第126話 陽成院1

 その日の夜。


 明日香のマンションのリビングだ。蒼汰、明日香、琴音、倉掛、山縣の全員が顔を合わせていた。明日香と琴音が入れてくれたコーヒーが出ている。先ほど佐々野と茅根は救急車で病院に運ばれていった。


 「良かったわね。葬儀屋くんと茅根先生が無事で」


 山縣がコーヒーを一口飲んで言った。


 「ええ。救急隊員の人に聞いたら、二人とも大丈夫だって言っていました。一応、検査のために病院に運ぶということです」


 蒼汰が答える。声が弾んでいた。


 「葬儀屋くんと茅根先生は、今回の事件を覚えているかしら?」


 明日香が独り言のように言った。明日香の眼が宙を見ていた。琴音が明日香に答える。あいかわらず明日香といいコンビだ。


 「明日香さん。お二人は覚えていないと思います。小野おののたかむらの話だと、お二人は気を失った状態で、鳥辺野とりべので発見されたんですよね。そのまま、篁がお二人を亜空間で保護していました。そして、さっき夷川えびすがわ児童公園にお二人が現れて救急車で運ばれたわけです。お二人は鳥辺野のことも小野篁のことも何も覚えていないと思います」


 それを聞いて山縣が提案した。


 「ね、みんな。今回のことは、ここにいる5人の胸にしまっておかない?」


 「えっ」


 全員が山縣の顔を見た。


 「だって、こんな話を人にしても誰も信じないわよ。ろくろ首の女将だの。小野篁だの。鳥辺野だの。あまりにも荒唐無稽すぎるんじゃない。よしんば私たちの話を誰かが信じたとしても、葬儀屋くんや茅根先生は何も覚えていないのに、世間からは好奇の眼で見られるわけでしょう。それは、かわいそうじゃない。それだったら、今回の事件はこの5人だけの秘密にしておいた方がいいと思うの」


 誰も何も言わなかった。沈黙が賛同を表していた。明日香が山縣に聞く。


 「それでは、編集長。葬儀屋くんと茅根先生はこれからどうなるんでしょうか?」


 「たぶん、二人はいま報道されているように駆け落ちして、そして発見されたということになるでしょうね。いっときはマスコミも騒ぐと思うけれど、人の噂も75日よ。すぐにみんな忘れ去るわ」


 ふたたび、沈黙がリビングを支配した。コーヒーカップとコーヒー皿が触れ合う音だけが聞こえていた。やがて、蒼汰がずっと不思議に思っていたことを口にした。


 「ところで、今日、どうして夷川児童公園に小野篁が現われたんでしょうか? 小野篁は、今日、夷川児童公園で僕たちが女将をおびき寄せることを、一体どうして知ることができたんでしょうか?」


 倉掛が答えた。


 「ひょっとしたら、小野小町が祖父の小野篁に知らせたのかもしれないね」


 蒼汰は驚いて倉掛を見た。

 

 「小野小町が?・・・篁に知らせた?」


 「実は、夷川児童公園に御所を持っていた陽成院ようぜいいんが、小野小町に歌を送ったという謡曲があるんだよ。現代でも上演されている『鸚鵡おうむ小町こまち』という謡曲なんだけどね。内容は、年老いた小野小町が近江国に住んでいると聞いた陽成院が家臣を遣わして小町に歌を送るんだ。それは老いた小町を憐れむ歌だった。すると、小町はその歌の1字だけを変えた『鸚鵡おうむ返し』で陽成院に返歌するんだ。そして、小町は老いた身を嘆くというものなんだよ」


 全員が倉掛の話に聞き入っていた。倉掛が一息ついて、また話し始めた。


 「この謡曲では、陽成院が小野小町に歌を送っているんだけれど、平安時代では歌を送るというのは恋愛を語る手段だったんだよ。小町は陽成院よりもかなり年上なので、この場合は陽成院が小野小町に恋愛感情を抱いていたというより、淡い恋心で小町を慕っていたという方が正しいだろうね。小町も陽成院に返歌しているわけだから、おそらく陽成院のことを憎からずかわいく思っていたんだろう。つまり、陽成院と小野小町の双方が、お互いに淡い恋心を抱いていたというわけなんだ」


 陽成院と小野小町が恋愛関係・・・あまりの突飛な話に蒼汰は息をのんだ。


 「そこで、陽成院と小野小町の双方が淡い恋心を抱いていたとすると、こういう推理ができるんだよ。つまり、夷川児童公園には陽成院の御所があったわけだから、現代になってもまだ陽成院の想いや思念が児童公園に残されているんじゃないかな。そして、神代君が、そんな児童公園に女将を誘い出そうとする計画をたてた。当然、陽成院は神代君の計画を知ることになるわけだ。そして、陽成院はその計画を、自分が慕っている小野小町に知らせた。小野小町は当然その話を祖父である小野おののたかむらに伝えた。それで、女将と対決する時間に、小野篁が児童公園に現われた。と、こういうわけじゃないかな。そうとしか、児童公園に小野篁が現われた理由は思いつかないよ」


 「小野小町が介在したんですか・・・」


 山縣が意外そうに口を開いた。


 倉掛が山縣にうなずきながら続ける。


 「小野篁と陽成院というと、もう一つ、興味深いことがあるんだよ。陽成院の跡地は、陽成上皇が崩御した後は荒れ屋敷になってしまうんだ。しかし、その後に紫式部が『源氏物語』の中で、荒れ屋敷の陽成院の跡地を光源氏の二条院に想定しているんだよ」


 紫式部? 思わぬ歴史上の人物の登場に全員が息をのんだ。倉掛が続ける。


 「ところが、この紫式部も小野篁と縁があってね。小野篁が閻魔法王像を祀った千本ゑんま堂には、紫式部の供養塔とされている重要文化財の十重じゅうじゅうの石塔があるんだよ。つまり、陽成院と紫式部は『源氏物語』でつながっていて、紫式部と小野篁が千本ゑんま堂でつながっているというわけなんだよ」


 山縣が整理するように復唱する。


 「陽成院と紫式部は『源氏物語』でつながっていて、紫式部と小野篁が千本ゑんま堂でつながっている・・・ということは、当然、陽成院と小野篁もつながっているということになりますね、倉掛先生」


 「そうなんだよ。桜子ちゃん」


 蒼汰は驚いた。山縣の名は桜子だ。倉掛が山縣をファーストネームで呼ぶとは?・・・倉掛と山縣は一体どんな関係なんだ?


 倉掛はそんな蒼汰の気持ちに気づいたようだ。蒼汰の方を見ていたずらっ子のようにニヤリと笑うと、話を続けた。


 「私はその陽成院、紫式部、小野篁の関係には、さらに小野小町が絡んでいると思うんだよ。つまり、陽成院、紫式部、小野篁、小野小町の4人に相互関係があったというわけだね。この4人の関係は非常に面白いと思うんだ。きっとこれからの研究で、あっと驚くようなことが出てくると思うよ・・・。あっ、これはまだ学会に発表していないからね。ここだけの秘密にしておいてください」


 「先生。それは非常に面白いですね」


 山縣が倉掛に賛同する。


 倉掛の話を聞いて、明日香も口を開いた。


 「先生。私も先生の言われることに賛成です」


 明日香が倉掛の顔を見た。倉掛がうなずくのを見て明日香が続けた。倉掛は明日香がこれから言うことが分かっているようだった。


 「先生の言われるように、陽成院が小野小町を慕っていたから、小野小町を介して今回の計画を小野篁が知ることができたのは間違いないと思います。ただ、それに合わせて、もう一つこういうことも考えられないでしょうか? つまり、今回の一連の事件はすべて小野篁によって仕組まれていたと」


 蒼汰は眼をむいた。


 「すべてが小野篁によって仕組まれていた?」

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