#02 空港での出会い

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ラフィーブ取材のチームはアレックスとリリアナとカメラマンのステイシーの三人。ラフィーブの空港に降り立ち、彼らはその豪華さに目を見張った。迎えに来てくれた一行の中に傲慢な態度の男性がいた。しかし彼は端正な顔立ちと、高貴なオーラをまとっていた。


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 ロサンゼルスから直行便で十六時間。ラフィーブの表玄関であるマルルーク空港に到着したとき、そのきらびやかさにリリアナは思わず息をのんだ。曲線が強調された近未来的な建物。驚くほど長い動く歩道。免税品店は大きく、民族衣装や名産の宝石やゴールドが並んでいる。

「こいつは想像以上だな。石油が出る国がリッチなのは知ってたが、空港にこれだけ金をかけてるところは、そうないよな」

 今回の取材に同行することになったカメラマン、ステイシー・ダグラスが汗をふきながら言った。

「ラフィーブの国際空港はまだここだけだ。言ってみれば外国からの観光客への顔だな。入り口で外国人の度肝を抜こうとしているのさ」

アレックスが言う。

「ああ、こりゃびっくりするぜ。アレックスから話は聞いていても、しょせん発展途上の国だと思っていたが……。飛行機の中から、空港から少し離れたところに高層ビルがいくつも見えた。あのへんがダウンタウンかな」

「ああ。国の西側は砂漠で、近代的な都市開発は東側に集中している。王宮はあえてその間に建てられている。近代化を進めながら砂漠に住む民族との共存を目指し、彼らの生活を尊重しているんだ」

「まあ、石油掘る以外に砂漠を開発するってのはナンセンスな気がするよな。コストがかかりすぎるし」

「ああ、砂漠は観光客に人気がある。砂漠の民にも観光ガイドみたいな新しい仕事が生まれている」

「たしかにこれから一、二年のうちに世界中から注目されるかもしれないな。ここに来るまでは半信半疑だったが、これはカメラに残しておく価値がある」

「きみがそう思ってくれてうれしいよ。二週間よろしく頼む」

 アレックスとステイシーの会話を、リリアナは頭の隅で聞いていた。目にするもの一つ一つに目を奪われて、なかなか会話に入っていけなかった。

 ビジネスクラス専用のラウンジに入って、リリアナはまたため息をついた。大理石の床の上に豪華なペルシャ絨毯が敷かれ、ゆったりとしたソファが整然と並んでいる。ビジネスクラスでこれほど豪華ということは、ファーストクラスの客のためのラウンジはいったいどんな風なのか想像もできない。

「ここで待っていればいいの?」

「ああ。迎えが来てくれるという話だった」

「たかがテレビ局のスタッフに出迎え? アレックス、いくら大学時代の友人といっても、ずいぶん手厚いもてなしじゃないか」

ステイシーがからかうように言う。

「逆だよ。まだ外国メディアがほとんど入っていない国だ。宗教的な制限もある。あちこち勝手に歩き回られたくないのさ」

「なんだ、我々は当局の監視下にあるってわけか?」

「王族に会うときだけだよ。アメリカで大統領に会うのと同じさ」

 アメリカで大統領に……。その言葉を聞いて、リリアナは急に緊張した。まだ世界的にはあまり知られていない中東の小国。しかもアレックスの学生時代の友人というから、どこか気楽に考えていた。

 けれども一国の皇太子にインタビューをするのだ。アメリカ大統領にインタビューする機会など、これからジャーナリストを続けていても、自分に回ってくるとは思えない。けれどもそれと同じことを、これから自分はやろうとしている。


 ラウンジの入り口から、民族服の白いカンドゥーラをまとい、頭に白いクドラをかぶった男が四人入ってきて、アレックスのそばに寄った。

「スターTVのミスター・アレックス・マッキンリーか?」

先頭の男がなめらかな英語で尋ねる。

「そうです……あなたがたは……?」

「我々は皇太子の代理人だ。あなたがたを殿下のところまでお連れするよう申し付けられている」

 男はそう言うと、折りたたんだ紙を出してアレックスに見せた。

「私たちを迎えにきてくださったんですね」

「同行者は他に二人と聞いているが」

「ええ。この二人です」

アレックスがステイシーとリリアナのほうを見ると、その男性も顔をそちらに向けた。純白の衣装をまとった背の高い男性四人の迫力に圧倒されて呆然と見ていたリリアナの視線が、彼の視線とまっすぐぶつかる。そのとたん、リリアナの体は金縛りにあったように固まってしまった。


 深い夜のような漆黒の瞳、二重の切れ長の目、浅黒い肌、薄いがくっきりとした形のいい唇……。感電したような衝撃を感じ、心臓の鼓動が速まる。アラブの美をそのまま形にしたような顔に、リリアナは思わずみとれてしまった。

「リリアナ」

 名前を呼ばれてはっとする。視線を戻すとアレックスが不思議そうな顔で妹を見ていた。

「失礼しました。スターTVのリリアナ・マッキンリーです」

いつもと同じように握手のために手を差し出そうとしたが、途中で気づいてそのまま引っ込めた。アラブの国ではやたらに体を触れ合わせてはいけない。頭ではわかっているのに、身についた習慣からはなかなか抜けられない。

リリアナだけではなく、ステイシーもどうすればいいのか戸惑ったようで、やはりただ名前を名乗っただけだった。

 四人の男性たちは特に気にもしないようだった。空港のポーターを呼んでリリアナたちの荷物を運ぶよう指示する。リリアナたちは何も言わず、ただ彼らに従うしかなかった。

 迎えの車は二台来ていた。大型のリムジンで、シートは三列になっている。リリアナたちは最初の車の三列目に座るよう指示された。アレックスとステイシーは反対側のドアに回り、さっさと乗り込んだが、ちょうどそのとき飛行機が一機飛び立つのが見えて、リリアナは立ったまま、ついそれに見入ってしまった。そのとき、うしろから低い声が聞こえる。

「誰かがドアを開けてくれるのを待っているのか?」

 リリアナははっとした。振り返ると漆黒の瞳の男性が皮肉な笑みを浮かべて立っている。

「え……いえ、私は……」

 リリアナが話そうとすると、彼が前に出て後部座席のドアを開けた。

「ここはアメリカとは違う。レディファーストなど期待するな」

 リリアナは思わず息をのんだ。

いったいこの人はなんなの? 

こんなに偉そうな態度で、ただの従者とは思えない。もたもたしていた私も悪いかもしれないけれど、そんな言い方をすることないのに。

「ドアが開くのを待っていたわけじゃありません! ただ……」

「もういい。早く乗りたまえ」

 リリアナはむっとしながらも引き下がった。ここで誰ともわからない相手と言い合いをしていても始まらない。

「わかりました」

それだけ言って、車に乗り込んだ。

 その男性ともう一人の従者が、リリアナたちの前、二列目の席に座った。車が出発すると、うしろからもう一台があとを追うようについてくる。

 いつもは饒舌なステイシーも、ふだんとあまりにようすが違うので緊張しているのか、言葉少なだった。

「これからどちらに向かうのですか?」

アレックスが沈黙を破って尋ねると、前に座ったさっきの男性がゆっくりと答える。

「ガルフ・インターナショナル・ホテルだ。外国人専用ホテルで、そこに皇太子が私室として使っている部屋がある。プライベートな訪問の知り合いとは、たいていそこで会っている」

 とても聞きやすい美しい英語だ。さっきはつっけんどんな言い方をされて気づかなかったが、低く響く声もとても心地よい。リリアナは思わずうっとりしてしまった。

「王宮じゃないのか」

 ステイシーが小声で隣のリリアナにささやく。

「ええ。考えてみれば公式の訪問でもなんでもないものね」

 私たちはジャーナリストとしてここに来ている。この国のことをよく知り、伝えるのが仕事だ。王室関係者と会うということでどこか緊張していたが、自分の仕事を思い出してリリアナは少し気が楽になった。

「あの、外国人専用ホテルということですが、外国人観光客はそのホテルしか泊まれないのでしょうか?」

 彼がちらりとうしろを見て言う。

「いや……一般のホテルでも泊まれるが、外国人専用ホテルのほうが都合いいことが多いだろう」

「それはたとえば?」

「まず、アルコールの出るバーがある」

彼が噛んで含めるように言う。

 その言葉にステイシーが反応した。

「なるほど」大きくうなずいて言う。

「それから西欧料理もレストランで出す。あとは女性が自由な服装で歩ける。男女で腕を組んで歩いていてもとがめられることはない」

「つまり……他ではやはりまだそういうことは禁じられていると」

「食事については宗教戒律だが、他のことはべつに法律や宗教で禁じられているわけではない。ただ一般のホテルでやったら間違いなく追い出される」

 近代化を進めているといっても、急にすべてが変わるわけはない。もちろん変えなければならないわけでもない。

「よくわかりました。ありがとうございます」

 彼がふっと鼻で笑ったような気がした。

「それに……われわれとしても、外国人には専用のホテルにいてもらったほうがいい」

「それはどういう意味ですか?」

「君のような好奇心旺盛な女性が町中をうろうろしていたら、何をしでかすかわからないからな」

 リリアナは頭に血が上るのを感じた。

 十年くらい前まで、ラフィーブの対米感情はとても悪かったとマイケルは言っていた。そのあと調べてみたら、十二、三年前、留学生の一人がアメリカ人女性と恋をして、その女性の元恋人に嫉妬で射殺されたという事件があったのだ。相手の女性も一緒に亡くなったのだが、ラフィーブ国内では、アメリカ人女性が前途ある若者を破滅に導いたと考えた人も多かったらしい。

 もしかしたら、この人もアメリカ人にそういうイメージを持っているのかしら……。

彼がいったい何を考えているのかわからず、リリアナはそれ以上、会話を続けられなくなってしまった。

「皇太子殿下にお目にかかるのは久しぶりです。お変わりありませんか?」

 気まずい沈黙を破ろうとしたのか、アレックスがさりげなく言った。すると今度は、前に座ったもう一人の男性が答えた。

「はい。外務大臣に就任以降は、積極的に外国の要人と会われております。今後はヨーロッパやアメリカからのお客様も増えて、さらに忙しくなるでしょう」

「ラフィーブ王室のかたがたは、国民からの信望も厚いとうかがっています」

「それはもう。国王陛下もシャーキル殿下も、気さくに町に出て国民の話に耳を傾けてくださいます。ただシャーキル殿下は外務大臣に就任以降、公務がお忙しくてなかなか町に出られず、残念がっておいでです」

「それは誠実な彼らしい話だ」

 さっき一瞬流れた気まずさはきれいに消えていた。リリアナは兄に心の中で感謝した。

 空港から一時間ほど車で走り、目的のホテルに到着した。周辺はダウンタウンで近代的な建物がひしめき、高級そうな乗用車が行きかっていた。

 ホテルのエントランスに入ったとき、リリアナはまた感嘆のため息をついた。上階まで吹き抜けになったロビー、全体は落ち着いたブラウンで統一され、あちこちに木や草がインテリアとして使われている。それが灼熱の砂漠の国のオアシスを思わせ、ほっとする雰囲気をかもしだしている。

 ロビーだけを見れば、アメリカのホテルとほとんど変わらない。ヨーロッパやアジアからの旅行者も多いようで、思い思いの服装をしている。ただやはり女性たちはこの国の習慣を尊重しているためか、脚や腕がむきだしの人はいない。白い民族服をまとった男性、黒いマントで全身をおおった女性も少なからずいた。

 周囲に見とれているうちに、アレックスとステイシーは少し先を歩いていた。リリアナははっとして彼らのあとを追おうとするが、長いフライトのあと、すぐ車で移動したせいか、脚がうまく動かず、バランスを崩して倒れそうになってしまった。

 あっと思った瞬間、二の腕を引かれ、誰かのたくましい胸に抱え込まれていた。頬に温かい体温が伝わってくる。

「大丈夫か?」

「え、ええ……ありがとうございます」

 リリアナは顔を上げて息をのんだ。夜の海のように黒い瞳が自分を見つめている。その深みに吸い込まれてしまいそうだ。

「あ……」

 さっきまで同じ車の中にいて、自分に敵意ともとれる言葉を投げつけてきた男性だった。リリアナより頭一つ分近く背が高い。その圧倒的な存在感を前にすると声も出ない。リリアナの鼓動は急に速くなり、体温が急上昇した気がした。

「ミス・マッキンリー」

 ぼうっとしていたリリアナは、その声でわれに返った。

「君はときどき、ぼんやりする癖があるようだな。ホテルの中は大丈夫だが、外では気をつけたまえ。ラフィーブは治安が悪いわけではないが、百パーセント安全でもない。車が来たらすぐに乗る。荷物を置いたままぼんやりしない。そういうことは、世界中どこでも常識だろう?」

 彼はそう言って、リリアナの腕を持ったまま、アレックスたちのほうへ引っ張っていった。

「あ、あの、ありがとうございます。今後は気をつけます」

 彼は前を向いたまま、少しうなずいただけだった。もしかしたら彼は、空港で車の横でぼんやりしていたときも、危険だと注意してくれたのかしら。あのときはいやみにしか聞こえなかったけれど。

 アレックスたちがあとから来るリリアナたちに気づき、足を止めて待っていてくれた。追いつくと彼はすっとリリアナの腕を放し、従者たちの前に出て歩いていった。

 ステイシーが小声でささやく。

「あの男、いったい誰なんだ? 単なる従者とも思えないんだよな」

「ええ、私にもわからないわ。でも他の人たちより身分が上って感じよね」

 周囲を圧倒するような威厳は、ふつうの人に備わっているものではない。まるで王族のような……。でもそんな人が外国のマスコミをわざわざ迎えに来るとも思えない。

 リリアナはステイシーと顔を見合わせて首をかしげるばかりだった。

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