第117話 小野篁1

 蒼汰は板に叩きつけられた。反動で身体が一回転して床に尻をついた姿勢で止まった。明日香に折檻された尻が痛んで、蒼汰は思わず「グッ」という声を洩らした。メイド服のスカートが大きくまくれあがっていた。蒼汰はあわてて手でスカートを直した。


 つづいて、明日香や琴音、3人の蒼汰人形たちが次々と落ちてきて、蒼汰と同じように一回転して床に座った姿勢で止まった。


 板張りの床だった。広い部屋だ。周囲には一枚格子のしとみが巡らされ、開け放った蔀の向こうには緑の木々や石を配した池が見えた。池の向こうに渡殿わたりどのの一部がのぞいていた。正面にある御簾みすが大きく引き上げられていて、その向こうに男が一人座っている。


 大きな男だった。頭に巻纓けんえいのかんむりをかぶり、黒の縫腋ほうえきのほうをつけ、ほうの上から石帯せきたいを締めて太刀を吊っていた。ふっくらした白い整った顔だが、眼がらんらんと異様に輝いていた。眼の輝きが男の意思の強さを伺わせた。髭はなかった。


 大男は黙って蒼汰たちを見つめている。


 蒼汰たちが互いに顔を見合わせていると、ふいに大男が口を開いた。腹に響くような低い声だ。


「私が先の参議さんぎ左大弁さだいべん従三位じゅさんい小野おののたかむらじゃ」


 小野おののたかむらだって!


 蒼汰は眼を見張った。これが小野おののたかむらか? ものすごい迫力だ。蒼汰は迫力で大男に圧倒された。蒼汰は畏敬の念で大男を見つめた。


 琴音が驚いた様子で聞き返す。


 「たかむら様。たかむら様は現代の日本の言葉が話せるんですか?」 


 たかむらが琴音を見ながら答えた。


 「私は既に死んだ身じゃ。いまそなたらが聞いておる言葉は、生身の口から出た言葉ではない。私はそなたらに思念を送り、そなたらは頭の中で、その思念をそなたらの言葉に置き換えて理解しておるだけじゃ。逆に、そなたらが私に送る思念は、私には私の時代の言葉として理解できるのじゃ」


 テレパシーのようなものか? 蒼汰はそのように理解した。むろん、テレパシーではないかもしれないが、詳しく聞いたところで蒼汰に理解できるはずもなかった。蒼汰の思いとは別にたかむらが話を続ける。


 「仏童丸ほとけのわらべまるから、そなたらのことは聞いておる。ろくろ首を退かせたそうな。そなたらの働き、大したものじゃ」


 「いえ、私たちこそ、仏童丸様に助けていただきました」


 琴音が答える。蒼汰も明日香も、この時代の者との対話は琴音に任せていた。


 「して、そなたらはどのような仔細があって、こちらに来られたか?」


 琴音が女将との闘いのいきさつを簡単に説明した。


 「私たちの仲間の男女を探しています。たかむら様。最近、たかむら様のところへ来た若い男女に会わせていただけませんか?」


 「仏童丸が申しておった男女じゃな。よかろう。こちらに来られよ」


 たかむらが立ち上がった。そして、無造作に部屋を出て廊下に立った。長身だ。2m近くあるだろう。それから、何の警戒もしていないかのように、悠然と蒼汰たちに背中を見せて廊下を歩きだした。たかむらが歩くたびに、板敷の廊下がみしっ、みしっと大きな音を立ててきしんだ。琴音を先頭にして蒼汰たちも後に続く。 


 板敷の廊下を複雑に歩いた。すると、たかむらがある部屋の前で立ち止まった。そして、その部屋のしとみを開けた。


 そこは10畳ほどの壁に囲まれた窓のない板張りの部屋だった。その部屋には光が充満していた。赤、青、黄、緑、青・・・様々な色が飛びかい、壁に当たって反転し、複雑に交差していた。その光の中に、佐々野と茅根が横になった姿勢で浮かんでいた。二人とも上を向いて眼をつむっている。まるで、寝ているかのようだった。二人は中空に横たわって、床から2mほどの高さのところをゆっくりと回転していた。


 「ここは?」


 蒼汰の口から声が洩れた。


 「そなたらの世界の言葉では説明できぬ。ここは、そなたらの言葉でしいて言えば、亜空間とでもなろうか」


 亜空間? 亜空間とは、通常の物理法則が通用しない空間だ。そんな空間がどうしてこの部屋に? 蒼汰の頭は混乱した。たかむらが続ける。


 「この男女は先日、鳥辺野とりべのの荒野で倒れておった。命はあったが、二人とも意識がなかった。私の屋敷に運んだが、そこへ二人の命を狙って、ろくろ首が襲撃してきおった。私と仏童丸ほとけのわらべまるでろくろ首を撃退したが、ろくろ首に再度襲撃されると、二人の命の保証はできなかったのじゃ。そのため、二人を安全なところに保護する必要があった。それで、私がこの亜空間をここに作って、この中に保護したのじゃ。この中には、この世の物理法則は作用せんのじゃ」


 琴音が、ゆっくり回転している佐々野と茅根を見上げた。琴音の顔に七色の光が当たって複雑な陰を作った。琴音が聞いた。


 「それで、この二人は生きているのですか?」


 「心配はいらぬ。生きておる。意識は戻っておらぬが、いまのところは、命には別状はない」


 蒼汰は聞きたかったことを声にした。


 「たかむら様。女将は、いや、ろくろ首は、この二人の持ち物を奪い取ろうとして、僕を襲ってきました。それは、どのようなわけなのでしょうか?」


 「それは陀羅尼だらにじゃ」


 「だらに?」


 あわてて、琴音が説明する。


 「陀羅尼だらにというのは一種の呪法なのです。人を集めて、術をかける者が祈祷をし、合わせて集まった人たちが呪文を唱和するんです。それによって、特定の人物に呪いをかけることができるのです」


 「この空間の中には、通常の物理法則は作用せん。しかし、呪いは作用するのじゃ。私が二人をこの空間に保護したので、ろくろ首は、この二人に陀羅尼だらにをかけて呪い殺そうとしたのじゃ。陀羅尼だらにを行うには、呪われる者が持っている物が必要になる。それでろくろ首は、この男女の持ち物を持っておる、そなたを襲ったのじゃ。陀羅尼だらにに必要な持ち物を奪うためにな」

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