第53話 スーパーマーケット2

 スーパーに着くと、明日香は買い物を始めた。明日香が品物を選んでは、蒼汰の持つレジかごに入れていく。そうしながら、明日香は決して蒼汰から離れない。明日香が極力蒼汰の近くにいようとしてくれているのが、蒼汰にはうれしかった。


 明日香と二人でスパーマーケットで食料品の買い物をしている・・・まるで新婚夫婦のようだ。蒼汰の心に先ほどの明日香の言葉が甦った。「私があなたをお嫁さんにもらってあげるわよ」・・・蒼汰は明日香の選ぶ食料品をレジかごに入れながら、明日香の言葉を何度も頭の中で反芻した。


 僕が・・山之内さんのお嫁さんになれるんだったら・・別にこのまま女の子の服を着たままで過ごしても構わない。そう思うと、蒼汰の胸がまた熱くなった。僕たちは周囲からどう見えるだろう。僕は女の子の服を着ている。きっと、仲の良い姉妹が買い物に来ているんだと思われているだろう。そう思うと、何だかうれしいような、誇らしいような、そんな不思議な気持ちが蒼汰の胸に湧きおこってきた。


 しかし、蒼汰の楽しい空想は長くは続かなかった。


 夕方に近かったのでスーパーの中はかなり混んでいる。ふと、明日香が立ち止まった。レトルト食品の棚の前だ。レトルト食品をながめているのではなかった。明日香は立ったままじっと床を見つめている。何人かの買い物客が明日香をよけて通り過ぎた。明日香が眼を床に向けたままで蒼汰を手招きした。


 「山之内さん、どうかしたの?」


 明日香が口に人差し指を立てて、小声で鋭く言った。


 「しっ、声を出さないで・・・あれを見て」


 明日香が床を指さした。蒼汰もあわてて床に眼をやった。


 床に奇妙な生き物がいた。体長15㎝ほどの猫のような見たことがない生き物だ。後ろ脚で立っている。二本足でスーパーの床をキョロキョロしながら歩きまわっているのだ。


 動きはすばやい。顔がこちらを向いた。猫のようなとがった耳、顔の半分を占める大きな二つの眼、その下には大きな口が耳まで裂けていた。口の中に三角形にとがった大きな鋭い歯が何本も生えているのが見えた。スーパーの天井の蛍光灯の光を反射したのか、歯がキラリと光った。身体は焦げ茶色で、短い毛がびっしりと生えていた。しっぽがある。


 よく見ると、その生き物は人を探しているように見えた。スーパーの中にいる人の足元に寄っては、下からじっとその人をながめて、また別の人の足元に近寄っていく。なぜか、スーパーの中の人たちは、その生き物にまったく気がつかない様子だった。気がつかないというより、その生き物が見えていないのだ。その生き物が少しずつ蒼汰と明日香に近づいてくる。


 蒼汰はあわてて明日香の手を引いて逃げ出そうとしたが、明日香の強い声がそれを押しとどめた。


 「動くとあの生き物に悟られるわ。じっとしてて。動かないで」


 生き物が明日香の足元にきた。明日香のスニーカーの横で動きを止めて、じっと明日香を下から見つめている。明日香はスカートではなくパンツをはいているので、明日香の足元にいるその生き物の動きが蒼汰にもよく見てとれた。生き物が明日香を見上げながら、大きな二つの眼を二回まばたきさせるのが分かった。


 まばたきの次の瞬間、その生き物は蒼汰の足元に移動した。ぴょんと飛び跳ねるような動きだ。


 生き物は蒼汰が前に出した右足のパンプスの横にきて、今度は下から蒼汰を見上げている。蒼汰はスカートをはいている。スカートのすそから蒼汰自身の足が伸びて、足のパンプスの横に生き物がいるのが、蒼汰にはよく見えた。蒼汰は上から生き物を見下ろした。生き物は下から蒼汰を見上げている。


 生き物と眼が合った。眼をそらしてはいけない。なぜか蒼汰はそう思った。


 蒼汰は生き物の眼を見つめ返した。生き物の眼がゆっくりと二回まばたきをした。一瞬、生き物が首をかしげたように見えた。すると、生き物はぴょんと蒼汰の左足のパンプスの上に移った。

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