの? いいえ、あれはただ私がしゃべろうとするのを、とっさに止めただけだわ。そう思っても、抱きしめられたときの驚きと、彼の唇の感触を思い出すと胸がうずいた。

「キファーフ、ミス・マッキンリーはロマンチストなんだ」

「ロマンチスト?」

「女の人はみんなそう。アメリカ人だって同じだよ」

 バクルがにっこり笑って言った。自分より年下と思われる男性に“ロマンチスト”といわれて、リリアナは気恥ずかしくなり、顔が赤くなるのがわかった。

「そうだな」

 キファーフはそう言って、彼女たちから離れていった。リリアナはまわりの人に気づかれないよう深く息を吸った。

「ここはとてもすてきな場所ね。車を止めてくれてありがとう」

 するとバクルが意外なことを言った。

「キファーフが車を止めるよう言ったんだ。写真撮るのにいい場所だから」

「キファーフ殿下が?」

 リリアナは車を出る前のことを思い出した。キファーフが運転手に何かを告げ、運転手は無線でどこかに連絡していた。あのとき、わざわざ車を止めるよう前の車に連絡してくれたということ?

「もうみんな写真撮り終わったみたいだ。車に戻ろう」

「え、ええ。そうね」

 バクルの言葉で、リリアナはふたたび車に乗り込んだ。


「丘の上から見るオアシスはどうだった?」

 先に車に戻っていたダナが尋ねた。

「すばらしかったわ……。町まで行っていたら、あの風景は見られなかったんですものね」

「そう。それならよかった」

 その直後、キファーフも車に戻ってきて、前の座席に座った。

 車を止めるよう指示してくれたのはあなただったのね? 

 リリアナはそう尋ねたい衝動にかられたが、彼の静かな横顔を見ていると何も言えなくなってしまった。

 

 そこから五分ほどで町に到着した。丘の上から見ていたときは樹木がうっそうと生えているように見えたが、実際は木と木の間がかなり広く開いている。しかし水辺には低木がたくさん生えていて、ちょっとした茂みもある。

 湖のほとりにこぢんまりとしたホテルが建っていた。バクルが言っていた、オアシス唯一のホテルだろう。そのまわりに食料品や日用品を売る小さな店が並んでいる。ガソリンスタンドもあった。

 バクルの案内で小さなホテルのロビーに入った。

「すぐにらくだを準備させる。それまでここで待っていてくれ」

 キファーフがバクルと運転手とともに玄関のドアへと向かう。リリアナたちは、しばらくロビーのソファに座って待つことにした。

 そのときホテルの入り口から大きな声が聞こえてきた。アラビア語なので何を言っているのかわからないが、何か穏やかならぬものを感じる。ダナの顔色がさっと変わった。ドアのほうに目をやると、大きな声の主がホテルに入るのを阻止するように、キファーフがその前に立ちはだかっている。相手は彼と同じくらい背の高い、がっちりとした体格の男だ。キファーフに対してもまったく敬意を示さず、堂々としているところを見ると、やはり身分の高い人物なのだろう。

 中に入れまいとするキファーフにかまうことなく身をかわし、やがて男はリリアナたちのところへやってきた。無遠慮な視線でアレックスやリリアナのことをじろじろ見る。

「私たちに何か?」

たまりかねてアレックスが尋ねる。

「おまえたちは何者だ?」

 男は訛りの強い英語で尋ねてきた。謙虚さのかけらもない態度だ。

「私たちはアメリカのスターTVの者です。ラフィーブ王国の取材に来ています」

「アメリカのテレビか……物欲にまみれた堕落した資本主義国家だ」

 男は吐き捨てるように言った。となりでステイシーがいきり立ちそうになったのを、アレックスが腕で制した。

「あなたはラフィーブ王国のかたではないのですか?」

アレックスが威厳をもって尋ねる。

「私はラフィーブの隣国、ハルーシュの王族だ。わが国を治めるシークは、ラフィーブのマルルーク殿下とは遠い親戚にあたる」

「ハルーシュというと、ラフィーブの北に隣接する国ですね」

 リリアナがアレックスのうしろから言った。すると相手の男が彼女をじろりと見た。

「ミス、アラブ世界では女は家族以外の男に話しかけたりはしないものだ。そもそも仕事であれ、ここに来るのが間違っている」

「女は黙っていろということですか」

「私は女と議論はしない」

 リリアナはむっとしたがなんとか自分を抑えた。会社で同僚とけんかするのとはわけが違う。下手をすれば国際問題になってしまう。

「アムル、客人に失礼なことを言うのはやめろ」

キファーフが割って入った。

「外国からの観光客は大切な金づるというわけか。特にテレビ局は大きな力を持っているらしいからな。しかしいまラフィーブが進もうとしている道は間違っている。我々はおまえたちの間違いを正そうとしているんだ。われわれは神の教えに従って生きなければならない。おまえたちのやろうとしていることは、われらが神への冒涜だ。外国のテレビ局がいるならちょうどいい。我々の文化も価値観も、西欧とは相容れないものだと教えてやれ」

「おまえたちの国とラフィーブを一緒にされては迷惑だ。ラフィーブの将来を決めてもらう必要はない。そもそもおまえはいったい何でここにいる? 騒ぎを起こしに来ただけなら帰ってもらおう。いやしくもおまえも王族なら王族らしくふるまえ」

 キファーフの言葉にアムルという男はにやりと笑った。

「よかろう。それならかねてから正式に申し入れてある件について話をしよう。ダナと私の結婚のことだ」

 結婚? リリアナは思わず声をあげそうになった。ダナがこの粗暴そうな男と結婚? キファーフのうしろにいたダナが叫ぶように言い返す。

「そのことならすでに正式にお断りしたわ!」

「これは国と国との間のことだ。そして女の結婚相手は男が決める。それがわれわれの伝統だ」

「ハルーシュではそうかもしれないけれど、ラフィーブにはもうそんな伝統はないのよ」

「ラフィーブは破滅への道を歩んでいる。近代化をお題目にして西洋に追従し、神の教えをないがしろにしているのだ。男に口答えするような女が現れているのがその証拠だ」

 ダナはぐっと唇をかむ。それを見てアムルは急に態度を変え、アレックスに向かってていねいに言った。

「しかしたしかに私のほうも礼儀を尽くしたとはいえない態度だった。アメリカのテレビ局の者たちにも見苦しいものを見せてしまった。どうか許していただきたい」

 あまりの変貌ぶりにアレックスとステイシーはあっけに取られている。アムルは今度はキファーフのほうを向いて言う。

「キファーフ、近いうちにラフィーブ国王に正式な謁見を申し込む。そのときはダナとの結婚を認めていただきたい」

 言うだけ言ってキファーフに慇懃な礼をすると、さっさとカンドゥーラの裾をひるがえしてドアの外へと出て行った。キファーフはきつく冷たい目で、彼らの背中を見つめていた。

「キファーフ殿下」

アレックスが声をかけるとキファーフがゆっくりと振り返る。そのときにはもう元の冷静な顔に戻っていた。

「失礼した。彼は隣国の王の甥だ」

 どう見てもトラブルがあるはずだが、そのことについては口にしない。

「ダナ王女に結婚を申し込んだと言っていましたが」

 キファーフの顔が引きしまる。「外国人には関係のないことだ」

 それを聞いたとたん、ダナがドアに向かってかけだした。

「ダナ!」

 リリアナは思わず追いかけようとしたが、ホテルの外に出た彼女のうしろから、バクルが追いかけるのが見えて足を止めた。やはりあの二人は……。リリアナは複雑な気持ちで、二人を見守ることしかできなかった。

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