第60話 水着とネグリジェ6

 便器の中から出てきた二つの手が蒼汰の尻の肉をつかんだ。すごい力だ。立ち上がりかけた蒼汰の尻が下に引き戻される。手の指が蒼汰の尻の肉に深く食い込んでくる。


 痛い! 


 あまりの痛さに蒼汰の口から思わずうめき声が洩れた。立ち上がりかけた蒼汰は、逆に便座に押し付けられてしまった。恐怖が狭い浴室に充満した。何かが便器の中にいる。


 すると、座っている便器の脇から新たに二本の手が伸びてきた。新たな手が蒼汰の着ている赤いネグリジェを両脇からつかんだ。そのまま、強い力でネグリジェを下に引き下げる。鈍い音を立てて、ネグリジェが真っ二つに引き裂かれた。蒼汰の胸のナイトブラがトイレの蛍光灯の下で露わになった。ナイト用のショーツは用をたすので、膝まで降ろしたままだ。便器の便座に腰かけた状態で、蒼汰は全裸に近い姿になった。


 蒼汰は狼狽した。倉掛が蒼汰と明日香に渡してくれた妖怪退散のおふだは寝室に置いたままだ。蒼汰はお札を持たずにトイレに入ったことを後悔した。昨日の昼間も、高島屋の女子トイレにお札を持たずに入ってしまって妖怪に襲われたのだった。


 しまった。油断した。同じミスをしてしまった・・・後悔したがもう遅かった。


 お札が無ければせめて妖怪の眼を欺かなければ・・・早く女性のシルエットになるような服を着ないといけない・・・女性の服はないか?・・・


 蒼汰の眼がバスタブの上に干してある、赤いワンピースの水着にとまった。そうだ、あの水着だ。蒼汰は手を伸ばした。尻は便座に強く押し付けられて全く動かない。便器の中の手の指が尻の肉に深く食い込んでいる。蒼汰は水着をつかもうと手を思い切り伸ばしたが・・・あと、少しのところで届かない。


 蒼汰は便器の中の指から逃れようと、思い切り尻を振った。それでも、指は尻の肉をつかんだままだ。蒼汰は何度も腰を振った。まるで、便座に腰かけた姿勢で腰を振ってダンスを踊っているようだ。


 だめだ。指が尻から離れない・・・。蒼汰の頭を絶望がよぎった。


 そのとき、便器の横に置いてあったトイレのつまり取りが眼に入った。プラスチックの棒の先に、半球状のゴムがついている。蒼汰はつまり取りを手にとった。そして、便器に腰かけた姿勢のままで両足を思い切り開くと、股間から便器の中につまり取りのプラスチックの棒の先を思い切り突っ込んだ。


 無言の感触があった。便器の中で便器の尻をつかんでいた手の力がすっと消えた。

 

 やった。指が尻から離れた・・・。


 蒼汰は便器から立ち上がった。振り向いて便器を見ると・・・洋式便器の中から二本の手が生えているのが見えた。便器に突っ込んだつまり取りのプラスチックの棒が、二本の手の付け根に深く突き刺さっていた。つまり取りの先の半球状のゴムが小さな輪を書くように揺れていた。二本の手がプラスチックの棒を突き刺したままで、宙をくねくねと動いている。手の先の指が何かを掴もうと、妖しくうごめいていていた。


 蒼汰はバスタブの上に干してあった赤いワンピースの水着をつかんだ。そして、急いで浴室を出ようとした。早く山之内さんのところへ逃げないと・・・。


 しかし、浴室から出ようとして、蒼汰の足が止まった。浴室の入り口にあのろくろ首の女将が立っていたのだ。蒼汰の顔から血の気が引いた。


 しまった。轆轤首の女将だ・・・


 女将の口が引き裂かれた。首が少しずつ身体から伸びていく。首が1mほど伸びて浴室の天井の手前で止まった。女将の首が浴室の天井から蒼汰を見下ろしている。女将の眼に憎悪の光があった。女将の口から声が洩れた。


 「返せ。返せ。水着を返せ」


 えっ、水着だって? どうして、水着? 今まではストッキングを返せと言っていたはずだ。


 蒼汰は訳が分からないままに、手に持っていた赤いワンピースの水着を女将に投げつけた。


 女将は水着を受け取るとニヤリと笑った。不気味な笑いだ。そして女将がまた口を開いた。


 「返せ。返せ。ストッキングを返せ」


 えっ、今度はストッキングだって?


 蒼汰の横には脱衣カゴがあった。中には蒼汰が風呂に入るときに脱いだ女性の衣服が入っている。風呂に入るときに、明日香が明日洗濯するので、脱いだ服をこの脱衣カゴに入れるように言ったのだ。蒼汰は脱衣カゴの中に手を入れた。自分が昨日はいていたブランド物の薄い焦げ茶色のパンストを取り出した。そして、それを女将に投げつけた。


 女将はパンストも受け取ると、またニヤリと笑った。口の中に牙が光った。女将の牙を見て、蒼汰の背すじが凍りついた。絶体絶命だ。生きた心地がしなかった。身体がガタガタと震え出した。

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