第6話 『青山恋陽、青山恋陽……四谷恋陽』

 青山恋陽のことが頭から離れない。


 綺麗な瞳に、シャンプーの香りが微かに漂うサラサラの黒髪、桜の花びらよりも可憐な唇。

「内緒ね」というように人差し指を唇にあてる仕草。潤んだ上目遣い。

 すべてが魅力的だ。

 彼女を守ってあげたくなる。


 青山恋陽――なんどその名前を心の中で呼んだだろう。


 自分でもキモいと思うけれど。

 部屋で一人きりのとき、彼女の名前をそっと呼ぶことがある。


『青山恋陽……』


 それは誰にも言えない癖というか、おまじないみたいなものだった。彼女の名前を呼べば少しだけ心の中が明るく温かくなるような気がした。

 ちょっと嫌なことがあっても、彼女の名前をそっと声にならない程度の声量で口の中でつぶやくと落ち着くのだ。

 ただ、そんなおまじないが効かないときはもう少し強力なおまじないがもう一つ。


『青山恋陽、青山恋陽……四谷恋陽』


 自分でもやばいと思っている。

 でも、誰だってあるんじゃないだろうか。

 好きな女の子と結婚することを妄想することは。

 でも、元気がでないとき、俺は『四谷恋陽……』そうつぶやいて、枕に顔を埋める……。



「おかえりなさい♡」


 家に帰るとエプロン姿でスリッパをパタパタとさせながら出迎えてくれる彼女の姿が目に浮かぶ。


「ただいま」


 俺は疲れていても、めんどくさがらずにちゃんという。それが夫婦の約束だから。

 仲が良くてもそういう挨拶をちゃんとしようと決めたから。

 恋陽はそれに嬉しそうに頷く。


「ごはんにする? お風呂にする? それとも……」


 そういって恋陽が小首を傾げると、着ていたシャツの右側がずれて、すこしだけ肌が見える。

 その白さに驚いていると。恋陽がこちらを見つめて「ねえ……」と甘えてくる――。



 そんな妄想をだったらしていた。

 だけれど、なんだか今日はその妄想がしてはいけないような気がして気まずい。


 だって、青山恋陽は人妻なのだから。


 初めて、彼女をみたときから何度、彼女の名前を呼んだことだろう。


 100回? 200回? 300回? 1000回?

 青山恋陽×1000=失恋


 ん?

 何かが変だ。

 状況を整理しよう。


 俺は入学してから何度も『青山恋陽』と彼女の名前を呼んできた。

 そして、昨日告白したとき青山恋陽は結婚していると言っていた。

 何かがおかしい。


 普通、結婚したら名字が変わるんじゃないだろうか。

 だけれど、青山恋陽は入学したときから、俺が一目惚れしたときから、ずっと青山恋陽のままだった。


 もしかして――青山恋陽が結婚しているというのは嘘なのだろうか?

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