#05 なぜ彼女が気になるのだろう

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リリアナが病院か教育機関の見学をしたいという希望を口にすると、キファーフが国立女性病院に行くことを勧めてくれた。その手配までしてくれたことで、キファーフへの印象が大きく変わる。キファーフもまた、仕事に意欲的なリリアナがなぜか気になって……


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 納得のいかない顔をしているキファーフとは対照的に、穏やかな笑みを浮かべてシャーキルが付け加える。

「それにミス・マッキンリーには、世話係としてダナをつける。それなら心配はないだろう?」

「ダナを?」

 二人の目がさっきからそばに立っていた若い女性のほうへ向けられる。背はリリアナと同じくらいだろうか。よく見ると全体に刺繍がほどこされた、重々しいアバヤを身に着けている。

 シャーキルはゆっくりとリリアナのほうへ視線を戻す。

「これは一番下の妹のダナだ。あなたとは年も近いし、きっといい話し相手になるだろう」

 王女と聞いて、リリアナたちは驚いた。

「王女様が世話係なんて……」

 恐縮する三人を前に、ダナは明るい声で言う。

「あら、そんな気になさらないで。外国からのお客様に、同じ年くらいの女性がいるとうかがって、とても楽しみにしていたの」

 ダナはきれいな英語で言い、リリアナのほうを向いてにこりと笑った。アバヤとヒジャブでおおわれているため、見えるのは顔だけだが、くっきりとした切れ長の目をメイクでさらに強調しているのが印象的だ。  

 彼女となら仲よくなれそう。リリアナは内心ほっとする。これまで会ったガイドやテレビ局のスタッフに、女性は一人もいなかった。覚悟していたとはいえ、やはり心細かったのだ。

「よかった。これで明日の砂漠行きは決定だな」

うれしそうにアレックスが言う。しかしその後、少しためらったのちにこう言い足した。

「リリアナ、きょうの午後のことだが……。シャーキルが商業会議に参加する。僕らもそこに特別に招待してくれるというんだ。ただそこは……女性の参加は認められなくて」

「そうなの。それなら別行動ね」

 リリアナはつとめて明るく言った。こういうことがあるかもしれないと思って、そのときの対応も考えていたのだ。リリアナは息を深く吸い、シャーキルのほうを向いて、その考えを思い切って口にした。

「あの……それなら私は見たいところがあります。病院か学校で、見学を許可してくれるところはないでしょうか。シーク・マルルークは即位された直後から、医療と教育に力を入れてきたとうかがいました。その現場を、できればこの目で見たいと思っていました」

 そこにいた誰もが、しばらく何も言わなかった。アレックスは驚いた顔でリリアナを見ている。

 やはりこんなお願いをするなんて、ずうずうしすぎたかしら。緊張した空気に、リリアナは少したじろいだ。

「シャイフ国立女性病院を見てくるといい」

 低い声が聞こえて、リリアナは顔を上げた。彼女のことをじっと見ているキファーフと目が合ってどきりとする。いまのは彼の声だったの……。

「国立女性病院……ですか?」

「ああ、それがいいかもしれないわね」

 ダナが続けて賛同の声を上げると、張りつめていた空気が一気に緩んだ。アレックスも身を乗り出してくる。

「そこは特別な病院なのですか?」

「特別というか、外国人にはあまり知られていないと思うわ。病院は男女別で、女性は女性の医者に診てもらうのがふつうなの。シャイフ国立女性病院は、医師も看護師もスタッフは全員女性よ」

「本当ですか?」

「ええ。設備も充実していて、アメリカの大病院にもひけを取らないと思うわ」

 リリアナはわくわくしてきた。

「そこはすぐに見せていただけるのでしょうか。いまからでも」

「私が一緒に行こう。そうすれば問題はないはずだ」

「キファーフ殿下が?」

 リリアナが目を丸くすると、ダナが説明してくれた。

「キファーフはその病院の総裁なのよ。王族の名誉職だけどね」

「でも女性病院なのに、男性が入っても……」

「女性に限られるのは医療スタッフと患者だけだ。事務や経営スタッフには男もいる。病院に男がまったくいないわけではない」

 リリアナはようやく納得した。

「ありがとうございます。私の勝手なお願いに……」

「いや、シャイフ国立女性病院のような施設こそ、国王陛下が外国人に見てもらいたいところだろうから」

 キファーフの意見にシャーキルも賛成した。

「ミス・マッキンリー、たしかにキファーフの言うとおりだ。ぜひ取材してもらいたい」

「すぐには出られないから昼食をゆっくりとればいい。二時前後に部屋に迎えをやる」

 一気に話が進んでしまった。さっきの気まずい雰囲気が嘘のようだ。キファーフ殿下が病院を提案してくれたおかげだ。外国人女性がでしゃばるのは嫌がるかと思ったのに、わざわざ取材しやすいようにしてくれるなんて意外だった。

 キファーフは相変わらず、にこりともしない。けれどもきのうほどの冷たさは感じなくなった。いま助け舟を出してもらったせいだろうか。彼への見方が少し変わりそう……。

 そう思ってリリアナは心の中で苦笑いした。ちょっと親切にしてくれたから、いい人かもしれないと思うなんて、あまりにも単純じゃないの。でも彼が手助けしてくれたのはたしかよ。それはありがたく思わなければ。


「おまえがシャイフ国立女性病院を提案してくれてよかった。お互いにとって望ましい場所だ」

 ホテルの中の執務室に戻ったシャーキルが、横にいるキファーフに言った。

「マスコミの人間なんて、みんな好奇心のかたまりだろう。勝手にあちこち行かれたら、どんなトラブルを起こすかわからないからな。都会は外国人女性に慣れているが、町を出たらまだまだ保守的なところも多い。特にあんな目立つ容姿では……」

「たしかに彼女がアメリカと同じ服装で歩いたら、人目を引きすぎるかもしれない。しかしあれだけの美人なのに、男に媚びるようなところがないのは驚きだ。小さいころからむしろコンプレックスを持っていたと、アレックスは言っていたが」

「容姿ばかりを話題にされるのも不本意なのだろう。今日のインタビューを見ていて、本気で仕事に取り組んでいるのがわかった」

 シャーキルが意味ありげな笑みを浮かべて言う。

「おまえが女性をそれほど評価するのは珍しいな。きのうのアバヤの件で印象が悪いかと思っていたが少し安心した」

「私はただ外国人に国内で問題を起こしてほしくないだけだ。特に彼女はアメリカ人だ。保守派の中には、いまでもあの事件を理由に、観光客誘致に反対する連中もいる。」

「私がハーバードに留学して、国民の抵抗はだいぶ減っているというのに」

「理由なんか何でもいいんだろう。彼らは政府の方針に反対するための材料をさがしている。外国人の無礼なふるまいなどは、いちばん攻撃されやすい。今回のアメリカのTVの取材を兄上が許可したのにも、実は驚いていた」

「ときにはリスクを引き受けることも必要だ。国王の政策を推し進めるために、アメリカとの友好関係を築くにはいいタイミングなんだ」

「もちろんそれはわかっている。その分、国内外の反政府勢力には気をつけないと。たとえば隣国ハルーシュ……」

「国王の甥、アムルか。ダナを嫁によこせと、以前からしつこく迫っているな」

「ハルーシュは宗教の聖典を絶対とした政治を行なっている。ラフィーブの近代化政策にはあからさまに反対だ。だからアムルにダナと結婚させて、ラフィーブの政治に口を出そうとしている」

「すでに断っているのだが、ああいう連中はときに手段を選ばないからな。強引にダナをハルーシュに連れ帰るくらいはするかもしれない」

「彼らが国内の保守派と手を組んだりしたら厄介だ」

「まったく頭が痛いよ。今夜も非公式の長老会議だ。表向きは近代化政策に賛成していても、まだ古い意識を引きずっている長老たちもいる。彼らの影響力は軽視できないからな」

「急な話だったから、ごく少数の者にしか知らせていないが……。まさか今日、離れに来客の予定などはないだろうな?」

「特にそういう予定はない。おまえはこれからリリアナ嬢を病院に案内するだろう? そのあと、王宮に回って確認しておいてくれるか?」

「ああ、わかった」

 商業会議に出席するためホテルを出る兄を見送り、キファーフは大きなデスクの前に座る。仕事はいくらでもある。しかし重ねられた書類に目を通していても、ふとあのリリアナの姿が、頭に浮かんできた。美しい金色の髪、そして自分に向けられた、挑むような青い瞳。

 西欧の女性と話をしたことがないわけではないが、あんな風に正面から意見をぶつけられたのは初めてだ。キファーフは、はっとする。いったいどうしたというのだ。彼女はアメリカ人女性ではないか。

 幼いころ砂漠で一緒に遊んだ親友がアメリカで殺されたときから、自分にとってアメリカはいまわしい国となった。もちろんそれは不幸な偶然であり、アメリカやその国民を責められないのはわかっている。それでも心のどこかで、あの国に対する嫌悪があったのだ。それなのに……きのう初めて会ったばかりの彼女がずっと気になり、ふと気づくと彼女のことを考えていた。こんなことは初めてだ。なぜこれほど彼女が気になるのだろう? いやそれはただ、彼女が怖いもの知らずで、好奇心の強そうなタイプだからだ。何かしでかしはしないかと気になっているだけなのだ。

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