第123話 百鬼夜行

 「神代くん、さあ、私の胸に飛び込みなさい」


 そう言う山縣の声に・・蒼汰は思わず山縣に向かって一歩足を踏み出した。


 そのときだった。


 「待ちなさい!」


 すべり台に上がっている明日香から、蒼汰の頭上に鋭く声が飛んだ。


 「それは編集長の偽物よ」


 蒼汰はその声に我に返った。


 そうだ。山之内さんの言うとおりだ。山縣編集長なら僕のことを「お公家さん」と呼ぶはずだ。「神代くん」とは呼ばない。


 こ、これは・・一体誰だ?


 蒼汰は眼の前の山縣を見つめた。山縣の顔がニッと笑った。口が耳まで裂けた。次の瞬間、ろくろ首の女将の顔に変わった。首が少しずつ伸び始めた。


 そのとき、頭上から何かが落ちてきた。明日香が持っていた『網』だ。『網』がゆっくりと女将を包んだ。まるで、スローモーションの映画を観ているようだった。


 女将の首が『網』と闘っていた。『網』が女将の首が伸びるのを阻止していた。


 女将が叫んだ。


 「はかったな!」


 同時に公園のトイレの中から琴音と3人の蒼汰人形が飛び出してきた。


 琴音の声がした。


 「ネグリジェ蒼汰、ワンピ水着蒼汰、パンスト蒼汰。『網』の中の女将に飛び掛かれ」


 3人の蒼汰人形が次々に『網』の中でもがく女将に飛び掛かった。


 『網』の中で3人の蒼汰人形に押さえつけられながら、女将の呪文が公園に響いた。


 「ナシラウ・カノイエ・アヤルネ」


 「ナシラウ・カノイエ・アヤルネ」


 「ナシラウ・カノイエ・アヤルネ」


 すると、公園の東側の入り口に何かが現われた。たくさんのものが、ゾワゾワゾワと闇の中でうごめいている。そして、それは少しずつこちらに近づいてくる。たくさんの足が土を踏む音が聞こえた。


 「あれは、何?」


 琴音が音の方を見て言った。防犯灯がそれを照らし出した。


 「キャー」


 すべり台の上から明日香の悲鳴が飛んだ。


 それは異形いぎょうのものの集団だった。あるものは、頭上に大きな一つ目を光らせ、ぼろを着て三本足で歩いていた。あるものは、身体中が口だった。あるものは、眼が三つと口も三つ持った大入道だった、牛の頭を持って歩いているものもいた。車輪に眼と手がついて転がっているものがいた。・・・・・。数十もの異形いぎょうのものがうごめいていた。


 「百鬼ひゃっき夜行やこうです」


 琴音が叫んだ。


 異形いぎょうのものから声が出た。


 「蒼汰を見つけよ」


 その声は異形いぎょうのものの中をまたたく間に広がっていった。やがて、異形いぎょうのものすべてが大合唱を始めた。


 「蒼汰を見つけよ」

 「蒼汰を見つけよ」

 「蒼汰を見つけよ」


 異形いぎょうのものが蒼汰に近づいてくる。足が震えた。蒼汰は逃げ出したくなった。


 「神代くん。動いちゃダメよ。そいつらには、あなたは女の子に見えているはずだから」


 明日香の声が上から降ってきた。


 異形いぎょうのものが蒼汰を取り囲んだ。蒼汰は数十もの異形いぎょうのものの中にいた。異形いぎょうのものが手や足や舌を蒼汰に伸ばしてきた。それらが蒼汰の身体に触れた。手が、足が、舌が蒼汰の身体をさわり、なめまわした。異形いぎょうのものの口が生臭い息を吐いた。蒼汰は動かなかった。じっと耐えた。恐怖が蒼汰の身体を支配した。


 すると、蒼汰のまわりの異形いぎょうのものから声が上がった。


 「これはおなごじゃ」

 「これはおなごじゃ」

 「これはおなごじゃ」


 異形いぎょうのものの後方からも声が上がった。


 「蒼汰がおらぬ」

 「蒼汰がおらぬ」

 「蒼汰がおらぬ」


 別のところからも声が上がる。


 「藤棚の中君なかのきみを連れてこい」

 「藤棚の中君を連れてこい」

 「藤棚の中君を連れてこい」


 すると、異形いぎょうのものの集団が二つに割れた。その割れ目からしずしずと現れたのは牛車だった。牛が引く屋形は、玉虫色の絹糸で覆われ、金銅の文様で飾られていた。屋形の前後のひさしにはすだれが垂らしてあった。


 牛車は蒼汰の前で止まった。


 前のひさしすだれがゆっくりと上がっていく。


 中にいたのは十二ひとえの若い女だった。美しい。女が蒼汰をじっと見つめた。吸い付くような眼だ。やがて不気味な甲高い声で言った。


 「見える。見える。わらわには見えるぞ。おるぞ。おるぞ。ここにおるぞ。これはおなごではないぞ。これはおなごではないぞ。蒼汰じゃ。蒼汰がここにおるわ」


 その瞬間、異形いぎょうのものが次々と重なって蒼汰に飛び掛かった。


 瞬間のことで、蒼汰は避けることができなかった。蒼汰は地面に押し付けられた。息が苦しい。蒼汰は倉掛からもらったお札を握りしめたが、身体が地面に押し付けれているので、お札を前にかざすことができなかった。背中にのしかかられているので声も出ない。


 首を絞められた。息ができない。蒼汰は舌を出してあえいだ。舌に地面の砂がべっとりとついた。蒼汰の口から「うぇええ」という声が洩れた。口が泡を吹いた。口の端から唾液が線を引いて地面に垂れた。顔から血の気がなくなった。青銅色だ。


 あまりの事態に気をのまれていた琴音が我に返った。琴音が叫んだ。


 「ネグリジェ蒼汰、ワンピ水着蒼汰、パンスト蒼汰。神代さんを助けるのよ」


 3人の蒼汰人形があわてて女将から離れて、蒼汰を助けにきた。ネグリジェ蒼汰が弓で異形いぎょうのものを次々と射ていく。ワンピ水着蒼汰が、蒼汰と異形いぎょうのものの間に割り込んで、盾で異形いぎょうのものをはね飛ばす。パンスト蒼汰が、剣で異形いぎょうのものを次々と切って刺していく。


 明日香がすべり台からすべり降りた。お札をかざして、異形いぎょうのものの中に入っていく。明日香がお札をかざして「妖怪退散」と叫ぶごとに、異形いぎょうのものが消えていった。


 ・・・・・


 30分もすると、異形いぎょうのものはすべて消えてしまった。蒼汰はしばらくゼイゼイとあえいでいたが、ようやく立ち上がることができた。


 琴音が気付いた。


 「あっ、ろくろ首の女将は?」


 全員が女将が倒れていた方を見た。土の上に明日香が落とした『網』があった。『網』がずたずたに破れていた。異形いぎょうのものにかみ切られたのだ。ずたずたの『網』の下には何もいなかった。ろくろ首の女将は消えていた。


 「しまった」


 明日香が叫んだ。誰もが失敗に気づいた。異形いぎょうのものと闘っている間に、女将が異形いぎょうのものを使って『網』をかみ切らせて逃げ去ったのだ。


 失敗した。誰もが思った。その思いが全員の心に一瞬の隙を作った。


 一陣の風が吹いた。明日香がいたすべり台の下の暗がりから白いものが飛んで、3人の蒼汰人形を一瞬でなぎ倒した。


 そして白いものは、大きく「の」の字を描くと空中に静止した。長く伸びた女将の首だった。口が耳まで裂けたと思った瞬間、女将の首が蒼汰に巻き付いた。女将の頭が口を開けて蒼汰の首に向かった。牙が光った。女将の眼に勝利の光が宿った。女将の口が蒼汰の首にかみついていく・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る