第40話 倉掛教授1

 京都大学大学院の人間・環境学研究科は京都市左京区吉田二本松町にある。


 その日の午後、蒼汰と明日香は丸太町のみろう出版からタクシーを飛ばした。明日香が同乗しているためか、蒼汰がふたたび運転手に襲われることはなかった。


 東大路と東一条通りの交差点でタクシーを降りると、二人は並んで東一条通りを東に歩いた。両側に京都大学の建物が立ち並んだ一角だ。東大路を背にして、東一条通りの左側が時計台のある大学本部で、右側が総合人間学部である。

 

 東一条通りの両側は生け垣と高い木々が並んでいて、それらが緑のトンネルを作っていた。初秋の強い日差しが木々に遮られて、道に黒い影ができている。まだ、学生たちは夏休みなのだろうか? 東一条通りを歩く学生の姿はまばらだった。東一条通りの先には吉田神社の赤い鳥居が見えている。有名な吉田神社の一之鳥居だ。


 蒼汰と明日香は吉田神社の赤い鳥居を手前にしたところで、東一条通りから右側の京都大学の構内に入っていった。構内に入る入り口には、木製でアーチ形状をした車止めが4つ並んでいた。ここが京都大学総合人間学部だ。


 二人は大学構内に入ると、建物の間の道をまっすぐ進み、左側の白っぽい建物の中に入った。この建物に総合人間学部の人間・環境学研究科がある。階段を2階に上がって、右手にまっすぐ進んだ。建物の中はしんと静まり返って、物音一つしない。学生にも教員にも出会わない。まるで、ここは無人の建物のようだ。二人の歩く足音が、妙に甲高い音になってコンクリートの廊下に響いた。


 初秋なのに建物の中はなぜかひんやりとしている。蒼汰は明日香と並んで歩きながら、何とも言えない威圧感のようなものを建物から感じていた。


 少し歩くと、入り口に「倉掛教授室」という表示のある部屋があった。倉掛教授の部屋だ。先ほど山縣が電話してくれて、倉掛教授に面談するアポは取ってあった。倉掛啓三郎は日本の民俗学者として著名な存在だ。ただし、人を寄せ付けない変わり者として、また、変わったことばかりを研究する変人学者として、一部の識者からは煙たがられていた。


 明日香が教授室のドアをノックすると、中から「どうぞ」というしわぶき声が聞こえた。


 中に入ると、教授室といっても、20㎡ほどの小さな部屋だった。中央に応接用の机が一つと安物の組み立てイスが4脚おいてある。そのまわりを本の山が埋めつくしていた。応接用の机の向こうにも本の壁ができている。その壁の向こうに教授の机があるのだろう。壁の向こうから一人の人物がこちらに歩いてきた。


 明日香が口を開いた。


 「はじめまして。先ほどお電話しました丸太町のみろう出版の者です。編集部で編集長補佐をしております山之内です」


 明日香が名刺を差し出す。蒼汰も後に続いた。


 「みろう出版の神代です」


 二人の名刺を受け取って、倉掛も名刺を出した。


 「京都大学の倉掛です」


 倉掛はまだ50代なのに髪の毛がすべて白髪だ。顔には深いしわが刻まれていて、まるで70才といっていいような風貌だった。身長は1m70㎝ほどで明日香と変わらないが、肩幅が異様に広い。そのために、倉掛を前にすると壁が目の前にそびえているような威圧感を覚えた。グレーのスーツをこぎれいに着こなしていて、なかなかおしゃれでもあるようだった。老け顔でけっしてハンサムではないが、好感の持てる顔つきだ。


 「今日は助手の西壁が学会に行っておりまして、おもてなしができませんが・・・」


 そう言うと倉掛は自ら机の上のポットでインスタントコーヒーを入れてくれた。巷で言われているような人を寄せ付けない変わり者という印象はあまりしなかった。老け顔なのでどうしても、もっさりした印象は避けられないが、どちらかというと人のよいご近所さんという感じもする。型通りのあいさつの後、明日香がさっそく口を切った。


 「先生。今日お伺いしたのは、至急先生にご相談がありまして・・・」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る