第85話 侍1

 「琴音ちゃん。あなた大したものよ」


 明日香に言われて、琴音は満足そうに微笑んだ。褒められたときの癖なのだろう。頭に手を置いて「えへへ」と笑っている。


 「ほんとに助かったよ。あのとき、西壁さんが号令をかけてくれなかったら、僕たち全員が間違いなくネグリジェ蒼汰の偽物にやられていたよ。一瞬でも西壁さんの号令が遅れたらダメだっただろうね。間一髪だったよ」


 蒼汰も安堵の息を吐いた。


 「とにかく、この和室を出ましょう。これ以上、ここにいるのは危険だわ」


 明日香の言葉に従って、全員が和室の外に出た。行く当てはないが、また明日香を先頭に一列になって廊下を進んだ。明日香、蒼汰、琴音、ネグリジェ蒼汰、ワンピ水着蒼汰、パンスト蒼汰の順だ。


 第一回戦に勝利したということで蒼汰の心は弾んでいた。しかし、明日香も琴音も第一回戦のことはもう忘れたという風に毅然と前を向いて歩いていく。


 相変わらず、旅館の中は同じような和室が限りなく続いている。


 しばらく歩くと、急に廊下が広くなっている場所に出た。廊下の途中が20m四方ぐらいに大きく広がって小さな広場のようになっている。まるで、廊下に作られた板の間の多目的スペースのような場所だった。


 蒼汰たちはその多目的スペースに立ち止まった。


 「ここは、何かしら?」


 「明日香さん。何かのイベントスペースみたいですねえ?」


 明日香と琴音がキョロキョロと周囲を見わたしている。蒼汰はこの前、明日香と二人でこの旅館に迷い込んだ時のことを思い出した。


 確か、あのときもこんな場所があった。


 そうだ。思い出した。廊下が広がった、ちょっとした小広場になっている場所があって、そこに縁日の屋台が出ていたのだ。そして、その屋台の麦わら帽子のおじさんに蒼汰たちは襲われたのだった。すると、今度も・・蒼汰は油断なく周りに眼を配った。


 その多目的スペースのような場所の向こうにも廊下がまっすぐ続いている。


 蒼汰が眼をこらすと、その廊下の向こうから誰かが、多目的スペースに向かって歩いてくるのが見えた。


 ひどくのんびりした足取りで、少しずつこちらに近づいてくる。蒼汰は驚いた。その人物は、まるでテレビの時代劇に出てくる侍そのものだった。 


 その男の頭には月代さかやきが剃ってあって、丁髷ちょんまげが結ってあった。太いまげが、男の鋭い眼に良く似合っていた。襟足の上のたぼがぽったりと後頭部にくっついていた。熨斗目のしめ柄の小袖を粋に着流して歩いている。小袖は上物らしい。広い身幅に膝まである襟先だ。かなり丈が長い。小袖の腰の部分にだけ縞模様が入っているのが見て取れた。


 腰には大小二本の刀を差して、足には麻の葉模様の柄物の足袋を小粋にはいている。手には扇を持っていた。歌でも歌うように扇をリズミカルに動かしていた。まるで両側に並んだ祭りの屋台でもひやかすかのように、右に左にと肩を揺らしていた。


 なんで、侍が?


 蒼汰の疑問にはお構いなしに、侍はのんびりとこちらに向かって歩いてくる。町中を見物して歩いているようなのんびりした歩き方だった。


 明日香も琴音も侍に気づいたようだ。息を飲むように侍を注視している。


 少しすると、侍も蒼汰たちに気づいたようだ。廊下が多目的スペースに入る手前で、驚いた様子で足を止めた。扇をゆっくりとふところにしまい、左手を刀の鍔にかけた。腰を落として上目遣いにこちらをながめている。


 多目的スペースをはさんで、蒼汰たちと侍がにらみ合うような形になった。


 ふいに侍の眼に殺意が宿った。


 侍はゆっくりと刀を抜いて、静かに上段に構えた。刀の刃が上段に動くとともに、鋭く冷たい光を半円状に反射した。


 刀・・・


 蒼汰たちに動揺が走った。


 侍はその動揺を見逃さなかった。次の瞬間、侍は一気に駆け出した。刀を上段に構えたまま、脱兎のごとくこちらに向かってくる。


 「うおおおおおおお」


 侍の口から気合がほとばしった。裂ぱくの気合とともに、刀が蒼汰の頭上に振り下ろされた。

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