第65話 折檻3

 蒼汰が尻をさすりながら顔を上げると、明日香の顔が蒼汰を覗き込んでいた。蒼汰は泣き顔を明日香に見られたくなくて、思わず下を向いた。すると、明日香の右手が伸びてきて、蒼汰のあごの先を人差し指と親指で軽くつまんだ。そして、蒼汰の顔を上に向けた。明日香の優しい顔が蒼汰の泣き顔を見つめていた。明日香の声がした。


 「神代くん。あなた、よく頑張ったわね」


 明日香の左手が蒼汰の右肩を軽く抑えた。明日香の右手は蒼汰のあごの先をつまんだままだ。


 明日香の左手に力が入った。


 「これはご褒美よ」


 明日香の顔が少し右に傾いて、上を向いたままの蒼汰の顔に近づいてくる。


 蒼汰は眼をつむった。


 蒼汰の唇にやわらかいものが覆いかぶさってきた。


 蒼汰の身体の力が一気に抜けた。明日香の身体が上に乗ってきて、蒼汰の身体がゆっくりとソファに倒された。蒼汰はソファの上で明日香に身体をあずけた。


 ・・・・・・


 「神代くんのお尻に指の跡を見つけたときは本当に驚いたわ。その指の跡というのは実は、便器の中から出てきた手が神代くんのお尻の肉をつかんだ跡だったと分かるまで、しばらく時間がかかったわ。夢でつけられた傷が、現実にあなたのお尻にあったなんて、とても信じられなかったのよ・・・・・」


 明日香は蒼汰の顔を見つめて言った。二人はソファに向き合って座っている。先ほどの明日香の折檻から1時間ぐらい経っていた。


 明日香の言葉に蒼汰は生唾をのみ込んだ。蒼汰はまだ涙目のままだ。さっき明日香に何度も尻をつねられて、尻がまだズキズキと痛かった。無意識に蒼汰の両手が後ろにまわって尻をさすっている。尻をさする手がネグリジェの上から熱を感じていた。尻が熱く火照ってなんだか熱をもっているようだ。


 ソファに座って両手で尻をさする蒼汰の様子を見ながら、明日香は話を続けた。


 「それでね、神代くん。あなたのお尻の指の跡をながめていたら、突然、赤い指の跡が動き出したのよ。そして、驚いたことに指の跡が左のお尻に『こ』、右のお尻に『い』の文字をいたのよ。そして、消えたわ」


 「『こ』と『い』・・えっ、それって・・『来い』ということだ!」


 「そう。それで、私もあなたのお尻をクリップでつまんで、返事を文字にしてお尻に描いたのよ」


 「文字? お尻にどうやって文字を描いたの?」


 「クリップであなたのお尻をつねって赤いアザをつけてね。そして、その赤いアザの跡で文字を描いたのよ」


 ああ、そうだったのか。山之内さんが僕のお尻に突然折檻を始めたのは、僕のお尻にクリップでアザを付けて、文字を描いていたのか。あれは折檻ではなかったんだ。


 「それで、山之内さんは僕のお尻になんて文字を描いたの?」


 「描いた文字は、私から見て左のお尻に『い』、右のお尻に『く』よ」

 

 「『い』と『く』・・それって・・『行く』なの!」


 「そうよ。・・神代くん。やっぱり、あなたが見たあの夢はただの夢じゃなかったのよ」


 明日香が蒼汰を見つめる。明日香の言う「あの夢はただの夢じゃなかった」ということは、もう間違いなかった。ろくろ首の女将が何らかの意図で、蒼汰の夢に登場したのだ。


 「ぼ、僕もそう思うよ」


 蒼汰がうなずくのを見て、明日香が続けた。


 「私が見た、あなたのお尻の『こい』という文字なんだけど、私は女将が、赤いネグリジェ、赤いワンピースの水着、薄い焦げ茶色のパンストを持って、もう一度、あの旅館にやってこいと、私たちを誘ってるように思えたのよ」


 蒼汰は自分が着ているネグリジェを眺めた。


 「えっ、この赤いネグリジェなんかを持って・・旅館に?・・旅館って、あの五条坂の旅館のこと?」


 「そう。私たちが妖怪に襲われた、あのろくろ首の女将が支配する旅館よ。ろくろ首の女将ははっきりと私たちに『こい』というメッセージを送ってきたのよ。それで、私もあなたのお尻をつねって『いく』と描いたわけ。言い換えると、『こい』というのは女将の私たちに対する挑戦状なのよ」


 「挑戦状?」


 蒼汰の頭に夢の中でニヤリと笑ったろくろ首の女将の顔がよみがえってきた。


 「それで、その挑戦を受けるために、山之内さんは『いく』と返事をしたわけだよね」


 「そうよ。『こい』と言われたら、『いく』と答えるしかないじゃない。神代くん。私たち、赤いネグリジェ、赤いワンピースの水着、薄い焦げ茶色のパンストを持ってもう一度、五条坂のあの旅館に乗り込みましょう」


 蒼汰は自分の着ている赤いネグリジェを指でつまんだ。


 「でも、山之内さん。ろくろ首の女将が僕の夢で、この赤いネグリジェや、それに赤いワンピースの水着、薄い焦げ茶色のパンストを持ってこいと言ったのは分かるんだけど・・この僕が来ている赤いネグリジェなんかには、一体どんな意味があるんだろう?」


 「それは私にも分からないわ。でもね、私たちがあのろくろ首の女将の旅館に行ったら、きっとその理由も明らかになると思うのよ。こうなったら、もう、行くしかないでしょう。・・神代くん。いいわね?」


 明日香がまた蒼汰の顔を見た。


 それは拒否を許さない顔だった。


 蒼汰は黙って明日香の顔にうなずき返した。

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