第118話 小野篁2

 蒼汰がたかむらに聞いた。


 「しかし、ろくろ首は、最初は、この男性が足につけていた短い布と、この女性が足につけていた長くて透き通った布の二つを狙ったんです。しかし、ある時点から、この女性が足につけていた透き通った布だけを狙うようになりました。それはなぜでしょうか?」


 「それはろくろ首が陀羅尼だらにに続いて薩婆訶そわかをかけたのじゃ」


 「そわか?」


 今度はたかむら自身が解説した。


 「薩婆訶そわかとは男女関係を遂げたことをいう。しかし、本来はものが合わさるさまを差す言葉なのじゃ。そなたらの言葉では、集合の呪術とでもいうことになろうか」


 蒼汰は首をひねった。


 「集合の呪術?」


 「ろくろ首はこの男女二人に陀羅尼だらにをかけて呪い殺そうとした。そのときには、男女二人の持ち物を手に入れる必要があった。したが、薩婆訶そわかをかけると、どちらか一人の持ち物に呪いをかければ、二人を呪い殺すことができるのじゃ」


 「すると、ろくろ首の狙うものが、途中からこの女性が足につけていた布だけになったのは?」


 「最初、ろくろ首は陀羅尼だらにのために、男が足につけていた布と、女が足につけていた布の二つを手に入れようとしたのじゃ。しかし、そなたらの抵抗で手に入らなかった。そこで、ろくろ首は薩婆訶そわかをかけて、女が足につけていた布だけで二人を呪い殺せるように仕向けたのじゃ」


薩婆訶そわかによって、ろくろ首は、女性が足につけていた布を手に入れるだけで、陀羅尼だらにという呪いを行うことができるようになったということですか」


 「そのとおりじゃ」


 「それで、たかむら様。この二人に、ろくろ首の陀羅尼だらにの影響はないのですか?」


 今度は明日香が聞いた。


 「男の持つエネルギーが低下しておるが、いまのところは心配はいらぬ」


 「男性のエネルギーが低下? それで、男性に支障はないのですか? 命に別状はないのですか?」


 明日香がいきおいこんで聞く。たかむらが少し笑ったようだ。


 「心配はいらぬ。さっきも言ったように、男の命に別状はない。ただし、いまのところはじゃ。これは、そなたらの科学では理解が難しかろう。人の持つエネルギーは、一つではないのじゃ。エネルギーには、さまざまな種類がある。生きるためのエネルギー、他者と交流するためのエネルギーといった具合にな。それで、そのうちの一つが陀羅尼に大きく関係しておる」


 たかむらが蒼汰、明日香、琴音の顔を見まわした。三人は息をつめてたかむらを凝視している。


 「ろくろ首が陀羅尼だらにをかけたので、男のその陀羅尼だらにに関係するエネルギーが低下しておるのじゃ。しかし、ろくろ首は、女が足につけていた布をまだ手に入れておらぬ。このため、陀羅尼だらにの影響はまだまだ小さい。男には生きるためのエネルギーはまだ十分に残っておるのじゃ。いまのところは心配はいらぬ」


 明日香が声を上げた。


 「つまり、逆に言うと、ろくろ首が、女性が足につけていた布を手に入れて陀羅尼だらにをかけたら、男性も女性も死んでしまうということですか?」


 「そのとおりじゃ。女が足につけていた布はろくろ首に渡してはならぬ」


 蒼汰はたかむらの言葉に眼からうろこが落ちる思いだった。やはり、女将は茅根先生のパンストを狙っていたのだ。それは、葬儀屋と茅根先生を陀羅尼だらにで呪い殺すためだった。僕と山之内さんが、茅根先生のパンストを守り抜いたのは正しかったのだ。そして、今後、もし、パンストを女将に奪われたら、葬儀屋と茅根先生が呪い殺されてしまうのだ。


 そうすると女将が夢の中で欲しがった、僕が着た赤いネグリジェ、赤いワンピースの水着、パンストは陀羅尼だらにで僕を呪い殺すためのものだったのだ。これらも絶対に女将に渡してはいけない。


 「それで、二人はいつまでこの中にいることになるのですか?」


 今度は琴音が聞いた。


 「さあ、それじゃ。二人をここから出せばろくろ首に狙われる。女が足につけていた布をろくろ首が手に入れる前に、ろくろ首を退治できたら二人をこの空間から出すことができよう」


 「では、この二人をここから出して、もとの世界に連れ戻そうとするには、私たちが、ろくろ首を倒さないといけないわけですね」


 「そなたらがろくろ首を倒す? 私でさえ倒せぬ相手じゃぞ。そなたらがろくろ首を倒せるものか」


 「ここ、鳥辺野とりべのでは、ろくろ首を倒すのは難しいかも分かりません。でも、私たちの時代に帰ったら、きっと何か方策があると思います」


 明日香が答えた。


 「そなたらの時代に帰ったらか・・・」


 珍しくたかむらが考え込んだ。やがて、たかむらが蒼汰たちを見まわして言った。


 「よかろう。そなたたちの時代で、思う存分、ろくろ首と闘ってみよ」


 強い意志を感じる言葉だった。蒼汰は思った。もし、このたかむらが現代に生きていたら、『上司にしたい人物100人』といった企画で必ずや上位に入るだろう。


 「たかむら様。私たちは、私たちの時代に帰ることができるのですか?」


 今度は琴音がたずねた。


 たかむらは蒼汰たち3人の顔をもう一度ゆっくりと眺めた。そして、おもむろに言った。


 「もちろん、そなたらは帰ることができる。この世界とそなたらの世界はつながっておるのじゃ。その入口と出口は、井戸であったり、広場であったり、屋敷の壁であったり・・・いろいろなところにあるのじゃ。そなたらがろくろ首の旅館で滝の水流に襲われたときにふたを開けたという文箱は、こちらの世界へ来る入口を開けるスイッチだったのじゃ」


 そうか。あのとき、掛け軸の下に開いた穴はこの世界への入口だったのか。それで和室の中の水があの穴に吸い込まれていって・・・僕らはこちらの世界に吐き出されたのか。蒼汰の頭の中の謎が少しずつ氷解していくようだ。


 「このおやかたにも、私たちの世界に通じる出入口があるのですか?」


 琴音の眼が輝いている。蒼汰も明日香もたかむらを見つめた。その出入り口があれば、あの現代の日本に帰ることができるのだ。


 たかむらの声が部屋の中にひびいた。


 「ある」


 現代に帰ることができるという希望が蒼汰にわいてきた。明日香も琴音も同じだったようだ。


 すかさず琴音がたずねる。


 「その出入口はこのおやかたのどこにあるのですか?」


 「ここじゃ」


 たかむらが部屋の壁を指さした。その途端、板塀の一部が崩れて、1m四方ぐらいの穴が開いた。穴の中は真っ暗だ。


 すると、突然、まわりの空気が穴に向かって吸い込まれ始めた。まるで掃除機の吸い込み口の前に立っているようだ。たちまち、蒼汰の身体が宙に舞った。風の中できりもみになった。眼の端に、明日香や琴音が舞っているのが見えた。3人の蒼汰人形たちが風の中で木の葉のようにぐるぐると回転していた。


 そのとき、たかむらの大声と笑い声が蒼汰の耳に聞こえた。


 「行け。そなたたちの時代で思う存分、ろくろ首と闘ってみよ」


 蒼汰は頭から穴の中に吸い込まれていった。

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