第5話 二人だけの内緒🌸

 青山恋陽の指が俺の顔のすぐ側にある。

 それだけで、心臓がドキドキした。


「ぁ、青山さん?」


 俺は状況が把握できず、そして何て言って良いか分からず彼女の名前を呼ぶ。


「なあに?」


 上目遣いで青山恋陽がこちらを見つめる。

 長い睫毛に縁取られた形の良いアーモンド型の目。

 やはり青山恋陽は誰もが認める美少女だ。

 そんな恋陽が俺のすぐ側にいる。

 昨日までだったら天にも昇る気分だろう。

 だけれど、忘れてはいけない。


 彼女は誰かの奥さんなのだ。


 キスできそうなほど側にいるけれど、青山恋陽の唇に触れることは叶わない。それどころかきっと、彼女の唇は俺が知らないくらい情熱的なキスを味わったことがあるのだろう。

 桜よりほんのちょっとだけ鮮やかなでも上品なピンク色をしたその唇はもうキスを知っている。

 しかも、結婚しているということは俺たちよりもずっと経験豊富な大人のキスを。


 悔しいというよりも、ただ絶望があった。


 言葉が出てこない。

 どうして俺はこんなに何度も彼女に失恋しなければいけないのだろう。

 昨日、「結婚している」と告げられた瞬間に失恋したはずなのに。

 俺はまたさっき青山恋陽に再び惚れなおして、そして同時に結婚していることを思い出して失恋した。

 つらすぎる。


 もっと早く告白していれば、こんなことにはならなかったのだろうか。去年、告白していれば。

 彼女を初めてみたときに告白していれば。

 俺は青山恋陽の唇に触れることができたのだろうか。

 もし、時間を戻せたら……。


 そんなことを言っても何も現実は変わらない。

 胸がドキドキするのは後悔をしても止められなかった。


 不意に、青山恋陽は俺の側から離れる。

 見ると、その指先は小さな桜の花を摘まんでいた。


「ねえ、見て。綺麗なまま四谷君のところにふってきた」


 そういって、青山恋陽は桜の花をこちらに差し出す。

 どうせなら、桜の花じゃなくて青山恋陽が俺のところに落ちてくれば良いのに。

 そんなことを思っても言葉にすることもできず、青山恋陽に促されるまま手のひらを差し出す。


 俺の開いた手のひらに青山恋陽はそっと桜の花をのせてくれた。

 ほんの一瞬、青山恋陽の人差し指が俺の手のひらを触った。

 その触られた部分はくすぐったく震えるほど甘美だった。

 青山が触れた場所が熱くて甘くて、俺は自分の手のひらをみつめる。


「ねえ、四谷君。この前のことだけど」


 青山恋陽は、おずおずと俺のことを見ていた。


「昨日のこと?」

「そう……私、結婚しているっていったじゃない。アレね実はすごくびっくりしちゃって」

「うん……?」


 もしかして、嘘だったのか。

 期待で胸が膨らんだ。

 そうだよな。

 高校生なのに人妻だなんておかしいと思った。

 きっとエイプリルフールの嘘なのだ。

 驚いてとっさについた嘘。

 あーあ、なんども勝手に落ち込んで損した。

 俺は自分が騙されたことに嬉しくなっていた。

 こんな嘘なら大歓迎だ。


 桜の花びらが舞う中で青山恋陽と二人きり。

 こんな幸せなことがあるだろうか。


 だけれど、次の瞬間。青山恋陽の一言で俺はどん底にたたき落とされた。


「あれね、みんなには内緒にして! 本当は内緒なのにびっくりして、つい言ってしまったの」


 そういって、俺の前で拝むように手を組み合わせた青山恋陽がうるうるとした瞳でこちらをみつめる。


 俺はその潤んだ美しい瞳をみて、再び自覚した。

 ――また、俺は青山恋陽に失恋した。

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