第71話 人形1

 琴音が3枚の大きな人形ひとがたをした白い紙をていねいにテーブルに並べた。それは何かの厳粛な儀式の準備のようだった。すると、琴音が蒼汰と明日香の方を向いて妖しく笑った。琴音の姿がまるで古代の宗教儀式を取り仕切る巫女のように見えた。


 蒼汰は白い紙と琴音を交互に見つめながら、息をのんだ。


 いったい、何がはじまるんだろう。


 琴音の声がした。


 「それではこれから始めます。最初に、明日香さんにお願いがあるんです」


 明日香が緊張した声で琴音に答えた。


 「琴音ちゃん、お願いって、なあに?」


 「神代さんの髪の毛を3本切り取っていただけますか?」


 「神代くんの髪の毛? 3本でいいのね」


 明日香は鋏を持ってきて蒼汰の髪の毛を3本切り取ると琴音に渡した。琴音はその髪の毛を1本ずつ白い紙のポケットの中に入れた。そして、テーブルの上に並べられた3枚の紙を見ながら立ち上がると、奇妙な呪文を唱え始めた。


 「コカコミ・イイマデ・アゼモモ・ヨリタミ」


 「コカコミ・フフネサ・コエモモ・ヨリタミ」


 「コカコミ・ミミイコ・キハモモ・ヨリタミ」


 すると不思議なことに3枚の紙がテーブルから立ち上がり、リビングの中をばらばらに動き始めた。まるで1枚1枚が意思を持って、優雅なダンスをゆっくりと踊っているようだ。3枚の紙のダンスを見ながら琴音が呪文を続ける。蒼汰と明日香はあっけにとられて3枚の紙のダンスを見つめている。


 「コカコミ・イイマデ・アゼモモ・ヨリタミ」


 「コカコミ・フフネサ・コエモモ・ヨリタミ」


 「コカコミ・ミミイコ・キハモモ・ヨリタミ」


 3枚の紙の動きが次第に早くなっていく。優雅なダンスが次第に激しいダンスに変わっていった。その激しいダンスも動きがどんどん加速していく。3枚の紙が空気を切る音が、ヒュッ、ヒュッと聞こえてきた。3枚の紙が空気を切り裂くたびに、リビングの中に風が巻き起こった。もう、紙の人形ひとがたを認識することは不可能だった。それは『白いもの』としか言いようがなかった。3つの『白いもの』がリビングの中をものすごいスピードで飛び回っている。ヒュッ、ヒュッ、ヒュッという空気を切る音が次第に大きくなる。それに合わせて、巻き起こる風がゴーという激しいうなりを上げ始めた。


 蒼汰のウィッグの髪を留めているシュシュが風にあおられて、中空に飛んでいった。すると、ウィッグの黒髪が風になびいて、蒼汰の顔に掛かった。蒼汰はその髪を払おうとして、額に手をやった。しかし、次の瞬間、風向きが変わって、蒼汰の髪が顔から離れて宙になびいた。その次の瞬間、髪がまた蒼汰の顔に掛かった。3つの『白いもの』の動きがあまりに激しくて、リビングの中で起こる風の向きが常に変わっているのだ。蒼汰が隣の明日香を見た。明日香のセミロングの黒髪も、明日香の顔に掛かっては離れることを繰り返している。


 3つの『白いもの』の動きはますます速くなる。やがて、それらの動きが、それぞれ1本の線のようになった。3本の白い線がリビングの中を飛び回っている。


 蒼汰は眼の前の光景に心を奪われた。


 なんて、不思議なことがあるんだろう。さっき見たときはただの白い紙だったのに・・・どうして、ただの白い紙が動いているんだろう。


 琴音の呪文は続く。


 「コカコミ・イイマデ・アゼモモ・ヨリタミ」


 「コカコミ・フフネサ・コエモモ・ヨリタミ」


 「コカコミ・ミミイコ・キハモモ・ヨリタミ」


 3本の白い線の動きがどんどん速くなった。もう、とても眼で白い線の動きを追うことは不可能だった。突然、3本の白い線が無数の線に分かれた。分かれた線はもはや白い線ではなかった。それらは光の線にしか見えなかった。やがて、無数の光の線がさまざまな色を発し出した。明日香のマンションのリビングの中を赤や青や緑やピンクや白や・・様々な色の光の線が縦横無尽に飛び交い、動き回っている。不思議な光景に蒼汰は思わず立ち上がった。つられて明日香も立ち上がる。蒼汰と明日香の顔にさまざまな色の光が激しく点滅する。


 この世のものとは思えない美しさだ。


 蒼汰は激しい光の動きに感動すら覚えた。


 「カエンバ」


 琴音が一声大きく叫んだ。光の線の動きが徐々に遅くなって・・・やがてリビングの壁の前で一列になって静止した。そこには全裸の蒼汰が3人、壁を背にして一列に突っ立ていた。


 「こ、これは・・・」


 蒼汰は絶句した。明日香もポカンと口を開けて見つめている。壁の前に並んでいるのは蒼汰そのものだった。ただし、全裸だ。琴音が静かに答えた。


 「神代さんの人形ひとがたです」


 「人形?」


 「ええ、神代さんの分身だと思ってください」


 「琴音ちゃん、こ、これ、触っても大丈夫なの?」


 明日香がゆっくりと3体の人形に近づきながら琴音に聞いた。


 「ええ、大丈夫ですよ。だって、それは神代さんですから」

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