1-3 それでも、助けたい
セルジュ村に着いた俺達は、まず村長を訪ねて怪我人のことを聞いた。
野犬退治のはずが魔獣と対決、なんてことになりかねない現状、少なくとも怪我人の治療だけは先にしておく必要がある。
難易度が跳ね上がった以上、任務の放棄も許されるが、怪我人の治療は放棄するわけにはいかない。
最低限、怪我人を治してからでないと、撤退もできなくなる。
「それじゃ、さっそく治療しましょう。怪我人はどちらに?」
「こっちです、治癒士の方」
「いえ、治すのは俺です」
やっぱり、と言うべきか、村長はレイルを案内しようとした。
そりゃあ、俺の体つきを見たら治癒士には見えないだろうが、こういうのは何度やられても傷付く。
「あっはっはっはっは」
ちくしょう、レイルの奴、腹抱えて笑ってやがる。
野犬に襲われたっていう怪我人の治療は、すぐに終わった。
だが、大怪我したっていう村長の息子は。
自力で野犬を退治しようと村の若い連中を率いて森に入り、他の連中を逃がすためにひときわ大きい
ちょっと村長には聞かせられない話になりそうだったので、部屋を出てもらって怪我を確認する。
右の上腕が大きくえぐれ、凍傷のようになっている。ほかにも傷は多いが、この腕は魔法による攻撃の跡だ。
「ねえフォルス、これ、ほとんど死んでない?」
「言い方にもう少し気を遣え。
かなりの重傷だが、まだ助かる」
「そりゃ、フォルスが本気出せば助かるだろうけどね。
この傷、氷の魔力が感じられる。
あの魔獣、氷の魔法を使えるんだね。全力出せないフォルスと組んでたんじゃ、多分勝てないよ」
残念ながら、レイルの言うとおりだ。
大きな魔法を使うということは、大量の魔素を魔力に変換するということだ。
魔石を持たない人間にとって、それは心身に非常に大きな負担となる。いってみれば、半日全力疾走を続けるようなものだ。本調子に戻るには数日は必要で、明日魔獣と戦うなど冗談じゃないって話になる。
実力的に治せないわけではないのに、状況的に治すことができない。
きついな、これは。
野犬でなく魔獣が相手だってことで、怪我人だけ治して一旦撤退って選択肢もあるが、新たに魔獣討伐を請け負った冒険者が来る前に魔獣がこの村を襲う可能性がある。
そうすりゃ怪我人続出だ。下手すりゃ死人だって。
かといって、
怪我人を見捨てて魔獣を手負いで野放しにしておくなんてことにもなりかねないんだ。
いや、最悪の場合、レイルか俺、あるいは2人とも魔獣の餌になる可能性だってある。
レイルが慎重になるのは当然だ。
民のために命を賭けて云々なんてのは、領軍か騎士団の仕事だ。
日銭のために体張ってるだけの
…わかってるんだ。
「…レイル」
「
「まだ何も言ってない」
「言わなくたってわかるよ。
この怪我人を何としても治したいっていうんだろ。
バッカじゃないの!? そんなことしたら、君は明日、全力を出せなくなるじゃない。
君の安っぽい同情で僕の命が危険に晒されるのは認めないよ」
「だが」
「くどいよ。
万全でいっても厳しそうなのに、実質僕1人で戦うんじゃ、勝てる確率が低すぎる。死にに行くようなものじゃない。
わかるよね。
危険だから反対してるんじゃない。無駄に危険度を跳ね上げるから反対してるんだよ」
レイルの言っていることは正しい。
魔獣を倒して余力があったら治療するって方法もある。
だが、多分それでは手遅れになる。
今なら救えるはずなのに…。
「傷を負ってからここまで時間が掛かったのも、魔獣を大きいだけの野犬と誤認したのも、全部彼らの責任でしょ。
そして、僕らが魔獣を倒せなかった場合、もっと沢山の犠牲者が出るんだよ。
それがわかってて、まだそんな甘っちょろいこと考えてるの?」
「…頼む、レイル・ラン。治療させてくれ」
レイル・ラン。レイルにセカンドネームがあることを知ってるのは、相棒である俺だけだ。
ギルドの登録でも、レイルはただ「レイル」としている。
この国では、セカンドネームを持つのはかなりの上流階級だ。
上流階級のお坊ちゃんであろうレイルが冒険者になっている。そこには相当な事情があるはずだ。細かいことは知らないが、レイルが父親を憎んでいるらしいこと、亜人の血を引いているらしいことと無関係なはずがない。
セカンドネームを俺に教えてくれたことは、なんだかんだ悪態を吐きながらもレイルが俺に心を許してくれている証でもある。
俺がレイルを「レイル・ラン」と呼ぶ時、それは俺がとても絶対に譲れないと思っている時だ。
卑怯だとわかってはいるし、無謀なのもわかってるが、俺はこの勇気ある怪我人を、息子を心配する
孤児である俺が忘れてしまった、父親の愛を、無碍にはできなかった。
「…わかった。ただし、治療は僕がやる。
君は万全の体調で明日に臨め。死ぬ気で僕を守れよ」
「おい、それじゃお前の方がやばいだろう。お前は前衛なんだぞ」
「支援もなしに前衛に立たされるよりはマシだね。
明日は死ぬ気で支援してもらうよ。
それに、僕の方が魔法を使った後の消耗が少ないからね」
…確かに。
レイルは、どういうわけか魔力の変換効率が高く、大量の魔力を使っても消耗は少ない。
だが、治癒魔法は専門じゃないから、魔力効率が悪く、必要な魔力量がとんでもなく増える。そんな負担をレイルに掛けさせていいのか。
「何悩んでるか想像つくけどね、明日フォルスが使い物にならなくなる方が、僕は困るんだ。
つまんない偽善で悩んでないで、人払いしておいでよ。
僕が治癒魔法使えることは秘密だし、使ってるところ見られたら騒ぎになるに決まってるんだから。
あくまで君が治したってことにしとかないといけないんだからね」
「ああ、わかってる。すまない」
普通、剣士は魔法など使えない。
ギルドの登録上、レイルは剣士ってことになっているから、当然、誰もレイルの魔法のことは知らないわけだ。
レイルにとって、魔法は秘密の切り札なんだ。
レイルが俺と組んでいるのも、俺がその秘密を知っていて、隠す必要がないからだ。
もっとも、俺もレイルがどんな魔法を使えるのか、全部は知らないんだが。
俺は、村長に、デリケートで大規模な治癒魔法を使うから、近くに人がいると失敗する恐れがあると説明して、息子が寝ている部屋周辺から人払いをした。
ついでに、屋敷の周囲の魔素を誘導して、この部屋の魔素濃度を上げる。
魔素の誘導は、レイルより俺の方が得意だ。大きな魔法を使うとなると、大量の魔素が必要だ。部屋を密閉せずに魔素が流入できる道を作りつつ、魔素が部屋に向かって流れ込むようにする。
「よし、人払いはすんだ。呼ぶまで誰も来ない」
「じゃあ、
「わかった」
俺が村長の息子に麻痺の魔法を掛けると、レイルは愛用の剣を抜いた。
まあ、秘密のことがなくても、人に見せられないよな。
レイルの魔法は、自分自身に掛けるもの以外は、基本的に剣を媒介にして発動する。つまり、治癒魔法も剣を刺すことで行うわけだ。知らない人が見たら、傷付いた腕を切り落とそうとしているようにしか見えないだろう。
「…」
レイルが目を瞑って集中している。刀身が治癒の魔力を纏っていくのがわかる。
壊死した傷口に剣を軽く刺すと、そこから治癒魔法が恐ろしい勢いで流れ出していく。
同時に、周囲の魔素が渦を巻くようにレイルの体に吸い込まれていくのが見える。
俺だったら、あっという間に体が悲鳴を上げるほどの量だ。
集めておいた魔素が吸い尽くされ、作っておいた道から流れ込んでくる魔素も心許なくなってきた。このままでは魔素が先に尽きる。そう思った頃、レイルは剣を抜いて息を吐き、そのまま座り込んだ。
「いいとこ治ったはずだよ。これ以上は僕には無理だね」
荒く息をするレイルを横目に、俺は麻痺の魔法を解き、解析の魔法で傷の状況を確認した。
ほとんど治っている。後遺症の心配もないだろう。今は強力な魔力を流し込まれたせいで魔力
レイルは「これ以上は無理」なんて言ってたが、俺ではここまでは治せなかっただろう。先に俺がダウンしている。
「レイル、ありがとう。
大分無理をさせちまったな」
レイルは、俺を見上げながら、いたずらっぽく笑った。
「フォルスには、明日、倒れるまで魔法を使ってもらうからね。あと、この貸しは高くつくから」
「ああ、わかってる」
ここら一体の魔素を全部注ぎ込むような大魔法を使ったくせに、レイルの消耗は驚くほど少ない。
レイルが立ち上がれるくらいに回復したところで、俺は村長に報告に行った。
魔力中りでしばらくは気分が悪いだろうが問題ないこと、魔素が部屋に溜まらないよう扉を開けておかなければいけないこと、数日休めば体は元通り動くことを説明すると、涙を流さんばかりに喜んでいた。
親ってのはいいもんだな。
村長の感謝の印として、その日の晩飯は随分と豪勢だった。
実のところ、俺はちっとも消耗しちゃいないが、ヘロヘロになったふりをして、飯を食ったら寝ることにした。もちろん、体調を万全にするためだから、本当にさっさと寝てしまうが。
レイルの方は、いつものように夜遊びに出掛けた。
不謹慎なようにも見えるが、あれはレイルにとって士気を上げるのに必要な儀式らしい。
俺は、魔法はともかく、移動だけでも十分疲れていたから、ぐっすりと朝まで眠らせてもらった。
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