【漫画原作】砂漠のシークとばらの伝説 ― The Sheik and the Legend of Desert Rose ―

スイートミモザブックス

#01 インタビューへの大抜擢

夜の砂漠をらくだに乗って歩きながら、ラフィーブ王国第二王子キファーフは空を見上げた。

 漆黒の闇の中、西の空に赤い星が瞬いている。

 あれは争いの星だ。

 何かが起こる。

 まもなく嵐がやってくるだろう。

 遠い国から風が何かを連れてやって来る。


   *      *      * 


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リリアナはアメリカ西海岸を拠点とするスターテレビの駆け出しの記者。オーナーの娘で人目を引く顔立ちだが、これまで仕事に恵まれてこなかった。しかし国際部チーフである兄から、中東の小国ラフィーブ皇太子へのインタビューを任される。大きな仕事への抜擢に、リリアナは心を躍らせる。


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 ニュース番組のスタジオから自分のデスクに戻ると、リリアナはコンピュータでメールをチェックした。すると見慣れたアドレスから、ごく短いメールが届いていた。


  ミス・リリアナ・マッキンリー

  戻られしだい、私のオフィスに来られたし。

  アレックス・マッキンリー


 ずいぶんそっけないメールね。

リリアナはコンピュータ画面を見ながら苦笑する。たとえ身内でも仕事場では他のスタッフ同様の扱いをする。そういう兄の姿勢は理解できるし、リリアナも望むところだ。

でもこれじゃ、赤の他人のほうがはるかに親密だわ。

 エレベーターで高層階へとのぼりアレックスのオフィスのドアをノックする。中から「どうぞ」という声が聞こえたので、勢いよくドアを開けた。

「ミスター・マッキンリー。何かご用ですか?」

 デスクで書類を読んでいたアレックスが顔を上げると、輝くような笑顔を見せた。リリアナと同じ濃いブロンドに“サファイアのような”と称されるロイヤルブルーの瞳。違うのはアレックスの髪がややウェーブがかかっているのに、リリアナのブロンドはほぼストレートなことだ。もっとも父がオーナーを務めるテレビ局に入社してから、リリアナはショートカットを貫いているので、あまり違いはないように見える。

「まわりに人がいないときは、他人行儀な話し方はよそう」

アレックスが言う。

「そう? でも仕事の話なんでしょ? お兄さま」

「ああ、もちろんさ。実は僕がずっと温めていたプロジェクトが、ようやく実現する。それでおまえにもぜひ協力してほしいんだ」

「協力? それはもちろん、私にできることならなんでもしたいけれど……」

 私が兄を助けることなどできるのだろうか? 兄妹とはいえ、片や国際部のチーフ。そして私はといえば、入社四年になるのに、肩書きもなければレギュラーの一本も持っていない平社員だ。

「もちろんできるさ! ゴーが出たとき、ひらめいたんだ」

アレックスは椅子から立ち上がって妹のほうへ近づいてきた。そして厳かにこう告げた。

「リリアナ、ラフィーブに行こう」

「え? ラフィーブってあの中東の?」

「ああ」

 アラビア半島に位置するラフィーブ国は、三十年前に即位したシーク・マルルークのもとで近代化政策を進めている。もともと石油が基幹産業で豊かな国ではあったが、石油依存の産業構造から多角的な商業国家へと変貌させようとしている。外国企業の誘致にも熱心で、観光にも力を入れているという。

「僕はこれから一、二年のあいだに、ラフィーブは世界的な注目を集めるようになると思う。その発展のスピードたるやすさまじいんだ。そこでわがスターTVとしては、他のメディアに先駆けてラフィーブの経済発展の特集番組をつくりたい。もしそれが評判になれば、アメリカで一気にラフィーブ国のブームが起きるかもしれない」

 アレックスは目を輝かせてリリアナに語る。

「それはすばらしいわ」

「それで手始めとして、シーク・マルルークの長男、つまりラフィーブ国皇太子の独占インタビューを申し込んだんだ」

「皇太子のインタビューですって?!」

「ああ。きのう承諾の返事が来た」

「すごいわ……アレックス。いったいどうやって……」

 リリアナが心底、感心して言うと、アレックスは大きく相好を崩した。

「実はその皇太子というのが、僕のハーバード時代の友人なんだ。しばらくルームシェアをしていたこともある。彼は若いころから、自分の国をよくすることばかりを考えていた」

「学生時代の友だちにそんな人がいるなんて……。いままで聞いたことなかったわ」

「当時はまだラフィーブなんて、ほとんどの人が聞いたことのない国だったろう? アラブからの留学生も多かったし、しかもみんな身分が高い富裕層だ。それほど目立つ存在ではなかった。他のアラブ人は、適当にアメリカの女の子と遊んでいたけど、彼は自分の宗教と国の規範を崩すことなくストイックに生活していたな」


 その皇太子はきっとアレックスと似ているのだ。

アレックスもまた、スターTVオーナーの息子という恵まれた立場に溺れることなく、順調にエリートコースを歩んでいる。いずれ父の後を継いで、カリフォルニア州を拠点とするこのスターTVの中心的存在になることに誰も異議は唱えないだろう。どちらかといえば派手好きな父が、少し首をかしげるほどのまじめぶりだ。 

 リリアナにとってもアレックスは自慢の兄だけれど、妹としては複雑だ。非の打ち所のない兄と常に比べられる日常。恵まれた家庭、恵まれた容姿。他人から妬みややっかみを受けそうな要素は山ほどあるのに、アレックスには、それはぶつけられない。むしろ、すべてが自分に向けられてきたように思う。

「そのシャーキル皇太子とは卒業後もときどき連絡を取っていたんだ。三年前に彼は外務大臣に就任し、観光客誘致も先頭に立って進めている。これまで外国のメディアとは一線を引いていたが、外国へのPRに本腰を入れ始めた。それで信頼のおける通信社やテレビ局の取材に応じてくれるようになった」

「皇太子が独占インタビューにまで応じてくれるなんて、それは兄さんへの信頼があるからなのね」

「そうだといいけどな。今回はインタビューを含めて二週間の取材だ。それにおまえも同行してもらいたい。皇太子のインタビュアーを頼みたいんだ」

「ええっ! 私がインタビュアー?!」

 リリアナは思わず声をあげた。

「おまえも入社四年目だろう? そろそろロングインタビューの一本もやっていいころだ」

「本当に?」

「なんだ? 自信がないのか?」

「まさか! どんなことをしてもやりたいわ! でも……皇太子とは友人なんでしょう? どうして自分でやらないの?」

「友人同士だからやりたくはない。馴れ合いだと思われるのはマイナスだ。それにできれば女性でという要請が来ている」

「わざわざ女性に?」

「ああ、観光のターゲットが女性だからな。中東の国というと宗教的な縛りから男尊女卑のイメージが抜けきらない。それを払拭したいという思惑があるようだ。ラフィーブには観光の目玉となるものがたくさんある。海に砂漠。名産品のゴールドや真珠。何よりラフィーブという国が大きく発展するのをその目で見たいと思わないか?」

「そうね」

 いつになく饒舌で熱くなっているアレックスを見て、リリアナは意外に思った。いつもは仕事に対してもっとクールなのに。

「よし、決まった! 僕とリリアナ。それからカメラマンが一人。他は現地のテレビ局が協力してくれる。先の長い企画になるぞ。まずいまのラフィーブがどんな国かこの目で見てこよう。出発は一週間後だ。それまでに準備をしておいてくれ!」


 リリアナがラフィーブ国皇太子のインタビュアーに抜擢されたことは、その日のうちに社内に知れ渡った。しかし身内びいきだの特別扱いだのといったやっかみ半分の言動は意外なほど少ない。それはまだラフィーブが知名度の低い国だからかもしれない。


「アレックス肝いりの企画といっても、うまくいくかどうかはわからないじゃない? この仕事はリスクが高いって意見が上層部にはあったのよ。今度ばかりはアレックスの勇み足じゃないかってね。だからあんたへの風当たりも弱いわけ」

 その夜、リリアナが制作部の友人のマイケルとなじみのバーで飲んでいるとき、彼が言った。

「でも、あたしはいい企画だと思うわよ。まだ注目度は低いけど、これから一、二年のうちに、あの国はブレイクするわ」

「アレックスも同じことを言ってた。だからどうしても自分の手で記録しておきたいみたいね」

「テレビ局だって視聴率を度外視した企画をもっとばんばん出すべきよ。大衆に迎合してたら、裸の女を出すか、人がどんどん殺されるようなドラマつくるしかなくなるんだからさ」

 マイケルは自分が生きている世界にも手厳しい。歯切れのいい女性言葉がぽんぽん飛び出すが、れっきとした男性。明るい赤毛を短く刈り込み、赤いふちのめがねをかけている。細身だがよく鍛えた筋肉はしなやかで、街を歩くと女の子たちが振り返るほど垢抜けている。だから初めて口をきいたとき、そのギャップにみんな驚くのだ。

「私は今回の取材についてはアレックスを全面的に支持する。そしてこれは、あんたのキャリアにとってもターニングポイントになるはずよ」

「本当にそう思う?」

「ええ。あんたはテレビ局のオーナーの娘だっていうのに、巡り合わせが悪いっていうか、要領が悪いっていうか……。いつまでたってもディレクターの使いっぱしりみたいな仕事させられて」

「まあ、それは否定できないわね」

「特にあんたの場合は、その見てくれが裏目に出てるのよねえ……」

 マイケルはリリアナをぶしつけな視線で上から下までながめてため息をついた。

「輝くブロンド、海よりも青い瞳。すらりとしているのに出るべきところは出ているプロポーション。記者としては目立ちすぎるわ。歌かダンスでもできたら、別の道が開けたんだろうけど……」

「やめて、やめて。歌とダンスは本当にトラウマなんだから」

リリアナは大げさに頭を抱えた。

 リリアナが十歳のころ、その理想的なルックスに父親が期待して、ショウビズ界入りをもくろんだことがあった。派手好きな父のことなので、わざわざ全国放送のオーディション番組にもぐりこませたために、騒ぎが大きくなった。

「あんなにリズム感の悪い人間て、私初めて見たわ」

 リリアナは何も言い返せない。

ボイストレーニングもダンスのレッスンもしていなかったリリアナのパフォーマンスは、ある意味インパクトがあった。審査員は苦笑を禁じえず、以来、父も決してそのときのことを口にしない。いまでもその番組を覚えている人がたくさんいる。

 人目を引く容姿をうらやましがられることもあるけれど、損したことのほうが多いのではないんじゃないかしら。

 テレビ局に入ってからも、環境問題について女性学者にインタビューするという企画を任されたことがあったが、相手がリリアナの顔を見て、インタビュアーを男性に代えなければ出ないと言われ、降ろされたことさえあった。

 学生時代は伸ばしていたブロンドをショートカットにしたのも、目立ちすぎないようにするためだ。大学でも懸命に勉強して、大学新聞のチーフ・エディタも務めたが、容姿のせいか、テレビ局オーナーの娘という立場のせいか、純粋な実力とは認めてもらえない。

「今度の仕事はあんたにとって大きなチャンスよ! 誰もあんたのことを知らない国で、大物にインタビューできる。他にも見るべきものがたくさんある国だわ。ついでに特ダネの一本もすっぱ抜いてきなさい!」

「特ダネ……そうよね。そのくらいの気持ちで行かなくちゃ」

「ほら、ラフィーブの資料を集めておいてあげたから、これ持っていって今夜から勉強することね」

 マイケルがかばんのなかから分厚いファイルを取り出した。

「マイケル、これを私のために?」

「あんたのためばかりじゃないわよ。あたしはね、いい番組をつくりたいの。カメラマンは誰が行くか知らないけど、あんたたちが撮ってきたものを、あたしたちが編集するんだからね」

「ありがとう……。大好きよ、マイケル」

「あら、それは光栄。でもそのセリフはアレックスから聞きたいもんだわ」

彼はそう言って、リリアナにウィンクをする。

「あなたもアレックスのファンですものね」

「ええ、叶わぬ恋だけど……。そうだ。ラフィーブに行ったら、すてきな王子様でもさがしてらっしゃいよ。黒髪、黒い目、そしてとてつもない財産。アメリカ男にこだわることはないわ」

「それもいいかもね。あいにくインタビュー相手の皇太子には、もう奥様もお子さんもいるみたいだけど」

「あら、シーク・マルルークには他にも息子がいたはずよ。それに王族なら親戚もいっぱいいるでしょ。その中に一人くらい、あんたの美貌に目がくらむ男だっているかもよ」

 リリアナはぱらぱらとファイルをめくった。ざっと見ただけでも現在のラフィーブの政治体制、経済や産業の構造、文化、歴史、自然などの項目がある。

「マイケル……すごいわ。こんな短時間でよく……」

 リリアナも翌日からラフィーブについて調べるつもりでいたが、これだけの情報を集めるには、どのくらい時間がかかるだろう。

「あら、短時間じゃないわよ」

 マイケルが意味ありげに笑う。

「前からラフィーブに興味があったの?」

「ラフィーブというより、そこの人に、かしら」

「え、まさかラフィーブの男の人と付き合ってたとか?」

「つきあうまではいかなかったわ。完全にあたしの片思い。あちらの宗教では、あたしみたいなタイプは嫌われるしねえ」

 明るく軽い調子で言うが、リリアナは切なくなった。異国の文化や風習の違いをふだんはあまり意識しないが、一人の人と深く関わろうとすれば、絶対に無視できなくなる。

「それももう五年くらい前の話かしら。十年くらい前までは、ラフィーブの対米感情ってとても悪かったのよね」

「そうなの?」

「政治制度なんかの問題もあるけど、やっぱりあの事件が尾を引いてたし」

「事件?」

 リリアナが身を乗り出すと、彼はぱっと両手を上げて言う。

「あたしが教えられるのはここまでよ。あとは自分で勉強することね」


 寝不足は仕事と美容の大敵というのがマイケルの信条なので、十一時には、リリアナも自分のアパートに戻っていた。会社に入ったときに家を出て、いまは一人暮らしをしている。

ダイニングキッチンの奥の仕事部屋のデスクにマイケルからもらったファイルを置いて大きく息を吸った。マイケルがくれたファイルを取り出し、あらためてページを一枚ずつめくっていく。彼の期待にも応えなければ。資料の最後には、ラフィーブの街並みや、砂漠の写真が何枚もあった。近代的な都会の風景が対照的だ。特にリリアナの目を引いたのは、砂漠の中にぽっかりと浮かんでいるような、青いオアシスの写真だった。

「すてき……」

 リリアナはほうっとため息をついた。

ラフィーブは近代化をアピールしたいと、アレックスが言っていたけれど、私はやっぱり砂漠を見てみたい……。

リリアナは椅子の背もたれに体を預けて、遠い国に思いをはせた。

エキゾチックな宮殿、広い砂漠にオアシス。そこに暮らす見目うるわしい王族たち。

さあ、あしたから猛勉強よ。インタビューの内容について、王室の広報担当者とも連絡を取り合わなければ。リリアナの心の中に、ふつふつとやる気がみなぎってくる。

 大丈夫。絶対にうまくいくわ。私もいま住んでいる世界から飛び出して、きっと何かが変わるはずよ。

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