#09 砂漠への旅路

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いよいよ砂漠へ向かう日がやってきた。キファーフとダナも同行し、案内役はバクルという砂漠の民の若者だった。夢だったオアシスが近づくにつれて、リリアナの心は期待に高鳴っていく。


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 翌日、リリアナは薄手のシャツにコットンパンツ、そしてスニーカーをはくとアバヤをまとい、ダナに教えてもらったようにヒジャブをつけた。大型のバッグにカメラとハンディビデオを詰めこんでロビーへと下りていく。きょうはもちろんステイシーがカメラを回すが、それとは別に自分が見た砂漠を撮っておきたかったのだ。

 きのうの王宮での出来事は、もちろん忘れてはいない。ホテルに戻ってから、王族をたたいてしまったことを思い出し、背筋が寒くなった。

とんでもないことをしてしまった。いつ使いの者が来て、すぐに国に帰れと言われるのではないかと、びくびくしていたくらいだ。しかし実際は何も起こっていない。

 本当になかったことにしていいのだろうか。しかしキファーフにああ言われた以上、そういうふりをするしかないと、リリアナは腹をくくった。

 ロビーで兄たちの姿を見つけ、リリアナはそっと近づいた。すぐそばまで来て、声をかける。

「アレックス。ステイシー」

 振り向いてリリアナの顔を見ても、ステイシーはしばらく誰かわからなかったようだ。二、三秒してようやくそれが見慣れた同僚の顔だと気づいたらしい。

「リリアナか! わからなかったよ。これを着るだけで雰囲気がずいぶん変わるもんだな」ステイシーが上から下までながめて言う。ふだん人に見られるのは好きではないが、いまは悪い気はしない。

「きのうダナにヒジャブの巻き方を教わったの。それで病院にはこのかっこうで行ってきたわ」

「動きにくそうに見えるけど、大丈夫なのか?」

「最初、ちょっと裾と顔のまわりが気になるけど慣れれば平気よ。外ではこのほうが日差しを気にしなくてすむし。たしかに実用的なものなのね」

 悔しいけれど、キファーフの言っていたことは正しかったのだ。キファーフを思い出した瞬間、頬に血が上って鼓動が激しく打ち始める。幸いヒジャブのおかげで、だれにもわからないけれど。

「きのう病院では写真やビデオも撮ったんだろう? あとで見せてくれよな」

ステイシーが言う。

「ええ。もちろんよ。ステイシーの特訓のおかげで、きっとうまく撮れていると思うわ」

 ステイシーはまんざらでもなさそうに笑った。

「アレックス。おれたち、ここで待ってればいいのか?」

「いや、たぶん駐車場に車が来ているはずだ。ちょっとシャーキルに電話をかけてみる。少し待っていてくれ」

 アレックスはそう言うと、携帯電話をポケットから出してロビーの片隅へ行った。

 彼が電話をかけている間、ステイシーがリリアナに前日のことを尋ねる。

「アメリカの大病院と比べても遜色はないみたいなこと言っていたけど、本当かい?」

「ええ、すばらしい設備だったわ。あれを見られてよかった。商業会議が女性禁制でよかったと思ったくらいよ」

「そいつはうらやましい。こっちはわかりもしないアラビア語の会議をじっと聞いてたんだぞ。カメラも回せないし、おれにとっちゃ拷問みたいなものだった。そっちに行けばよかったと思ったくらいだ」

「私にとっては、けがの功名ね」

「その分、きょうははりきってる。何といっても砂漠は男のロマンだ」

「そうね。私も楽しみよ」

 アレックスが戻ってきて、すぐに駐車場に向かうという。

「運転手とガイドがもう駐車場で待っていてくれているそうだ。キファーフ殿下とダナ王女の車も来ている」

 キファーフの名前を聞いて、リリアナはどきりとした。

彼の前で、本当に何事もなかったように平静を保っていられるだろうか。

「町まではどのくらいかかるんだ?」

「二時間ほどだそうだ」

「水やちょっとした食べ物は町で調達できるのかね」

「ああ。町には店もたくさんあるし、日用品の買い物は困らないと聞いた」

「よし、出発だ! きょうは思う存分、撮影するぞ。砂漠ならいくら撮っても文句言われないだろう」

 ステイシーは大きなカメラの入ったバッグを少しはずみをつけて持ち上げて肩にかけた。

 

「おはようございます。みなさん」

 駐車場に行くと、大きなランドクルーザーの前に、なんとダナ王女と、若い青年が立っていた。

「こちら、バクルよ。これから向かう砂漠の住人なの」

 ダナの説明に三人とも納得する。

「二日間、僕が砂漠を案内します」

そういうバクルの英語はプロのガイドほど上手ではないが、ふつうに話すことができる。

この国の教育制度はどのようになっているのかしら。リリアナはふと思った。それより気になったのは、ダナとバクルの間に、他の人たちとは違うムードが流れていることだ。話している間ずっと目を合わせ、まるで他人が目に入らないようだ。

「リリアナ、きょうは私たちの車に乗ってくれない? 話し相手になってくれたらうれしいわ」

 ダナがリリアナのほうを向いて言う。

「え……それは」

 リリアナがためらうと、ダナは目で“お願い”と訴える。

「リリアナ、せっかくそう言ってくださるんだから、そちらに乗せてもらえ」

 アレックスが先回りして口添えしてくれる。

「ありがとう、ミスター・マッキンリー。それじゃ、行きましょう」

 ダナはリリアナの腕を引いて、自分たちの車のほうへ向かった。うしろから荷物を持ったバクルがついてくる。

 シートに落ち着くと、ダナがすぐに言った。

「きのうはごめんなさい。まさかあそこで、長老会議をやるなんて知らなかったの。部屋を出てすぐキファーフに会って、あなたが客間にいるって話したら……兄がうまくやってくれるとは思ったけど、顔を見るまで心配だったわ」

「ええ……キファーフ殿下のおかげで助かったの。きのう、私は離れには行かなかった。すべて忘れなさいって」

「そう……だったら長老たちに顔は見られていないのね。よかった」

「ダナは大丈夫だったの?」

「ええ。お母様の私室でじっとしていたわ。長老会に女性の出席は認められないし、姿を見せるのさえ禁じられているの」

「まあ……」

 本当に、あそこで見つかっていたら大変なことになっていたのだ。

「キファーフがそう言うなら大丈夫ね。私たちはきのう、離れには行っていない。そういうことにしましょう。この話はもう終わりね。もうキファーフともその話はしないほうがいいわ」

「わかったわ」

 二人は顔を見合わせて、互いに励ますような笑顔を交わした。

 ちょうど話が途切れたところで、キファーフと運転手がやってきた。

 運転手が開けたドアから、キファーフが黙って前の席に乗り込む。

「お、おはようございます」

 キファーフがリリアナをちらりと見てうなずく。リリアナはきのうのお礼が言いたかった。しかしもうこの話は終わりということになっている。不用意に口にしないほうがいいだろう。

「水は持ってきているか?」

 キファーフのほうから聞いてきたので、リリアナは内心びっくりした。

「はい。ホテルで詰めてもらいました」

「それならいい。これから砂漠に近い町のホテルへ向かう。そこで車を降りて、らくだに乗り換える。外に出たら、たとえ喉が渇いていないと思っていても、定期的に水分はとったほうがいい」

声にリリアナへの気づかいが感じられるような気がした。

「わかりました。そうします」

 リリアナは素直に返事をした。キファーフの様子が、きのうまでとは違うような気がする。きのうまではそばによると、ぴりぴりと緊張が伝わってくるようだったのに、いまはもっとやわらかな空気をまとっている。

 車が出発して二十分もすると、高層ビルは消え、周囲がよく見えるようになった。さらに十分もすると、近代的な都市を思わせるものがなくなる。ただどこまでも続く、荒涼とした土地が広がっている。道路もアスファルトの舗装されたものから、ただ土を固めたような道に変わっていた。

 しだいに周囲に色彩が少なくなり、単調な景色になる。しかしリリアナはまったく退屈しなかった。視界をさえぎるもののない広々とした空間。白っぽい大地と明るく青い空との強烈なコントラスト。ときどき鳥がその青空を裂くように飛んでいく。生命の力強さをこれほど強烈に感じたのは初めてかもしれない。

 リリアナは窓に顔をくっつけんばかりにして、外を見ていた。

「そんなにおもしろい?」

 ダナがからかうように聞く。

「ええ、ふだん私が決して見られない風景ですもの。地面はすっかり乾燥しているように見えるけど、よく見ると植物もけっこうあるのね」

「そうね。砂漠で育つものもあるし。周辺の国に比べると、ラフィーブはオアシスの数も多いのよ」

 オアシスと聞いて、リリアナの心は高鳴った。

「ここに来る前、オアシスの写真を見たわ。とても美しかった。それでどうしても砂漠に行ってみたいと思ったの」

「砂漠は観光地としても人気があるわ。ラフィーブではまだそれほど開発は進んでいないけれど」

 ラフィーブのような国にとって、砂漠は観光の大きな目玉なのだろう。でもあまり人が押し寄せるようなことにはなってほしくない……。それが勝手な考えだとはわかってはいるけれど。

 二時間ほど走ったところで、前に座ったキファーフが、運転手に話しかけた。運転手はうなずき、無線のスイッチを入れて何かつぶやいた。

 するとしばらくして、前を行くアレックスたちの乗った車が道路の脇に寄って止まった。

「あら、どうしたのかしら」

 中からカメラを抱えたステイシーとアレックスが出てきた。

「ああ、ここは……」

 ダナが納得したようにうなずく。周囲にはあいかわらず何もない。ただ白っぽい荒野が広がるばかりだ。

「リリアナ、ここから町を一望できるわ。一度降りましょう。カメラを忘れないようにね」

 運転手が外からドアを開けてくれる。リリアナはアバヤの裾を踏まないよう気を付けながら外に出る。そのとき少し先で、ステイシーの大きな声が聞こえた。

「おお! これはすごい!」

 リリアナも急いでステイシーのそばへかけ寄る。眼下に広がる景色を見て、リリアナは息をのんだ。白い砂丘の先にぽっかりと浮かんだように緑の町が見える。その真ん中には青い水をたたえた小さな湖。それはまさに楽園という言葉がふさわしい光景だった。

「あれが……オアシスね」

 うっとりと眺めるリリアナに、バクルが説明してくれた。

「あれはラフィーブ最大のオアシス。砂漠の宝石と呼ばれてます」

「砂漠の宝石……なんて美しいのかしら」

「砂漠の人間にとって、水と木は生命と同じ。だから大切にする。このオアシスはラフィーブのシンボルなのです」

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