#03 二人の王子

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アレックスの旧友である皇太子は、気さくに一行を迎えてくれた。しかしその場にも、あの漆黒の瞳の男性が、監視するように立っていた。リリアナは反発を感じるが、その男性の正体を聞かされて……。


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 ホテルの最上階の奥まったところに、ひときわ大きくて豪華な扉の前で、案内役の従者が足を止めた。

「皇太子殿下はここの特別室におります。どうぞこちらへ」

いつのまにか周囲を取り囲むように、数人の男性がうしろから現れた。ゆったりした民族服に隠されてはっきりとはわからないが、みんな体格がいいから護衛かもしれない。 

「アレックス!」

 特別室のドアを開けた瞬間、奥に座っていた男性がはじかれたようにソファから立ち上がって近づいてきた。

「シャーキル! 久しぶりだ。元気だったか」

 二人は固く握手をかわす。

「まず、うちのテレビのスタッフを紹介しよう」

 アレックスは手短にステイシーとリリアナを皇太子のシャーキルに紹介した。

「お会いできて光栄です。シャーキル殿下。スターTVのリリアナ・マッキンリーと申します」

 彼女は手を出さず、深くお辞儀をした。皇太子はリリアナよりかなり背が高い。顔を上げると、やさしげな目が自分を見つめている。

 この目、どこかで見たことがある……。

 リリアナはとっさに思った。そうだ。さっき転びそうになったとき助けてくれた男性に似ている。けれども皇太子の目のほうがはるかに穏やかでやさしい。

「三人とも長旅でお疲れだろう。まずソファに座ってくつろいでくれたまえ」

 シャーキルはそう言って、先にさっと腰をおろした。


 シャーキルとアレックスが話をしている間、リリアナはメモを取りながら耳を傾けていた。話の切れ目でふと目を上げると、シャーキルのうしろにさっきの男性が無言で立っているのに気づいた。まるで皇太子の第二の目となって、リリアナたちを監視しているように見える。

 冷たい目……。私たちをよほど信用していないのだろうか。

まるで鋭い刃物を向けられているようで少しこわかったが、同時にその美しい目で見つめられると、なぜか落ち着かない気分になった。

 それからしばらく、四人で取材のスケジュールを打ち合わせた。リリアナのインタビューは早々に、翌日の午前中に行われることになった。

「本当はまずこの国のあちこちを見てもらいたかったのだが、スタジオの都合もあるし、私自身なかなかまとまった時間が取れないのでね」

ゆったりとほほえんでシャーキルが言う。

「いや、こちらとしては取材を受けてくれただけでじゅうぶんだ。忙しいきみの時間を奪ってしまって恐縮している」

「そんなこと気にするな。我々もただきみらに協力しているわけではない」

いくら学生時代の親友とはいえ、国益にならないことはやらないという意味だろう。

 インタビューの場所はラフィーブ国営テレビのスタジオ。スタッフの数もじゅうぶんに揃っている。撮影に関しては、ステイシーが指揮を執ることを確認する。アメリカでの仕事とは勝手が違うが、自分の思い通りにできるとわかってステイシーは少し興奮しているようだ。

「実はラフィーブの王族が女性のインタビューを受けるのは初めてだ。我が国にとっては注目すべき出来事になる。そこで私どもからミス・マッキンリーに心ばかりの贈り物をお渡ししたい」

 シャーキルはそう言うと、従者を呼んでいくつかの箱を運ばせた。その中でいちばん小さな箱を従者がリリアナに渡した。

 箱を開けて中をみたとたん、リリアナは息をのんだ。中には見事なゴールドの細工に真珠をちりばめたバングルがあった。果物の木の枝と葉をデザインしたもので、真珠が果実に見立てられている。

「これは我が国の金細工と真珠養殖技術の粋を集めたものだ。ラフィーブが世界に誇る芸術といえる」

「それはわかりますが、でもまさかこんな高価なものいただくわけには……」

 リリアナが言うと、アレックスが小声でそっとささやいた。

「いいからもらっておけ」

「え?」

「あしたのインタビュー映像は全米に配信されるだろう。そこでラフィーブの産業をアピールできれば安いものだ」

 つまりインタビューのとき、このバングルをつけていなさいということね。「わかりました。ありがたくいただきます」

 リリアナは素直にそれを受け取った。今回の取材は、ラフィーブを世界に向けて宣伝する絶好のチャンスなのだ。そういうことなら気が楽だ。おかしな下心ではなく、ジャーナリストとして利用されるなら本望だわ。

「それからもう一つ、受け取っていただきたいものがある」

 従者がもう一つの大きな紙箱を取ってふたを開けると、黒い薄い生地の衣服があった。

「これはアバヤですね」

リリアナは意外な思いでそれを見た。アバヤは女性の全身をおおうマントだ。夫以外の男性の気を引かないための衣服ということで、西欧では女性抑圧のシンボルとみなされることもある。

「これは……受け取れません」

リリアナは低い声で言った。

「殿下は先ほど、外国の女性たちにこの国に来てほしいとおっしゃいました。それなのに女性の活動を制限する服を贈るというのは、矛盾しているのではないでしょうか……」

 リリアナはまだまだ言いたいことがあった。けれども言い終わらないうちに、腕を誰かにぐいっとつかまれて上に引っぱられた。

「きゃっ」

「こっちへ来たまえ」

 強い力で両肩をつかまれて立ち上がらされる。よろけそうになりながら、引かれるままに窓のそばへと寄った。リリアナの腕をつかんだのは、またさっきの男性、ずっとシャーキルのうしろでリリアナたちを冷たい目で見ていた彼だった。

「ちょっと、放して!」

 リリアナは思わず叫んだ。しかし彼は聞く耳などもたないという風情で、かまわず薄いカーテンを開けた。すると午後の強い光が部屋に差し込み、リリアナは目がくらみそうになった。彼はさらに窓を開け放すと、リリアナの腕を引っぱってベランダへと連れ出した。直接浴びるこの国の日差しはさらに強烈だった。本当に肌を射されているような気がする。リリアナは思わず手を顔の前にかざした。

 そこへ従者が先ほどのアバヤを広げて持ってきた。

「こちらをどうぞ」

肩からふわりと黒い生地をかけられると、強烈な日差しがさえぎられて、射すような痛みがなくなった。風をはらむと涼しささえ感じる。

「どうだ?」

 リリアナの腕をつかんだ男が尋ねる。

「気持ちがいいわ……」

 いつのまにかシャーキルやアレックスもベランダに出て、リリアナのそばに来ていた。

「心地よいでしょう?」

 従者が穏やかな笑みを浮かべて、またリリアナを部屋へと迎え入れる。

「宗教上の理由からアバヤの着用を女性に義務付ける国もあるので誤解されやすいのですが、実はこの国の気候にはとても適した衣服なのです」

「この国では街中でも頭にヒジャブくらいはかぶったほうがいい。砂漠を歩くときは全身をおおわなければ、脱水症状で倒れるのがおちだ」

 彼がぶっきらぼうに言う。そして皮肉な笑みを浮かべて、こう付け加えた。

「まあ、アメリカのテレビ局オーナーのご令嬢がショッピング目当ての観光気分で来ているなら、砂漠になど行かないかもしれないがな」

 リリアナはかっとした。本当にさっきから何なの? やはり彼は私たちに敵意を持っているとしか思えない。リリアナは低い声で言い返す。

「ずいぶん失礼なことを言うのね。あなたはいったい何なんですか?」

 横にいた従者の顔色がさっと変わった。もしかしたら、私はまずいことを言ってしまったのだろうか?

「失礼、ミス・マッキンリー。ご紹介が遅れた」

皇太子が間に割って入る。彼は咳ばらいを一つすると、顔の表情を引き締めて重々しい声で言った。

「これは私のすぐ下の弟、ラフィーブ国第二王子であるキファーフ・ハムディー・アル・シャルフ」

 リリアナもアレックスもステイシーも、呆然として何も言葉が出なかった。

「シャーキル、きみも人が悪いな。キファーフ殿下がそばにいながら紹介してくれないなんて」

 キファーフと彼の従者を下がらせて、部屋には皇太子と彼の従者、そしてスターTVのスタッフが残っていた。すぐにアレックスが遠慮のない口調で言う。

「すまない。しかしそれが弟のたっての希望でね。自分はあくまで私の家臣であり、王位継承者として見られるのは不本意だと言っている」

「以前、キファーフ殿下は内務大臣に任命されたと思っていたが」

「それも固辞した。それでいまは私の補佐役として働いている」

「あの……それはなぜですか? 現在のラフィーブ政府の要職はシャルフ一族が占めているのに」

 リリアナが口をはさんだので、シャーキルは少し驚いたようだった。けれどもまたやさしい笑顔を浮かべてていねいに答えてくれる。

「どこの国でも、第二王子の立場というのはむずかしいものです」

 皇太子の話によれば、第二王子というのは、まず皇太子の側近から警戒される。ラフィーブ周辺の地域ではまだ民主主義の国が少なく、元首は世襲制がほとんどだ。血脈が重視されるのは昔から変わらない。

「ラフィーブでは父が進めている近代化政策を、閣僚から下々の国民までが一致して支持している。しかし周囲にはそれをおもしろくないと思う国もある。逆にあわよくばその利益を奪おうとする国も」

「下手をすれば紛争の種になると?」

「いや……。武力に訴えるのは、お互い損失が大きすぎる。手っ取り早いのはラフィーブ王室と親戚になって、政府の中枢に食い込むことだ」

「政略結婚か……」

「ああ。私にはすでに息子が三人いるので、キファーフの王位継承順位は第五位だ。だが、資産については彼が成人した時点ですでに分けられているので、世界的に見ても富豪と言える。だからこそ政治的にも資産的にも、取り込むにはちょうどいい立場だろう」

そう言うと、片方の眉をあげた。

「しかも、優秀な手腕でさらに資産を増やしているしな」

「そんな……」

リリアナはため息をついた。純粋な愛情だけで結婚を考えられないなんて、王族は不自由なものね。彼の尊大な態度と冷たく鋭い目は、こういう複雑な人間関係の中で生まれたものなのだろうか。さっきはあの失礼な態度に腹を立てたが、話を聞いているうちに、少しだけキファーフへの同情の念がわいてきた。

「キファーフだけじゃない。他にもまだ独身の妹もいる。彼らの結婚は、父にとっても私にとっても頭の痛い問題だ。あまり国家間の利害関係に巻き込みたくはないんだが……」

「家族の問題が国家の問題になるなんて、王族というのも不自由なものですな」

 ステイシーがしみじみと言う。リリアナはおかしくなった。みんな同じことを考えるものね。シャーキルもそれを聞いて苦笑する。

「学生時代の気安い友人の前ではつい本音が出てしまったようだ。あしたのインタビューではこんな話はできない。いまの話はあなたがたの胸におさめておいてもらえればありがたい」

 その顔はすでにアレックスの友人ではなく、皇太子の顔に戻っていた。

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