呪いの一品

桝克人

呪いの一品

許せない人がいる。

あいつは勝手に現れて奪えるものは全て取りつくされた。同時にいらないものを与えて笑っている。

これは呪いだ。呪いをかけられたんだ。許せない。呪いかえしてやりたい。

私は思い立ったらすぐ行動を実践した。

ウォークインクローゼットの奥に仕舞われた埃をかぶった段ボールを開けて一冊のノートを取り出した。今は亡き母が、嫁入りする時に書き綴ったレシピ集である。古い紙の匂いにくしゃみと鼻水が出た。鼻をすすりながら脳裏に焼き付くあいつを思い出した。こんな目に遭うのもあいつのせいだ。


レシピノートを手にキッチンに入り目的のページを開く。難しい材料はなかった。野菜と肉、そして呪い用のハーブをキッチンカウンターに並べた。

まずは野菜をこれでもかと無残に切り刻んでいく。玉ねぎは涙を誘発させてきた。これもあいつのせいだ。その仕返しに人参をより小さく刻んでジャガイモは丁寧に芽を取り除き同じく小さく刻んだ。

油を熱した鍋に刻んだガーリックとジンジャー、クミンシードと指でつぶしたコリアンダーを入れて香りをだす。すぐにカレーらしい香りがする。パチパチと音を奏でる度に食欲を刺激した。次にタイムと一緒に鶏の手羽元を皮目から焼き付ける。これは今朝がた潰したての鶏だ。新鮮を売りに近所のかしわ屋で購入した。次第に鍋から焼けた鶏の香ばしい匂いが漂い思わずにんまりする。表面に火が通ったのを確認して、ひとかけらのバターと共に野菜を鍋にぶち込んだ。バターがとろりと溶けると鶏肉の匂いに絡みつき鼻腔をくすぐると、ごくりと生まれたばかりの唾液を飲み下した。油が回った鍋にトマトの缶詰を開けて流し込む。こげないように丁寧にへらで混ぜる。くつくつ具材が踊りだしたところにターメリックとカイエンペッパーを混ぜこんだ。「少し多めに入れちゃおうかな」

見るからに辛そうな真っ赤なカイエンペッパーは小さじ二分の一とレシピには書かれていたが、小さじ弱程入れた。満遍なく混ぜるためになべ底から具材を持ち上げるようにしてへらを動かした。辛い匂いが鼻をつんと突き立てる。

水を入れてから蓋をして弱火にかけたままその場に座り込んだ。三角座りして太ももにレシピノートを置いた。懐かしい母の字を指でなぞる。

『トマト缶と一緒にローリエをいれる』

慌ててノートを床に置き、蓋を開けてローリエを一枚放り込んだ。間に合ってよかったとひとつ息を落としてまた座り込んだ。


母のレシピは人を虜にする魔法のレシピだと生前に本人が常々言っていた。

『ハーブは自然がもたらした魔法の薬なの』

小学生の時、友達と酷い喧嘩をした時にも、受験に追われて気持ちが負けそうな時にも、就職活動がうまくいかなかった時にも、母はそう言ってハーブを使った料理を作って私を励ましてくれた。母の料理を食べると不思議とすっと心身ともに軽くなった気がした。母は冗談交じり自分を魔女だと言った。

「今回も力を貸してね」

ぐつぐつと煮込まれた野菜と肉に串を通して火の通りを確認する。味をみながら黒コショウをガリガリと削り入れた。

「うん美味しい」

鍋のふちで軽くへらを叩きカレーを落とす。

「た、ただいま」

カレーを作るはめになった元凶が視線を合うやいなや罰が悪そうに視線を床に落とした。

「…おかえり」

「うん」

仕事鞄をソファーに置いて手洗いをしにリビングを出る。その間にダイニングテーブルにランチョンマットを敷き、スプーンを用意した。

キッチンに戻りカレーにもう一度弱火で火にかけて、その間に冷蔵庫から小分けにして保存していた冷凍ごはんを取り出して電子レンジにかけた。野菜室からはすでに出来上がっているサラダ———これは朝作ったけど食べなかったサラダである。レタスと千切りキャベツ、きゅうりにトマト、私の好きなアボカドが乘ったサラダだ。

ドレッシングを用意しなくちゃ。

マヨネーズとビネガーをしっかり混ぜてディルウィードを散らして更に混ぜ合わせた。

彼が食卓に戻ってきたころには、私はすでに席についている。彼は私を見ながら意味もなく首だけでお辞儀をしてから座った。手を合わせて小声で「いただきます」と呟いてからスプーンをカレーとごはんの境を掬い取り口にする。

「からっ」

想像していなかった辛さに彼は咳き込んだ。私は慌ててキッチンに戻り彼の湯呑に水を注いでから手渡す。彼は水をぐいっと飲み干し、律儀にお礼を言ってからまたカレーを口に運ぶ。辛さになれたのか手を止めることなく、機械的に手を動かし続けた。

辛さに慣れたとはいえ、食べ続けると口の中が砂漠と化す。オアシスを求めるように水を飲もうと湯呑に手をやるが、すでにその中は空っぽになっている。彼は席を立とうとした。しかしすぐに止める。そして即席で作ったドレッシングのかかったサラダからきゅうりを箸で掴みとり噛んだ。

彼には癖がある。彼が美味しい感じると目を大きく見開くのである。そしていつもより多く咀嚼する。レタスを挟み口に入れると、またしっかり味わうように何度も咀嚼をした。「美味しいでしょう?」とにやにやしながら見たことかと罵ってやりたかったが、あまりにも嬉しそうに咀嚼する姿をみると気が抜けた。

朝の喧嘩の原因になったサラダはあっという間になくなった。残ったカレーもご飯粒一つも残さず綺麗にさらえられた。

今思うと大したことじゃない。朝寝坊してしまい二人とも焦っていた。それでもルーティンは決まっている。いつものようにごはんとお湯で溶かすだけの味噌汁、そしてサラダに目玉焼きを用意した。いつもなら市販のドレッシングを食卓に用意するのだが、今朝は忘れてしまったのだ。「ドレッシングとって」という彼の一言に対して「それくらい自分でして」と焦りからくる怒りにまかせて言い放った返事が喧嘩の引き金になったのだ。

「なんでそんなことで怒るんだよ」理解できないとそう言って意固地になった彼はそのサラダを残し出勤したのである。


思い出すとため息が出る程本当にくだらない喧嘩だ。


彼は少し俯き上目遣いで「美味しかったよ」とはにかんだ。


許せない人がいる。

私の心に住み着いて心そのものを奪いとった。代わりに彼の心を差し出し愛を与えて笑顔でいてくれる。

そんな彼に捕らわれた私は呪いをかけられたんだとしか思えない。

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呪いの一品 桝克人 @katsuto_masu

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